シナリオ=B|グラフィック=D|キャラ=B|音楽=C|総合評価=C
さすがに田中ロミオ。どこまで関わっているのか……企画・監修である以上、ある程度のシナリオ概略まで作ったんでしょうから、これは田中ロミオ作品と言ってもいいと思います。シナリオそのものは「ユメミルクスリ製作委員会」なので、誰がどのシナリオを書いているのかはわかりませんが。
システムは必要十分。セーブも4×10の40箇所、会長でちょっと多めに使うけどこれも不足は感じません。絵は「とある魔術の禁書目録」(よく知らない)のイラスト担当している人らしい。どうかな、悪くはないけど良くもない。絵によってはやけに目が離れてるなってのが気になったくらい。
「ゆのはな」のゆのはと同じ声な義妹、加々見綾が気に入ったんですが……
攻略できない……だと……
とりあえず攻略対象は3人。萌えや抜きだけを主にしたゲームなら量産型ヒロインをバンバン出して稼ぐところですが、シナリオ勝負のゲームであればこれで十分。無論、シナリオ重視であればあるほど「もっと読みたい」という気持ちはありますけど……あまり多すぎても重いし、ねw
他のゲームと比べてネタばれによる面白さ減衰が激しいので、ヒロインごとのレビューでは特にご注意をお願いします。
あ、そうだ。
裸の立絵があるのは素晴らしいと思いました。他のゲームも見習って欲しい。
主人公とヒロインが「惹かれあっていく過程」や、「困難を乗り越えていく様」を楽しむゲームではないです。そうではなく、いかに「現実や自分と向き合うか」を読むのが正しい楽しみ方でしょう。このゲームでは、そう言った主人公たちが向き合わなければならない「現実」や「自分」や「環境」が、イコール「困難」になりません。
人によっては「困難だ」と思うかも知れませんが、一般的には「よくある現実」でしかありません。けれど、だからこそ向き合うこと(※ここでも、「克服」することではありません)がどれほど難しいか。それを主題に、そして描けているゲームは他にはありませんね。
詳しくは各ヒロインのレビューで。
キャラや背景紹介はOHPでどうぞ。
明日が来ることを信じられない。次の瞬間に自分が死んでいるかも知れない。
その程度のこと、割と思ったことがある人はいるんじゃないでしょうか。とは言え、「だから一生懸命に今を生きる」と言える人間は相当な強さを持っているのだと思いますね。普通なら、そこから先の人生に上限を設けて努力を拒否するか、自殺するかのどちらかでしょう。
で、弥津紀は消極的に後者を選択する。自暴自棄にも見えるその行動に主人公が巻き込まれ、そして……というシナリオ。は、いいんですけど、弥津紀のそういった言動の背景が今ひとつ見えてこない。有能な生徒会長に見えてその実はサボりまくりだとか、昼の弁当に重箱三段重ねだとか意外性はあったんだけど、色んなものが薄かった。
主人公の家族との関係、特に家族が二人でいる所へ乗り込んでくるクライマックス前後はそれなりに緊迫感も、父親や綾、主人公の気持が見えてきましたが、全体としてはどこか浮ついた軽い印象しか受けませんでした。
停滞感を楽しむシナリオだ、と言われれば納得。でもエンディングを見る限りでは恐らくそうではないでしょう。なのでやや辛い評価をせざるを得ませんね。バッドエンドもあっさりしているので、そこまで落ち込むことなくプレイできるのは災い転じて福と成すというやつか。
ハッピーエンド、要するに絆を求めていた2人が鎹を得てようやく現実に向き合うことができるようになったのはいい締め方だと思ったし、後味も爽やかでした。
「私か? 私は——そうだな、ああこの瞬間なのか、と思ったよ」
「この瞬間……? なにが、です?」
「——私が死ぬのが、だね」
弥津紀ルートでの「現実」が家族、特に父親だとすれば、このねこ子ルートでの「現実」はバイト先の先輩、椿弘文でしょう。
弥津紀以上にぶっ飛んだねこ子の言動や彼女との会話、ねこ子の存在意義そのものでもあるんですが、そういった非日常と接しながら主人公を現実に引き止めているのは、椿だけでなく恐らく描かれないだけでもっとあるに違いないこういった普通の人々との生活。
このルートは、まずキャラとして斜め上空をすっ飛んでいくねこ子に、椿という緩衝材だけで耐えられるかどうかがプレイ続行の鍵ですねぇ。
シナリオは「ユメミルクスリ」というタイトルが最も深く絡んでくるシナリオ。そして困難ではない「現実」に立ち向かうこと、が最も明白に描かれているシナリオでもあります。行動原理もわかりやすい。珍走団、それだけ。彼らも、勉強はできない、スポーツもできない、努力もできなければ我慢もできない、何もない自分をどう目立たせるかというだけで、爆音を響かせて町を走り回るわけです。それしか自分を目立たせる術がないから。ねこ子の行動原理も似たようなもの。これならば、小難しい背景や理屈は不要ですね。
最初はまさか(ゲーム中で)実在している「人間」だと思わず、彼女の主張する通りほんとうに「妖精」なのかと思ってしまったw それくらいに妙ちくりんなねこ子ですが、その彼女の起こす騒動に巻き込まれつつ、奇想天外な言動の原因がクスリにあることを突き止め、何とか止めさせようと決意する。
主人公に連絡を入れるのに電話番号がばれる携帯を使わず公衆電話を使ったり、結局は文明や現実から離れることのできないねこ子が、そんな矛盾を公平に問い詰められて木の上(妖精郷への入り口)に逃げ、そこからも堕ちて現実に還る。
その時点では向き合っているとは到底言えないのだけれども、学校という彼らの世代からすれば現実の最たる場所、立場で遂に向き合わざるを得なくなり。自分に自信が持てなくて現実から逃げたケットシー・ねこ子と、周囲に合わせるだけで自分の中に何もない加々見公平の、妖精郷探しの旅はほんとうの終わりの始まりを迎える。
最後の妖精郷探しは、クスリに頼ったように見えて、結局頼っていないねこ子に成長が見られたし、主人公も最初から最後までぶれなかった。なかなかの良シナリオでしたね。
「よく来たな——従者、公平」
「ねこ子……ちゃん?」
「いかにも、我はケットシー・ねこ子、この巨大遊園地の影で活躍する妖精だ」
「あははっ、そいつはいいや」
3ヒロインの中では最も重い、と言っていいでしょう。「いじめ」ですから、向き合わなければならない現実も他の2人に比べるとやや特殊です。
途中までは痛々しくて放り投げたい気分になりますし、主人公にも苛々させられますがそこはユメミルクスリ、展開も構成も配分も素晴らしい。何を言っているのか訳わからないと思いますが、ここはプレイして自分で確かめてみてください。
見てみぬフリをされても、自分が酷い目に合っている中で関係ない立場でいられても、それでも好きな人が自分と同じような辛い目に合うよりも、いい。自分が辛い目に合うのは耐えられても、相手が辛い目に合わされるのは耐えられない。
だから、相手を守るためならば勇気を出せる、行動できる。基本的にはそういうシナリオなので、安心してプレイしてもらって大丈夫です。この辺のことは明確に書かれてないと不安なんですよねぇ……。
「わたしは、結局こうして公平くんをわたしに縛り付けて、そうやって生きてる」
「公平くんには、もっと他の道があったのかも知れないのに、もっとほかのしあわせ、あったかもしれないのに」
「それをわたしが全部——わたしのものにしちゃった」
「幸せなんて言葉は、人それぞれにはかりが違うよ」
「あえかはあえかで幸せだし、俺は俺で幸せだ」
さて、現実ですが。ああ、いやこれはほんとの現実ってことで。
授業料などの描写から恐らく私立だと思いますが、公立高校が無償化したから私立との差が開いたかと言うとそんなことはありません。余計にお金を払ったから設備のいい私立に行ける、はずなんですが、なぜか税金を投入して就学支援金なんてものを私立高校にあげているので、公私での学費負担格差は変わっていない、というのが現状です。大して負担しなくても冷暖房完備の私立学校に行けるのだったら、何のために公立を無償化したのかわかりませんね。
また、教師がどこまで学校内、クラス内、もっと言えば生徒間の関係までを把握しているのか、という恐らく保護者や生徒にとって最も重要な問題については……まあ、知ってるけど言わない、ということにしておきましょうか。
でもアレだよね。結局、何だかんだ言って学歴偏重社会だからさ。中卒・高卒・大卒でランク分けされちゃうんだよね。皆が信奉している分かり易い基準があると、どうしてもそれに頼ってしまうから。
それでも、「それしかない」生き方や考え方は、そろそろ捨てなきゃならないんじゃないかな、日本人は。国としても民族としても斜陽から末期に向かってるんだから。社会が高度化したからこそ、意識や行動様式をシンプルにする必要があるんじゃないかと思うよ。
「何でだろう……こんな簡単な方法があったのに……すっかり忘れてた」
「わたしも……やっぱりわたし、バカなのかな……」
夢に堕ちてしまうことも現実に向き合うことも、たぶん変わらないんじゃないかなと思います。堕ちてしまえば楽、という言葉はよく聞くけれども、夢を彷徨うことは現実を捨てることで、現世的利益を完全に放棄することが難しいのはスピノザだって否定してませんしね。
同じように、逃げてしまうことも留まることも、きっと変わらないんでしょう。身近な例で言えば「今の仕事や職場が嫌で転職した人」と「生涯同じ会社で働き続ける人」とでは、大変さに違いはないと思うのです。(こんな例が「身近」と言う時点でどうかしてますが)
あえかシナリオは現実と向き合って、それから逃げる。ねこ子シナリオと弥津紀シナリオでは逃げてから向き合う。メインは現実に居座る限り逃れようのない現実がそこにあることで、いつかはその事実に向き合わなくてはならないこと、そして逃げてもいいということ。大事なのはこの3点。これはユメミルクスリだけのことではなく、恐らく人間が生きていくうえでバイブルとしてもっておくべきことなんだろうと思う。
岡村靖幸の「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」の言う通り、寂しくて悲しくてつらいことばかりならばあきらめてかまわないのです。大事なことはそんなんじゃないので。逃げた人間が必ず失敗して後悔し、逃げなかった人間が必ず幸福になっているだなんて、誰も証明できないんだから。
特にお勧めできない属性というのはないかも。誰でも楽しめると思いますが、いじめをしたりされたりという経験のある人にはお勧めできません。あえて古傷を抉って欲しい、というドMな方なら別ですが。
うん、そうね、人生に疲れたり逃げたくなったりしてる人は、やってみてもいいかも知れない。
弥津紀→あえか→ねこ子
ですね。ただ、そこまで厳密に考える必要はなさそうです。弥津紀のバッドエンドだけ注意しておけば、それ以外はそこまで酷いバッドではありませんので。