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穏やかな日常はいつか終わる。

「わかっていたことですから」
「そうね。この2週間はどうだった?」
女医の言葉に、アキトは満面の笑みで答えた。

機動戦艦ナデシコ - Blank of 2weeks -

約束の日

月面のドーム内層表示は常に最新技術を駆使して、リアルに表現される。
人類が宇宙ステーションを築き始めてから月面への移住まで長い年月がかかったのは、この精神的ストレスへの対処を万全にするためだ。
月面コロニーだけは21世紀半ばには存在していたが、それから定住用のドームシティを建設するまでにホログラムやバーチャルリアリティの進歩を待たねばならなかった。

チュンチュン
チチチチ……

アキトは小鳥のさえずりで目を覚ました。
12月24日。
アキトが月面へジャンプした日だ。
そっと布団を抜け静かに外へ出ると、仄青い空を見上げてしばらくじっとする。

12月10日から12月24日までの自分は2人存在していたのだろうか。
何度もその時の自分を思い出してみた。

12月18日までは戦闘もなく、地球上で平穏な日々を過ごしていた。
オモイカネを助けたことで、少し打ち解けてくれた感じのあるルリと食堂で会話をして、ユリカは相変わらずアキトを見かけるたびに奇声を挙げ、リョーコは会うたびに不自然な挨拶をし、メグミは何かとコミュニケを繋げてくる。
戦闘待機が殆どなかったため、大概は厨房で料理の練習をしていた。
19日に入ると、艦内が次第にクリスマスムードの盛り上がりを見せ、ウリバタケが姿を見せなくなり、ジュンが沈み、同時にユリカ・メグミ・リョーコからの予定を聞く通信が増えた。
それが嫌になって部屋に閉じこもりゲキガンガーのビデオばかりを見ていたのは20日以降。

その間、やはり月面に自分はいたのだろうか。
そして、今の自分のように稔りある2週間を過ごしていたのか。
そう思うとナデシコにいた時の自分が酷く情けなく思えてくる。

料理人になりたいと言いながら、ユリカ達につきまとわれるのが嫌なだけで部屋に閉じこもり厨房に顔も出さない。
戦闘が嫌だと言いながら、一定の成果を挙げると得意になる。

久美と会うまでの自分は、いかに中途半端な存在だったかを思い知った。

空はやがて、濃い藍色から青へと変っていく。
事物の色彩がはっきりと映り、世界を象っていく。

もう迷いはない。
これから戦いに身を投じていく。
流されるだけの自分は終わり、久美との約束を守るために自ら戦闘へ向かう。
敵と戦う力だけでなく、自分自身の内にある意思と、取り巻く環境の相克の中で自分を貫いていくための力を得るために。

だから、ナデシコへ戻る。
ジャンプしたその当日、ナデシコと連絡が取れるかどうか定かではないが、彼らはきっとあの戦いを生き抜いている。
そう信じるだけの余裕も生まれていた。
たとえ10秒であろうと先のことはわからない。
ジャンプする前にアキトの知りえた時間は、今からすると未来のことだが、アキトからすれば過去を知っていたに過ぎない。
だから、24日のカワサキ・シティでの戦闘後のナデシコや市民のことは、今どんなに焦ろうとアキトに知りえるはずがないのだ。
それならば彼らの力を信じて、アキトは今自分にできることを精一杯やることだ。

陽光のこぼれ始めた景色を見つめながら、アキトの表情はその瞳と同様、澄んだものになっていた。

そして最後の日常が始まる。

「いってきます」
「あっ久美ちゃん、忘れ物!」
「え、あ。ありがとう、アキトさん」
「気をつけてね。いってらっしゃい」
「うん。いってきまーす」

最期の予感を含みながら。

「アキちゃん、出前頼めるかい?」
「はいっ」
「そのままヤマトなんとかと連絡とっておいでよ」
「え、でもまだ……」
「こっちは大丈夫だよ。今日なんだろ?」
「はい、ありがとうございます」

再会と別れ。

「アキトぉ…」
「ユリカ…泣いてんのか?」
「……オバケ?」
「違うって」
「どうして?本物なの?今どこにいるの」
「よくわかんないけど…月」
「わかったすぐ行く!」
「ばか、勝手に来れるわけないだろ…。」

「そう、よかったわね、ほんとうに」
「はい。色々お世話になりました」
「……変ったわね、あなたは」
「そうっすか?」
「ええ。とても前向きで明るく……いえ、いいわ。頑張りなさい、これからも」
「はい。……約束しましたから」
「久美さん、だったかしら?彼女と会えて、よかったわね」
「ええ、本当に」
「ふふ……そんなところが変ったのよ」
「そう、ですか?」

答えは何処にあるのだろうか。

「どうだった? ヤマトなんとかと連絡とれたかい」
「ヤマトなんとかじゃねえよ。ナデシコだろ、ナデシコ」
「え、ええ、まあ…。もうこっちに向かっているそうです」
「そいつはよかった。よかったなあ、アキ坊」
「ほんとねえ。ウチの人にこき使われるのもあと数日だね」
「ばっけろー、俺がいつこき使った!」
「いいから、上がってメシ食っちゃいな」




「そっか、アキトさん行っちゃうんだ」
寂しげに、けれど無理に明るく振舞おうとする久美に胸が痛んだ。
「うん……でも、また会いに来るよ、きっと」
「そう、だよね。また一緒にルナ・パークに行こうね」
「約束するよ。あ、これで約束2つ目だね」
笑うアキトに、久美は自分を納得させることができずにいた。
「久美ちゃん?」
不意に影を落とした久美の表情に、アキトが不安そうに問う。
「ううん、何でもない。……絶対会いに来てね」
「うん。必ず。必ず約束を果たして帰ってくるから」





「どうしたアキ坊。寝ないのか?」
「お、親父っさん……ええ、ちょっと色々考えちゃって」
「なんだ、まだ考えてたのか。いくら考えたって意味なんかねぇぞ」
「それはわかってるっす。ただ、どうしても時々気になっちゃって」
「そうか……地球を離れて月から見てろって事じゃねえのか」
「確かにちょっと見えました。過去の自分のだらしなさが。俺、怖がっていた。戦う事がじゃなくて。自分が戦うだけの存在になってしまう事が。でも……」

少しずつ変っていく世界、アキト。

家族の寝静まった家で、アキトだけが居間から空を眺めていた。
人工の星の瞬きが、大気のない月の空に浮かんでいる光景はそうと気づかなければ美しい。
ナデシコは今ごろどの辺りにいるのだろうか。
最初の時のように、流されてナデシコに乗るわけではない。
今度は自分の意思で、久美との約束を果たすためにナデシコに乗ることを望んでいる自分がいる。
今のアキトにとって、ナデシコは「帰るべき場所」だけでなく、むしろアキトの目的を果たすための手段に近い。

地球を離れ、月から見るように。
ナデシコを離れ、この『ムラカミヤ』で今までのアキトを見つめ直すことができた。
ナデシコは居心地がいい。
それは『ムラカミヤ』での心地よさとは異なるものだ。
自分が独りで立てるように、ただ見守るだけの暖かさが、ここにはあった。
その温もりに没入し、まどろみの中で自分を見失うことがないように。

だからナデシコへ帰れる。
もう、自分を失うことはないのだから。アキトは。

空を眺めていたアキトが、ふ、と気配を感じて振り向く。
「眠れないの?アキトさん」
「久美ちゃん」

「同じ夢?」
「うん……。まるで子供だよね。でも何であんな夢ばかり…」
「キラキラ光る幻のお城か……もしかしたらアキトさんって、超古代文明とかの戦士の転生なんじゃないのかなあ」
「な、なに、それ?」
「だってさ、そうとしか思えないじゃない。素人だったのにナデシコのエースパイロットになったり、生身でテレポートしたり。きっと、普通の人と違うんだよ」
「そんなんじゃないよ、普通の人間だって」
苦笑する。
時折、久美は夢見る少女になる。
それでも久美が久美であることは、差し出された暖かいミルクが証明している。
しかも、アキトの舌は、それが砂糖ではなく蜂蜜で甘味付けられていることもわかった。
「やっぱり久美ちゃんだね」
久美はアキトの微笑みに戸惑いながら、けれどアキトが何のことを言っているのかはわかっていた。
「もう。だって、眠れなくなったら困るでしょ」
「それが意識せずに自然とできてるのが凄いよね」
「アキトさんって、人に甘すぎだよー」
困ったような笑顔で恥ずかしそうに言う。
そんな久美の様子を見ながら、アキトはぼんやりと自分の中にあった不思議な気持ちが形を取り始めたことを感じていた。
「久美ちゃん、俺、久美ちゃんに負けないくらいの男になって帰ってくるよ」
「え?……アキトさん、それじゃ私が男みたいだよ」
「あ」
「あはは、でもアキトさんらしいよ」

ひとしきり笑った後、アキトは真剣な表情になった。
「……俺らしさ、かあ。それって、何なんだろう」
「自分のことって、わからないよね」
「そうだね。久美ちゃんは?」
「私もわからないよ、自分らしさなんて。それはきっと考えてわかるものじゃないし。無理しないで生きていれば自然とわかってくるものじゃないのかな?」
そういうところが久美らしい、そう思ってアキトは口元が綻んだ。
「あっ、笑わないでよ……何か変なこと言った?」
「そうじゃないよ。じゃあ、さ、久美ちゃんから見た俺らしさ、って何?」
問われた久美は、形のよい顎に白い指を添えて考え、
「意思の強いとこ」
「えぇっ?!」
アキトは本気で驚いた。
自分でもそうは思っていないし、誰からも言われたことがない。
「悩んだりするし弱いところもあるかも知れないけど……、結局は自分の考えできちんと決められるところ。私、立派だと思うよ」

それは久美ちゃん、君のおかげだよ。
その言葉を飲み込んで、アキトは目の前の少女を眺めた。
パジャマ姿で微笑んでいる彼女に、何故か急に涙が零れそうになった。
月面での様々な想いが過ぎり、
「アキトさん?」
久美の呼びかけに、なんでもないよ、と答えるのが精一杯だった。
「ごめんね、生意気なこと言っちゃって……」
俯く久美に、慌てて手を振る。
「あ、いや、そんなことないよ。でも、ありがとう、久美ちゃん」
そう言った瞬間、地面から突き上げるような衝撃が彼らを襲った。

24,Dec;ナデシコ

≪あとがき≫
多くの人が言うように、果たしてアキトは本当にナデシコで成長したのでしょうか。
私は、そうではないと思います。

最終話でアカツキが言ったように、ゲキガンマニアからゲキガンガー否定に走ったり、ものの見方が一方的であるという点で、彼は少しも成長していません。
唯一、成長した点を挙げるならば、ゲキガンガー最終話を「ひどいもんだった」と言えるようになったことくらいでしょうか。

国語的に言えば、否定の後こそが本当に重要な部分です。
なので結局彼はゲキガンガーに「ぞくぞくした」わけで。

私はルリ以外の登場人物が少しも成長しない、「ばかばっか」のナデシコだったからこそナデシコが好きです。
アキトも成長しないからこそ、SSでの主人公にしてきました。
本編で成長しなかったから、SSで成長させる余地を残してくれた、そう思っています。

このSSでのアキトは、月面の2週間で成長しました。
ですから結末は当然、そのことを考慮したものになります。