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-summer lights.......first part-
ToHeart2 - 夏影
書いたひと。ADZ
1/
小牧郁乃という名の少女がいた。
彼女は幼少期に発症した病気の治療のため、病院と自宅を行ったりきたりする日々を長く過ごしていた。
学校には満足に通えず、小学校などは二年ほどでほぼ通えなくなり、中学校も入学式には出席したもののそれっきり。なので友達もいない。そもそも作る機会を失っていたのだから彼女の話し相手はひとつ上の姉だけとなっていた。
そして両親は共働きで中々郁乃の面倒をみる事が出来ない。結果として彼女の面倒に多くは姉がみる事となった。
そうこう過ごすうちに、姉である小牧愛佳は高校生となる。
この頃になると、小牧郁乃は月の大半を病院のベッドの上で過ごすようになっていた。
より多忙となり、見舞いに来る時間が遅くなっていく姉。
時間が取れないことを気に病んだのか、姉は昔からの友人を連れてくることもあった。
だがどう頑張っても共通の話題など無い郁乃と愛佳の友人であるところの由真は、なんとも息苦しい時間を過ごすだけとなった。
そのように愛佳に気を使われる日々を過ごすうち、郁乃は無理にでも見舞いに来ようとする姉のその姿をつらく思い始めていく。
自分さえいなければ。
もし愛佳が聞けば泣き出し、怒り始めるであろう事を考え始める。
やがてある日の事。郁乃は姉に嫌われてしまえば無理に世話を焼こうとなどしないのではと思い、辛辣な態度と言葉を使うことになる。
だがそれでも、愛佳という少女はただ郁乃に尽くした。
何か言われれば自分が至らぬためだと思い、より世話を焼く。その姿にあっさり態度を軟化させてしまう郁乃。
益々心苦しくなりながら、自身の行為に結局はいかに姉を好きであるのかを思い知らされたのである。
さてやがて年が開け冬が終わろうかという頃、郁乃は新しい治療法を施される事になった。
彼女の健康状態の現状維持も怪しくなってきたため、ならばと半ば賭けのような選択に近かったらしいが、それが功をなし僅かずつだが体調が上向き始めた。だが視力の方はどうにもならず、段々と衰え始めていく。これは別の治療が必要であろうとの見解が明示された。
模索されていく治療法、そして体力の維持が可能になり、視力も成功率の高い手術で回復できる見通しであると結論づいた頃、愛佳は一人の少年を伴い郁乃の病室にやってきた。
これが河野貴明と小牧郁乃の出会いであった。
当初郁乃はその少年を姉の恋人だと思った。例えいまだそのような関係に無いとしても、姉の想い人であることは確かであろう。
自分の世話を焼いていたためなのか、とかく男という生き物が苦手となっていた姉が、何を血迷ったのか妹の見舞いに連れてきた男。これが特別な相手でないわけが無い。
郁乃は早速迎撃体勢に入る。足手まといの自分だけど、もしおかしな男だった場合は自分が姉を守らなくてはならない。そんな使命感に燃えながら。
まずは威嚇と牽制、索敵迎撃。嘘も交えて姉の情報を流し、相手の出方を伺いつつ情報収集。
遠慮なく言い合いとげのある言葉を投げ、病室から追い出そうとするかのように生意気な口を利く。
恐らく少年にはムカつく相手だと思われているだろう、そう覚悟しながら数日。
「……ああ。郁乃はお姉ちゃんっ子なんだな」
あっさりと看破されて、慌てて頭からシーツを被ってしまった。
つまり、姉が大事だから寄り付く男が気に入らない、そんなところなのかな?
などと河野貴明が帰り際に念をして確認し、郁乃の顔は真赤に染まっていく。
姉に手を出そうという男に、微笑ましく思われてしまった。
そう思うとどうにもこうにも郁乃は落ち着かなくなり、暴れたくもなった。
次の日の午後、この日は珍しく貴明は来なかった。何やら久しぶりに帰郷したお姉さんが連れ去っていったとかなんとか。あれには姉がいたのかなどと思いながら、郁乃は自分の姉に聞いてみる。あんな男が彼氏でいいのか、などと。今一頼りなく、弱そうだぞっと言葉を添えて。
小牧愛佳を知る者ならば、こんなことを聞かれた彼女がどんな行動を取るのかすぐに想像する事が出来るであろう。
慌てふためいて台詞を咬みながら否定しているようなしていないような小動物のような、良くわからない態度を取る、と。
だがこの時の彼女は違った。あっさりと、「お友達だよ〜」と言い切ったのである。
この時郁乃は呆然とした。トモダチ? ただの友達? そんなのを連れてきたのかと。
郁乃の様子がわかっているのかいないのか、愛佳は話を続ける。
最初、書庫の整理を手伝ってくれた。その後も何度か一緒に作業するうちに、この人は信用できると思って、郁乃の話し相手になってもらおうと思ったんだよ〜、などと。
残念、姉は脈無しね。窓の外を見上げながら、今日は来なかった哀れな男に黙祷してみた。あの男が姉と一緒に見舞いに来ていたのは、きっと姉狙いであったのだろうからと。
だがしかし、それもまた間違った見解であった。
翌日訪れた彼は、あっさりと「委員ちょ、じゃなくて小牧さんをどう思うって? いつも世話になってる大切な友達、かな?」などと友達宣言。そこから発展する物語は無いのですか? 男ならあんな肉付きよくて人のために働くのが生きがいみたいな女がいいんじゃないのか? 下心もないのにノコノコ見舞いについてくるなんて、あんたはどんなお人好しだっ!
思わず口を付いて出る言葉の数々に郁乃本人も戸惑いながら、目の前でのほほんと見舞いの品(愛佳が食べきれないからと彼に渡した籠の果物)を食ってる男を見やる。
「ん〜、俺ほんとは女の子とか苦手だから。慣れるにはいいかな〜、なんて」
アホだ、アホがいる。今目の前にはどうしょうもないアホがいてバナナ食ってる。
女が苦手なのに手伝い申し出た上にその妹の見舞い。しかも慣れるため? そんな事で慣れていけるものなのか?
もっとも本人にとっては切実な問題なのだろうと思い至り、郁乃は口を噤む。藁にもすがる気持ちというものは、彼女自身よく知っているのだから。
だがしかし、と思い彼女の口から衝いて出る言葉たち。こんな小生意気で口が悪くて捻くれているようなのを相手してどうする。それよりほかの女とどこか遊びにいくなりしたほうがよほど良いのではないのか。それともあんたは根性なしか。言いたい放題である。郁乃自らを卑下しすぎだが。
「うん、なんていうかさ。最初から遠慮なくやりあったおかげか、郁乃は平気な相手だし。それに、郁乃はお姉ちゃん思いのいい子じゃないか」
などと言って郁乃の頭を右手でポンポン、と軽く叩いたかと思えば撫でる貴明である。
あう、と一言呻いて郁乃は黙った。良くわからない感情を抱えて、自分は彼、河野貴明が距離を取らずにすむ女性の一人となった事を知らされた。
2/
はてさて時は流れて愛佳と貴明が進級する。郁乃が気にする貴明の身の回りの出来事といえば、幼馴染の姉が転校してきたり、書庫がどうした、生徒会長が生徒会室でカエルを飼ってた、コンピューター室でクマやらペンギンやらのぬいぐるみが暴れた、真夜中の学校でUFO呼び出しの儀式の傍らお茶会したりるーるー言ってた、卒業したはずの前生徒会長が貴明を巻き込み大暴れした、などと、彼がろくな目に会わなかったりしながら過ぎていた。そんな事柄とは無関係に郁乃の目の手術も無事終わり、退院の日が容赦なくやってくる。
春先からの治療法で体力の維持ができるから、学校にも通える。などと医師に言われたのはいつの日だったか。
とにもかくにも登校初日、彼が朝小牧家へとやってきて車椅子を押してくれているとき、小牧郁乃はどうやら自分にとってこの男は特別な存在なのだと自覚してしまった。
切欠は良くわからないが、ああも毎日のように見舞いに来てはお互い好き放題に言い合っていた事が原因か。人なら誰しも持つ他人を拒む壁が、貴明が相手だと感じられなくなっていた。
別の人間、特に男相手なら発動するそれがこの男にだけは何もない。なので色々と考えてみて、その結果出してみた最初の答えが『相方』。
あいつがボケで私が突っ込みっ!? いい具合に郁乃もボケが入ってきているようだ。
そして数日が過ぎ、なんだかんだとありながら彼と姉の知人たち、それなりの人数と知り合う。
件の彼、河野貴明を観察してみればその周りには女の子が多い。
珊瑚が貴明に抱きつけば瑠璃が蹴りを入れ、登下校時にはいつの間にやら現れた寺女の制服を着た二人組みが待ち構えていて、前後から挟み込む。そうなるとこのみまで自分もといいながら彼の腕に抱きついてと枚挙に暇ない。
女の子は苦手なはずなのに、なんでこんな? 疑問に思う郁乃である。
しかし、とよくよく観察してみれば、彼は無意識なのだろうが、彼女ら女性達からは一定の距離を保とうとしている。近付けばその分間合いをとっているのだ。回避力が低いのですぐ捕まるが。
彼にとって女の子が苦手でも、友人としてなら付き合える。そんなところなのだろう。
さて一週間もするとわかる事がもうひとつ。特定の女の子なら間合いを詰めても彼は離れない。
これまでに判っているのは柚原このみと向坂環、まーりゃん先輩にそして郁乃。この四人が相手だと貴明は慌てる事が無い。いやまーりゃんの場合は意味合いが違ってくるが。なにかを諦めたような様子だし。
このみや環は彼の幼馴染であり、姉や妹のようなものだからまだわかる。だが郁乃まで平気なのは何故なのか、女の子と思われてないのか? 以前彼が言っていた様に最初から気兼ねなく言い合ってしまったせいなのか。
胸中に流れる寂しさ、苛立ち。やるせなさ。兎角自身の感情を持て余していた。
その数日後どのような思考回路を経たのか、やがてこれは彼に対する好意であると結論付くのである。
何故なのかじっくり考えてみて、彼は郁乃を病人扱はしなかった。当然それ相応に気を使ってはくれていたが、他の人間のような同情や哀れみを向けてくる以前に、一人の知人として見舞ってくれて、遠慮なく扱ってくれる。病人としてではなく一人の人間相手として優しくしてくれる。
特に郁乃が編入してから良くわかる。他のクラスメイト、男子生徒たちなど腫れ物を扱うように病人相手の対応しかしてくれなかった。それは当然といえば当然の事であるし、そもそも郁乃自身に自覚はなかったのだが、基本的にムスっとした顔をしている彼女に、大半の者が気後れしていたという事もあるのだ。
いや実際の所貴明も最初は気を使っていた。病気で入院しているコなんだからと。だがしかし、歯に衣着せぬ郁乃の物言いにそんな気持ちは吹っ飛んでしまい、遠慮なく応対するようになっていただけなのだ。それでも持ち前の性格か、郁乃相手に優しくしてしまったのも事実である。
さて河野貴明への好意を自覚してしまった彼女は、まともに彼の顔を見ることが出来なくなる事が多くなった。
だが別段何かが変わったわけでもなく、結局は会えば口をつく悪態に貴明が苦笑交じりに付き合ってくれる、微妙な関係のまま彼らは夏休みを迎える。
夏休みに入って一週間ほどしたとある夜、唐突に電話がかかってきて海に行こうという話が持ち上がった。
言い出したのはタヌキとキツネもとい。吉岡チエことよっち、山田ミチルことちゃるの二人。彼女らが言うにはちゃるの伝で安く泊まれる旅館があって、今からでも向こうの夏祭りに合わせられるからぜひ行こう。一週間後の予定で二泊、できたら三泊。有無を言わさぬ勢いの彼女らに対し、郁乃自身は水着は着ない、海にも入らないが良いか。そう問いかけそれでもOKとなり、郁乃も参加することとなる。
そもそも体育の授業も見学せざるを得ない彼女だ。この頃になるとある程度車椅子無しで行動できるようになっているとはいえ、まだまだ海やプールになどは入れやしないのだ。
来年にはそれぐらい出来るようになりたいが、と思いそうなると泳げるようにならなくてはならない事に気づいて憂鬱にもなるが、まあなんでもやってみて損はなかろうと持ち前の気丈さで持ち直す。
兎角自身の体調と経過次第、と問題は来年度の課題ヘと棚上げをして床に就いた。
3/
そして一週間程過ぎ出発当日の早朝、集まったメンバーといえば今回の立案者である二人、よっちとちゃるをはじめ姫百合珊瑚と瑠璃、そのお供にイルファ、柚原このみに向坂環と向坂雄二、郁乃とその姉たる愛佳とその友人である長瀬由真、そして河野貴明という総勢十二名、女性比率のやたらと高い集団である。
現地までは電車でGo−! と出発進行。
一年生組みの半数、このみと珊瑚と郁乃は半ば夢の中。いくつかの電車を乗り継ぎ二時間ほど揺らされバスに乗り、訪れたかの地に降り立つ。
取り合えず荷物を先に預けようと旅館へと向かうご一行。貴明はさりげないつもりなのか、郁乃の荷物を請け負う。というより他の連中から逃げる口実にした。利用されている事に思う所が無いわけでも無いが、気になる彼に持ってもらえるというのはそれなりに気分が良かった。
ああそうか、自分のために何かしてくれるのが嬉しいのか。と、ドラマや漫画でよくある恋人をショッピングに連れ出して荷物持ちさせる女性の心理が多少なりとも理解できた郁乃である。
ちゃるの案内でたどり付いたその旅館は、敷地面積なら向坂家といい勝負の土地に建つ二階建て日本家屋風。引き戸ですりガラスな扉を開けて、声をかければロビーの奥から現れる妙齢の和装美人。
早速客室へと案内をしてくれる女将さん。なにやらちゃるの実家の関係筋とかなんとか。普段はそちら関係の方々がゆっくりするために宿泊するらしい。メンバーの大半は知らないのだが、彼女の実家がどういった家柄か知っている者達は一筋の汗をたらす。なにも知らない者達も節度をもってはしゃぎつつ部屋へと荷物を運び込むのであった。珊瑚あたりは知っても態度は変わらないだろうけど。
階段を登り案内された部屋は中々広く、二間に襖で仕切られた大部屋。十二人が悠々とくつろげる。最もその部屋で寝泊りするのは女性陣だけで、男は向かいの部屋になるのだが。
その大部屋のエアコンの電源は入っておらず、窓が開け放たれている。その窓から外を見れば見渡す限りの水平線。そして砂浜を見やればそこは恐らく穴場の海水浴場。交通の便が悪いためか、シーズン真っ只中にも関わらず海水浴客はまばらであった。もっともそれは他の海水浴場と比べればの話。それなりの人出はあるわけで、賑わっているといえば賑わっている。
彼らは旅館を出るととある浜茶屋(女将さんの紹介なので恐らくちゃるの実家関係)に向かい、すぐ隣の更衣室で着替えはじめる。女性陣より早く着替え終わる貴明と雄二の男二人。雄二は荷物番をして貴明は水着にはならない郁乃と一緒にビーチパラソルをレンタルしにいく。この時の郁乃の服装は、涼しげなワンピースに麦藁帽子。そしてショルダーバッグを肩からかけていた。
二本のパラソルを肩に担いだ貴明の後ろをとことこと付いて歩き、郁乃は浜茶屋前で姉たちが着替え終わるのを待つことにした。雄二の足元には他の荷物がいくつか置かれている。
郁乃が帽子のつばを右手でつまみ、少し空を見上げてその日差しの強さを感じていると、貴明がビーチパラソルを傾けいくらかの陰を作り彼女を涼ませる。郁乃は貴明を見上げて、ふと思った事をつぶやく。浜茶屋の中で待ってればいいんじゃないの?
あ、と気付いた貴明と雄二だが、その時にはもう着替え終わったよっちとちゃるがやってきて貴明を連れ去っていく。
彼女らは貴明の両腕を抱えこみ、あらかじめあたりをつけて置いた地点にまで連れて行くとパラソルを突き刺さすようにと告げる。その後をムッとした表情で追いかける郁乃と残りの荷物を抱えている雄二。そしてその後を追いかけてくる環たち。
広げられたパラソルの下、レジャーシートを敷いて各々の手荷物を置く。郁乃はその傍らに腰を下ろしてバッグの中から文庫本を取り出す。
本はまだ開かずに視線を上げて、貴明や姉たちの様子を眺めてみる。準備体操もそこそこに海へ駆け出そうとするこのみを止める環、その足元にはまた何か迂闊な事でもしたのか、転がっている雄二。デジカメで瑠璃の写真を撮りまくろうとするイルファと、それを牽制する瑠璃。みっちゃんとしっちゃんの仮ボディ海水浴仕様や〜、とゴーグルとシュノーケルに足ヒレ、それと何故かウェットスーツまで身につけているクマと、いわゆるマブチモーターのような物を取り付けられている、ペンギンのぬいぐるみを取り出す珊瑚。
そんな面々を無視して、真面目に準備運動を続ける愛佳と由真と貴明の三人。その背後で準備運動をしているのは、動くたびに豊かなバストが揺れているよっちと慎ましいためかあまり揺れないちゃる。よっちの胸の辺りを見てから自身の身体を見下ろしてみて、同い年のはずなのにとため息つきながら、あの二人は何か企んでいそうだなぁと思う郁乃である。
やがて体操の終わった一同は数人を残し、郁乃に一声かけて海へと駆け出していく。愛佳はカキ氷買ってきてあげるね〜、と浜茶屋へ。姉を見送った後、郁乃は自然と貴明を目で追ってしまう。
早速玩具にされている彼の様子を見てから視線をそらし、モヤモヤとしたものを抱えたまま彼女は手にした文庫本を開いた。
ゆっくりと読み進めていくが、時おり聞こえてくる彼らの声に文字を追うのを止めて、ちらりと視線を向ける。
抱きつかれたり飛びつかれたり、兎角逃げ回りながらも海を満喫している様子の貴明の姿に、何故かため息が洩れ出た。
胸の内を探ればそれは彼女らへの嫉妬と、一緒にはしゃぐ事も出来ない郁乃自身への苛立ちを感じるだけである。
「恋、ですね」
すぐそばから唐突に聞こえた声に飛び上がりそうになりながら、ギギギっと顔を横に向けた。声を上げなかった事だけは自分を褒めようと思う。
そこにいたのは無駄に瞳を輝かせて胸の前で両手の指を絡ませては握り締めている、姫百合さんちのイルファさんである。何故かクマのぬいぐるみを頭の上に乗せて。
「その熱い眼差し、切なげなため息。それこそ、恋ッ! そしてチラチラと向けている視線の先、お相手は貴明さんですね」
うわ、どうしよう。この人に捕まったらなんか面倒そう。胸中でかなり失礼な事を考える郁乃。その判断は間違ってはいないが。
郁乃の胸中を知ってか知らずかいや知るわけ無いけど、イルファが何か続けようとしたところで頭の上のクマが飛び降り大地に立つ。そして郁乃を見上げるとその右手というか右前脚を郁乃の顔に向けて、そのまま首をかき切る仕草をして地面を指してみた。
「なんですか、これ」
汗一筋頬を伝い、なんかやだなぁ、妙な事に巻き込まれそうだなぁと不安を感じイルファに尋ねた。
「私の妹にあたる、ミルファちゃんです。えっとですね、意訳しますと『貴明さんは渡さないっ!』と言ったところですか。ミルファちゃんったら貴明さんにラブラブラブ〜、ですから♪」
そこで音符つけないでくださいと思いつつ、郁乃はクマのぬいぐるみを見下ろす。両前脚を頬に添え、いやんいやんと言うしかない仕草で怪しく蠢いているクマ。郁乃の視線に気付いたのか、動きを止めて静かに見つめ返してくる。交わる視線、過ぎ行く時間。とりあえず郁乃はチョップしてみた。
「なっ! 白刃取りっ!?」
その脳天に炸裂するやと思われた郁乃の手を、見事両前脚で挟み受け止めるクマ。シュールである。
もしそのぬいぐるみが喋り、表情を変えられる機能があったのなら、きっと不適な笑いを見せていた事であろう。
「てい」
まあ白刃取りしたところで、中身は機械でも所詮はぬいぐるみ。そのまま郁乃に引っ掴まれて、思い切り投げ飛ばされる。
腕力の無い郁乃が投げた程度では、さほどの飛距離も出ない。クルクルと回転してシュタっと砂浜に着地して、両手を上げたポーズ(グ○コのマーク、と言えばお判りいただけるだろうか?)をとり、ちらりと郁乃に視線を投げてから海へと向かい駆け出していった。途中珊瑚とペンギンと合流して足ヒレを装着、海に飛び込む。
今の何? とか今笑った、絶対ニヤリって笑ったっ!! などと思いイルファに問いかける視線を向ける。
ミルファちゃんったらあんなにはしゃいで。やっぱり夏の海は女に開放感を与えるのですね〜、などとのたまうイルファ。
女だったのかあれは。そのままクマの様子を見ていると、貴明に向かって突き進んでいくのが分かる。が、貴明のすぐそばまでたどり着いたときに、大きめの波をかぶって姿が消えた。
しばらくの沈黙。
「ク、クマ吉ーーーーーーー!?」
いつまでも浮かんでこないそのクマの名を呼び、貴明が慌てて潜り探し始めた。
郁乃はイルファにあれは大丈夫なのか? と視線を向けて、イルファは「ミルファちゃんは丈夫ですから〜」と流す。
結局はモーター装備のペンギンが探し出し引き揚げた。浮力が中途半端だったために浮かび上がれなかったらしい。中身機械ですしね。
小一時間ほど遊んでから、彼らは昼食をとることにした。自前で弁当を作ってきたもの数名。料理の鉄人瑠璃とイルファ、環と愛佳。作ろうと思ってて寝過ごしたこのみや寝起きの悪い郁乃は元より参加できず。
環の差し出した弁当を見て、スタイルも料理も一級品ですかこの人っ!? と騒いでしまうよっち、浜茶屋の厨房を借りてお好み焼きを確保するちゃる。売店でいくらかの食料を買いだして来た由真。どうにかこうにか人数分の食事をそろえ紙皿を配り終える一行。
早速貴明相手に自作を勧める環とイルファ。タカ坊、このから揚げは自信作よと環が勧めれば、「私も一緒に召し上がってください貴明さん♪」「イルファは黙っとき」と姫百合家のメイドロボがとぼけた事を言い出し瑠璃がツッコミを入れる。
そしてちゃるがお好み焼きを切り分けてさりげなく貴明の紙皿に乗せ、その横でよっちがえらい勢いで数々の料理をその腹の中に収めていく。
やっぱり、食べた分は胸に行くのかな、などと思い環や愛佳の胸周りにも視線を向けてしまうこのみ。愛佳さんはいつもお菓子食べてるしなどと思いつつ。
さてその横から箸が延び、イルファ作と思わしき玉子焼きを摘むと貴明にそっと差し出す物がいた。
物である。両手を使って箸を持つクマのぬいぐるみが一匹、どうやって箸を持っているのかがどう見ても良く分からない、器用な真似をして貴明相手にいわゆるあーん、をしているのだ。
ちなみに高さが足りないためか、ペンギンのぬいぐるみを踏み台にしている。心なしペンギンの額辺りに井の字のようなマーク、いわゆる怒りを表現するものが見えたような気がする。
愛佳作のサンドウィッチ片手にその様子を見ていた郁乃は、ふとその手にあるタマゴサンドを貴明に差し出しそうになって、慌てて引っ込める。何をしようとしたのだろうと、自身の行動に多少戸惑いながら。
食後、片付けを終えてからしばしの休憩、のんびりと冷えたお茶を飲みながら水平線を眺め、雑談モードの一行。
クマとペンギンはあの後(イルファによれば権利の主張、上下関係の確認などのための)争いが勃発、殴り合いと蹴り合いを始めた。どちらもリーチが短くなかなか当たらないようだが。今も一行とは多少離れた場所で続いており、由真や雄二などはどちらが勝つか賭けている。
気が付けば愛佳と珊瑚、あとこのみが荷物に寄りかかり夢の中。環が苦笑しながらそれぞれにパーカーをかけてやる。
貴明から見て荷物の向こう側では、よっちとちゃるが何事かを画策中。時折にやりと笑い、貴明を見るのは何故なのだろうか。
そしてさりげなく、本人は本当にさりげないつもりで、貴明の隣にちょこんと座っている郁乃。
何をするでもなく郁乃は貴明と一緒に海を眺める。時折ちらりと貴明を見て、逞しいという言葉からは程遠く頼りになどなりそうにない彼が、やっぱり好きなんだなと自覚して、これからどうしようかなと悩んだりする郁乃である。
でも何故この人をなのだろうと思うも、恋はいつでも唐突だというし、と納得してみる。
その後の事は特筆するような出来事も無く、夕刻まで海を楽しんでから旅館へと戻るのであった。
追記・クマとペンギンの勝負はお互いバッテリー切れにて引き分けで終わる。途中イルファが持ち込んでいた予備電源にて充電してまで続けていた事は、まあ特筆するような事でもない、と思われる。結局途中から何が諍いの原因だったか忘れていたらしいし。
後日、その事についてのとある方々の証言。
「ミルミルはおぽんちなのれすよ」「ひっきー妹に言われたくないわよ」
誰の発言なのかは秘密。
4/
さてさて、旅館に戻る前に更衣室脇のシャワールームにてその身から潮を洗い流していた一行。旅館の自慢かもしれない広く、眺めの良い風呂に向かう。無論混浴などということは無く壁に隔てられて男女別である。男二人は適当に過ごし、女性陣は広い湯船に目を輝かせ、それはもう楽しげである。いや声が男風呂にまで届いていたわけであるのです。
ある者ない者平均値な者、何がとは聞いてはいけない。それからメイドロボ、さらにはぬいぐるみ……二匹? の総勢十二名の乙女達。いや二匹は人数外にするべきであろうかというか分類上乙女でいいのだろうか。。
兎角丹念に、念入りに髪から潮を落としている彼女ら。その中でクマとペンギンをしっかりと洗う瑠璃と珊瑚とイルファ、海には入っていないのでそれほどでもないがしっかりと洗髪する郁乃と、その世話を焼く愛佳。風呂から上がったら貴明と牛乳の一気飲み勝負でもするか、などと考えている由真、中々に広いので泳ぎだそうとして環に止められるこのみ。
よっちとちゃるはなるべく離れた湯船の中からそのようすを伺い、その視線を郁乃へと向ける。
どうですかちゃるさん、いくのんはやはり先輩っすかね? おそらく。ならば我々は予定通り、いくのんを応援するっすよ。了解した。それでは後ほどこのみも交えて相談してみますか。
などと話し合っていたり。というか君達、ちゃんと洗ってから湯船に浸かっているのかねと小一時間ほど問いたい。
楽しくも心地よい入浴を終えて浴衣を身につけた一行は、夕食をとる事となる。荷物を置いてある大部屋に戻ればそこには海の幸を並べられた六人ほどで使うテーブルが並ぶ。
イルファがメイドロボである事を伝え忘れていたために、きっちり十二人分の食事が用意されている。
さて困った、などと思うのは河野貴明。問題はイルファの分だけではなく、珊瑚の分もである。彼女は驚くほどに食が細い。例えとしては、一人ではラーメン一杯を完食出来ないし、おやつにアンパンひとつでも食べてしまえば、その日の夕食はほぼ食べられなくなる、などなど。
考えていても仕方がない、と席に着く事にした。すると何故かよっちによって郁乃が貴明の右隣に座らせられた。彼女を挟んで愛佳が、向かいには貴明から見て左からよっちにちゃるにこのみの順で座る。そういえばこの三人、風呂から部屋に着くまでに何事かを話し合っていたなと意識の片隅で思い出す。
「うちの分食べてな〜。うちは瑠璃ちゃんとはんぶんこにするで」
貴明が目の前の伊勢海老に箸をつけようとしたところで、珊瑚が自らの分を運びよっち達に託す。隣のテーブルを見てみれば、イルファの分を由真と雄二とがジャンケンでどれを引き受けるのかを決めている真っ最中。何故か貴明と同じテーブルのはずのこのみも参加していくつか確保、環は我関せずとお茶をすすっている。
「瑠璃さま、あ〜ん♪」
「一人で食べれるてっ!」
「ではこちらのお吸い物を口移しで」
「いらんっ!」
相変わらずの二人は放っておくとして。
貴明が刺身を食べつつ隣を見てみれば、箸の先でツンツンとサザエのつぼ焼をつついている郁乃。
しばし考えてから首をかしげると、彼女は隣に座る姉に聞いてみる。
「どうやって食べるの、これ」
「そういえば、郁乃はつぼ焼なんて今まで食べる機会無かったもんね。えーとね、あ、そうだ。河野君に聞いてみたらどうかな?」
いつもなら率先して郁乃の世話を焼くはずのこの人が、何故そこでニコニコしながらこちらにふるのかと。
まあ自分も郁乃の世話を焼くのは嫌ではないので、どれどれと手を出す貴明である。
ひょいとつぼ焼を手に取り貝の蓋をとると、サザエの身に串を突き刺しひねる様にして中身を取り出し始める。ワタまで綺麗に引っ張り出し、ほらこれで食えるぞと郁乃の小皿に置いてやる。
え、あ、うん。ありがと。
どこかぎこちなく、そしてほんのりと頬を染めて受け取り、少しずつかじりつく郁乃。
おひつ一つのご飯を平らげながら、よっちはその様子をニヤソ、と見ていた。お姉さんGJ! と親指を立ててみると、ニコニコと笑う愛佳も同じ動作を返してくる。
「て、なんだかいつの間にか大食いキャラ扱いっすかっ!?」
「問題ない、実際よっちは良く食べる」
あんたもばかすか食べてるじゃないすかー! などと騒いでいたりする横では、
「にがっ!?」
郁乃がサザエのワタを口にして、声を上げていた。
苦いなら苦いって教えてよ、などと顔を赤くしながら貴明に抗議する郁乃。いやいやこの苦味を楽しめるようになれれば多分大人だ、と言いながら自分の分のつぼ焼きに手をつける貴明。
郁乃は子供扱いしないでよと貴明を睨みつけるが、彼の表情が微妙なものになっている事に気付く。
苦いな。苦いでしょ。
なんだか仲良さそうな二人の姿に笑顔がこぼれる愛佳と、とっさに視線を向け合い頷きあうこのみ、よっち、ちゃるの三人。
全て、計画通り……! などと言い出しそうである。
ちなみにクマとペンギンは現在充電中。食事シーンの出番がまったくないまま場面は次へと移るのであった、まる。
夜十時過ぎ。食後しばらくはカードゲームで遊んだり雑談したりで過ごしていた面々だが、そろそろ寝ようと男二人を大部屋から追い出してから、片隅に追いやっていた布団を引っ張り出してきれいに並べていく。
まだまだ騒ぎ足りない、話足りないと思いながらも明日の事も考えて皆おとなしく床につき環が照明をおとす。
だがしかし、当然のようにお喋りを始めてしまう者もいる。環もそれを特にとがめる気は無かった。修学旅行とは違う、友人同士の旅行で細かい事は言いたくないし、これはこれで楽しいのだからと。
暗闇の中で頭をつき合わせて話し合うは例の三人、このみとよっちにちゃるである。
ここは一つ、いくのん交えて色々とお話するっスよ。このみ、いくのんを呼ぶ。了解でありますっ!
などというやり取りの横で、
「くかー」
郁乃嬢、すでにご就寝。
ぬかった。これでは計画がっ!! と言っても後の祭り。結局翌日の事をいくつか確認しあって就寝する三人であった。
「るりちゃーん、明日はほーむらんやー」
「瑠璃さま、ああ瑠璃さまっ!」
「二人とも、暑いで……」
両側から抱きつかれたまま天井を見上げる瑠璃である。
いやメイドロボが寝言ってどうよ? さんちゃんのほーむらんって何?
疑問を感じながらも瑠璃はその目蓋を閉じる。とりあえず幸せだし。
5/
次の日、朝食を終えてから今度は観光に向かう。海に来たからといって泳ぐだけが楽しみではないのである。無論これは海に入れない郁乃に対する配慮でもあるのだが、それを感じさせないよう各々はしゃいでいたり楽しんでいたりする。
「隊長殿、お船でありますよっ!」「よっしゃ、カジキマグロ釣り上げて昼のご飯にするっすよっ!」「カジキマグロは俗称、マグロ類ではない。それにそれらが釣れるほどの場所までは出ない。近くの岩場に行くだけ」
配慮、とか関係無しに楽しんでいる方々もいますが。むしろその方が郁乃にとっては良い筈ではある。
海水浴場からいくらか離れた場所に、観光のために開放されている岩場があるのでそこまで船に乗っていくだけである。
無駄にテンションの高い三人を見送り、郁乃は姉と由真、そして貴明と並んでその船を観察してみる。三十名ほどが乗り込める程度の大きさの定期船であり、一行のほかに家族連れが二組程度が乗り込むようだ。
「みっちゃんしっちゃん仮ボディ、追加電源装備や〜」と、珊瑚の声が聞こえる。その声がした方向を見やるとクマとペンギン、彼らの、いや彼女らと言うべきか。その体躯のサイズに合わせたリュックを背負わせているようだ。強度のあるタイプで、その姿は銀色の甲羅を背負うクマとペンギン。
中身は一本で一時間稼動できるバッテリー二つ、本体電源とあわせて三時間、さらにいっちゃんの背負うナップサックに収納されてる予備電源で充電すれば合計七時間の稼動、ついでにソーラーパネルで充電も出来るで〜。
いったい誰に説明しているのか、珊瑚の解説が耳に届く。
兎角人数分の乗船券を購入した環と雄二が戻ってきたので、一行は船に乗り込むこととなったのである。
船に揺られる事十分少々、岩場に設えられた波止場に到着。滑り易いので足元にお気をつけください、進入禁止区域に入らないように、などの注意書きの立て札を横目に一行は歩き出す。
さて中々に人数の多いこの一行、やはり何人かごとにグループ別けをする事に。
すっかり保護者役となってしまった環を前に、どのように人数を別けるか相談が始まる。
クジ引きでもする? いやそれでもし郁乃とこのみと瑠璃ちゃん珊瑚ちゃん、というグループになったら色々とまずくないか? それは、まあ駄目よね。
由真が提案し、貴明が不安を述べる。要するに、緊急時の対処が出来ない組み合わせにはならないように注意しなくてはならないわけである。
十二人いるので四人ずつ三グループ、クマとペンギンは後で決める事に。
まず瑠璃は珊瑚から離れるわけがないし、ならば当然イルファは瑠璃に付き従う。そこですかさず名乗り出る雄二、下心が透けて見える。
即座に却下、いつものように雄二を黙らせる環である。
ではどのような組み分けをするか、と考えて貴明は兎角郁乃を優先しないといけないと思う。
そこで愛佳と郁乃の組み合わせが決まり、なら万が一を考えて男手を一人つけるべきという意見を環に伝えた。
しばしの黙考、そこにちゃるがなにごとかを囁く。
「そうね。タカ坊、あなたが小牧さんと付いていきなさい」
と貴明の行き先が決められてしまう。
ねぇタカ坊、ほかの誰か……雄二に郁乃さんを任せて、あなたは安心していられるの?
そう囁かれてしまえば、貴明に拒否など出来ない。雄二に手を引かれる郁乃、背負われる郁乃。そんな姿を想像してみて、ほんの少し嫌な気持ちになってしまったのだから。
その後いくばくか紛糾はしたものの、グループ別けはすぐに終った。
まずは郁乃、愛佳、このみ、貴明、のグループ。これにクマ吉を加えて第一グループの出来上がり。貴明はイルファからクマ吉の分の予備電源を預かり、彼のリュックからクマ吉が頭を出した状態で散策する事になる。
第二グループは珊瑚、瑠璃、イルファ、由真。そこにペンギンが入る。
由真は以前から多少なりとも姫百合姉妹と面識があるし、という理由である。シルファちゃんは、その、少々マザコンの気がありまして、とはイルファの弁。
第三グループは環、雄二、よっちにちゃるである。雄二は不満がありそうだが、環の決定を覆せはしない。
よっちとちゃるの二人は、このみに視線を向けるとしっかりと頼む、と念を飛ばしてみる。
タカくんタカくん、あそこに蟹がいるでありますよ、と二人の視線に気付かずに貴明の腕を引いてはしゃいでるその姿に、一抹の不安を感じたり。
ひとまず解散、各グループごとに好きなように周り、一時ごろに海水浴場方面へと向かう階段の上の食堂前に集合となった。
「先輩先輩、向こうで釣りしてる人がいるっすよ」「タカ君、あっちのほうの岩場が面白そうであります」
まあグループ分けしたからといって、一緒に行動してはいけないというわけでもなく、それなりに見て周れる範囲があるとはいえ、自然の造形を楽しんだり、岩場に時おり出来上がる海水溜りにいる生き物を見つけてみたりなどと、出来る事は多くはないのだからある程度は一緒になるもの。
さてよっちたちの計画と言えば、『郁乃の前で貴明といちゃつく』、である。そうすれば郁乃が何かしらアクションを起こすだろうし、貴明も郁乃をにくからず思っているのならリアクションに期待できる。
自分達が適任とは思えないが——なにしろ普段から似たような事をしてはいるのだし——他に出来そうな人といえば郁乃の姉の愛佳、その友人由真、そして姫百合姉妹+イルファとなる。
ここで由真をけしかけても期待した方向には行かないだろうし、愛佳がもしそんな行動を取れば郁乃はあっさり身を引きかねない。そして姫百合姉妹に任せようものなら、そのままお持ち帰りしそうである。特にイルファが率先してやらかしそうだし、というより嬉々として実行するぞあの人。いやメイドロボだけど。
それは良くない。大変によろしくない。この先輩のことだからそのまま流されてしまいかねない。うまいことバランスをとって、いくのんと一緒にさせるっす。よっちの胸のうちではこのような思考が走っているわけである。
ただ本人も気付いていないことだが、うまく行かなくても、その時はそのまま自分が、という思惑も僅かながらその心の奥に存在していた。
今は女子校に通う身である彼女だが、それ以前に同じクラスになったりした男子たちや学校の先輩の男とはどうにも毛色の違う、河野貴明が気になるのであった。
彼女の胸は豊かである。環と比べてしまえば遜色して見えるかもしれないが、同年代の女子と比べれば明かに大きい部類に入る。それも現在進行形でサイズに変化があるのだから、日に日に人の目を惹くものとなっていく。
かなり以前から、このみと出会う前から周囲に比べて育ってしまっていたため、彼女にとってそれはコンプレックスであり、周囲の男子もある程度の年になればその部分に視線が向いてしまう。
そのような環境の中で過ごしてきた彼女の目に、今までにない反応をする貴明が新鮮な存在として映った。
さらにこのみの幼馴染、気弱な印象もあるもののそれなりに優しさを持ち合わせてはいる。聞いた話ではあるが、特定条件下であれば強い意志を見せることもあるらしい。
このみを通じて知り合ってからあれやこれやとちょっかいをかけその反応を見ているうちに、なんとも可愛いなと思うようになっていた。
近付けば間合いを取ろうとして、抱きつけば冷や汗をかき緊張に震える。女性が苦手だとはいうけど、見方を変えれば情けないだけとも言える。けれど、他の男子が向けてくるものとはまるで違うその視線が興味深かった。
だからなのか、だからこそなのか。そんな彼が気にかける郁乃の事が気にならないはずもない。
はっきり言えば、彼女の理想はこのみやちゃるなど、細身のプロポーションである。このみたちからすれば環やよっちのような体形に憧れるであろうが、よっちにとっては彼女らの方こそがうらやましかった。
そして、郁乃である。このみから聞いていた、貴明が毎日のように見舞う少女。どんな子なのだろうと、興味があった。
ある日の下校時、紹介された彼女は小さくて、細くて、素直じゃないけど、可愛い。
よっちのハートにジャストミート。この子の世話やきたいっす、と思ってしまったものだ。
だが、自分の出る幕は無かった。彼女の姉と貴明が、兎角郁乃の世話を焼く。普段自分から女性になど近付かないはずのあの先輩が自分から何かしらの行動を起こし、その少女に何かしら言われれば楽しげに相手をする。
その様子を見ている内に、ああ彼女は特別なんだ。先輩にとって大事な子なんだと、思い至った。
自分たち、よっちとちゃるはそれなりに長い付き合いのはずだ。なのに今になってもあの人は受け入れてくれてなどいない。いやそれは君達の日頃の行いもあるんだよと突っ込みたいが、それは置いておこう。
このみや環との距離感、それに近い接し方をしている姿から分かる事、貴明にとって郁乃は、特別なのだと。
実際にはこれは誤解である。ただ貴明が間合いを取る気なんてなくなるような、そんな付き合いを郁乃の入院中から続けてきたために、郁乃の立ち居地がこのみや環に近くなっていただけなのである。いやこのみたち相手に歯に衣着せぬ言葉の応酬などはしないが、気を張る必要がない女性として貴明の人物関係図に郁乃は登録されてしまったのだ。
彼女が入院しているあいだの見舞いは、容赦したり遠慮したり間合いをとってなんて事をしていたら、まともに相手など出来なかったのだから。
なにせ口を開けば小生意気な憎まれ口、挑発の連続。
それでも彼が見舞い続けていたのは、早々にこの少女の本心がなんとなく分かったからなのかも知れない。
姉を取られたくない、人に迷惑をかけるのは嫌だ、知らない人は怖い、男の人が怖い、そして……一人はさみしい。
意地っ張りで素直じゃなくて、でも心優しい少女。出会って数日で全てが分かったわけではない。最初はムッとした、けれど、何度か言葉を交じあわせていてなんとなく気付く、彼女の虚勢に。
気付いてしまえば後は話をあわせていけばいい、彼女の目線に近付けばいい。いつも世話になっている委員長の妹だ、話し相手になるぐらいかまわない。
そして今に至る。彼女の素直ではない言い草は、彼女のスタイル。まだまだ世間へと出て行くのが怖い、心細さの現われ。
それをそのままにしておくわけにはいかないから、彼は自分の知人を紹介する。都合がいい事に何故か女の子の知り合いはそこそこいるから、郁乃の友人知人になってくれればと橋渡しをする。それでも彼は心配だから、郁乃と一緒にいることが多い。そしてそれを嬉しそうに受け入れている郁乃(よっち主観)。
さて、そのような姿を傍から見ていたら、いったいどう思うであろうか。ただの友人の妹に対する態度だと、納得するだろうか。姉の友人に向ける態度だと終らせるだろうか。
特にこの年頃の女の子が、「そーいう方向で」考えないでいるわけもなく。
かつては散々このみを焚きつけたりしたものの不発に終わり、ふと気が付けば彼に近い立ち居地で彼女らの前に現れた郁乃。
三人組の中でも特に暴走しがちな吉岡チエことよっちである、そう思い込んだら行動開始、服は脱がないけど一肌脱ぐっすよっ! と友人のために、一往敬愛している先輩のために事を起こすのであった。とりあえずはまず当人たちの意思を確認するべきであろうと、真っ当な意見を誰か言ってやれよと思わずにはいられない。
最も、今となっては誤解というわけでもないのだが。このみや環とは違い、郁乃は貴明が女性を苦手とするようになってから現れた少女なのだから。
閑話休題。
さて先ほどから貴明の腕を抱えるようにして引っ張っているよっち。
彼の腕にその豊かな胸を惜しみなく押し付けている。若草色のタンクトップにデニムのショートパンツ、ほんのり香るラベンダーのコロン、下着のカップは軟らかくて感触の良いものを選んである。これはこのみやいくのんでは真似出来まい、自分にしか出来ない事。これでいくのんジェラシーメラメラっすよっ! という計画のようだ。
「よ、吉岡さんくっつきすぎ」
「よっち、て呼んでくださいよ〜。(ポコ)先輩と私の仲じゃないっすか(ポコポコ)」
「ど、どんな仲っ!?」
「先輩になら、チエって呼び捨てられてもいいっすよ〜(ポコッ)」
さりげないアピール。貴明も男、腕に押し付けられる柔らかな感触に生理的には反応してしまうのだが、どうしても腰が引けてくるというか逃げたい。誰か助けてと視線を彷徨わせていたら雄二と目が合ったが、にこやかな笑顔で親指を下に向けてきてくれたりと、なんだか泣きたくなった。まあそれはどうでもいい事かもしれないが。
「ウガーッ! なんすかさっきからこのクマっ!」
実は先ほどから貴明のリュックから顔を出していたクマがよっちの頭をポコポコ叩いていた。時折ある(ポコ)などの表記がそれである。
「なんすかなんすかなんなんすかっ! 自分と先輩が仲良くするのはそんなに気にくわないっすかこのクマ!」
そういえばこのクマ、イルファの妹とか聞いた覚えがある。という事はこれでメイドロボなのか、妹と言う事はその人格は女? よっちの頭脳がフル回転を始め、敵性物体・クマのぬいぐるみの情報を検索していく。
にらみ合うその最中にクマは貴明のリュックのファスナーに前脚をかけ、一気に飛び出した。そして空中で回転し着地、そのままよっちにむけてその右前脚を突き出そうとして————————こけた。
「だ、大丈夫かクマ吉っ!」
現在クマ吉さんは追加装備のバッテリー入りリュックを背負っているわけである。これが意外と重たい。ノートパソコンのバッテリー程度は重量がある。幸いそのリュックは衝撃に強いものを使用していたため、バッテリーが破損するような事はないが、ただでさえ重心の不安定な(ようするに頭がでかい)ぬいぐるみの身体の重量バランスをさらに崩す原因になっている。
そのような物を背負ったままいつもと変わらない動きをしようとしたのだから、それはもう当然のようにバランスを崩すわけで。
「ほほ〜。いい姿っすね、このクマ。くっくっく。自分の邪魔するとはどういうつもりっすか。ほ〜らつんつん、と」
じたばたじたばたと四肢を動かし起き上がろうとするクマを見下ろし、起き上がれそうになったらちょっとだけ邪魔をしてみるよっちである。
じたばたじたばた、ほーれほれ、じたばたじたばた、ほーれほれ。
ついついその報復行為を繰り返してしまうよっち。
「よっち、あれ」
いつまでも続けている彼女に業を煮やしたのか、ちゃるはよっちの肩を叩くととある方向を指差す。
ちゃるの指し示すその先には、二人の男女が手をつないで歩いている。
「郁乃さん、何をお怒りになっておられるのでしょうか」
「怒ってないわよ」
「いやでもなにか機嫌がよくはないような」
「気のせいよ」
「ところでクマ吉が心配なのですが」
「何かあれば珊瑚がなんとかするわよ」
「いやしかし」
「いいから黙んなさい。……まったく、デレデレなんてして」
「デレデレなんてしてませんから!!」
手をつないでいるというよりも、一方的に貴明が引っ張られているというのが正しいようだ。
「ぬ、いつのまに! まだまだコレからだったのに」
「よっち。『また』途中で目的を忘れた」
「……あ」
とりあえず作戦としては成功しているのだが、手段と目的が入れ替わっていたらしき吉岡チエであった。
数時間が過ぎ、予定通り食堂に集まる面々。あの後よっちたちは貴明とは付かず離れずの距離を保ち、郁乃の様子を伺って過ごした。
貴明と郁乃は特に二人きりになるような事もなく、大抵は愛佳や環、雄二などが近くにいたし、ずっと二人で一緒にいたわけでもない。
それでも貴明は何かあればすぐフォローに入れる位置を保ち、気にかけ続けていたようだった。
いやこれはこれで予定通りなんすけどね、などと思いはしても何処か落ち着かないよっち。ふと注意を怠れば二人の邪魔をしに行きそうなクマを抑えつつこのみと一緒に蟹捕まえてみたり写真をとってみたりなちゃる。
時折全員がそろう事があれば記念写真をとったりして過ごして、そのうちにお昼の時間となったわけである。
混み合う事を避けるためか、最初から一時ごろと決めておいた一行は難なく席を確保する。四人がけのテーブルが主なので、先ほどのグループにて椅子に腰掛ける。クマとペンギンはスリープモードにされてソーラーパネルで充電中。
食事風景の描写をしても良いのですが、特に何かあるわけでもないので、一気に場面を食後の団欒に移させていただきます。
ただ、瑠璃は料理の味に不満がありそうではあったが、他の面々はこんなもんだよと納得しているので、何も言わずに黙っていた事だけは記しておこう。
「それで、これからどうするっすか。この食堂前の道を進んでいけば、三キロぐらい歩けば旅館の通りに着くらしいので、のんびり観光できるっす。ただ、夕方からの夏祭りの事考えると、ここで疲れてしまうのは避けたほうがいいのではないか、とうちの参謀が言ってるっすよ」
「わたし、参謀?」
そう言って参謀ちゃるに視線を向けるよっち。冷えた麦茶片手にその様子を眺めて、そうね、どうしようかしらと思案する環。観光しながら三キロほど、その程度なら環やこのみにとっては問題ない。由真や男二人も問題ないし、そもそも一般的体力を持っていれば問題になるほどの距離ではないのだから、よっちたちだって平気だろう。問題があるのはやはり珊瑚と郁乃である。
一見元気系に見える珊瑚ではあるが、実はとことん体力は無い。子供の頃から本を読み勉強してある程度の歳になった頃からはロボット工学——ソフトウェア主体だが——の研究してな生活だったために、運動とは無縁であった。
郁乃はこの春先まで入院生活。つい最近やっと車椅子無しで出歩けるようになった程度であり、筋力体力はいまだ平均以下である。
体力が有り余っている由真や雄二たちと同じように考えるわけにはいかない。珊瑚と郁乃、二人と何人かの付き添いをつけて船に乗せてしまうべきか。
いやそれは駄目だろう。折角みんなで旅行に来たというのに、体調を崩したわけでもなく先に帰っていろだなんて、いったいなんのためにここまで来たのか。
愛佳に手を引いてもらうか。いやあの娘も体力自体はそうあるほうとは言えなかった筈、とにかく腕力が無かったのは確か。
何故自分がこんなにも場当たり的に事を考えなくてはならないのか、ふいに気になる環である。
いやそもそもこの旅行を計画したのはあの二人。こうなる事を予測していなかったはずはないわよねと、件のふたりを見やる。
「というわけで、先輩がいくのんを背負っていくというのはどうっすか」
「なんで私がそんな恥ずかしいまねしなくちゃならないのよ。歩くわよ、自分で」
「それにこの暑い中で人と引っ付いてなんてのはちょっとなぁ」
「せ、先輩っ! まさかさっきもそんなふうに思ってたっすかっ! 胸がひっついて暑苦しいと。気持ちよくなかったっすか、柔らかさには結構自信があるっすよ」
「なななななな何を言ってるのかな吉岡さん。なんか暑さで記憶に残ってないと言うかなんというか」
「なんだか乙女心が傷ついたっすっ! この心の傷を癒すために、この特盛りサマーランチをご馳走してもらうしか」
「まてい」
「先輩、私はカキ氷のトロピカルスペシャルがいい」
「なんでさっ!?」
「あんた、相変わらずいいように遊ばれてるわね。私はカキ氷、イチゴシロップでいいわよ」
「ブルータスッ!? 郁乃、お前もかっ!」
あれは何も考えてなかったと思ったほうが良さそうね、と環は嘆息する。
そして一行は岩場を後にして、散策を始める。
岩場を抜け続いて行く参道、途中のわき道には何かを祭る神社でもあるらしく遠く鳥居が見える。
そちらへは向かわず海水浴場方面へと進む途中にはミニ遊園地のような場所があったり民宿があったりと、こちらはこちらでそれなりに人がいるものだなと、海水浴以外で訪れている人々が行きかう中彼らは進む。
今度は特にグループ別けもせず思い思いに見て回っている。
お土産屋やらを覗いたり望遠鏡で遠くに見える磯釣りの様子を眺めたり、普段とは違う環境ゆえか若さゆえか、彼らはたいそう楽しんでいる。
特に今日は夏祭り、そのための準備をしている店も多かったりする。
そしてようやく彼らは宿泊している宿へと続いているらしき通りへとたどり着く。
ここまでおよそ三時間。ここらでしっかり土産物を見て回るかと本日二件目の店を見て回る。
女三人寄らばかしましいというが、ならば十人集まればそれはいったいどれほどのものになるのであろうか。
「由真〜、このキーホルダーどうかな?」「あのねぇ、愛佳。それで五個目よ。いったい誰に渡すのよ」
「この置物、なかなか良いとは思わないっすか?」「よっち、それはある意味嫌がらせだ」「私の身長と高さの変わらない狸の置物ってどーなのよ。そもそもなんで海の土産物屋にあるわけ?」
「いっちゃん、長瀬のおっちゃんたちにはどんなのがええと思う?」「そうですね、やはりお酒に合いそうなおつまみなどがよろしいかと」「イルファ、この乾物良い出汁がとれるらしいで」「それもいただきましょう! そして瑠璃さまと私の合作料理を!!」
「雄二、これとこれと、あとこれね。んー、春夏さんには、このイカの干物なんかがいいかしらね?」「ユウ君これも持ってね」「姉貴、ちびすけ。なんで俺が荷物もちなんだよっ!」「あ、タカ坊。この湯呑みどうかしら?」「無視かよっ!」
以上、買い物風景でした。ちなみに貴明君はクマ吉さんにしがみ付かれていて動きづらそうです。
三十分ほど買い物を続け近くの茶屋にて一服してから、彼らは一路旅館へと向かうのでした。
夏祭り開始まで、あと一時間ほど。
後編へ続く。