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管理人注:この作品は想いをのせての続編です。単体でもお楽しみ頂けることはジャパネットたかたの保証よりも大きく保証しますが(何言ってんだ)、そちらからお読みになることをお勧めします。
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白濁した意識の中で機械的な音を聞いていた。
それは目覚まし時計のアラーム。彼はその身に帯びた役目を果たすべく、騒音を鳴り響かせる。
私はベッドの枕元に置いてある、その音の発生源を薄く開いた目で確認して……

拳を叩き込んだ。

——そして数十分後。

「おおおおおおおおお姉ちゃんっ!! 遅刻でバスにご飯が間に合わないから歩いて車椅子を学校までパンが二枚っ!?」
私は自室を飛び出し隣の部屋に入ると、まだ寝ていた姉をたたき起こした。
「おおおおおおお落ち着いて郁乃っ!! こういうときは深呼吸、深呼吸。ハッハッフ〜。ハッハッフ〜」
「それ深呼吸と違うっ!?」
「落ち着いたところでお茶にしましょう〜」
「今ので落ち着くのっ!? て何のんきな事言ってるのよっ! 急がないと遅刻するっ!!」
「あ、あのね、郁乃」
「何ッ!!」
「今日は学校お休みだから、郁乃が遅刻するとしたら、河野君との待ち合わせの事だよね?」
「……あれ? 今日何曜日? そもそも今何時?」
「もう、あわてんぼうなんだから〜。やっぱり昨夜は寝付けなかったのかな。なにしろ初めてのデートだもんね♪」
「デートじゃないっ!! ちょっと買い物に付き合ってもらうだけで」
「うふふ〜、がんばってね〜」
「だから違うってばっ!!」

私の部屋では壁際でガラクタと化している目覚まし時計。ひりひり痛む私の右手。とりあえず湿布を貼っておこう。
そんなある晴れた休日の朝だった。

ToHeart2 - 夢で会いましょう 〜想いをのせて、その後〜

書いたひと。ADZ

さて事の起こりは数日前、お昼休みに中庭のベンチで姉と私とあいつの三人で食事をしていた時のことでした。
私と姉は持参したお弁当、あいつは購買で購入してきたミックスサンド。ミックスの内容はトマトレタスサンド、ツナサンド、ハムサンド、そしてタマゴサンド。
いただきますの挨拶をして私はお弁当のふたを開けるが、あいつはササッ、とあたりを見回してから封を切り、タマゴサンドをすぐさま口にした。

「どうしたのよ」
「いや、俺がこれを食べようとすると、いつもどこからともなく現れてはタマゴサンドを強奪して行く人が……いや、なんでもない」
……どこか遠くから『く、最近タカちゃんの隙がなくてタマゴサンドが奪えない……』という声が聞こえた気がしたけど気のせいだよね。

さて以前ならお昼は屋上でこのみや環さんたちと一緒だったらしきこの男、最近は私たちと一緒である。
曰く、「タマ姉が用意していたお弁当をある日お昼前にまーりゃん先輩にたいらげられたのが切欠」とかなんとか。
何してるかなあの人。いや、それもあの人の計画のうちではある事は知っているけど。誰にも言えない事だけど。

まーりゃん先輩、それは我が校が誇りたくもないけどある意味代表する存在。
歩く理不尽、不条理の女神、ゴッデス・オブ・卑怯。
伝え聞く数々の伝説からはろくな表現が浮かばないし、実際にある呼び名もそれってどうなのよ? と思うものだが、まあそんな人である。
既に卒業しているというのに毎日のようには現れ、色々と引っ掻き回してくれる人で、私がこの学校に通うようになってすぐ、あいつに生徒会室に案内されてその時に紹介された。
彼は頭痛を耐えているような表情で。なんかもう色々と諦めた様子で。

その時彼はすぐに用事が出来てしまい、私にすまないと言いながらその場を後にしていった。
生徒会長さんのSOSが名指しで放送されれれば行かないわけにもいくまい。名指しと言うかミステリ研関係者、と言っていたけど。
そしてまーりゃん先輩は「ふむ、たかりゃんがご執心なだけはある。萌への匂いがするぞい。あえて言うならばツンデレ」
とわけのわからない事を言ってくれたりした。誰がツンデレか。
それは置いといて、なにやら彼に私を紹介しろとしつこく要求したと聞いていますが?
「いやー。いつ頃からかたかりゃんが生徒会室に来る頻度が減ってのう。問い詰めてみたらお見舞いだとか言いおってな。ほぼ毎日だぞ?これはよほどの相手とみたわけよ。
なのでどんな奴があのニブチンへっぽこヘタレカイザーなたかりゃんのはぁとをだ、さーりゃんのメロン級マシュマロを鷲掴みにするが如くに掴んでしまったのかと興味津々であってだな。一目見るため押しかけようと思ってたら縁切るぞと本気と書いてマジと読む顔して釘刺されてたし」
今ならわかる。何故彼が釘を刺したのか。
彷徨う混沌を病院ヘ見舞いになんて連れて行かれるわけがない。
でもよくあいつに言われるままおとなしくしてましたね。
「はっはっは。気に入ったオモチャは大事にしないとな」
オモチャかい。
「まあ冗談だがね。俺だってな、場をわきまえるつもりぐらいはあるぞい? なのにたかりゃんてば、よっぽどいくのんの事独り占めしたかったんだのう〜。俺の主張はまったく聞いてくれなんだ」
信用度ゼロでしょう、この人。とにかく独り占めとか言われて顔が熱くなるのが止められなかったけど。
そもそも病室には姉もいたわけだから、あいつにそんなつもりはなかったはずですが。
「いやいやいやいや。俺様のラブセンサーがびんびん反応しとるのだよ。これは絶対引っ掻き回すと面白いゲフンゲフン。たかりゃんはいくのんを大事に想っていると」
今凄まじく聞きとがめるしかない単語が混じっていましたが?
「気にするな。慌てる何とかは貰いが少ないぞ」
慌ててないしそれ関係ないし。
「まあ、ぶっちゃけ今の様子でいくのんもたかりゃんを憎からず想っておるのがわかったし、俺様にどんと任せるがよろしかろう」
なにを根拠に言っていますか。私は何も……
「だってなー。いくのんさっきからなんか嬉しそうでありつつ顔赤いしー。これはもうへの字であろうと」
それを言うならホの字です。て誰が誰にですか。
「くっくっくっく。とにかくこの俺がお膳立てしてやろう。さすれば十月十日後にはたかりゃんの子をその腕に抱く事も夢ではないッ!!」
それ色々とすっ飛ばして飛躍しすぎっ!?
そもそも私にはまだそんなつもりも無いし、そんな事になったら流石にあいつがうちの親に殺されますっ!!無駄に理解のある両親だけどっ!!
でも姉は驚きはしても、ニコニコしながら祝ってくれそうな気がする、してしまうっ!
「まだ、と言う事はいずれはと思っているという事だね郁乃たん。ではさっそく作戦に入るので期待して待っているが良い。まずはお昼を一緒に食えるようにしてやろう。アディオスッ!!」
とまあ、止める間も無く突っ走ってくれました。とりあえずいくのんはともかくたんって何?
それからなんでお弁当強奪になるのか判らないけど。
誰かあの人の頭の中がどんな構造になっているのか教えてください。解明は無理だろうけど。

さてのんびりとお昼を食べつつおしゃべりなんてしてみるわけで。
話題は書庫のこととか、最近の流行の服とか色々と。
最近の私の体調も聞いてくるけど。
入院生活のおかげか私がファッションに疎いというのもあるけど、彼が話す内容は私の知識を上回るものだ。
ま、環さんに色々と仕込まれたというのが真相らしいけど。センスが悪いとデートで困るわよ、とか言われたりしたらしい。
春に。私と会うか会わないかの頃に。特に相手もいなかったのに。
と言っているが、必要になってから慌てて身につけていくよりはいいでしょ、と言うとそれもそうだな〜、と他人事のように納得する。
環さんには感謝を。目の前の男には神の雷を。
そんな気分になれた。
さて実は姉とこいつに合流する前に、まーりゃん先輩が私のクラスにやってきて紙片を一枚渡されていた。
チャンスがきたと思ったら読むが良い、と言いつつ。
彼が姉と書庫の整理について話し合い始めたため、これってチャンスかな? と思ったので私はこっそりとその紙片を開き、羅列されている文字に目を走らせる。

『まーりゃんのドキドキデート大作戦☆ まずはお買い物に誘うのだよチミ。まあ最初は姉同伴でも良いがな。服だとか色々と入用であろう? そのあたりの理由でたかりゃんを言いくるめるのだよ。そしてもしうまくたかりゃんと二人で出かけることが出来るようになったら途中で薬局に入り、そこで『明るい家○計画』を————

私は最後まで読まずに無言で握りつぶした。いや、そこらに捨てるわけにも行かないのでポケットにしまうけど。
流石に私の見た目でそんなものを購入しようとしたら、一緒にいる彼がナントカ条例違反で通報されてしまいます、じゃなくて。
なんでこう極端なんだろう、あの先輩。ちょっと期待してしまった自分が恨めしい
さて、とりあえず切り出すか。家族○画云々は無視して。今度の日曜でいいかな? 私の不足している衣類の買出し、としておこう。あいつは荷物持ちということにしておけばいい。
買い物に誘うというのはセオリーどおりだし、まずは姉も誘って何度かお出かけを繰り返して慣れてから二人で……

「あ、ごめんね郁乃。その日は由真と出かけるの。だから河野君と二人で行ってね」

いきなり目論みは崩れた。

それで話は冒頭に戻るわけで。先ほどまで寝惚けていたのか記憶がはっきりしていなかったのだが、姉のデート発言のおかげか大分思い出した。
実は姉の言うとおり夜寝付けなかったのだ。
着て行く服をああでもないこうでもないと選んだり、何度も目覚ましの時間を確認したり。
おもむろに自室のパソコンでネットに繋ぎ、とある掲示板で初デートの経験談を読んでみたり。
だからデートじゃないってば。ニヤニヤするな姉。ていうか何か企んでて用事あるとか言い出したんじゃないんでしょうね?
「そんな事ないよ〜。由真と映画見るだけだよ? あ、あと最近話題の喫茶店で紅茶飲むの〜。凄いんだよ、こう、ウェイトレスさんが掲げるようにポッドを持ち上げてね。下にもったトレイのカップにお茶注ぐんだよ?」
なんかどっかで聞いたような気がする喫茶店ね。主にあいつの話す内容で。というかそれってるーこさんじゃないの?
兎角私は軽く朝食を済ませると自室に戻り着替える事にする。最近は夏も近づいてるせいかなかなか暑い。
私はパジャマを脱ぐと一往日焼け止めを塗り、用意しておいた衣服を身につける。。
上は白いブラウス、下は茶色いキュロット。お財布などを身につけ、小物を入れたポーチを横からは捕れないように車椅子に取り付ける。ストールは荷物入れに。いい加減暑いかな、とも思うけど遅くなった時のための備えだ。
あのぬいぐるみも忘れない。一往帽子も被っていこうかな? でもこの格好につばの広いのは合わないわね。サンバイザーにしとくか。お店に入る時は外せばいいし。
それじゃ、私そろそろ行くけど?
「うん、判ったよ〜。鍵はかけておくから先に出ていいよ〜。あ、途中までお姉ちゃんが押してあげようか?」
「ん……いいよ。すぐバスに乗るし。お姉ちゃんも由真さんとの待ち合わせ遅れないようにね。んじゃ、行って来ます」
「いってらっしゃ〜い」
さて。姉に見送られつつ私は車椅子のリムを回しバス停を目指す。
時刻は朝九時半。待ち合せには余裕を持って行かれると思う。
朝あれだけ大騒ぎしておいてなんだけど、目覚ましは平日に起きる時間のままだったのだから当然だ。
何しろ初めて待ち合わせをするのだ。早めに起きてしっかりと支度したかったから、いつもどおりに起きればいいと思っていたはず。
それをすっかり忘れて学校に行こうと思ったのだから、私も随分と動揺していたんだなぁ。
しかし、眠い。気が付けば三時過ぎていたからなぁ。今後は掲示板の過去ログを読んだりする時は時間に気をつけないと。
そうこうするうちにたどり着くバス停。時刻表を見ればあと数分で来るみたい。最近のバスは大抵車椅子に対応してくれているから多分大丈夫。
ん、やっぱり手が痛い。我慢できないほどでもないけど、力入れると鈍く痛む。
寝惚けていたとは言え馬鹿な事したもんよね。最近は薬のおかげか、起き抜けの痛みや痺れも少なくて助かってたのに。なんで自分で怪我するかな。
一往湿布を貼ってその上から包帯巻いてきたけど、これって目立つわね。それにこれを見たらあいつが気にするだろうし。
何か良い言い訳考えとかないと。下手な事言うと「ドジめ」とからかわれかねない。いや実際ドジとしか言いようがない気もするけど。

ぼんやりとそんな事を考えていると、バスが来たので乗り込む。運転手さんに手伝ってもらって車椅子を固定。降りる予定の場所を伝えて小銭を用意。
他に乗っている人も少ないので、財布の中身を再確認。数日前に服を買いに行くと両親に伝えたら、軍資金をたっぷり渡された。
お世話になっている先輩と行く、と言ったら母が彼ね、退院の日に来てくれた彼なのねっ! と言い出し小躍りし始めたのは困ったけど。
そりゃ確かに一番お世話になっている先輩と言えばあいつだけどさ。
父は背中を向けてお酒を飲みだし、ご休憩や宿泊はしないでくれと言ってくるし。
あんたらなにを考えた。私らそんな関係じゃないっての。
ひーふーみー、と結構な額だ。何故にこんなに奮発するのかな。あまり無駄遣いはしたくないから、ほどほどにしておこう。
いや、服ってもんはこのくらい必要なのかしら?
退院後に何度か母と姉に連れられて買いにいったりもしたけど、今だ相場が良くわかってないから、会計前に良く考えないと駄目ね。
ぬ、そう考えるとやっぱり姉には付いてきて欲しかったかな。
そもそもまたの機会にしとけば良かったんだけどね。なぜかとんとん拍子に決まっちゃったからなぁ。
まあ環さんの教育をうけたあいつを当てにしときますか。
……いやちょっとまて。あの人結構いいとこのお嬢様だったよね。そうなると、金銭感覚が違うかも。
急に不安になってきた。一往はファッション誌で予習はしといたけど、大丈夫かな。
う〜む。とりあえずやたらと店員が薦めるものは避けておこう。
あいつが似合うと言ってくれたのならともかく、在庫処分に利用されたら嫌だし。
そもそも合うサイズが少ないだろとか言うのは禁止。
しばしバスに揺られていると目的地に到着。固定具を外してもらい運賃を支払い、私は待ち合わせ場所へと向かう。
ぬ、手の痛みがちょっと強くなってる? 困ったわね、ごまかしきれればいいけど。痛み止め飲んどけばよかったかな。でも必要以上の薬には頼らないようにしたいし。
待ち合わせ場所は駅前の広場。時計を見ると時間五分前ぐらい。さてあいつは、と見回してみればちゃんと来ている。
出来れば私が先に居て待っていたかったけど仕方あるまい。
「はよ。待たせた?」
我ながら簡潔な挨拶。まああれやこれや言って舞い上がっているように思われるのも嫌だし、私の言い方があっさりしているのは、今に始まった事でもないからいいだろう。
「ん、ああ、おはよう郁乃。いや、あまり待ってないよ、うん。さあ今日はどこに行くんだ」
微妙に挙動不審だわね。
「そんな事は無いぞ。どれ、後は俺が押してやろう。目的地はどっちだ?」
なんか誤魔化してるわね。
「気のせいだ」
即答するところがトコトン怪しいわよ。
「そうだ、クレープでもどうだ? 最近やゆよが新作出てたとか言ってたし」
食べ物で誤魔化せるとでも……やゆよって何よ、てかそれって人?
「山田、柚原、吉岡の三人を略してやゆよだ」
略すな。えーと、誰だっけ? このみは判るけど。
「ほら、朝たまに寺女の制服でこのみとじゃれてるのがいるだろ」
……あー。えーと、よっちとちゃる、だっけか? あの人たちか。一度紹介してもらってはいるのよね。
「ちょっと悪戯が過ぎるところがあるけど、このみを大切にしてくれてる気のいい奴らだから、今度一緒に遊びにいってみたらどうだ?」
考えとくわ。んー、でもそんな機会あるかしらね?
「機会なんてものは自分で作るもんじゃないかな? それはそうと、その手はどうしたんだ」
え、これ? これはね、家でドアにぶつけたのよ。ちょっと痛む程度で、念のため湿布貼ってあるだけだから気にしなくていいわよ。
「でもここまで来るの大変だったんじゃないのか? 今度からそういうときは呼んでくれれば迎えに行くぞ」
次があったらね。さあ、お店に行きましょう。お昼までにひと回りするんだから。
「へいへい」
見事に誤魔化されてしまった事に私が気付くのは、しばし後の事だった。

さてさて、早速お店を見て回るわけだが、最初のうちはどんなものがあるのか、いくらぐらいするものなのかを確認して回る。
いくつか見て回ってお店のめぼしをつけている間に、そろそろ昼食にしようとあいつが言い出す。
本格的なランチタイムが始まる前だけど、混み合う前に済ませてしまおうという魂胆のようだ。
どこにしようか、そう話し合いながら商店街を進む私たち。どこでもいいけど、手軽なほうが良くない? と私が意見を述べてではそうしよう、となった。では何を食べようかと話しながら移動していると、その途中で足を止めざるを得ない出来事が起きる。
「おぅおぅおぅ、女連れとはいいご身分だな、うらやましいねにーちゃん」
サングラスをかけて上から下までの黒尽くめ三人組に唐突に絡まれた。
ちなみに今のは男で、赤毛の髪を無理やり後ろで縛っていて生え際が痛そうである。
「えーと」
ぽりぽりと人差し指で頬をかくあいつ。どうしたものかと困惑している様子。
「えーと、『ちょっと付き合ってよお兄さん。な〜にお昼おごってくれればいいから』、です」
長い黒髪をポニーテールにしている女性が手にした手帳を見ながら、棒読み気味にそんな言葉を発する。
「そんな可愛い子を連れているんだからその程度よちゅ…………その程度は余裕だろ」
そして最後にはスタイルの良い女性が……う、うらやましくなんか無いわよ。胸の大きさなんて飾りよっ!! 私だってそのうちにきっとっ!!
いやそれはどうでもいい。それより思いっきりセリフ噛んでます、この人。
「えーと、次は『おとなしく出すもん出せば痛い思いはしないですむんだよ』と……あーっ!! 手帳取らないでくださいようっ!!」
「何をしてるんですか草壁さん。いや誰に何させられているのかは大体想像付くけど、せめて台詞ぐらい覚えてからにしてください」
ポニーの女性からひょいと手帳を取り上げて、あいつは駄目だしをする。台詞覚えててもあれだけ棒読みじゃ迫力ないと思うけど。
「で、向坂先輩も何してるんですか? そんなに暇なら家電屋のメイドロボコーナーでも見学にけばいいのに」
私は赤毛の男性にそう告げる。
「うがぁっっ!! 俺をどう思ってるのか良くわかる台詞ですねぇっ!! ていうか速攻でばれてるのかよっ!!」
「バレバレだアホ」
「それでバレないなんて本気で思ってたんですか?」
あ、思いっきりへこんでる。でもある意味一番真に迫った演技してたわよね。
「本音が駄々漏れだったんじゃないのか?」
そーかもね。
まあ、二人はひとまず置いといて。
「何してるんですか久寿川先輩」
と私。
「先輩。以前まーりゃん先輩に駅前に呼び出された時と同じ服じゃ駄目ですってば」
これはあいつの発言。
「あ、やっぱりそうなのかしら。でも、他にまーりゃん先輩指定の黒い服が無くて」
やっぱりあの人か。なにをどうしたいんだろう。本当に誰かあの人の思考を解説して欲しい。
「いや、雄二はともかくとして。二人とも何でこんな事してるんですか?」
「俺はともかくってどういう意味だ」
そのまんまの意味だと思いますが。
「うううう、まーりゃん先輩がカエルさんたちを撫でながら、『こやつら、から揚げにしたら美味そうだの。いや、何もせんがな。さてさーりゃん、俺のお願い聞いてくれるか? “はい”か“イエス”で答えてくれ』とお願いされて……」
いや、それお願いじゃなくて脅迫ですから。しかも二択になってないから選択の余地もないし。あとあの人の口調まで真似しなくていいですから。
「そういえばそうね。困ったわ、これからもあんな言いかたされたらどうしよう……」
付き合いはまだ短いけど、流石に私もこの人の流されやすさに気付いているので、何も言わない。
言ってもその時になったらどうなるのか判ってるし。
噂だと以前は冷血とか女局長とか色々と言われていたらしいけど、実際は人見知りしがちな天然女性なのよね。
見た目美人なんだけど、可愛いと形容すべき人。
「私は貴明さんのためだから、と頼まれたんです。運命を演出すると言われました。でもこれって運命的じゃないですよね」
わかっているのなら付き合わないでくださいよ。
「でも話し聞いたときは楽しそうだなと思ったんですよ。私こちらの学校に来てからの友人は再会した貴明さんしかいませんし、一緒に何かをするなんてありませんでしたから。それに小学生時代の友達との再会……これは運命的ですよね?」
同意を求められても。それとあの先輩の計画に乗るのは関係ないし。
「俺はな、貴明」
「じゃあ、四人でどっかでお昼にしようか? 時間帯がまだ早いから、多少は空いてると思うし」
「そうね。私ハンバーガーがいいわ。ああいうのって入院中はまず食べられないのよね」
「あ、それでしたら私もお付き合いできます」
「友人と休日のヤック、なんだか楽しそうですね」
さてと。ではヤクドナルドに向かいますか。
「無視かよっ!! ていうか俺人数に入ってなくねっ!?」
「ハッハッハッハ。ソンナワケナイダロウ。チョットシタチャメッケサ?」
「なんで片言っぽく言うんだよお前はっ!!俺だって、俺だってお前のためを思っての行動だったんだぞっ!! 一割ぐらいはっ!!」
残り九割は?
「無論それにかこつけての両手に花の役得と、うらやましいから邪魔の一つもしてやろうと思ったに決まっているじゃないか郁乃ちゃグはっ!?」
えーと。いま起こった事をそのまま言うと、『向坂さんちの雄二さんの額に突然缶コーヒーが生えました』かしら?
「生えたんじゃなくて、今どこかから飛んできましたよ」
「しっかりしてください。とりあえず何かで冷やしましょう。……空き缶じゃなくて中身入ってますねこれ」
濡らすためかハンカチを取り出す久寿川先輩。……クラゲとヒトデが入り乱れているような柄ってどこで売ってるのかしら。
周囲を見回しても水道なんて無いのですぐにしまったけど。
「なんつーかさ。こういうことするのって俺には一人心当たりがあるんだが」
私も一人心当たりがいるわね。
「物を投げるというのははじめてな気がするが、詮索はやめておこう。とりあえず雄二は俺が肩貸すから。先輩、郁乃をお願いします」
「はい、わかりました河野さん」
私は周りを見回すと、ちらりとだったけど、長くて赤みのある髪が揺れながら人ごみの中に消えていくのが見えた気がした。

「あー、いてぇ。いきなりなんだったんだあれは」
さてヤックである。ヤクドナルドというハンバーガー屋さん。私はチーズバーガー一つにウーロン茶一杯。栄養の事考えるとあまり食べるわけにはいかない。後で計算が面倒になる。病気の治療と飲む薬の都合上カロリー他の計算に気をつけないとならないのだ。
彼はテリヤキとポテト。草壁さんはアップルパイと紅茶。久寿川先輩は何かのセット。メニュー見ているときに急に目を輝かせていたからよほど好きなのだろう。向坂先輩はチキンとサラダ。
彼曰く、『ドリンクの原価はむちゃくちゃ安いから店で頼む気にはならない』だそうです。でも持ち込めるわけでもないので、飲み物無しとはいかないのですよ。
テイクアウトせず店内で席を確保。それぞれ向かい合うように座って、いただきます、となった。
「大丈夫ですか、向坂さん」
久寿川先輩がそういいながら濡らしてきたハンカチを手渡す。向坂先輩は嬉しそうに受け取ったのはいいけど、柄を目にして固まっている。
「あんたは驚かないのね」
「……慣れた」
その様子を見ながら私は彼に聞いてみるが、慣れたって何なのかしらね。慣れるほどあの先輩にハンカチ借りたりしてるわけ?
「いや、そうではなくてだな。あの人の場合、ああいうのだろうなぁー、と。今度一緒に水族館にでも行ってみろ。思い知るから」
何を思い知るのか良くわからないけど、まあいいわよ。じゃあ今度あんたのおごりで水族館ね。このみたちも呼ぼうかしら?
「勘弁してください、破産してしまいます」
さて他の方々にとお話してみる。時に草壁さん、これとは一体どのような関係で?
「スルーされた上にこれ扱いっ!?」
「クスクス。仲が良いですね。えっとですね。小学生の時私と貴明さんと向坂君は同じクラスだったんです。貴明さんはいつも私を遊びに誘ってくれました。でも私は家庭の事情で遠くへと引っ越す事になってしまいまして。それがもう六年か七年は前のことでしょうか。今こうして同じ学校に通えるなんて、なにか運命的で素敵だと思いませんか」
いやぁ……そんなに目を輝かせて同意を求められても。偶然といえば偶然ですし。
「そうですか。でも偶然でもそれを運命に変えるぐらいのぱわーがなくちゃ、女の子の幸せは手に入らないと思うんですっ!!」
力説されてしまった。それは多少同意しなくもないです。
でも誰ですかあれ考えたの。
「聞くまでもなくまーりゃん先輩だろ」
「原案はそうです。その後私が書き出しました。本当はもっと続く筈でしたのに……」
そう言ってなにやらノートを取り出す草壁さん。使い込んでますね。
「思いついたことや印象に残った事を書き込んでいるんですよ。えーと、『作戦失敗、そもそも顔見知りだからばれて当然』、と」
やっぱりわかっててやりましたね。
「さてなんの事でしょう」
ニッコリ微笑んで誤魔化された。
さて先ほどからおとなしい久寿川先輩。なにをしているのかと見てみれば、先ほど頼んだセットのおまけを眺めてうっとりしている。
「ねぇ、ああいうのって子供用のセットよね?」
と疑問を述べる私。
「まあ普通はそうだなぁ」
ひねりも何もない答えをくれるあいつ。
「それを頼んじゃう先輩も凄いが、受け付けてくれるお店も凄いよな」
もっともな意見の向坂先輩。
「でも、あの内容だと子供とか関係ないのではと思っちゃいますね」
確かに私もそう思います、草壁さん。
私たちが見つめるその先には、親指と人差し指でそのフィギュアをつまんで目の高さに持ち上げて眺めている久寿川先輩。
海洋生物フィギュア付きセット。付いてくるフィギュアはランダム。それを彼女は頼んだわけで。
「これがイルカやラッコなら納得できるんだけどよ」
エチゼンクラゲフィギュア。これを喜ぶのはこの国にいったい何人いるのか知りたくなってくる。
つまり、水族館に行くとこっち方面の生き物が好きだと、連れは思い知るのね?
「その通りだ郁乃。無茶苦茶詳しいぞあの人。クラゲだとかの事が」
意外な人の意外な一面、という奴よね。

さてその後は他愛ないお話しながら食事も終えて、これからどうするかとなった。
————ちなみに他愛ない話の内容。
『なあ郁乃。なんで雄二には先輩と付けるんだ? 俺も一往先輩なんだが』
『そうだぞ郁乃ちゃん。他人行儀じゃないか。ここは一つ「雄二さん(はあと)」と呼んでくれてもいいではないかっ!』
『はぁ、他人ですし』
『サクッとするっと言い切られたっ!?』
『まあ、確かに他人だしなぁ。間違ってないだろ』
『じゃあなんでこいつは違うんだよっ!! たまに名前呼び捨てで呼んでるしっ!!』
『…………慣れ?』
『呼び捨てに慣れるほどの親密なお付き合いっ!? うらやましいぞお前っ!!』
『そんな仲じゃないって。こう、兄妹的な親しさ?』
『妹属性っ!? 密かに「お兄ちゃん」とか呼ばせて萌え転がるのかこのやろ! チビすけも妹チックだしっ!!』
『んなわけあるかっ!!』
『あ、あんた、まさかこのみにそんなまねさせているんじゃ……』
『してねーよっ!!』
『こ、河野さんっ!!』
『は、はいっ!?』
『あ。クラゲフィギュア眺めながらあっちの世界に行ってた久寿川先輩がこっちに戻ってらっしゃいましたね』
『わ、私、妹にはなれませんけど、お姉さんにならなれますっ!!』
『落ち着いてください先輩っ!! 今のあなたは疲れているんです。日頃まーりゃん先輩のイカレた行動に巻き込まれすぎて神経が参っているだけなんですよっ!!』
『貴様郁乃ちゃんやチビすけという妹系のみならず、久寿川先輩を姉キャラにっ!! うちの姉貴と交換してくれっ!! ついでに郁乃ちゃんを俺の妹にくれっ!!ああ、姉貴とちびすけはそのまま貰って行ってくれればいいから』
『私、姉一人で間に合っていますから。正直大丈夫ですか先輩? 頭とか』
『うむ。痛みが程よくなにかを覚醒させてくれそうなぐらい大丈夫だぜ』
『大丈夫じゃないじゃないかっ! お前は自分の言動のおかしさに気付けよっ!!』
『嫌だなぁ貴明、俺の何処がおかしいと言うんだ? あの姉貴から逃れたいというのは常日頃思っている事ではないだぐぁっ!?』
『あ、向坂君の額にミルクティーの缶が。もちろん中身入り』
『ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ頭が割れるように痛いっ!?』
『俺としては割れてないのが不思議かもしれない……』
『この人頑丈ね』
『まあ慣れだろう。普段から似たようなもんくらってるし』
『そうね』
『でもなんか違うんだよな。やりそうなのは確かに心当たりがある、でも物を投げるとなると違う気がする』
『私もその辺に違和感があったわ。でも他に思いつかないし』
『ところで、今のは何処から飛んできたんでしょう?』
『はて?』
以上、思い出すと頭が痛くなる出来事があったのでした。私たちよく店を追い出されなかったわね。

「で、どうするか、郁乃。なんならしばらくみんなで遊んでみるか? 前にゲーセンに行きたいとか言ってただろ」
今だ呻いている向坂先輩は放っておき、話を振ってくる彼。
そうね。急ぎの買い物でもないし、ちょっとぐらいはいいかも。
「あれ……?」
私が同意していると、草壁さんが不思議そうに私を見る。どうかしましたか?
「いいんですか、私たち付いて行っちゃっても。お食事だけならまだしも、これ以上は流石にお邪魔だと思うんですけど」
お邪魔も何も、これには買い物に付き合ってもらっているだけですから。
「これ……いやもうなんでもいいけどな」
細かい事を気にしない。
「それで良いのでしたら私は構いませんけど……」
そういって不思議そうに首をかしげる草壁さん。私、何か変な事言った?
「だってお前ら、デートの途中じゃないのか? 俺らはそれを引っ掻き回して二人の仲を深めろという、まーりゃん先輩の指令であんなことしたんだが」
ようやく復帰した向坂先輩。
頓挫して即座に食事に付き合ってて今更。て、デートじゃないですから。
「そうだ、俺は断ったら丑三つ時に藁人形に釘を刺されそうな恐怖を感じて、この天邪鬼の買い物に付き合っているのであって」
削るわよ。前後に薄く。
「微妙に具体的でこわっ!?」
そんな私たちを怪訝そうに見ている先輩方。何かまずかったのかしら。
「いや、いい。そうだな、ゲーセンにでも行ってみるか。先輩、草壁さん、それでいいか?」
向坂先輩はそう話をまとめてくれる。あとの二人は特に反対もしないので、賛成多数によりゲームセンター行きになった。

さてやってきましたゲームセンター。アミューズメントパークとも言うわね。店内からは賑やかな音が聞こえてくる。
ぬいぐるみやお菓子などが詰まった、いわゆるUFOキャッチャーなどを眺めながら店内を回り、ゲームのデモ画面に見入る。
最新のゲームもあれば、ちょっと古いものもある、らしい。私から見るとどれが古くて新しいのやら。
「お、貴明。懐かしいのがあるぞ」
向坂先輩がそういって彼を店の奥に引っ張って行く。ちょっと奥まったところにあるレトロコーナー。他の半額になってる。
「懐かしいって、まだ何年も経ってないぞ」
えーと、なんのゲームなのよ?
なになに、三種類のショットとボム、溜め攻撃? キャラはこれを動かすの? なんかうちの学校の制服みたいなの着て、とんがり帽子かぶってホウキにまたがってる女の子が闘うわけ?
「一度やって見せようか?」
いいわよ。それよりあっちのぬいぐるみだとかの方が興味あるわ。
「そうですね、何かいい物あるかも」
「いい物……イソギンチャクがあると、嬉しいです」
久寿川先輩の微妙な発言にちょっと引きつつ、私たちは数メートル移動。草壁さんも何が楽しいのか鼻歌歌いながらついていく。
「色々ありますねぇ〜。あ、ハンカチなんてありますよ。柄は……東京ネズミ」
なんですかそれは。いやわかるんですけど判りたくないかも。
「キーホルダーだとかが多いですね。まーりゃん先輩とおそろいで何か欲しいかも」
あなたどんだけあの先輩が好きなんですか。普段酷い目にあってるような話しか聞かないんですけど?
この二人に突っ込みいれているときりが無いので、私も物色し始める。ラジコン、フィギュア、カロリーブロック? なんでもありなのね。
そんな中、私の目を引くものがあった。それは毎日のように手に触れ、見慣れているものに良く似たクマのぬいぐるみ。
私がいつも持ち歩くあれにそっくりだけど、大きさが全然違う。あれは手のひらサイズだったけど、これは抱きかかえるぐらいのサイズ。
彼に貰ったものそっくりなぬいぐるみ……欲しいかも。
ちらりと様子を見るとあいつは草壁さんに操作の仕方を教えているみたい。向坂先輩は久寿川先輩ね。
説明しているあいつの横顔を見たときチクリ、と何かが痛んだけど、私は気のせいだと思う事にして小銭入れの中身を確認、五百円玉を一枚取り出す。
クマのサイズがサイズだけに1回あたりが高い。三百円ですって。五百円で二回。初めてのキャッチャー。操作方法はまあ見ればわかる。
私はコインを一枚投入してアームを動かす。
結果は惨敗。向いてないのかな。
「おや、何か欲しい物でもあったのかい、郁乃ちゃん」
「でっかいクマだなぁ。あれが欲しいのか?」
別の筐体で久寿川先輩と草壁さんに、操作方法やコツを教えていた二人が私に気が付いた。
二人は何を取ってるのかな? ……先輩、マンボウの図柄がプリントされた色違いのペアのマグカップですか。片方はまーりゃん先輩にあげる気ですね。
草壁さんはそれを見ているだけみたい。と思ったけどその手には戦利品が握られている。コーヒー豆栽培セット? なんでそんな物まであるのよ。
私の視線に気が付いたのか草壁さんがこちらを振り向くと歩いてくる。
それを見届ける前に向坂先輩が話しかけてきた。
「どうれ、お兄さんがそのクマをとってあげだろんじょっ!?」
「あ、向坂くんの額にお徳用サイズのスポーツ飲料の缶が。当然のように中身入りで」
本日三回目。だんだんパワーアップしてるわね。缶のサイズが。
「ぬぉぉぉぉぉ、頭が、頭痛が、脳細胞がっ!!」
「るー」
……るー?
「うーじ。そこで貴様が取ると申し出てどうする。この場合うーこそが取らなくてはならないはずだ」
「る、るーこ? なんでここに。バイトはどうした?」
妙な声に振り返ると、色素の薄い髪の女性が両手をバンザイ、と上げた姿勢でそこにいた。るーこ・きれいなそらさんよね。
名簿だとルーシー・マリア・ミソラになっているらしいけど。でも最初はるーこと書かれていたらしい。なんでなのかしら。
向坂先輩が悶絶している中、その人はあまり表情を動かすことなくしゃべりだす。
「るー。うーりゃんに頼まれた。『へなちょこへたれマスターな後輩を弄くるもとい、応援してやりたいから手伝ってくれ』と。なので今日は臨時休業だ。うー店長は落胆していたが」
一往聞きますが、うーりゃん、てのは誰ですか? なんとなくまーりゃん先輩だろうなぁとは思いますけど。弄くるどうこうはもう聞きません。
「肯定だ、うーいく。うーりゃんとはまーと名乗るもの。うーりゃんとるーは先日同じ鉄板のもんじゃを食べた仲だ。陣地の取り合いの果て、友情が芽生えた」
どこで何して芽生えさせてるのかなあんたら。
「あのう。先ほどから向坂君に缶をぶつけていたのは」
「るーだ。うーりゃんがこれをぶつけろと渡してきたものをるーの得意とする投法で投げた。ツッコミはうーの文化だからおもいっきりやれと」
ツッコミだったんですかあれは。環さんじゃなかったのか…… あまり他の人にはやらないほうがいいですよ。
「つまり先輩がその辺にいるのかっ!」
「いる。朝からうーたちの様子を伺っていた。だが今一うーじ他二名が役に立たないのでるーの出番となった。よろこべうー。るーに任せておけば明日にでもうーいくと床を共にできるぞ。子供は何人が希望だ?」
「任せられるかっ!! それは色々とすっ飛ばしすぎだろうがっ!!」
とにかく、元凶をまずどうにかするべきじゃないの?
「そ、そーだな。るーこ、まーりゃん先輩はどこだ?」
彼がそのるーこさんに尋ねると、彼女はその手で店の入り口を指差す。
「逃げた」
「うぉいっ!!」
「と、言えと言われのだが何をする気だったのだろう?」
「嘘なのかよっ!」
言われた、て事は逃げてない? それじゃぁ、もしかしたら皆が見てない位置に……あ、いた。
「ばらすなよるーりゃんっ! みつかっちまったじゃないかっ!!」
「あ、まーりゃん先輩。これ片方貰ってください」
「うむ、いただこう」
何してるんですか、先輩。久寿川先輩も素でマグカップ渡さないでくださいよ。
「なにって、たかりゃんを背後から殴って気絶でもさせて、それをいくのんが介抱するという計画がだな」
その手にある隠し持てそうなバールのようなものは?
「うむ。こいつでちょちょい、と殴ればいかにたかりゃんでも倒れるであろうと」
「多分倒れた後に病院送りになるんですが」
「その辺は気合で」
「無理です!」
ねえ、そもそも先輩の背丈だとあんたを殴るの無理ない?
「……たかりゃん、ちょいと屈んではくれんかな?」
「お断りしますっ!!」
「ちぇー。しゃーねーな。今日のところはここまでにしといたらぁ。あばよっ!」
「先輩、また明日」
そういって走り去るまーりゃん先輩、そして見送る久寿川先輩。何しに出てきたの、あの人。
「あの人のやる事を一々気にしてたらきりが無いからなー」
そうね。
「るー。どうやらうーりゃんによる今日の計画は終わりのようだ。るーは夕食の支度があるので帰る」
夕食の支度にはまだ早いのでは? 二時ぐらいですよ。
「狩りだ。るーは自らの食事は自らの手で狩る。今日は魚の予定だ。ではまただ、うー」
「人間は狩るなよ〜」
狩りって、どういう生活してるのよあの人。あんたもナチュラルに対応するな。この現代日本のどこでなにを狩るのよ。
「サバイバルな奴なんだと納得してくれ。正直俺にもよくわからんし、なるべく気にしたくない」
なに遠い目をしてるのよ。あの人とは何か思い出したくない過去でもあるの?
「……なぁ、るーこ係ってなんなんだろうな?」
なに、それ?
「るーこが転入してきた時に決められた。お前のねーちゃんは嬉々として係り表に書き込んでくれたぞ」
本当になんなのか今度聞いてみたいわね。小一時間ほど姉に。
「所で、クマどうします?」
草壁さんにそういわれて、あいつは取ってやるよと言い出しコインを投入。
結局三千円ほどつぎ込んでぬいぐるみを手に入れた頃、ようやく向坂先輩が復帰し、解散となった。
さてと、そろそろ服を買いに行きましょう。
「はいはい」
人数はまた二人に戻った。

私たちは先輩達と別れた後、色々と話し合って彼が以前環さんたちと行ったらしいお店でどうだろうかという事になり、そのお店に入った。
どんなのが似合うかしらね。なんか意見ある?
「何故俺に聞く。んー。派手な色は似合わないんじゃないかな。デザインもシンプルなほうが」
「そう。それがあんたの好みなのね」
え、あ、ちが。なんて何か言おうとしてるけど放っておく。
車椅子だと動きにくいので杖を手にして立ち上がる。
リハビリをしてはいるものの、まだ長距離は歩けない。けどお店の中をぐるりと回るぐらいはわけない。
車椅子、どうしようか。見張っててくれる? 盗る人なんていないとは思うけどね。
「お客様、それでしたら車椅子はお預かりいたします。お帰りになる際はレジにて申し付けください」
と、お店の人に言われてしまった。断るのもなんなのでお願いすることにた。
左手に杖を持ち、右手は彼の左手に握られる。私は隣に立つあいつの顔を見上げながら、自分の顔が熱くなっていくのを自覚する。
「ごゆっくりどうぞ〜」
何故か彼に向けてこっそり親指を立てている女性店員さん。なにゆえ?
しかし、これで何も買わなかったら気が引けるわね。
「ま、大丈夫だと思うけどな。多分気に入るのがあるって」
そうだといいけどね。あんたも何か見繕ってよ。正直いうとさっきの意見には賛成。それにあんまり色が派手だと目にきついのよ。だから落ち着いた色がいいわ。
「はいよ」
店内をまわる私たち。時折手にとっては肩に当ててみて思案する。
むー。難しいわこういうのって。やっぱり姉の都合がいい日にしとけばよかったかな。あるいはこのみたちも連れて来るべきだったかも。
久寿川先輩たちも、用事が無ければ付き合ってもらえたかしら。
「悪いな、役立たずで」
あ、ごめん。そんなつもりで言ったわけじゃないわよ。その……元から荷物持ちのつもりだったし。
大体私が自分で買いに出るなんて事無かったから、どんなの選べばいいのか判らないだけなんだから。
ああああだからそんな暗くならないで、まるっきり当てにしてないわけじゃないんだから。
じゃなきゃ最初に聞いたりしないから、ね?
そ、そうだ、何か一つ、あんたが選んでよ。どんなものでも試着するから、それを見て判断してほしいかな、なんて。
「どんなものでも、なんだな? ネコミミメイド服やナース服なんかでも」
コロスわよ。
「嘘です、冗談です。ごめんなさい。俺にそんな趣味はありませんっ! えーとだな、じゃあしばらく選んでみるから、あっちのベンチで休んでろ」
そういって彼が指差す方向には、いくつかのベンチが並んでいた。
なんというか、これって買い物に付き合ってて疲れたお父さんとかが座っていそうね。あるいは荷物の見張り。
ではお言葉に甘えて一休みしてるわね。何か良さそうなのあったら呼んでよ。
「あまり期待しないでまっててくれ」
整然と並ぶ衣服の群れの中へと分け入って行く彼を見送り、私はベンチに腰掛ける。
さてと、待っている間にどうしようかしらね。文庫は車いすに置きっ放しだし。
どうせなら私もいっしょに付いていって何か選んでいればよかったかな。スカートとか、ショートパンツとか色々あるし。
あ、あっちの白いサマードレス、いいかも。着ないけど。私なんかが着たってねぇ?
「そう? 似合うと思うけど」
そうですか? それで麦藁帽子かぶったり? なんか清楚すぎますよ。
「郁乃さんは清楚なのも似合うわよ。それとも、自分では活発なほうがイメージなのかしら?」
私は結構気が強いほうだと思うんですけどね。姉がああですから……て、環さん?!
気が付けばすぐ隣に環さんが腰掛けていた。
「あ、やっと気が付いてくれたわね。相手に認識されて無いのに会話するなんて、始めての経験だわ」
いや、その、すみません。
「いいのよ。きっと郁乃さんは見た目ほど冷静ではいないだろうし」
なんでそんな事を。私は冷静ですよ。
「くす。タカ坊もね、そうだから。平気なように見えるけど、本当はそんなふりをしているだけ。『これはデートじゃない』、なんて自分に言い聞かせてないと舞い上がって何するかわからないのよ」
なんですか、それは。大体私なんてそんな気になるような女でもないでしょう。
「そんな事ないわ、郁乃さんはかなり魅力的よ。タカ坊は最初の頃はね、多分だけど、妹が一人増えたぐらいの感覚だったと思うわよ。でもね、気が付いたらいつのまにか、なんて事は良くある事なのよ」
私もそうだから。小さく、そう聞こえた。だけど、それを聞き返せなかった。答えを聞くのは、怖いから。
コノヒトガホンキニナッタラ、ワタシデハカナワナイ。
「そして私の見立てだと、あなたも『これはデートじゃない』と自分に言い聞かせてる。違うかしら?」
私は何も言えなくなった。
その通りだったから。私は自覚した想いを、今なおその胸にしまいこんでいた。今の関係が居心地の良いものであったし、それが壊れるのが怖くもあった。
そして彼にとって私がただの友人の妹でしかない、そんな答えが返ってきた時が恐ろしくて仕方が無いのだから。
彼の周りに私より可愛い子は何人も居る。彼に大切に想われている子もいる。
そのもっともなのがこのみだろう。
ちっちゃくて、純粋で、天然で、可愛くて、健気で、健康で、なにより彼を昔から知っている。彼が昔から知っている。彼のために料理を春夏さんに教わっている事もあった。
目を離せない、どこか放っておけない子犬のような彼女。
病気で入退院を繰り返していて、いつまた体調を崩して病院に逆戻りするのかという不安も抱えていて、体力も無く、ひねくれてて、いまだ自力で歩き回る事が厳しい私とは違う。
だから私が彼に特別に想われている事があるなんて思えなかった。重荷にしかならないであろう私が。
「傍から見ているとね、良くわかるのよ。本人はそんな事はないと思っていることでも、全然違うことが」
退院前に自覚した想い。それは私が年頃の異性を彼しか知らなかったからではないか、そんな不安に襲われた時もある。
学校に通うようになって、同性・異性を問わず何人もの知人は出来た。
だけど、あいつに抱いた想いは変わらなかった。あいつと同等かそれ以上に親しいと言える異性は少ない。いっそ、いないと言ってもいい。
友人と言える人はいるかもしれない。でもあいつほど安心できる人はいなかった。
結局、私の想いは今も続いている。だからこそ誤魔化さないと落ち着かない。
誰かがあいつのそばに居るだけで心がざわめくなんて、そんな事誰にも知られたくなんてない。
これが“デートである”と認めてはいけない。ただ単に学校の先輩に買い物に付き合ってもらっているだけなのだ。
認めたらきっと私は止まれなくなる。あの人をを独占しようとする、してしまう。
私だけを見て欲しい、私のそばに居て欲しい、私だけがあなたの……
気が付けば私は両腕で自分の身体を抱きしめるように抱えていた。怖かった、何かが怖くて仕方がなくなっていた。
「あなたが今何を思ったのか私にはわからない。でも想像はつくわ。それはきっと、誰かを好きになれば、誰でも思うことだから」
そうなのだろうか。
「はぁ……。おかしいわね。二人の様子見るだけのつもりで、こんな話をしに来たわけじゃないんだけどな〜」
どうして、声をかけてきたんですか。どうしてここに居たんですか。
「郁乃さんが一人でつまらなそうにベンチに座ってるから、つい声かけちゃったのよ」
私、つまらなそうにしていましたか?
「見た目の表情は変わってなかったわ。でも、なんとなくそんな感じがしたの。昨日あれだけ発破かけといたのに一人にするなんて……」
……だからですね。朝待ち合わせ場所で少し様子がおかしかったのは。彼に何を言ったんですか。
「それは秘密。いいかげんはっきりしなさい、程度の事は言ったけどね。郁乃さんだって、もう答えは出ているんだから、後は行動あるのみよ? 今すぐどうこうは無理だろうけど、がんばって」
様子を見ている間に手遅れにならないようにね。誰かさんみたいに。そう言って環さんが立ち上がる。
誰かさん、それが誰のことなのかその横顔を見ていれば判る。判ってしまう。それほど想っていて、何故動かないんですか?
「……私にとって大切なのは、タカ坊の幸せだから。彼が不本意である事ならしたくないし、彼が望むのなら叶えてあげたい。それだけよ」
ご自分がそばに居てそうすればいいじゃないですか。あなたなら、あの人を幸せに出来る。
「もしタカ坊とあなたとの出会いがもっと違う形で、違う関係になっていたのならそうしていたかも知れないわね。あるいは他の誰かが。そうね、このみやあなたのお姉さんがそうなっていたかも。でも今はこうなってしまったのだから。それに、私はあなたも好きよ?」
あなたのひたむきさと強さは、きっとタカ坊を支えてくれるから。
最後にそう告げて環さんは立ち去ってしまった。後に残された私は、言われた事を頭の中で反芻する。
私が強いなんて、誤解だ。誰かに支えてもらわないと、私は何も出来ないのに。
姉や両親の犠牲の上で、私は今まで生きてこれた。治療費などがどれほどの負担になっていたのか。毎日の私の世話がどれほど大変だったのか。
私の思考はぐるぐるとループしていく。
「どうしたんだ郁乃。なんか暗くなってるけど」
かけられた声に私は顔を上げる。そこには心配そうな顔をしたあいつがいた。
その手には散々悩んだのであろう、白いワンピースを持って。
「なんでもないわよ。買い物には慣れてないから、ちょっと疲れてるだけ。それにしても、また清楚な雰囲気のを持ってきたわね」
慌てて取り繕いながら、私は立ち上がり彼の手からそのワンピースを受け取った。
試着室に入りカーテンを閉めて、私は着ていた服を脱ぎ手すりにかけて、そのワンピースを身につけると鏡を見た。
肩が露出しているけど、とても清楚な雰囲気。麦藁帽子でも被れば合いそうだ。
あいつはこういうのが好きなのかな。私にこうあって欲しいのかな。
あれこれとそんな事を考えていると先ほどまでの暗い思いが薄れ、胸が高鳴っていく。
入院している時も自宅療養の時も、外出なんてしないから日に当たる事が少なかったために日に焼けていない白い肌。
茶系の色の髪も良く栄える。
これは欲しい、そう思った。あいつが『似合うよ』と、そう言ってくれる事を夢想して上気する頬、ドキドキする胸。
でも、それらは私の二の腕にあるいくつかの注射や点滴の跡を目にした時、急速に冷めていく。
否応なしに私の身体の事を突きつけてくるその跡は、白い肌ゆえに余計に目立つ。
完治はいまだ難しいこの身体の事を、一時的にとはいえ忘れ、浮かれていた自分が嫌になってくる。
私は、あいつと一緒にいてもいいのだろうか。あいつの時間を食いつぶしてしまっていいのだろうか。
『がんばって』
環さんの言葉が私の胸をえぐる。
何をがんばれというのか。こんな、一生付き合わなければならない病気を抱えた手間のかかる女が、あいつに想われる資格があるというのか。
私は確実に重荷になる。
やがてあいつが離れていくかもしれない。嫌気がさし、置いていかれるかもしれない。そんな事ばかりが私の胸に渦巻いていく。
「郁乃〜、どうだ〜? サイズ合ってるか〜」
いつまで経っても顔を出さない私を不審に思ったのか、あいつが声をかけてくる。
返事をしようとしても、声が詰まって出てこない。
あいつは知らない、この傷痕を見せたくはなかった。なにより今の私の顔を見られたくはなかった。
「なん、でもない、大、丈夫、だから」
所々つっかえながらようやく返事をする。
どうしよう。私はどうしたいのだろう。
一緒にいたい、その気持ちは今もある。だけど、本当に良いのか?
あいつの好意に甘えて良いのか。ただの同情や哀れみだったらどうする? どうなる?
私はいつの間にか包帯を巻いている右手で注射跡を隠す様に掴むと、しゃがみこんでいた。
怖い。
環さんと話をしている時にわきあがった恐怖に似たものが、また私の中を駆け巡り始める。
「お客様、失礼します」
その声がかけられてからカーテンが小さく開かれ、女性の店員さんが覗き込む。
……まず二本の触角が見えた。いや、それは前髪の一部で、こう、あー、うん。やっぱり触角に見える。
とてつもなく気にはなるけど、兎角小柄で細身な黒髪の店員さんである。背は私と大差なく、数センチ高いぐらい。
腕には『研修中』などと書かれた腕章を身につけている。
「申し訳ありません。けど、じゃなくて。ですがお連れ様が顔を真っ青にして心配しておられましたので、確認させていただきました」
その言葉遣いに慣れていないのか、ちょっと言いなおした。
私は気付かなかったけど、あいつは何度か呼びかけていたらしい。
そしてカーテンを開けようかどうしようか迷っているところに、店員さんが来たようだ。
「すみません、ちょっと立ち眩みをしただけです」
「お話は伺いました〜。なんでも長期入院から退院したばかりだそうですね」
なんでそんな話をしちゃうかな、あいつは。
「お連れ様はかなり取り乱していましたから。……大切に思われていますね」
私の心配をしてくれる。その事が私の胸のうちに温かいものを満たそうとしたが、同時に冷えきった暗い感情ももたらした。
やっぱり、私は重荷にしかならない。心配をかけるだけの厄介者でしかない。
「それにしてもお客様、良くお似合いですよ。お連れ様もご覧になったらどうでしょう?」
私の様子に大事は無いと判断したのか、背後に居るのであろうあいつに声をかける。
店員さんはきっと彼にも気に入ってもらえますよ、とささやきカーテンを開く。
何も言えないまま私は差し込む光に照らし出される。
ギュッ、と二の腕をつかむ手に力が入り、私は視線を足元に注ぐ。
沈黙。あいつが何も言わないので、不安が強くなっていく。私は視線を上げられない。
「あー。……うん。良く似合ってる。可愛いぞ、郁乃」
その言葉に私は反射的に顔を上げた。
試着室は一段高くなっているとは言え、精々五センチ程度。身長差はあまり埋まらない。
見上げた視線の先には、顔を真っ赤にして視線を上へとそらしながら人差し指で頬を掻いているあいつがいる。
こいつがそんな台詞を自分で言い出すとは思えない。
視線をずらせば、ニコニコと微笑んでいる店員さんがいる。あいつは彼女に何事か言い含められたのだろうと、私は感じた。
それでも嬉しいと感じたことは、本当だから。
私は彼を見つめた。
「あんた、本当にそう思ったの? 思ってくれたの?」
目上げた姿勢のまま、私は問いかける。
視線を彷徨わせていたあいつは、私が見上げている事に気付くと躊躇いながら答えてくれる。
「あー……本当に、可愛いと、思った」
覚悟を決めたのだろう、真っ直ぐに私の目を見て言い切る。
あいつも顔を赤くしているが、きっと私も真赤になっているのだろう。どうにも恥ずかしくて私は俯いてしまう。
私は顔の火照りを感じながら意を決っして、ずっと掴んでいたままだった左腕から右手を離す。
すこし赤く手の後が付いているけど、注射の跡などはわかる程度だ。
「こんな跡があるのよ。それでも、似合うって言ってくれるの?」
意図せず上目遣いに彼を見つめている私は、傍から見るとどう映るのだろう。
二の腕を彼に見えるように腕を突き出し、私はまた俯いてしまった。
逃げ出したい衝動に駆られるも、その場に踏み止まる。
同情や哀れみが欲しい訳ではない。慰めや気遣いの言葉が聞きたいわけじゃない。
ただ、彼の言葉が欲しかった。どんな言葉でもいい、どう思うのかが知りたかった。
「あ、そうか。そうだったよなぁ。こういう跡、あってもおかしくないんだった。すまん郁乃、やっぱり気にしてるもん……なんだよな」
失敗した。そんな顔をして彼は謝る。違う、謝ってほしいわけじゃない。私は卑怯者だ。ただあなたがどう思うのか知りたいだけ。あなたを試してる。
「私は、気になる。だからわざわざ人に見せたくなんてない。でも、それよりも、あんたがこれを見てどう思うのか、知りたいだけ」
私の問い掛けにあいつは困ったような顔をして、それでも逃げずに私を見返して口を開いた。
「さっき、そのワンピースを着た郁乃を見たとき、綺麗だな、と思ったんだ。だから俺はその二の腕とかの跡を今更見ても、何も思わないというか、なんだろうな? 傷痕を見てどうこう思うより、郁乃が嫌になるのならそれが嫌だな、て何言ってんだろうな」
天井を仰ぎ見て、あーうー、と困り始めるあいつ。その姿がなんだか可愛くて、ちょっと吹き出してしまった。
「……そっか。綺麗だ、なんて歯の浮くような事言えるんだ、あんたも。ありがと」
私は珍しく——我ながら自覚はあるのだ——素直に礼を言った。
先ほどまでの沈んだ気分も、だいぶ明るくなってきた。悩んでもしょうがない、ゆっくりと答えを探そう。
気持ちをそんな風に切り替えてみた。
さて、私たちはちょっとうかつだった。なんというか、傍から見たらこれって二人の世界を作っていると言われてもしょうがないよね。
「アツアツですねー。うふふふふふ、なんだか見ているこっちまで照れちゃいますよ。青春ですねー」
ふと横を見れば、きゃー、とでも擬音をつければ似合いそうな仕草で、頬に両手を添えている触角店員さん。
「やっぱり想いあう二人、というのは素敵ですよねー。私ももっと頑張るんだったなぁ」
心なしかその顔が赤くなっている。
「ちちちちちち違いますからっ! こいつと私はそんな仲ではっ!!」
慌てて否定する私。いや内心は嬉しいですよ? でも事実違いますからっ!
「そ、そうです、むしろこいつと俺は会うたびに威嚇しあうような関係でっ!」
あいつも否定するけど、顔が赤い。多分私の顔も赤いんだろうなぁ。
「そーですかー? ではそういうことにしておきますね、お客さま」
絶対そういう事にしてないよこの店員さんは。なんでそんなに嬉しそうなんですかっ!
「そそそそそそそうだ郁乃。その服どうするんだ? 気に入ったのなら買うか? 気に入らないのなら戻してくるから、だからなうん」
落ち着けや。なんかもー、なにを気にしてたのかとバカバカしくなってきた。こいつが気にしてないならいいや、もう。これ買っちゃおう。ストールでも肩からかけてればいいや。
すいません、これ着たままで会計頼んでもいいでしょうか?
「はい、承りましたー。ではこちらへどうぞ〜。タグを外させていただきます」
触角店員さんはそういってワンピースに付いていた値札などのタグを切り取る。
そういえば値段見てなかったわね。えーと、思ってるより安かったのね。
「まあ、予算がどのくらいか聞いてなかったし、あまり高いのもと思って選んだから」
気を使わせちゃったわね。と、私は支払い済ましてるから、あんたはさっきの店員さんにでも言って車椅子からストール取ってきてもらってもいいかしら?
「持って来てたのか」
万が一の備えだったんだけどね。まあ初夏とはいえまだ夕方は肌寒くなるし、ちょうど良いわよ。
「わかった、ちょっと行ってくる……あっちにいるのがさっきの人かな?」
ぐるりと店内を見回すと車椅子を預けた店員さんを見つけたようで、あいつはそちらに向かっていった。
あ、私の着てた服、どうしよう。
「それでしたら畳みまして、袋にお入れしますけどどうしましょう?」
自分で畳みますから、袋をお願いします。あー、あいつに車椅子の荷物入れに入れてきてもらえばよかったかな。
「畏まりました〜。……あ。お先にレシートお渡ししますね。はい、では袋はこれですので」
店員さんが差し出す袋を礼を言いながら受け取る。それからさっきまで着ていた服を畳んで詰めこみ、店員さんに封をしてもらう。
あとはあいつが戻ってきたら、一緒に店内を回って他にもいくつか買おうかな。

その後の買い物は平穏に済んだ。結局ほとんどをあいつに選んでもらい、何故か付き合ってくれた店員さんにも見てもらいながら数点の衣服を購入。
車椅子に乗せられるものは乗せて、もてるものは手にもつ。これで当分は困らないわね。
紙袋のいくつかはあいつが持っていてくれてる。
「けっこう買ったな」
まあね。私の服として買う事はめったに無かったから。
ずっと入院してたから着る機会がないのもあったし、唯でさえ負担になっているわけだから、欲しがったりしなかったのよ。
それで出来る限りは姉のお下がりで済まそうとしてたわけ。でも姉や両親にしてみれば、欲しいものは欲しいって言って欲しかったのかもね。
「お下がりねぇ。俺は兄弟いないからよくわからんけど、ほかの奴らの話聞く限り、嫌なもんだったりしないのか? いやこのみはタマ姉のを喜んで着てたが」
まあ、このみは環さんのこと好きだしね。私も嫌というわけじゃないわ。今までは姉のお古でもよかった。幸いそう趣味に違いはなかったし。
ただねぇ……
「やっぱり何か問題あったのか?」
その、ね。良くて姉が中学の時の。いままでは結構小学生の頃の服を着ることになったりしてたのよね。小学生といっても高学年よ?
入院してる間はそれほど気にしてなかったけど、流石に最近はちょっとね。
「そんなに身長に差はなかった……よな?」
みなまで言わす気かあんた。
「……あー。すまん、そうだな。ウン、ゴメン」
そこでわざとらしく目をそらすなきさま。今ちらりと胸の辺り見てたのわかってるのよ。
胸も腰もなくて、女の子としての魅力には乏しい事ぐらいわかってるわよ。
「そんな事ないって。小牧に比べれば細いけど、その、見た目だけは可愛いと思うぞ?」
一言多いことについては不問にするけど、そこで自分の言った台詞で悶絶しないでよ。
「違う、違うんだっ! 俺はこんな事を気軽に言ったりするようなキャラじゃない、キャラじゃないはずなんだっ!」
落ち着きなさい。店員さんもニヤニヤしないでください。
ほら。そろそろ行くわよ。
「ありがとうございました〜」
始終ニコニコしっ放しの触覚店員さんに見送られて、私たちは店を後にした。
むー。顔が熱い……

あいつが車椅子を押してくれながら、とことこと商店街を進む私たち。
今は落ち着いているけど、お互い顔を見ないで済むのはありがたかった。
ふむ。どうするか。このまま解散というのもなんだし。
左手の腕時計を見ると、まだ四時半ぐらい。
……ん? 時計?
あー、そう言えば目覚まし破壊したままだった。あれも新しいの買っておかないと。
「ねえ、時計屋さんによってよ」
「時計屋さん? どうしたんだ急に」
車椅子の上で身体を捻り彼を見上げて、私は頼んだ。
あいつは突然の要求に足を止めて聞いてくる。
「朝ね、目覚まし落っことして壊しちゃったのよ。いままで忘れてたけど、ないと困るし」
「どこに置いてたんだお前は」
多少苦笑しつつもわかった、とその足を商店街の一角に向けてくれる。
まさか寝惚けて拳を叩き込んだなんてさすがに思うまい。
帰ったら姉にも口止めしておくべきだろうか?
いや、あの姉の場合は隠そうとして、余計にボロ出すタイプだから微妙ね。
訪れた時計屋さんには様々な時計が並んでいた。
シンプルな置時計、キャラクター物、やたら派手なもの、理解に苦しむ造形のもの、色々とある。
目覚まし時計のコーナーを見ると、これまた色々とある。
値段は高くて五千円ぐらいかしら。平均すると三千円?
予算の残りから出しても大丈夫そうね。
「どんなのがいいんだ?」
いくつか手にとりながらあいつが聞いてくる。
そうね、文字盤の数字が大きくて色もあまり派手じゃないのがいいわね。
「ふーん。じゃあ、こんなのはどうだ?」
そういってあいつは銀色のシンプルな置時計を私に見せる。
円形の文字盤は薄いオレンジ色の数字が並び、サイドは丸みを帯びていて、上下は平になっている。
上から押す大き目のスイッチがあって、それがアラームを止めるものみたい。
そのスイッチを押している間はバックライトが点灯して、文字盤が良く見える様になる。
でもそのスイッチを押すだけだとしばらくしてからまたアラームが鳴り始める構造で、文字盤の脇にきちっと停止させるためのスライド式のスイッチがあった。
「地味ね」
「悪かったな地味で」
私は思ったとおりの感想を漏らし、あいつはまた別の時計を選ぼうとする。
「地味だけど、気に入ったわ。これにしましょう」
「へ? そ、そうか、気に入ったのか」
気に入った一番の理由はあんたが選んでくれたから、なんて言ってやらない。
どことなく嬉しそうなあいつを横目に、私は会計を済ませた。
品物を受け取り店員の声を聞きながらお店を出る私たち。
現在夕方五時ぐらい。
「あ……」
空を見上げれば、遠くから薄く紅に染まり始めていた。
ふいに蘇る記憶。あれは手術前の出来事。
こいつに連れられて訪れた場所で、ぼんやりとした視界で眺めた、あの場所で見た夕焼け。
まだ時間はある。夏が近づき陽が伸びた今ならまたあの場所で見ることが出来るかもしれない。
私はこいつと、もう一度あの夕焼けが見たかった。
……ちょっと、頼んでみるか。
「ねぇ、この間の河川敷に連れて行ってくれない?」
「今日は色々と頼みごとが多いな〜」
利用できるものは利用しつくす主義なのよ。
私たちはあの場所へ向けて移動し始める。

のんびりと道を進み私たちはやってきた。
以前に来たのはほんの一月ぐらい前だというのに、なんだか懐かしかった。
あの時は良く見えなかった景色も、今ははっきりと見ることが出来る。
川の水に反射する赤い光、遠くまで伸びる影。
風にそよぐ草。初めて、はっきりとそれらを目に映した。
川沿いに数本生えている桜の木の根元に着くと、私はあいつに一言言ってから立ち上がる。
今日は下まで降りていく気はない。時間も遅いし、結構冷えてきている。
私の隣に立ち、一緒になって夕日を眺めるあいつ。
一緒にいてくれることが嬉しくて、それでやっぱり手放したくないと思った。
いまこの手を伸ばせば、それは届くのだろうか?
届かせてもいいのだろうか。何度も考えた事。迷惑をかけるのが嫌だと言う想い。内心の葛藤を私は押さえつけて、こまで来たのは、来たかったのは何故なのか考える。
「あのさ、郁乃」
私の思考に割り込むように、あいつの声が頭の上からかかる。
身長差はいかんともしがたいわね。
で、何かしら?
「今日は、えーとだ。楽しかったか?」
いきなりそんな事を聞かれて、つまらなかったなんて言えると思うの? なんてね。
楽しかったわよ。先輩達も優しくて、あんたは色々と面白い反応してくれて。
「俺はお前の玩具かっ!? と、そのな。お前たまになにか考え込んでただろう? こう、なんていうか……自分がここにいてもいいのか、てそんな感じで」
驚いた。普段ボケボケしてるのに、意外と鋭いこと言ってくれる。私が何も答えずにいると、あいつは話を続ける。
「もしかしたら、自分が負担になるのが嫌とか思ってないか? なんだかんだでみんなお前のことが好きだぞ。小牧も、きっとお前の両親も、月並みな表現だけどお前が幸せでいてくれる事を望んでる……と思う」
どうして、急にそんな事言い出すの?
「ずっと考えてたことだから、かな。実際にはある人にちゃんと考えてやれ、て言われたからだけど」
それはおそらく環さんの事なのだろう。
何故だろう、私は普段気にしないようにしていたことを、今日は気にしていた。
それに悩み、葛藤もしていた。そんな日に、こんな事を言われて。
「だから、なんだ、そのな。郁乃の世話を焼く連中は皆負担だなんて思ってないから」
気にしていた事を諭されていく。よりにもよって、この人に。
「ええっと、だからな。もし自分の立場とか色々と気にしてて、行動できないんなら、いいから手を伸ばせ。みんなその手を掴んでくれるから。欲しいものを諦めちゃ駄目だぞ、と」
そうだ、私はなにを気にしていたのか。入院中も、退院してからも。家族の様子を見れば、どれほど愛してくれているのかわかるはずなのに。
家族の負担? こいつに迷惑? いったい何を良い子ぶっていたのか。
私が幸せになって見せれば良い。そう思ったはずではないのか。
なのに今更何をグダグダと考えていたのか。
私はやっぱり、諦めない。この人と一緒にいたい。
なら、どうする。決まっている。……一言告げれば良い。例え今は駄目でも、これから私を好きになってもらえるように頑張れば良い。
環さんの言っていた事から考えれば、私は自惚れてもいいのかもしれない。彼に想われていると。
でもそんな自信は無い。だから、ここから始めよう。欲しい物に手を伸ばすのだ。
「あのね、私……」
「い、郁乃?」
私は真剣な面持ちであいつを見上げる。いきなりまっすぐに見つめれてあいつは多少うろたえる。
息が苦しくなる。その決意は突発的に成した物。でもだからこそ今なら言える。
私から言うのは何か負けのような気がするけど、今言わなければ私はこれからも当分は言えないから。
今だからこその勢いだから。
「私は、あなたが」
「あ、タカ君といくのんでありますっ!!」
「わふぅ……」
…………………………ヲイ。
「このみにゲンジマル、散歩か?」
人の台詞をさえぎり登場するはわが親友殿とその飼い犬。
ゲンジマルはかなり抵抗していたのか、相当に疲れ果てている様子。今もこちらに近づいてくるこのみに引っ張られて、嫌々歩いている。
そんなに嫌か散歩が。犬にあるまじきものぐさ具合。
というかこのみ、あんたは、あんたって子は、なんてタイミングで……
急速にしぼんで行く決意。先ほど固めた覚悟やらなにやらがみんなどこかに吹っ飛んでしまった。
なんと言いましょうか、ギリギリまで引き絞った弓がさあ撃つぞ、という瞬間に弦が切れた、そんな感じです。
流石に立て直せません……
「タカ君たちはお買い物の帰り? わー、いくのん可愛い〜。それ今日買ったお洋服?」
「……ありがと。気にいったからそのまま着てきたのよ」
それでも褒められれば悪い気はしない。
「タカ君タカ君、もしかしてタカ君が選んだの?」
ぼふ、と顔が上気するのを感じた。
彼が選んだ衣服に包まれている自分……いかん、いらん事考えて余計に気持ちを立て直せなくなってくる。
「う、まあそうなる」
「いいな〜、自分もタカ君に選んで貰いたいであります」
「このあいだタマ姉と一緒に散々人に選ばさせておいてまだ足らんのか」
幼馴染、か。なんだか入り込めないものを感じる。私ももっと早くにみんなと……
いやいや。今更そんなこと考えてもね。もしかしたら昔健康でありさえすれば、子供の頃に出会えたかもなんて考えちゃうけど。
「まあそれは置いといて。そろそろ暗くなってきたし、お前も早く帰れよ。俺も郁乃送ってから帰るから」
「了解でありますよ。ゲンジマル、帰ろう。今日はちゃんとお散歩したご褒美に魚肉ソーセージをあげるですよ」
「わふっ!」
このみは私たちに手を振りながら、ゲンジマルを連れて走っていく。げんきんな犬ね。さっきまであんなに嫌そうにしてたのに、食べ物に釣られて元気になるなんて。
そんなこのみ達を見送ってから、あいつは私に向き直り、口を開いた。
「なあ郁乃、さっきは何を」
「なんでもないわよ。私達も帰りましょう」
「えーと、でも何か途中だった」
「いいから、気にするんじゃないわ」
「はいはい。了解いたしましたよお姫様」
はいは一度。それと恥ずかしいからお姫様はやめて。
ここ、このみの散歩コースだったのね。
今度は別の場所を考えよう。次の機会があるまでに覚悟ができればいいけど。

急速に暗くなっていく日暮れの中、カラカラと軽く音を立てて車椅子の車輪が回る。
ポツポツと灯り始めた街灯の下を、あいつに押してもらいながら私は帰路に付く。
ここまで特に会話も無かった。
気恥ずかしくて何もいえなかったのもあるけど、色々とタイミングを逃したのもある。
さてもうすぐ自宅に着くのだが、どうしようかしら。夕食にでも誘うか? いや、流石にこの時間からだと母も用意するのは難しいかな。
まあ、お茶ぐらいは出せるだろう。
「ねえ、うちに寄ってく? お茶ぐらいなら出すわよ。場合によっては夕飯も出せるかも」
何とかしてくれる可能性もあるし、なんなら私が作っても良い。まだ大したものは作れないけど。
……て、それってかっこうのからかい材料を家族に提供する事になるじゃない。今のなし、にできないわね。
「いや、今日のところは遠慮しとく。絶対おまえのねーちゃんは色々とからかってくれるから」
やっぱり同じ事を考えたわね。姉はあれでいて結構そのての話好きだしね。
もう二十メートルほどだろうか、我が家の明かりが見える。
ああ、そうだ。デートの別れ際には次の約束を取り付けておくものです、とある友人にべったりなメイドロボが言っていたわね。どこで仕入れた知識なのやら。
いやだからデートじゃないって、今はまだ。それでも期待してしまうわけだけど。
「ねえ、次はあんたからどっかに誘ってくれない?」
「え? でも俺買い物の予定は特に無いし」
マテコラ。多少うろたえるとかの反応は予想してたけど、これは想定外だわ。素でそう返すかあんた。
「違うわよ、買い物とかじゃなくて、映画でも水族館でもいいから誘えって言ってるのよ」
流石にあいつの顔を見ながらは言えない。暗くて助かったわ。
「それって……まるでデートみたいな」
瞬間また私の顔が熱くなる。気付くんじゃないわよあんたは。
私はそれには答えず、ここまででいいからとあいつが肩からかけていた荷物を受け取り、リムに手をかけ自分で車椅子を動かす。
次の機会、それを私から作れるのかわからない。だからこいつに任せるのだ。こいつが私の事をまーりゃん先輩や環さんが言うように、憎からず想ってくれているのなら、きっと誘ってくれる、そう思って。
「貴明っ!」
私は門に入る前に振り返り、街灯の照らす中こちらを見ているあいつに声をかける。
「……また明日」
「おう、また明日な」
最初私はもっと違う事を言いたかったはずだけど、寸前になって言うべき言葉が霧散してしまった。
何を言いたかったのか自分でも良くわからないまま、手を振るあいつを見る。
その姿を見てから私は門の先、玄関の扉に向き直る。
「……」
まず扉の前にいる姉の姿が目に入る。待ち構えていたのか、ニコニコしながらグっ! と親指を立てて出迎えてくれた。
聞いてたわねこの姉。
今更ながら私は仏頂面のまま顔を真っ赤にしていた。

夕食の席で両親と姉に色々と聞かれたが、適当にはぐらかす。
残った分の予算を母に返し、今日購入した衣服は今度の休みにでも着て見せるからと家族に約束して、私は自室に引っ込んだ。
早速包みから取り出して、クローゼットにしまい、今日の戦利品の一つをベッドに潜り込ませた。
しばらくしてから姉がお風呂が開いた事を告げに来たので、私も入浴を済ませる。
そして身体の火照りが冷めない内に自室に戻ると、先ほどは開封しなかった時計を取り出す。
それは彼が選んでくれた、銀色のシンプルなデザインの新しい目覚まし時計。
私は持ち込んだ電話の子機で時報を聞きながら時間をあわせると、丁寧に明日の朝起きる時刻をセットする。
それから寝惚けて拳を叩き込む、などという事がないようにベッドから少し離れた机の上に置いてみた。
しばし眺めてその輪郭に指を触れて、私は少しだけ微笑む。
私はベッドのそばにまで進み、掛け布団をめくると中へと潜り込んで、先ほど潜ませておいたそれに手を伸ばす。
以前あいつに貰ったものよりも大きなクマのぬいぐるみ。
私はそのぬいぐるみを抱きしめて、まぶたを閉じる。
今日一日の出来事を思い起こし、私はその胸を熱くしながらあいつの夢が見られるといいな、などと乙女チックな事を考えては振り払う。
やがて訪れる睡魔の中、あいつは私の夢を見てくれるかな、なんて思いながら私の意識は白濁とした世界に呑まれて行く。
それでも最後に一言だけ、私はあいつに向けた言葉をその意識の片隅で思った。

——おやすみ、貴明。

おしまい。

おまけ。

今回の話の裏側での出来事。あの時あの人は……なお話を各人物視点でお送りいたします。
……オチはないからね?

笹森花梨の場合

「柏木(仮名)さん、藤田(仮名)さん、あんまり遠くにいっちゃ駄目ですよ」
今日も不思議を求め、最近組み立てた携帯できる不思議センサー片手に学校の裏庭を探索していると、そんな声が聞こえてきた。
誰か来たのかな、と思って声のした方向を見てみると、そこには一人しかいなかったんよ。
「ゲコ」「ゲコゲコ」
人は。おっきなカエルなら二匹いた。
「はい、お散歩は終わり。そろそろ戻りますよ」
なんとびっくり、カエルの散歩。しかもその人が声をかけるとカエルたちはゲコゲコ言いながら彼女の足元によっていく。
しかも声をかけるたびに返事をするようにゲコゲコ。生徒会長さんの言うことしっかり聞いてるんよ。
「不思議、発見なんよっ!!」
「きゃ!て、あなたは確か笹森さん?」
思わず声を上げて飛び出してしまった。生徒会長さんはなんか怯えて見える。
しばし見詰め合う私たち。うーん、もしかしてこの間の退行催眠の事でも記憶にあるのかな。あれはあれで楽しかったんね。
今度また誰かに頼んでみるんよ。
しかし今はそんな事よりも目の前の不思議探求こそが大事なんよ。
「生徒会長さん、そのカエル調べさせて欲しいんよっ!!」
「い、いやっ!」
そのまま飛びつくように頼んでみたけど、物凄い速さで二匹のカエルを抱えると生徒会長さんは駆け出してしまった。
私、ミステリ研究会略してミス研会長笹森花梨ちゃんは、不思議究明のためにいつでも全力全開っ!! 生徒会長さんを追いかけて走り出す。
人の言うことを理解しているとしか思えないカエル、これは調査しなくてはっ!!

久寿川ささらの場合

雨上がりの午後、いつも部屋の中に閉じこもってしまっていた柏木(仮名)さんと藤田(仮名)さんを散歩に連れ出しました。
流石カエルです。雨上がりの地面は心地よいようで、二人ともとても喜んでくれていました。
でも、そんなところをミステリ研の笹森さんに見られていたらしく、襲い掛かられてしまったのです。
大変です、このままでは大切な二人が解剖されてしまいますっ!!
私は慌てて二人を抱えると逃げ出しました。
追いかけてくる笹森さん。
私は二人のカエルを抱えているため、全力では走れません。
このままでは追いつかれるのも時間の問題です。どこかに逃げ込むか誰か助けを呼ばないと大変です。
私は靴を履き替えるのも忘れて校舎に飛び込み、放送室を目指しました。
あそこなら鍵もかかるし、校内放送で助けも呼べますから。
たどり着くまでに追いつかれなかったのは奇跡でした。ドア勢い良く開け飛び込んだ私を放送委員の方が目を丸くして見ていますが、構っている暇はありません。
すぐに鍵を閉めてくれるよう頼むと、私は放送のスイッチを入れます。
「ミ、ミステリ研関係者の方、笹森さんを止め——」
ここで私は、ミステリ研に所属するのは二人だけで、一人は会長の笹森さんでもう一人は河野さんだと思い出しました。
「こ、河野さん、助けてっ!!」
そこで背後からドアの開く音がしました。私は放送のスイッチを無意識に切り、振り返ります。
「ん、私放送委員に知り合いの子がいるんよ。それで鍵開けて♪ て頼んだんよ」
何故開いたのか、それを聞くまでもなく説明してくれる笹森さん。
私たちはにらみ合いになりました。
「ささ、私にその子たちをちょっと貸して欲しいんよ。大丈夫、ちょっとコミュニケーションとれないか試すだけですから……」
その時の私には、彼女の姿が我が子を食い殺そうとする鬼に見えたのです————

河野貴明の場合

「————で、その子が噂のまなちんの妹さんかね。なかなかにぷりちーじゃのう」
しつこく紹介しろと言われたので、生徒会室に郁乃を連れ、先輩に紹介する事になった。
あれ、久寿川先輩はどうしたんですか?
「あー、さーりゃんはあれだ。散歩だ。気にするでない」
せめてあの人には、あの人にはいて欲しかった。この人だけだと何するかわからんからなぁ。
……ごめん、判ってるんだ。誰がいたところでこの人が何するかわからないって事が変わらないのは。
ん? 校内放送がかかるな。なにかあったのか?
『ミ、ミステリ研関係者の方、笹森さんを止め——————こ、河野さん、助けてっ!!』

な・に・を・し・た、笹森さんっ!

そのまま放送は切られたし、何処に来いという事は何も言っていなかったが、とりあえずは放送室に行けばいいと思い、生徒会室を飛び出す。
「すまん郁乃、後で書庫で合流なっ!!」

そして俺は走った。先生が居るのが見えたら歩いたけど。

放送室に駆け込んで俺が見たものは……

「んん〜、凄いんよ、お手までするなんて♪」
「ゲコ」
「アア、アアア……逃げて、逃げて藤田(仮名)さんっ!! 食べられちゃう〜」
「いや、食べたりはしないんけどね。というかなんか変な誤解してませんか、生徒会長さん?」
「柏木(仮名)さんを弄ばないで〜〜!」
「もしも〜し?」
なんかもう全力で力が抜けた。
「何してんですか二人とも」
「あ、タカちゃん」
「河野さん、来てくれたんですねっ!!」
「最近タカちゃん部室に来てくれないから、小型の不思議センサー作って一人で探索してたんよ。そしたら不思議なカエル見かけたんよ〜」
「河野さん、今日は柏木(仮名)さんと藤田(仮名)さんの散歩をしていたんです、そしたら笹森さんに襲い掛かられてっ!!」
…………わけわかんねー。
「あ、貴明さん。こんなところで会えるなんて、何か運命的ですね」
何故にいますか草壁さんちの優季さん。
「あ、センサーに感ありっ!! 近くに不思議がっ!!」
「え、えっえっえ?」
しまったぁぁぁぁぁぁ!! この人数日間だけだったけど未来人とかやってたんだったぁぁぁぁぁぁぁ!!
「そこの人、何か心当たりはありますかっ!! そして私と一緒にミステリ研で青春を謳歌するんよっ!!」
「あわあわあわあわ」
「落ち着いてくださいっ!! 草壁さん目を回してますっ!」
「およ?」
「あ、私、柏木(仮名)さんと藤田(仮名)さんつれて生徒会室に逃げてもいいですか?」
「今のうちに逃げてください」
カオスだ……いまこの場所はカオスが支配している。宇宙の天秤はどこだぁぁぁぁ!!(錯乱中)
「るー。どうしたんだうー。そんなに慌てふためいて。血圧上げ過ぎるとうーの身体に悪いぞ」
「さらにセンサーがっ!!やっぱり本物の宇宙人っ!?」
わざとか? わざとなのかお前らっ!! 次から次へとこの人の所にピンポイントで現れるなよっ!!
それと何を基準に反応してるんだよそのセンサーっ!!
「なんの事だうー。さっきうーこのがうーを探していたから手伝っているだけだぞ。報酬は今日の夕飯だ。喜べうー。今日はるーが一緒に食べてやる」
嬉しくないよっ!!
「た、たかちゃん。今までにない反応が見られるんよ」
「るー? 近くに力を持つうーがいるな。そのような存在に一度会ってみたかったのだ。供をしろ、うー」
「遠慮させてください」
「仕方が無い、そっちのメスのうー、付き合え」
「OKなんよ。異星人同士の地球での接触……これは見逃せないんよっ!!」
そっかー。笹森さんはうーてのが地球側だって事知らないんだー。
俺はそのまま二人を見送った。廊下を走るなよ〜。
「あの大丈夫ですか?」
そんな声がして振り向くと、草壁さんの顔を覗き込み様子を伺っている、長い灰色かかった髪の女性がいた。
「あ……すみません、ちょっと目を回してたみたいです」
草壁さんが立ち上がる。その様子を見てその女性はハンカチを取り出すと水道で濡らし、草壁さんに差し出した。
草壁さんは少し戸惑ったけど、ありがとうございますとそれを受け取り、額に当てた。
「草壁さん、無理はしないほうがいいよ。あの、ご心配をおかけしました。あなたは……卒業生の方、ですか?」
そう、その人には見覚えがあった。微かにだけど、卒業式の日に見た記憶がある。
「はい、そうですよ。実はですね、部屋の整理していたら図書室で借りっぱなしになっていた本出てきたので、返しに来たんです」
「そうですか、なら図書室に図書委員……じゃないけど、知り合いがいますから。話通しましょうか?」
「そうですね。お願いしちゃいますね」
その人は微笑みながらそう言った。
「あ、あの。よろしければお名前を教えていただけますか? 私、草壁優季といいます」
落ち付いたのかハンカチを手にしながら草壁さんが聞く。
「あ、俺は河野貴明です」
そしてその人は柔らかな笑みでその名を告げた。
「姫川琴音といいます」

そして唐突に終わる。

ADZの戯言。

注:ここから先は本当に「戯言」です。ADは素晴らしかったという人はクリックしないでください。

以下いつも? どおりに。

さて、はっきりいってこの郁乃は原作の郁乃の原型が残ってないような気がしてしょうがありませんので、とにかく原作とは別物と思ってください。
雄二は……なんでこんな扱いになったのやら。特に思うところがあるわけでもないのですが……
おまけについて。
当初の予定ですと草壁さんとるーこのものも考えていたのですが、力尽きたのでここまで。
るーこのはいかにしてまーりゃんと友情が芽生えたか、という話しにしたかったのですけれど。
もんじゃやお好み焼きの奪い合いの果てに芽生える友情……どんなだそれは。
あと雄二もおまけで格好よく……と思っていましたけど立ち消え。
本編と平行して書いてたものだけは仕上げましたが、本編書き終わったところで気力が尽きました。
おまけに意味があるんだかないんだか……

後は……もし次の話があれば、いい加減郁乃と貴明の仲も進展するでしょうとだけ。

ではまた、いつの日にか。

らいるのうわ言
コグレロットキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!

……こほん。
相変わらず全力でギャグが面白いですね。笑った、笑った。なんていうかこう、勢いありすぎw
と思ったらタマ姉がいい味出して、シリアスな展開に。そこからの郁乃と貴明の曖昧な関係がこう、もどかしくも微笑ましかったりなかったり(どっちだ)。
いざ、さあ、さあさあさあっ!とずずずい、なんて身を乗り出して読んでいたら天然このみの登場のせいで肩透かし。上手すぎ。でも、くああって感じ。んくふぁって感じ。もどかしい。もどかしすぎ。もどかし死ぬ。そんな言葉あるのか?
今回ばかりは、このみ偏愛主義の私にも「このみ、タイミング悪っ!」と思ってしまいましたよ。や、好きなんですけどね、こういうこのみも。

郁乃の台詞をすべてモノローグでというのも面白いですね。状況描写やつっこみ(笑)、台詞の使い分け方が上手いなあ、と。真似できないなあ。

それで?
まさかこんな生殺し状態で半年も一年も待たせませんよね?あそこまでいっておいて、まさかこのまま郁乃と貴明の間が進展しないなんて……つまり。ぶっちゃけて言えば。

早く続編書けとw

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