fanfiction > 信周 > 安息02話
安息、そして動き出す世界
第二話
AD2204、テロリスト討伐として派遣した、連合・統合両軍の合同艦隊が連絡を絶った時、新地球連合は震撼した。それは、A級犯罪者として指名手配されていた『テンカワ・アキト』『ホシノ・ルリ』の生存を意味したからである。
彼等が派遣したのは正規艦隊で、装備・錬度共にコロニー守備隊などとは比べ物にならない。テンカワ・アキトにどれほどの腕があろうとも、ホシノ・ルリのシステム掌握にさえ気をつけていれば、兵力差で押し切る事が可能だと考えていたのである。
しかし、現実には彼等の艦隊は敗北し、全滅している事が確認された。
彼等が大慌てで対策と責任追及の会議を始めたのは当然の事だったが、ともすれば責任追及に比重が偏るのは、お決まりの事とはいえ、あまりにも見苦しいと言えた。
そんな彼等に追い討ちがかけられた。連合の有力者達のスキャンダルが、ネット上にばらまかれたのである。
報道関係にリークされただけならごまかしようもあっただろうが、草の根レベルにまで張り巡らされているネットに流れては誤魔化しようがなく、マスコミ各社もこぞってこの好餌に食いついた。
その過程において、クリムゾンと連合内の有力者の癒着が明らかになり、徹底的に市民のバッシングを浴びた。
さらに、司法取引を望んだクリムゾンの幹部が、火星の後継者との関係を漏らした時、市民の政府・クリムゾンに対する批判は最高潮に達した。
社会は安定性を失い、連合内における権力闘争も激しくなっていった……。
「……という現状で、ようやく我が社にも巻き返しの時期が来た、と」
アカツキは暢気な声でそう一人ごちると、手元の画面に目を落とした。
そこに映し出されているのは、クリムゾンの動向だった。
「まあ、そう簡単に諦めるほど、あの爺様の往生際は良くないと知ってはいたけど……とうとう耄碌したかな? 負け犬同士がつるんだって、巻き返しなんて出来やしないのにねぇ」
アカツキの唇が僅かに歪む。
報告には、火星の後継者の残党とクリムゾンが再び連絡を取り始めたと記されていた。
やはり、あの男は老いた。かつての彼であれば、そうする事は己の首を絞める行為だと思い至るはずであった。
時勢に逆らう事など、ほとんど不可能に等しい。その事を知っていたからこそ、木連との和平が成立した時にアカツキは身を隠したのだ。その当時吹き荒れていた逆風をやり過ごし、逆襲の牙を鋭く研ぎ澄ます為に。
だが、クリムゾンはその忍耐を選択せず、一発逆転の博打に出ようとしていた。
「なんともありがたいね。その選択をしてくれると、こっちもやりやすいよ」
こうも自分に都合よく運ぶと、何かの罠ではなかろうかと勘ぐりたくなるが、異なる筋からの情報を考え合わせてみても、罠である可能性は限りなく低かった。
かつての敵手(既に彼の頭の中では過去のものになっていた)の杜撰とさえ評しうる行動に、アカツキは哀れみさえ覚えていた。
クリムゾン首脳部があえて目を逸らしている、或いは気付いていない——という事は、まさかなかろうが——事実がある。起死回生の一手というものは、失敗した時のリスクが限りなく大きく、また実行するのが非常に困難である事を。
だが、失敗する可能性が高いとはいえ、成功する可能性も存在する。そんな試みを黙って見守ってやる義理などあるわけもなく。
アカツキは、その成功する可能性をさらに低いものとする努力を怠るつもりはなかった。
それは、現実に生きる者として当然の心得だった。
その日の勤務を終え、ジュンは官舎に帰ってきた。
両親とは、士官学校に入校して以来、別居している。別に仲違いをしているわけではなく、親と同居していると自然に甘えが出るだろうと考えたからだった。
身の回りの事や家事などは苦にならない。元々几帳面な性格をしていたせいか、すぐに慣れた。今では、意識せずとも自然にやってしまう。
軍服から部屋着に着替えてソファに身を沈める。
いつもなら、好きな音楽でもかけながら本を読んだりするのだが、最近はそんな気になれない。少しでも時間が空くと、アキトの事を考えてしまう。
今の自分が彼の事を考えても得るものは無い。それは分かっているのだが、考えずにはいられない。
ここ最近の日課として、ジュンが思考の迷路に陥っていた時、ヴィジフォンが着信音を鳴らし、彼の意識を現に引き戻した。手元のリモコンで受信状態にした途端、凄まじい騒音がスピーカーから吐き出された。
『ジュンちゃん、どういうつもり!?』
あまりの大声に耳鳴りさえしてきて、ジュンは思わず耳を押さえた。
その行為は当然のもののはずであるが、画面に映った女性は、それを見てさらに険悪な表情になった。
『ふ〜ん、そういう態度に出るんだ? 自分の恋人をずっとほっといて、話を聞く気も無いって訳!』
「……恋人って」
今までの煩悶も何処へやら、ジュンは情けない表情になった。
ヴィジフォンの相手は白鳥ユキナ。ナデシコAの操舵士だったハルカ・ミナトの妹分で、今年から女子大生になっている。大学に入って空き時間が増えたのか、高校生であった頃より頻繁に連絡を入れてくるようになっており、その対応にジュンは振り回されていた。もっともここ数ヶ月ほどは、ジュンが超過勤務状態であった為、音信不通の状態が続いていたのだが。
どうやら、その事を怒っているらしいと気付き、ジュンはいささかうんざりした。
「いつ、僕が君の恋人になったんだ?」
『あ〜っ! それってひど〜い! もう付き合って何年になると思ってるの!?』
『付き合って』? 確かに僕はユキナとデートじみた事は何度もしてきた。
だけど、それは本当に彼女を『女性』として見てきた事を意味するのだろうか?
その答えは、『否』。それは分かっている。
だが、それは彼自身の思い。ユキナの方は?
……分からない。
彼女はいつも僕の事を恋人扱いする。しかし、どこかふざけた様子も垣間見えるから、冗談だろうとずっと思ってきた。
それが間違っていたのだろうか?
……分からない。彼女は僕の事をどう思っているのだろう?
『……ちょっと、ジュンちゃん、どうしたの? なんか難しい顔してるけど』
ユキナの心配そうな声に我に返る。
「ああ、ちょっとね。最近考える事が多くて」
『無理してるんじゃない? ジュンちゃんって、真面目すぎるからすぐに抱え込むんだから。たまには何にも考えずに当たって砕けたら?』
「……砕けたら困るんだけど」
そう言いながらも、それも一理あると考え直した。
いくら自分で考えたところで、それは所詮推論に過ぎない。アキトの事もそう結論付けたはずだったのに。
いつまでたっても変われない自分にジュンは苦笑した。取り敢えず、今後の自分のスケジュールを確認し、言葉を紡ぐ。
「ユキナ、今週末は空いてるかい? 日曜にでも——」
不意にひんやりした空気の流れを感じ、ルリは目を覚ました。
見ると、肩までかかっていたはずのシーツが僅かにめくれ上がっている。そして何より、隣にいたはずのアキトの姿が見えない。
慌てて完全覚醒には程遠い意識を無理やり励起させながら、視線をさ迷わせ、彼の姿を探す。
「アキトさん……?」
彼の姿はすぐに見つかった。シャワーを浴びるつもりだったらしく、バスルームのドアに手をかけていた。
「何かあったんですか?」
「アカツキから呼び出しがかかった。まだ時間はあるから、もう少し寝ていていいぞ」
不安そうに言うルリの事を気遣ったのか、アキトはベッドの方に戻ってくると、ルリの髪をゆっくりと撫でた。
アキトの手からじんわりと伝わってくる暖かさに、ルリの目が細められる。
この温もりがずっと欲しかった。それが失われたと思った時、世界には何の意味もなくなった。
失われたと思っていたものが、実はまだ存在していると知った時、どれほど嬉しかったか。
喉を鳴らさんばかりに和んでしまったルリの様子に、アキトの表情も僅かに緩む。
出来ればこのままずっと髪を撫でてやりたいところだが、そうもいかない。
ルリの頭から手を離し、不満そうな顔をしたルリに苦笑交じりに言葉をかける。
「急ぐ必要は無いが、身支度は済ませておきたいんでな。先にシャワーを浴びさせてもらう……それとも、一緒に入るか?」
冗談だと分かっているのに、そんな言葉をかけられる度に、ルリの顔は真っ赤に染まってしまう。そうしてもいいかな、などと考えてしまう自分のせいでもあるのだが。
「い、いえ、アキトさんの後に頂きますから……」
「そうか? 残念だな」
「もうっ、アキトさん、意地悪です!」
頬を膨らませながらそう言うと、アキトは軽く笑いながらバスルームに姿を消した。
アキトの姿が見えなくなると、ルリの様子は一変した。それまでの照れた様子など一瞬で掻き消え、残っているのは不安に怯える女性の顔。
大丈夫だ、とルリは自分に言い聞かせた。
アキトは、この場から見えないだけで、すぐそこのバスルームにいる。そのままいなくなる事は無い。
(それは分かってる。分かってるはずなのに……!)
物理的なものではない寒さを感じ、シーツを身体に巻きつける。
シーツに残るアキトの匂いが、僅かばかりルリの不安を癒してくれる。だが、それでは到底足りないのだ。
自分が情緒不安定になっている事は分かっていた。それをアキトが気にしている事も。
アキトの重荷になどなりたくないのに、自らの心が言う事を聞かない。アキトの温もりがなければ平静さを保つ事すら難しい。せめてその姿が見えていれば、何とか自制できるのだが。
(それだけじゃない……本当は……)
嬉しかった。心地良かった。アキトが常に傍に在ろうとしてくれる事が。
その優しい眼差しが自分だけに与えられるのは、たまらない快楽だった。
三年前まではラピス・ラズリという少女が与えられていたその特権を、今では自分が行使している。
その楽園の中から、ルリ自身が出たがっていないのだ。その事は、イネスのカウンセリングでも指摘された。
そして何より、自分の心の醜さを知ってしまった。
『姉殺し』を心のどこかで喜んでいた。これでもうアキトを奪われる事はない、アキトが自分だけのものになるのだと歓喜した自分を知ってしまった。
アキトが今も気にかけているラピスに嫉妬している自分に気付いているから……アキトという歯止めがなければ、自分が何をしでかすか、恐ろしかった。
自分の心がままならない。
普通の人間であれば、そんな経験はだいたい思春期頃に嫌と言うほど経験し、そういうものだと納得して、それとの付き合い方を覚えていくのだが、ルリにはそんな経験自体がほとんどなかった。そんな思いを味わったのは、アキトとユリカが姿を消したシャトル爆発事故の時のたった一度だけ。
さらに、ルリ自身が元々理性的な態度に価値を置く人間だけに、自分の醜態(と彼女は思っている)を許し難いと思い込んでしまっていた。
さまざまな要因が絡み合った悪循環がルリの心を絡め取る。何とか立ち直ろうともがくルリを深みに沈め、絶望の淵へと誘おうとする。
その悪しき手から逃れようとする時、ルリが頼れるものはアキトの温もりしかなかったのである。
今も、その苦痛に満ちた時をやり過ごそうと、必死にアキトの残り香のするシーツを身体に巻きつけ、アキトの温もりを思い出そうとする……あまりの自分の弱さに涙すら出てくる。自分は何処まで弱くなってしまったのかと。
嗚咽を漏らし始めたルリの頭に暖かいものが触れた。乱れ続けていたルリの心が速やかに静まっていく。
「大丈夫か?」
その声はあくまでも冷静で。だが、ルリにはその底に含まれる優しさを感じ取れた。
「アキトさん……ごめんなさい」
「いい。無理をするな。少しずつでいいんだ」
その言葉と共に、額に与えられる口付け。冷え切っていた身体に熱が戻ってくる。
ようやく落ち着きを取り戻したルリはアキトを見上げた。
彼の髪はまだ乾いておらず、水滴さえ滴り落ちていた。恐らく自分の事を心配して、ろくに髪も拭かずに出てきたのだろう。水分を多量に含んだ手は髪を優しく撫でてくれている。
ああ、と溜息を漏らす。アキトの与えてくれる慰撫は、あまりにも甘美に過ぎた。甘えていてはいけないと分かっているのに流されてしまう。
ルリの視線に含まれるものに気付いたのか、アキトがバイザーを外した。
そこから現れたのは、焦点の合わない、何処か遠くを見ているような瞳。
アキトの視力はほとんどないと言ってもいい。バイザーを外してしまえば、彼は闇の世界に閉じ込められる。だから、彼はシャワーを浴びる時でさえバイザーを外す事は出来ない。
彼がバイザーを外すのは眠りに就く時と……ルリがその瞳を見詰めたがった時だけだった。
アキトの、その本来の機能を失った瞳が、何とか自分に焦点を合わせようとしている様は、ルリの心に限りない喜びを与える。アキトから求められているという感覚が湧き起こり、たまらなく心地よい。
そんな自分本位の心の動きにルリの理性は叱責を発するが、その心地よさの前には何の効果もない。
「大丈夫だ。俺はルリの傍にいる」
その言葉と共に与えられた抱擁に溺れながら、ルリは自分に絶望していた。
その絶望は限りなく甘美なもので、ルリを離してくれそうになかった……。
あとがき
どうも、信周でございます。
どうにか『安息〜』の第二話を年内にお届けする事が出来ました。
しかし……短いですねぇ、一話当たりの量が。自分的にキリがいいところで区切っている(少なくともそのつもりです……)のですが、もう少し長い方がいいのかな? 元々が場面切り取り単発SS書きなので、構成というものがいまいち分かってなかったり……やっぱり長編って難しいわ(涙)。
話自体も全然進んでないような……みんな停滞してるもんなぁ、この話の主役級のキャラって。書いてると、マジで鬱入ってきたし(汗)。
ま、愚痴は鬱陶しいし、これぐらいで止めて、と。
第三話では、少し話が動き始める予定です……動くんじゃないかな……動くだろう、恐らく……(汗)。
作者本人も先行き不安になる拙作ですが、気を長くしてお付き合いください。
from らいる
ユキナが出てきましたね。
ジュンとどう絡んでいくのか、どういう関係になっていくのか。
ユキナがユキナらしいところがいいですね。
不安を内包するルリに、明るいユキナの対比がいいアクセントになって、行く先がどちらの雰囲気に転んでいくのかが非常に楽しみです。
長さは……こんなものでは?
読んでいて妙な違和感を感じさせるのが、1話毎に全然違う長さのSS。
1話が16KB、2話が15KBですから、理想だと思いますけど、私は。
ルリの心情に引き込まれるこの第2話。
普段ならアキトに嫉妬するような(笑)展開でも、ここでは純粋にルリに痛ましさを感じ、幸せになって欲しいと願わずにいられません。
さて、第3話ではどんな進展があるんでしょう。