fanfiction > 信周 > 安息03話
安息、そして動き出す世界
第三話
その部屋は重苦しい雰囲気に包まれていた。
十人ほどの男達が、強張った顔つきで押し黙っている。
「それで、段取りはどうなっている?」
明らかに座長と思しき老人が問いを発した。老人といっても、その目には力があり、声にも張りがある。
老人の名はロバート・クリムゾン、巨大複合企業・クリムゾングループの会長であった。
「第一陣としてステルンクーゲル三十機が、明後日、連中に引き渡されます。輸送艦ごと強奪されるという形で偽装します」
報告される内容に取り敢えず及第点を与える。
クリムゾンに対する逆風が募る中、更なる嫌疑(この場合事実ではあるが)を積み重ねる事は避けなければならなかった。
「それ以降はどうなっている?」
「はっ、それなのですが……」
報告する男の口調が淀み、ロバートの眉が僅かに上がった。
「どうした? 続けろ」
「はっ……連中は、さらにステルンクーゲル五十機、駆逐艦三隻、双胴型戦闘母艦一隻、戦艦一隻を要求しておりまして……しかも、それを近日中によこせと……」
「馬鹿な!?」
「そんな事が出来るわけがない」
「何を考えているのだ、あの連中は?」
徐々に弱くなっていく声に、他の連中が非難の声を上げた。それだけの兵器を人目に晒さずに引渡す事などが出来るはずも無い。
まして、現状が現状である。クリムゾンの裏帳簿は危険なまでに圧迫されており、それだけのものを用意できるだけの余力がなかった。第一、機動兵器にしろ、艦船にしろ、言われてすぐに手配出来るものではないのだ。
やけになったのか、彼等との折衝を担当している男が大声で続けた。
「それが『当座の要求』だそうでして……おいおい要求する物資量は増えるだろうと」
もはや言葉もない。
あの連中には経済観念というものがないのか、というのがその場にいた者達の思いだった。
確かにクリムゾングループは太陽系で一、二を争う巨大な経済団体である。だが、その運用できる資本というのは有限であるし、裏金として使える額はさらに限られてくる。
前回の反乱で火星の後継者が巨大な戦力を運用できたのは、連合政府が蓄積していたものを、いわば『上前を撥ねる』形で横取りしたからである。彼等自身の財布からは、幾らも出ていないのだ(彼等自身の支出は、士官・将官に対する工作資金ぐらいのものだった)。
そんな事も分かっていない連中と手を組まなければならないかと思うと、暗澹たる思いに囚われてしまう。
「会長……今更ですが、奴等とはもう手を切った方がいいのでは? こうも現状を把握していないようでは、役に立ちません。いえ、むしろ我々の致命傷になるような失態を犯しかねません」
一人が意を決したようにロバートに進言した。
男の言う事は正しいとロバートには理解できていた。常ならば、彼に言われるまでもなく、ロバート自身がその決定を下していただろう。だが、今回だけは、その常識的な判断を下すわけにはいかなかったのだ。
「……ここでもう一度主導権を取り返しておかねば、我々の手に覇権が戻る事は無い。少なくとも、あと十年はな。それを是とせぬ決定は既に為されたはずだ。方針に変更は無い」
その言葉に、進言した男の顔に不満の色が浮かぶが、ロバートの一瞥ですぐにその色を消す。
彼等にとって、会長の意向は絶対であった。
結局会議は、『もう一度彼等と折衝し、その結果を受けて今後の方針を決定する』という、何とも実りのない結論を出したところで閉会した。
出席者は単なる時間の浪費だと思った事だろう。その気持ちは、ロバートにしても同じだった。
「だが……ここで引くわけにはいかんのだ」
誰もいなくなった会長室でロバートが呟いた。
せめて自分があと十年若ければ、と思う。それだけの若さがあれば、火星の後継者の如き、現実を知らぬ馬鹿どもなどと手を組む必要もなく、ゆっくりと、しかし確実に経済界を支配できただろう。
『老い』
どれ程権勢を誇ろうが、何人も免れる事が出来ぬそれにロバートは蝕まれていた。
『自分が第一線でやれるのは、あと二年乃至三年』
それが、ロバートの自己評価だった。
判断力自体はさほど衰えていないと自負しているし、結果もそれを証明している。
しかし、体力の衰えは隠しようがなかった。以前であればなんでもなかった日程が、ここ数年というもの、かなり堪えるようになった。今はそれでも支障がないレベルであるが、この先いつ耐えられなくなるか分からない。そんな状態で、ネルガルと覇権を競うなど出来るものではなかった。
「後継者に恵まれていれば、な……」
言っても詮無い事を漏らしたのに気付き、ロバートの顔に苦笑が浮かんだ。
そうであれば、話は別だったのだろう。
だが、彼の息子は無能でこそなかったものの、巨大複合企業を支配し、更なる発展を望むにはいささか器量が足りなかった。どうにか現在のレベルを維持できるかどうか、その辺が上限だろう。
しかも、今では史上最大の疑獄事件の重要参考人として召喚されてしまっている。この事態を切り抜けられたとしても、一度ついた色は消す事が出来ない。とてもクリムゾンの会長として推戴するわけにはいかなかった。
孫達にしても同じだ。嫡孫たるアクアはその奇矯な性格で世に知られているし、庶流(正確には息子の妾腹)の孫であるシャロン・ウィードリンも、その立場によるものか、トップに必要な冷静な判断力と全体を見渡すだけの視野を欠いている。補佐する人材はいるが、それも補佐を受ける当人に聞く気がなければまるで意味がない。
……つまり、ロバートの目が黒いうちにクリムゾンの支配を磐石にしておかなければ、未来に待つのは衰退のみという見通しの暗さが、彼の胸に焦りを抱かせているのだ。
「それでも私は負けん……孫のような若造にそうそう後れをとるものか……」
目の前に上げた両手を力の限り握り締め、己に言い聞かせるように呟いてみるが、その言葉がどれほど虚しいものか、発した本人が一番良く分かっていた。
アカツキ・ナガレ。ネルガル前会長の庶子であり、現在の会長。
孫のような年齢の彼が、六年前のネルガルバッシングに耐え、社内にいた反会長派を一掃してのけ、再びクリムゾンを脅かすまでになった。
その才覚も恐ろしいが、何より恐ろしいのは、『時節を待てる』、この事であった。
若く、才能にあふれる人間であっても、いや、そうであるほど『待つ』という行為を選択しない。何しろ、優れた才覚があり、それ相応の自負がある為、自分の力で何とかしてやろうと無駄に動き回ってしまうのだ。
それで何とか出来るならばいい。しかし、何とかならなかった場合……大抵は取り返しのつかぬ事態となり、その人間は奈落の底に落ちていく事になる。その轍を踏む若者は枚挙に暇がない。
アカツキ・ナガレには、その陥穽に陥らないだけの自制心がある。
その彼が動き出したという事は、クリムゾンを経済界の覇王の座から確実に叩き落せるだけの目算が立っているという事だった。
それが分かっていながらも、なお動かざるを得ないという己の無様さに、ロバートは苦い笑みを浮かべた。
今の彼には、自分の築き上げた王国のあまりの脆さを笑い飛ばす事しかできなかった。
待ち合わせ時間まで、あと十五分。
珍しく時間前に待ち合わせ場所に着いたユキナは、周囲を見回した。
すぐに目的の人物を見つけ、頬をほころばせる。
「ジュンちゃん、お待たせ!」
「あれ? ユキナ、ずいぶん早かったね。まだ約束の時間まで十五分あるよ?」
「それを言うなら、ジュンちゃんはどうなのよ?」
「ああ、僕は職業柄、約束の三十分前には来るようにしてるから」
なんでもない事のように言うジュンに、ユキナの目が細められた。
思えば、兄もそんな事を言っていたように思う。そして、どちらかといえばルーズな自分は時間を守る事の必然性についてよく説教されたものだった。
「それで、今日は何処に連れて行ってくれるの?」
「う〜ん、実はあんまり考えてこなかったんだよね。だから、ユキナが行きたい所があれば、そこにしようかと。無いなら……そうだなぁ、服の一着でもプレゼントするから、買い物でもしようか」
デートの行き先を考えてなかったと言われ、一瞬むくれたユキナだったが、ジュンの言葉にすぐに機嫌を直した。デートの行く先を考えてなかった分も含めて、せいぜい高い服を選んでやろうと心に決める。
「よしっ! そうと決まれば、さっそくブティックに行くわよ! 今更値段の制限なんか受け付けないからね!」
「はいはい、出来れば手加減してくれよ?」
「だ〜め! ほらほら、早く行くわよ。時間が勿体無いでしょ!」
「分かったから、そんなに引っ張らないで——」
彼等のデートは、いつものように、ユキナがジュンを引きずり回すという形で始まった。
そう、それはいつもの事のはずだった……。
「うん、よく似合ってるじゃないか、ユキナ」
「えっ、そ、そうかな……?」
試着室から恥ずかしそうに顔を覗かせたユキナの頬は真っ赤に染まっていた。
彼女が着ているのは、いつもの彼女が着るようなものではなく、正式なパーティーに着ていくような本格的なドレスだった。
いつもは、どちらかと言えば動きやすい服装をしている事が多いユキナである。こんな裾を引きずるような服など着た事もなかった。
だから、そんな服装を褒められて恥ずかしさ半分、嬉しさ半分といったところだ。
「ユキナもそろそろ正装を着付けておかないと大変だよ」
「ジュ、ジュンちゃん、それって……」
まずありえないだろうとは思うが、勝手に想像が膨らんでしまう。
「正式なパーティーに招待される事もあるだろうし、そういった事も覚えておいて損にはならないと思うよ」
「……はぁ、やっぱりね」
溜息と共に胸の内の失望も吐き出す。
ジュンが自分の事を恋人と思ってくれていないのは先日の通信を聞くまでもなく分かっている。それには自分の冗談とも取れるような態度も影響している事も。
何より、彼の胸の中には未だにミスマル・ユリカが住んでいる事は想像に難くない。
彼女がテンカワ・アキトの手にかかって数ヶ月が過ぎようとしている今でも、ジュンはその事に囚われている。考える事が多いと言っていたのは、恐らくその事についてだろう。連絡を取らなかったのも、彼の状態を考えての事だったのだから。
そう考える度に、ユキナの胸にはユリカに対する怒りが生じる。彼女が一体ジュンに何をしてやったのかと。彼の好意につけこんで召使のように扱っていただけではないか。
そして何より、自分の義娘を統合軍に売り飛ばすような女に自分は劣るのかと情けない気持ちを抱いてしまう。
ジュンも、あの女の事などさっさと忘れてしまえばいいのにと思う。
ジュンの傍にいるのが自分である必要性は無いかもしれないが、あの女がいつまでもジュンを呪縛しているような現状には耐えられそうになかった。
だから、ユキナは仮面をかぶる。勝気で、我が侭で、彼を振り回す小悪魔のような女性の仮面を。
その仮面がミスマル・ユリカにどこか似通っている事に嫌悪を覚えながら。
「? 何がやっぱりなんだい?」
「ああ、ジュンちゃんは分からなくていいの。こっちの事だから」
「……?」
今は仕方ない。彼にも余裕は無いし、自分にもそんな彼を支えるだけの力など無い。
だけど、いずれは彼の隣に立てるだけの女性になりたいと思う。そう、『姉』であるミナトのような女性に。
ユキナはそう思いながら、着替える為に試着室のカーテンを閉じた。
「あのドレス、結構高かったけど本当に良かったの?」
「ああ、構わないよ。僕から言い出した事だからね」
その日のデートは(驚いた事に)ユキナを満足させるものだった。
ジュンはユキナの事を一人前の淑女のように扱い、デートコースもそれに見合ったものを辿っていた。
これまでは、ユキナが一方的に要求するものに仕方ないとばかりに付き合っていただけだったのだから、ユキナからすれば、たった一日で大進展を見た気になるのは当然だっただろう。
だが、それと同時に違和感も覚えていた。
ジュンの性格からして、自分の事を恋人、或いはその候補として見てくれるのはまだ先だろうと思っていたのに、今日の彼の態度はまるで恋人を相手にしているようなそれだったのだ。
その態度を疑うような気になるのは申し訳ないし、何より自分が情けなくなるのだが、どうしても疑念が拭えない。
そういった事もあって、家まで送ると言うジュンにごねて、彼の家まで押しかけたのだが……。
「じゃあ、そこに座ってテレビでも見てて。お茶を入れてくるから」
「う、うん……」
ソファーに腰を下ろし、言われたようにつけられたテレビに目をやる。どうやらニュースの時間らしく、アナウンサーがしかつめらしい顔で喋っている。
少し見てみたが何の興味も持てなかったので、視線を周囲に移す。目に入るのは、到底男の一人暮らしとは思えない、綺麗に整頓された室内の様子。他の男性なら、女の一人でもいるのではと勘繰りたくなるような光景だが、ジュンの几帳面さを知っている人間からすれば意外でもなんでもない。
溜息を一つ吐く。
「私らしくないのよね、こういうのって……」
単刀直入に聞けばいいとも思う。どうして急に態度が変わったのかと。
だが、それを聞いてしまえば、今の居心地のいい関係が壊れてしまうのではないかという恐れが湧く。
ずっとこのままの関係でいるのは不満だが、そう急ぐ必要もないのではないか?
そんな気がして尋ねるのを躊躇ってしまう自分。
「……って、それじゃ駄目だって!」
「何が駄目なのさ?」
「えっ、ジュ、ジュンちゃん!?」
「はい、お茶が入ったよ」
「あ、ありがと……」
ユキナにとっては居心地の悪い沈黙が訪れる。
ジュンの方を見遣ると、彼は涼しい顔でニュースなど見ている。
こっちはやきもきしてるのに、と無性に腹が立ってきた。その腹立ちが後押しして、ようやく口を開こうとした瞬間、
「……何か聞きたい事があるんだろ、ユキナ」
と先手を打たれ、思わず絶句してしまう。
そんなユキナにジュンは笑ってみせた。日頃の彼らしからぬ、どこか暗い笑みを。
「聞きたい事も分かってる……と思う。今日の僕の態度の事だろう?」
「う、うん。なんかジュンちゃんらしくなかったって言うか……あっ、嫌だったとか言うんじゃないんだよ!?」
「……僕らしくない、か。確かにそうかもね」
傷つけてしまったかと焦るユキナに、心配しなくていいと笑って告げた。
「ちょっとね、試してみたかったんだ」
「……試す?」
「うん。人を好きになるって、どういう事なのかってね」
どうやら自分は人を好きになった事がないらしいから、どんな気持ちなのか知ってみたかったのだと。
それを聞いたユキナは二、三度瞬きをすると、不思議そうに尋ねた。
「……ユリカさんの事は好きだったんじゃないの?」
「ユリカ、か……『好き』だったよ、確かに。だけど、その『好き』は、どうも女性に対しての好きじゃなかったみたいなんだ」
そしてジュンは、彼がコウイチロウと話した内容をユキナにも聞かせた。そして、その帰路に彼が考えた事についても。
「……僕はテンカワがユリカを殺した理由を知りたい。裏切りに対する報復とかじゃなく、彼自身が何を感じ、その感情がどう動いたのかを。一度は愛していただろう人間を殺すという事はどういう事なのかを」
「……そんな事、分かるわけないよ」
「そうかもしれない。だけど、僕は知りたい。異性を『愛する』という事はどういう事なんだ? 家族愛と違うのは流石に分かる。だが、何処がどう違うのか、それが僕には分からない」
形から真似れば少しは何か分かるかもしれないから、今日はそれを試してみたのだと。ユキナをそれに巻き込んだのは申し訳なかったとジュンは謝罪したが、ユキナにしてみればそれどころではなかった。
あまりにも自分の想定とは異なる事態に、頭が混乱してついていけない。
ユキナが必死に混乱を抑え、考えをまとめようとしていた時、
『——ただいま臨時ニュースが入りました。臨時ニュースをお伝えします』
というアナウンサーの声が耳に入ってきた。
日頃なら聞き流すそれに何故か意識が向かう。
ジュンもニュースに気を取られたようだった。
『先程、クリムゾングループ所属の輸送艦が残骸になって発見されました。この輸送艦は入港予定時刻になっても入港しなかった為、第七管区パトロール隊が捜索していたものです。周囲には火星の後継者が運用していた機動兵器や木連式戦艦の残骸も残っており、現在この輸送艦の遭難との因果関係が調査されております。なお、未確認情報ですが、これらの残骸のデータレコーダーに黒い機動兵器の姿が残っていたとの情報も入っております。詳しい事が分かり次第、続報をお届けします。繰り返します——』
アナウンサーの声は、あたかも新たな舞台の幕開けを告げるかのように、ジュンの部屋に響き渡った……。
あとがき
どうも、信周でございます。
ようやく第三話をお届けする事が出来ました。が……すいません、私は嘘吐きでした(平伏)。
第二話のあとがきで『第三話では少しは話が進むだろう』とか言っておきながら全然進んでないし(涙)。
やはり初心者は予告などするものではないなと深く反省(笑)。今後は黙っとこう……。
今回はルリが出てないので、書いてる本人もいたく不満です(笑)。
だけど、ジュン×ユキナも入ってるから少しは描写入れないと……らいるさんやもいちゅさんも期待してるみたいだし。
ジュン×ユキナは(私にとっては)書き難いというのは秘密ですが(爆)。
それでは今回はこの辺で失礼いたします。
from らいる
嘘つき(ぼそ)。
ま、それは置いておいて(ちゃいっ)。
クリムゾンの暗躍とジュンの苦悩が気になる第三話。
アキトもルリも出演させないで、これだけ読者を引き込む文章力はさすが、の一言に尽きますね。
ジュンが中心のSSって、大概がギャグになってたりカップリングに拘り過ぎてハリウッドのB級ラブストーリーみたいになっちゃってますけど、このジュンは違いますね。
主人公の1人として、アキトと対比されるだけの魅力を持っています。
誰も気がつかないことだけれど、ジュンがこういった懊悩を抱えていることは、とてもジュンらしいし、それを横で支える(予定)のがユキナであることも読んでいるととても自然に感じられます。
彼が愛情というものを知った時、世界は彼の中でどう変っていくのか。
ますます目が離せなくなってきました。
……私はルリの出てこないSSも好きですが、何か?(笑)