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安息、そして動き出す世界

第四話

「やっ、よく来てくれたねぇ、テンカワ君」
「お前が呼んだんだろうが」
「ま、ま、それはおいといて」

相変わらず軽薄な仮面を取ろうとしないアカツキに呆れた色を隠さないアキト。
今となっては彼の本性を知り抜いているアキトの前でも仮面を外さない用心深さには敬服する他ない……或いはこれが地かもしれないと思う事が多々あるにせよ。いずれにせよ、真似をしようとは思わないが。
ルリはアキトの隣に腰を下ろした後は口を噤んだままだ。

「それで、俺を呼んだという事は……何をさせる気だ?」
「取り敢えずお茶でも飲んで一息入れたらどうだい? ここのケーキは絶品なんだ。甘いものが苦手な人でも、これなら食べるって評判らしいから買ってこさせたんだけど、評判通りだったよ」

アカツキの言葉に息を呑んだのはルリだけで、アキト本人は気にした様子もなかった。
彼にとって、味が感じられないというのは、もはや常態なのだ。今更その事を言われたところで何ほどの感傷も湧かなかった。
それほどアカツキが褒めるのならば、たいしたものなのだろうと素直に思う。

「そうか。ルリ、せっかくの心遣いだ、先に食わせてもらおう」
「え、ええ……」

躊躇いがちに返事をするルリを敢えて無視して、ケーキを口の中に放り込む。
……かろうじて分かるのは、何かが口の中にあるという事だけ。その味は勿論、食感も良く分からない。
消化に十分なだけ咀嚼すると、胃の腑に落とし込み、恐らく残っているであろう残滓をコーヒーで流し込む。
それが、今のアキトの食事の取り方だった。

「……あっ、美味しい……」

思わず漏れたという感じのルリの声にアキトの顔がほころぶ。
アキト達は、基本的に政府の目が届かない、定期パトロール航路から外れた宙域を漂っている(文字通り、目的もなく慣性移動している)事が多い。それ故に、その生活には不自由な点も存在する。とりわけ、娯楽・嗜好という事に関しては、その傾向が顕著だった。
補給を頻繁に受ける事はできない為、食料品も戦闘食とまではいかないにしろ、出来合いのレトルト食品にならざるをえない。それ故に、ルリにこういった嗜好食品を取らせる機会があるのは嬉しかった。

「アカツキ、ここのケーキ、帰りに包んでくれ」
「勿論抜かりは無いよ。日持ちするものを中心に厳選して包んである。話が終わったら持ってこさせるよ」
「すまんな」

そんなやり取りの後、アキトとアカツキはルリがケーキを食べ終わるまでの間、雑談を続けていた。
とはいっても、アカツキが一方的に喋るのにアキトが相槌を打つ程度のものであったが。

「さて、と……そろそろ本題に入ろうか」

ルリがケーキを食べ終えたのを確認すると、アカツキがそう切り出した。
その目に宿るのは、それまでいた軽薄な青年のものではない、巨大企業の支配者に相応しい冷徹な光。

「火星の後継者の残党どもが動きを見せている」

その言葉にアキトの纏う雰囲気が一変した。
これまで、威圧感はあるものの、どこかしら暖かさを感じさせていたのに、永久氷壁の如く冷気を発し始める。
その姿こそ、今や史上最強にして最凶のテロリストと謳われる『The prince of darkness』の姿だった。

(何度目にしても、この変化には驚かされるねぇ)

まったく慣れるどころではない。目にする度に、心臓を鷲掴みにされたような気になってしまう。
この鋭利過ぎる剣の扱いには慎重さが要求される。何しろ本人自身の望みというものが希薄であり、地雷を踏んだが最後、その場で三枚に下ろされかねないという極め付きに物騒な存在なのだ。
だが、その危険を考慮に入れても切り捨てるには惜しい。その切れ味は折り紙つきなのだから。

「それを狩れという事だな?」
「捕まえろって言ったらそうしてくれるのかい?」

からかうようなアカツキの言葉に返されたのは酷薄な微笑。

「まさかな。あいつらを一匹たりとも生かしておくつもりなどない。草壁も、お前が殺すなと言うから『まだ』殺していないだけだ」

アキトには、現在獄中に繋がれているあの男を生かしておくつもりなどなかった。
正義などという形の無いものに酔い、己が意に沿わぬ人々を力づくで従わせようとし、火星の民を虐殺して、なお恥じなかった狂信者。
その犯した罪に相応しく、犠牲にしてきた人々の受けた苦痛の万分の一でもいいから味わわせて殺してやるつもりだった。
無論自分の事を棚上げにするつもりもない。いずれ、報いによって自分も滅ぶだろう。今は、ルリの将来に見通しが立つまでは猶予が欲しいと思っているが……。
そうアキトが考えているであろう事を、アカツキは冷静に洞察している。
その事をきちんと弁えていれば、この鋭利に過ぎる剣は極めて使い勝手が良いのだ。

「まあ、焦らない、焦らない。いつかキチンと機会は作ってあげるからさ♪」
「ふん……期待せずに待たせてもらうさ。それで?」
「クリムゾンから連中にステルンクーゲル三十機が譲渡される。無論、輸送中に強奪される形を装ってね。その邪魔をしてくれたまえ」
「……それだけか?」

不満そうなアキトに、アカツキは人の悪い笑みを見せた。

「取り敢えずは、ね。いくつか策を弄するけど、君は知らなくて良いよ。連中を殺す事だけに集中してくれ」
「ちょっと待ってください」

それまで黙っていたルリが口を挟んだ。

「戦闘中に未確認要素が入るのは極力排除したいので、戦闘中に何かするつもりなら事前に教えておいてください」

駒として利用されるのはいい。
だが、一方的に使い捨てられるのだけは御免だった。
そもそもリスク対処の優先度は立場によって変わる。自分達の立場で見なければ判断できるものではない。

「やれやれ、ルリ君は厳しいねぇ。んじゃ、教えとくね。戦闘宙域に統合軍が来るように細工してある。あ、マスコミの船も随伴させるから」
「それの何処が知らなくていいんですか!?」

ルリが怒るのも当然と言えた。
戦闘中に新手(この場合、敵の敵は味方とは言えないだろう)が来る事は、戦況を一変させうる要素だ。そんな要素を隠しておこうとしていたアカツキの方に非があるのは間違いない。
しかし、アカツキは罪悪感の欠片もなく、

「テンカワ君なら何とかできるでしょ? それに事前に知ってると、映像にリアリティがなくなるからねぇ」

と言ってのけた。

「リアリティ、ですか?」
「そっ、リアリティ。いい絵が欲しいんだよね、火星の後継者とクリムゾングループの癒着の決定的映像が」
「……なるほどな」

納得するアキト。
確かにクリムゾンの元幹部から火星の後継者との関わりを示唆する証言はあったものの、それを証立てる決定的な物証というものは未だにあがっていない。社会全体がクリムゾングループに疑いの目を向けているとはいえ、『疑わしきは罰せず』が司法の根底理念である以上、ネルガルが望むような決定的な打撃にはなり得ない。
今回の襲撃で、そうなりうる要素を一つ積み上げようという事か。

「だが、そううまく行くかな? 戦場では何が起きるか分からん。危険だと判断すれば、そいつらの到着を待たずに全滅させるぞ」
「ああ、その辺の判断は任せるよ。できれば、で構わないから」
「分かりました。善処します」

ルリの了承の言葉で、その会談は締めくくられた。

僅かに鼻につく薬品の匂い。
ネルガル本社ビルからそれほど遠からぬ場所に立つ研究所の『地下』にある金髪の麗人の『実験室』特有のその匂いにももう慣れた。
手元のカルテになにやら書き込んでいるかの女性に視線を向ける。
どう見ても三十代後半になったとは思えない美貌とその張りのある豊かな胸に、思わず恨みがましい視線が向いてしまう。

「何かしら? ホシノ・ルリ」
「……何でもありません」
「そう? だったら恨みがましい目で私の胸を見るのは止めてくれる? いくら見たって貴女の胸が膨らむわけじゃないんだから」

……世の中不公平です、とルリは思う。
こんな事はどうでもいい事のはずなのだが、周囲には何故か豊かな胸を誇る美女達が多い事もあって、ルリの女性としてのプライドを盛んに刺激してくれる為、どうしても気になってしまうのだ。

「あのねぇ……お兄ちゃんから『胸が淋しいな』とか言われたわけじゃないんでしょう? だったら問題ないじゃない」
「イ、イネスさん!」

思わず声を上げたルリに二、三度手を振って黙らせると、イネスは真面目な表情を作った。

「さて、貴女の診断の結果だけど、変化無しね。まあ、そう簡単に軽快するものじゃないから当然とも言えるけど。悪化してないだけいい、といった所かしら」
「そうですか」
「本当なら、このまま様子を見ていきましょう、と言うところなんだけど……」

珍しく、イネスが語尾を濁した。
彼女の胸の中で、医者としての判断と女性としての想いがせめぎあっていた。
ルリの主治医として考えるならば、彼女には余計な事を知らせず、このままの状態から徐々に症状を軽快させていくような治療法を選ぶべきだった。
だが、彼女の女性としての側面は、今のルリの状態を許せなかった。
今のルリは全てをアキトに依存して生きている。アキトが健康体ならば、それも許せた。だが、彼の身体は……。
大きな溜息を一つつく。心は決まった。
声と表情を整え、ルリを見据える。

「いい、ホシノ・ルリ、落ち着いて聞いて頂戴。アキト君の身体の事よ」

その言葉に表情を変えるルリに向かって無情な事実を告げる。脳裏でアキトの怒った顔が浮かんだが、敢えてそれを無視した。

「アキト君の身体はもう限界に近いわ。このままじゃ、そう長くは保たない」
「……え?」
「治ったと思ってた? そうでしょうね。彼からはそう伝えるように頼まれてたし、彼も貴女の前じゃ調子が悪そうな姿なんて見せなかったでしょうしね」
「イ、イネスさん……冗談でしょう? アキトさんがそんな、イネスさんが治療してるんですから……」

ルリの混乱は明らかだったが、イネスは容赦しなかった。

「このままだと、彼の命はそう長くない。落ち着いた環境で治療に専念しても、正直な所、延命できる可能性はそれほど無いわ、皆無とは言わないけどね。今の状態を保っている事自体が既に奇跡なのよ」

人の執念かしらね、と付け加えてルリの方を見る。彼女の瞳は虚ろな光を湛えていた。まさに、壊れた人形のように。
そんな姿がイネスの癇に障った。その肩を掴み、乱暴に揺さぶる。

「気をしっかり持ちなさい、ホシノ・ルリ! 現実から逃げるなんて許さないわよ!」
「あ、あ、あ……」
「貴女はお兄ちゃんから選ばれたでしょう!? お兄ちゃんから愛されて、守られて、そのくせ自分からは何も返さないなんて、ミスマル・ユリカみたいな真似をするつもり!? そんな事、私も、エリナも、ラピスだって絶対に許さないから!」

その言葉に、ルリに僅かに正気の色が戻ってくる。

「貴女だけなのよ、お兄ちゃんを止められるのは! 私やエリナが、これまで手をこまねいて何もしなかったとでも思ってるの!? 必死に止めようとしたわよ! 泣いて頼み込んだし、どんな事だってしてあげるって言った! それでも……お兄ちゃんは止まってくれなかった……」

涙を流しながらそう言うイネスの顔を、ルリはぼんやりと見つめていた。
何もかもが現実感に乏しかった。

(イネスさんが感情も露に他人に泣き顔を見せるなんて悪い夢です。そうに決まってます……)

だが、微かに残ったルリの理性は、それがまごう事なき現実だと断定していた。
彼の身体は限界に近いのだと。
欠かさずトレーニングを積んでいた彼が、最近ではそれを休む事が多くなかったか?
自分が眠っている間に姿を消す事が多くなっていないか?
これまでは気に止めていなかった些細な事が、イネスの言う事の正しさを補強していく。
……そんな現実になど気付きたくもなかった。だが、彼女の訓練された理性は、残酷なまでに彼女に現実と向かい合う事を強いる。

「……このままだと、アキトさんはどれくらい保つんですか?」

嫌になるくらい感情の消えた声。今となっては忌まわしい、『人形』であった頃のそれ。

「分からないわ。唯一つ言えるのは、いつ死んでもおかしくない、それだけよ」

冷厳な事実。それがルリの弱った心を打ちのめす。
だが……。

「アキトさんは……その事を知っているんですね?」
「……ええ、知ってるわ。それでも、彼は戦いの道を選んだ。貴女を守る為に……その為だけじゃないけれど、それでも確かに貴女を選んだのよ」

イネスの声は、悔恨・羨望・嫉妬・その他様々な感情が混じりあった複雑な色を帯びていた。
ルリの心の中に何かが生まれようとしている。それを見て取って。

「自分の事は後回しで、人の事ばっかり気にして……本当にあの人は『ばか』です……」
「そう……そうね。しかも、女泣かせだし」
「本当に、そうですね……」

いつの間にか、二人は涙を流しながら微笑みあっていた。

「貴女を救い出してから、彼は変わったわ。戦うのは相変わらずだけど、出来る範囲で身体に気を使うようになったもの。貴女の事を守る為ならこうも変わるのね、と思ったわ」
「……多分、イネスさんに甘えてるんだと思います。何とかしてくれるだろうって」
「とんでもない不良患者ね。私に出来ない事は無いと思われても困るわ」
「『ばか』ですから、あの人は」
「ふふふ……本当に」

穏やかな空気が二人を包む。
二人の想いは完全に重なっていた。

「取り敢えず私にできる事は、戦場でアキトさんの負担を減らす事ですね」

力強い声でルリが確認する。
その姿は、もはや道に迷った幼子のそれではなく、『銀河に輝く青の宝石』と謳われた、誇り高い妖精の姿。

「そうね。できれば彼を戦場から引き離したい所だけど、現状ではそれは無理でしょうね」

イネスも普段通りの冷静な天才科学者としての顔に戻っていた。

「私はユーチャリスに同乗できないから、アキト君の生体データを集めておいて。毎日欠かさずに。送信は頻繁には出来ないでしょうけど、出来るだけ私の所に送って頂戴。データが多ければ多いほどありがたいから」
「分かりました。それと、緊急時の処置の仕方を教えておいてもらえますか?」
「そうね。後でやり方を教えるし、ダッシュにもデータを入力しておくわ」

……彼女達には、もはや後ろ向きな感情などない。
残酷な現実を見据え、それでも希望を捨てずに足掻き続けるその姿は女性特有のものなのかもしれない。
少なくとも、彼女達が想い続ける男のそれとは明らかに一線を画していた。
その事に男が気付く日は来るのか……それは、未だに分からない事だった……。

Martian Successors
NADESICO

Vita di tutti i giorni di riposo e, dopo quel mondo.04

あとがき

どうも、信周でございます。
何故か電波受信状態が良好で、一気に第四話を書き上げてしまいました……第三話はあんなにてこずったのに。
やはり、ルリとイネス様が出ると筆が良く滑るんだなぁと変な感心をしております(笑)<他人事みたいに
肝心の内容ですが……いささかルリの立ち直りが早すぎると感じられた方々、貴方の感想は当然のものかと思います。私自身も、『何でこんなに急に立ち直る!?』と思ってますから。
だけど勝手に立ち直っちゃったんですよねぇ……いやぁ、女性は強いですねぇ。特に恋する女性は……って事で納得してくれません?(笑)
現実で心に傷を負った人にこんな真似をしちゃいけない事は良く分かってるんですが、勝手に動いたんですよねぇ、これが。
何か言い訳じみてますが、本当なんだから仕方ないんですよ。
まあ、いつまでもどん底だと本気で話が進まないしなぁ……。
あいも変わらず遅々として進まない、テンポの悪い拙作ですが、多分最後までこんな調子ではないかと思われます。<開き直った……?
気長に話の進展をお待ちいただけるよう、伏してお願い申し上げます。
それでは今回はこれで失礼いたします。

from らいる

「き?」

キタ————————!!
「は?」
ああ、イネス様、イネス様イネス様イネス様イネス様イネス様イネス様イネス様イネス様イネス様イネス様イネス様イネス様イネス様イネス様イネス様イネス様……ほげっ!!

「馬鹿は抹殺しましたが、コメントができなくなってしまいました。ですので、後はよろしくお願いします」
……私ですか?
滅多なことでは出てこないようにしようと思っていたのに……まあ、仕方ないですね。
さて、イネスに身も心も捧げ尽くしたらいるが妖精に抹殺されたので、今回は私、ぴんきいが代理に立ちます。

今回はアカツキですねー。
らいる&ぴんきい的男性キャラNo.1(笑
いやもう、かっこいいです。素敵です。本編見ててもただの悪人とは思えませんし、かと言って単なるいい人ではあの巨大企業を切り盛りできるはずがないし。
その辺のアカツキ像の描写が見事ですね。
会話から伺われるアキトとアカツキの信頼関係も、読んでいて何だか嬉しくなってしまいます。
シリアスな展開の中で、ちょっとした軽口が見られるのも私達の好みにぴったりですし、それでこそナデシコって感じがします。
ナデシコって、遺跡を巡る重い内容なんだけど口調や雰囲気は軽め、ってのが魅力ですもんね。

後半のアキトについては……らいるが落ち込んでいます(苦笑)。
内容とかじゃなくて、アキトが死んでしまうんじゃないかと今から心配しているみたいです。
アキトが死んでしまうことについて、それ自体が悲しいのではなく、ルリが可哀想だというのが一番の原因らしいです。
ようやく掴んだ幸せな日々を、ルリとアキトはいつまで維持できるのでしょう。
信周さんの構想次第ですが、例え短い時間であっても、一生分くらいの幸福な時間を過ごして欲しいと願わずにいられません。

気になる続きを急かすには、信周さんへメールを送るのが一番ですよ(笑