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「お嬢様、またいらして下さいね」
玄関で手を振る千夏に瑠璃が微笑みを返すと、車は走り出した。

幻想の庭〜盂蘭盆に還る魂〜

8月18日

終わり、そしてはじまり

走り去るトラックがあげる砂埃を見ながら、千夏は微笑みを浮かべるとゆっくりと屋敷に戻っていく。
砂利が足元で軽快に鳴る音を聞きながら緑のトンネルを抜ける。広い引き戸の玄関に向かって、まるでリズムを刻むかのように軽い足取りは気のせいではない。
「瑠璃ちゃん、か」
足を止めて楽しげにそう呟くと、千夏は緑のドームから覗く木漏れ日に目を細めた。

真っ暗な風景は気分を落ち込ませるのに丁度いい。
そう言って笑っていた赤月だったが、今日はこの暗い風景も何故か楽しげに見えてくるから不思議だ。いっそのこと、人間の気分によって映像が変わるウィンドウでも試作するように言ってみるか、などと考えながら医務室への通路を歩く。
「あら、どこへ行くのかしら」
軽快に運ばれていた足を止めたのは、突き刺さるような視線と絶対零度の声調だった。
恐る恐る振り返ると、いや振り返らなくてもわかってはいるのだがここで振り返らなければこのまま行くよりもっと恐ろしい結末が待っているような気がしたので、これこそ本当に仕方なく振り向く。
当然のようにそこにはエリナ・キンジョウ・ウォンが立っていた。

腰に手を当てて。
形相も凄まじく。

「や、やあ。エリナ君。今日もまた一段と美しいねえ」
が、愛想よくしてご機嫌をとろうというその場しのぎがエリナに通用するわけもなく、
「ありがとうございます会長」
この月面工廠で役職を呼ぶとき、それはエリナが余程機嫌が悪いときに限られる。赤月は観念した。
「事の首尾が僕にも気になるもんでね。それにあの屋敷を提供したのは僕だよ?結果を聞きに来たっていいじゃないか」
「もちろんですわ、会長」
再び役職で呼んだエリナは、にっこりと妖艶な笑みを見せて続けた。
「地球で仕事の合間に聞くのなら。どうしてわざわざ時間のかかる月面まで来る必要があるのよ。直接聞きたいなら彼にジャンプで来てもらえば済むことでしょうが」
「あー、それはだね。こう何と言うか……訓練の時間を割いてもらうのも悪いじゃないか、うちのSSとしての訓練なのにさ。それにドクターだってもうちょっとで結論が出るところらしいし……」
「言い訳にはならないわね。タイトビームでの通信でも大丈夫よねぇ、結果を聞くだけなら。ここからの連絡もそれで1日かからないはずだけど?」
「1日だって?ああ、義憤により助力し友の身を案ずる僕のこの心はそんな永遠にも等しい時間に耐えられそうに」
「ない、とは言わせないわよ」
「……最後まで聞いてくれよ、エリナ君」
手を額に当てて天を仰いで熱演する赤月にエリナは冷たい。
が、ふ、と笑みを漏らすと雰囲気を和らげた。
「ま、仕方ないわね。いいわ、連絡は私からします。会長もご存知の通りドクターも彼も空いていませんから」
「ああそうか。君も行っていたんだっけね」
「でも」
今の雰囲気は何処へやら、エリナは再び眼光を鋭くしてずい、と赤月に迫る。
「もちろん仕事をしながらですわ、会長。こ・ん・な・こ・と・も・あ・ろ・う・かと、ちゃんと昨日のうちに決済すべき資料と書類を送信しておいて貰いましたから」
「う」
「それと」
冷汗一斗。固まる赤月をびしっと指差しながら、
「兼代なんていかにもばれそうな名前つけてくれて私がどれだけ見つからないように苦労したか、その部分もみっちりしっかりとご説明いたしますわ」
そう言うと赤月の腕を鷲づかみにし、まるで引きずるように連行していく。
後には「シナリオライターが名前決めたって、いいじゃないか」と誰も聞く耳を持たない赤月の呟きだけが残された。

「済まない、君にこんなことを頼むのは……」
「……ううん、いいの。会えただけで……嬉しいから」

「赤月君ね」
ふう、と溜息をついて眼鏡を外し、こめかみの辺りを押さえる。それは連行された赤月に対してのものか、それともウィンドウを見つめ続けていた疲れからなのか、よくはわからない。けれど悪くない感情を伴っていたことは確かだった。
「お疲れでした、ドクター」
そんなイネスの背後から太く低い声で慰労がかけられる。
その声の方へ椅子を回して振り向いたイネスは、丸椅子に大きな体躯を縮こめるようにして腰掛けている男に返事をした。
「あなたもね、後藤さん」
「……それはもう止めて頂きたいな、イネス・フレサンジュ博士」
うんざりしたように吐き出す。あくまでも忠実勤勉に職務をこなす、彼にしては珍しい表情だ。
余程嫌だったのね、その名前が。そう思いながら苦笑するとイネスは彼にお茶を勧めた。
「まあ赤月君にネーミングセンスがないのはよくわかったわ。よくばれなかったものよね」
「いつ気づかれるかと冷や冷やさせられたが……」
苦りきった様子の男に苦笑すると、
「それで、首尾はどうだったのかしら?ゴートさん」
その途端、雰囲気がSSの張り詰めたようなそれに変わり、ゴートは心なし姿勢を正して口を開く。
「問題ない、全て順調に事は運ばれた。後は彼女次第だろう」
「そう。では彼女は戻ったのね」
自分でもお茶を一口運ぶと、イネスは何かを考えるような仕草をした。
「どうかしたか」
「何でもないわ。ただ……」
「ただ?」
微かに身を乗り出したのだろう、丸椅子がきぃ、と鳴った。
「ただ、私にも記憶と希望が与えられていたら、と思っただけ」
笑いながら答えるが、その笑いはもしかしたら、あり得ない話を考えてしまう自分になのかも知れない。
自分には希望が与えられなかった代りに、記憶もなかった。
彼女には絶望があった代りに、希望を掴んでもらわなければならなかった。
ただそれだけのことだ。
「それで、ドクターの方は」
静まりかけた医務室に再び流れる低い声。その声で思考を霧散させてイネスは答える。
「こちらも順調よ。ナノマシンの許容量は超えているけれど、日常生活を送るのに支障はないくらいには回復しているわ。残念ながら味覚は戻らないけれど、視覚・聴覚その他は最悪の事態は免れそう。問題は、彼の望む……戦闘に耐えられるかどうかね」
「そのことについて……あれは本当にやるのか」
「やるわ」
自分の提案に自信が持てないというのも、自分らしくない。心中で自嘲しながらも、それでも彼を、単独で戦場に今のまま出すわけにはいかないのだからこれしか方法はないのだ、と納得させる。
「それしか彼を決戦の場に送り出す手段はないのだから。そして彼女もまた、それを望んでいるのだから」

引き戸を開けると、涼しい空気が千夏を過ぎていく。
この2週間見慣れたこの屋敷とも、今日でお別れだ。そう思うと奇妙な懐かしさを感じて、しばしの間この空気に触れていたいという欲求に囚われる。
瑠璃からは何も聞いていないし、殊更連絡もないが、千夏が盆踊りに出かけている間、瑠璃は彼との邂逅をしたのだろう。彼女にとっても、この屋敷での1週間は思い出に残るものになったはずだ。それは最後のあの笑顔が物語っている。
そして、千夏にとってもまた。
この2週間は忘れられない夏の記憶になりそうだった。

「彼女には今、希望が必要なのよ」
初めて会った、白衣を着た金髪の麗人はそう言った。
「どういうことですか」
「大切な家族を失って絶望しか残されなかったあの子は心を閉ざし、周囲の大人たちはそれが彼女のSOSなんだと気づいてあげられなかった。今まではネルガルのSSが影から護衛してきたけれどそれも限界なのよ。宇宙軍に入隊するにしろネルガルで保護するにしろ、それはあの子が自分で決めればいいことだけれど、どちらにしても安全な場所へ移ってもらわなければならないのに。
ただ、私は死んだことになっているし、ネルガルの会長や秘書が表立って動くわけにはいかない。あの子の友達が一人、理解して頑張ってくれているけれど、それでは時間がかかり過ぎる。事実、既に1年を過ぎても効果が現れていないわ。
現実を理解できないままネルガルで匿うわけにも行かないし、事情を話したところで幻想と区別のつかなくなっているあの子には意味がないから。
それでも一刻も早く彼女の身柄を安全なところに、それも現実を取り戻した自分の意思で行ってもらうために、私たちは賭けをすることにしたの」
「賭け、ですか」
彼女の説明は簡潔だった。
私としては凄いと思ったのだけれど、彼女自身はそれが不満そうで、早口になりながら私の反問を抑えようとしているようにも見えた。
何となくこのまま話を続けさせたら大変なことになりそうだと思った私は、敢えて途中で口を挟みながら切りのいい話のまとまりとして説明を受けていた。
「どうしてそんな屋敷で大掛かりなことを?」
私の疑問は最もなはずだ。
が、それに返って来た答えは、わかるようなわからないような、ひどく抽象的なものだった。
「古くて大きな屋敷では、時として現実と幻想の交錯が行われるものなのよ。そしてそれはその舞台であればこそ自然に受け入れられるの」
「では、どうして私を」
その質問には、言葉での返答はなかった。
ただ、奥の部屋を指差して、
「どうしてもあなたを、いえ、あなたに会いたいと希望する人がいてね。推薦よ」
ネルガルに知り合いはいない。いや、いると言えばいるが、工場の労働者たちだけでこんな上層部にそんな人はいないはずだった。
首を傾げて疑問を表すと、その麗人、イネス・フレサンジュ博士は私の手をとって立ち上がり、奥の部屋へ続くドアを開けた。

そこに待っていたものは、私にとってひどく懐かしく、そして去年の6月からずっと私を悩ませていた心痛を解決してくれるものだったのだ。

軽く居間を掃除して、千夏はメイド服を脱ぎ私服に着替える。
最初は抵抗があったこの服、そして髪の色だったが、こうして慣れて見ると心残りな気がする。
きれいに服を畳み、メイドキャップを上に載せて彼女の支度は済んだ。
居間から窓の外、庭を眺めているとこの2週間のことが次々と脳裏に浮かんでは消える。

人は一人では生きられない。
きれいごとだけで生きてはいけない。
心の傷がどれほどの深さなのか、それは本人にしかわからないことだ。

『別に、傲慢になってるわけじゃないわよ。あくまでも彼女には彼女自身で立ち直ってもらうわ。私たちはそのきっかけを作りたいだけ』

イネスの言葉が蘇る。
だから、自分も手を貸すことに同意した。これが、自分たちが彼女を立ち直らせるのだという意思で行われたことなら、手を貸さなかったろう。傲慢は失敗を招くだけだから。
開け放たれた窓から庭の池を渡った風が吹いてくる。
夏の陽光はきらきらと池に反射して、その向こうの暗い森ときれいなコントラストを醸し出す。
立ち上がって濡れ縁に立つと、またしばらく地球の光景とはお別れになると思い、目を閉じて大きく息を吸い込んだ。
ふ、と瞼に日差しを感じ、ゆっくりと閉じていた目を開く。

「迎えに来たよ、久美ちゃん」

「ばれないかと思って、冷や冷やしちゃった」
「久美と千夏では全然違うだろう。それに瑠璃ちゃんは久美ちゃんに会ったことはないんだし。ばれることはないさ」
数時間前には瑠璃も通ったであろう、田舎の道を旧式の黄色いビートルが走りすぎる。その車窓から風に髪を靡かせながら風景を楽しんでいた久美は、思い出したかのように隣で運転する明人に言った。
「そうじゃなくて、明人さんの方。大川だなんて、もうちょっと気の利いた名前にすればよかったのに」
そう言うと、明人は視覚補正の役割も果たしている大きめのサングラスの奥で目に微笑みを浮かべながら答えた。
「いや、いいさ。どの道俺の料理は自信がなかった。味付けを久美ちゃん頼りにしていたからね。中途半端な俺には中途半端な名前が似合うってだけさ」
「あら、それって私の味覚が頼りにならないってこと?」
「あ、いやそんなつもりでは……」
むくれて言う久美だったが、けれど、「料理」の言葉に少しだけ寂しげな含みを感じ取ってそれ以上は言葉にしなかった。
稲田を過ぎ、車は森の中へと入っていく。
緑深い舗装された道は、遠回りにはなるがドライブには最適だった。
言葉のない2人を乗せて、車は走っていく。
けれどその沈黙はどこか、暖かい優しさを持っていた。

「ね、明人さん」
「なに」
「瑠璃ちゃんって、可愛い子だね」
それは外見のことだけでなく。
そして明人もそんな久美の言葉の中を読み取っていた。
「そうだな。俺の自慢のかぞ……大切な子だからな」
「ふふ。ちょっと妬けるかな」
「ごめん、聞き取れなかった」
「いいの。何でもない」
風を受けて、久美の伸びた髪が靡いている。
明人は少しだけ怪訝そうな顔つきをしたが、何も言わずにハンドルを握りなおす。

道は曲がりくねり、緑に覆われている。
先は見えないけれど、確実にこの道は未来に続いているのだと、そう久美は思った。

新しい明日へと。
きっと。

≪あとがき≫
駄作にお付き合い頂き、ありがとうございました。
と、言うより私の暴走にお付き合い頂き、って感じでしょうか

舞台は富山県、現実と幻想・ナデシコとEVAの交錯、登場人物の漢字表記、はっきり言って私の自己満足以外の何ものでもありません。いやもう、ここまでお読み頂いただけで、「凄いです」と言いたくなるほどです。
そんな駄作にお付き合い頂き、感謝の言葉もございません。

素晴らしいイメージイラストを描いてくださった朴念仁さん。
そして、話の展開にアドバイスをくれたもいちゅさん。
こんな駄作に関わらずご来訪くださったAdelieさん。
お三方に心からの感謝を捧げます。

8月12日から8月18日まで一週間、お付き合い本当にありがとうございました。
また冬の祭りでお会いできることを祈って。

18,aug,2004,rille-ellewood

今回の引用です。
『知性改善論』バルーフ・デ・スピノザ
『希望の音列』
『夜』エリ・ヴィーゼル
『欲望という名の電車』テネシー・ウィリアムズ