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マリア様がみてる - だけどね。
「はあ……」
やだなもう、溜息しか出てこない。
理由は明快。
乙女らしい悩み、それに尽きる。
ただ、リリアンのそれは一般のものとは少し違うのかも知れないけれど。
こんな私にも、好きな人くらいはいる、そういうことだ。
もちろん今日一日こんな暗い顔して過ごすわけにはいかないし、マリア様にお祈りしてからはしゃんとしないと。
そう思って手を合わせた瞬間、後ろから声をかけられた。
「笙子ちゃん」
振り向いた視線の先には、子だぬ……じゃなくって、ツインテール。
「ごきげんよう、紅薔薇の蕾」
「ごきげんよう、笙子ちゃん」
紅薔薇の蕾、福沢祐巳さま。
ちょっとしたお知り合いの武嶋蔦子さまとの縁で、何度か話をしたことがある。
その程度、と言えばその程度なんだけれど、それがちょっとした問題で。
「あ、ごめんね。お祈りの邪魔しちゃって」
「いえ。気になさらないで下さい」
こうしていること自体が、まずいのだ。
今のリリアン学園高等部で3年間を無事に過ごそうと思ったら、ここはさっさとお祈りを済ませて立ち去るのが吉。
そう思って両手を合わせようとすると、祐巳さまが何かいいことでも見つけたようで、ぱあっと顔を輝かせた。
はあ……やっぱり可愛いよぅ……
ううん、だめだめ。
立ち去りがたくなっちゃう前にさっさと逃げないと。
そんな葛藤を繰り広げている私をよそに、祐巳さまはすっとご自分の鞄を差し出した。
「祐巳さま?」
「持って」
「はあ」
訳もわからないまま鞄を受け取ると、すいっと両手を私の方に差し出してきた。
「あ、あのっ」
そのまま私のタイに手をかけると、
「タイが曲がっていてよ」
どこぞの誰かさんのような台詞を言って、私のタイを直し始める。
「あ、あの祐巳さ……」
「んー、もうちょっと待ってて」
既にどこぞの誰かさんのような雰囲気はなしですか。
さすが子だぬ……祐巳さまですね。
錯乱しているのか、私の脳はわけのわからない突っ込みを始める。
……ていうか、直せないならそういうことしないでください。
「あれー?」とか、「んー」とか「むむむ」とか何やら呻きながら私のタイと格闘し始める祐巳さま。
首を傾げたりする度に、ツインテールがぴょこぴょこと揺れて……ああ、もう至福。
ふんわりと風に乗って香ってくるシャンプーの匂いにらりってしまいそうになりながらも、私は理性を総動員することに必死だった。
……祐巳さまは言い出した以上タイを直さないと、と必死のようだったけど。
「はい、できた。身だしなみはきちんとねっ」
祐巳さま、ですから台詞は同じでも、口調と笑顔とぴょんこ、って跳ねるツインテールが……いやいいです。
「あ、お祈りがまだだったよね。一緒にお祈りしていこう」
「はい」
うん、今日はいいや。
こんなに幸せだったんだもの、仕方ないわよね。
今日の運勢を全てここで使い果たしてしまった私は、秋晴れの空の下、これからの幸運を全て諦めきっていた。
そうして、お祈りを済ませて校舎の入り口までを、祐巳さまと2人で会話しながら歩くというこれ以上ないほどの幸せをかみ締めた私は、
「じゃあ笙子ちゃん、またね」
「はい、祐巳さま」
祐巳さまと別れてから、そっと私自身が朝結んできたものよりも歪んでしまっているタイを愛しく撫でる。
目を瞑って、さっきまでの幸せを思い出すかのように。
そう、これはお祈りなのだ。
マリア様には悪いけれど、祐巳さまが触れてくださったタイに祈った方が、私にとってはマシな気がする。
というよりも、こうして幸運を反芻していればこれから先の不幸にも耐えられるような気がする。
さて。
私はぴしっと姿勢を正すと、祐巳さまに「志摩子さんみたい」と言われた微笑を作って振り返る。
「ごきげんよう、3年のお姉さま方、2年のお姉さま方、それから1年の皆様」
そう、そこにはずらっと。
M駅を利用している祐巳さまと同じ通学路を通いたい、あわよくば同じバスで、もっと運がよければお話でも、と毎日のように群がっているリリアンの生徒たち。
蔦子さまのお話では、隠れも含めると、実に全校生徒の9割がYFC、祐巳さまファンクラブに加盟しているとか。
中等部や大学、挙句の果てには職員室にまでその裾野は広がっているというから呆れる他ない。
「「「ごきげんよう」」」
冷たい視線、嫉妬、身の危険を感じるあらゆる視線が突き刺さる。
でも、いいの。
そっとタイを撫でて私はさっきの幸福を思い出す。
これで今日一日は乗り越えられるから。
ああ、でも……
今日もやっぱり、涎を垂らして胸元を見つめられたり、移動中に突然3年のお姉さまがタイにほお擦りしてきたり、何もない(はず)の場所で転びそうになったり、先生にやたらと当てられたり、色々あるんだろうなあ。
ああ、祐巳さま。
タイを直されたというのは祐巳さま関連にとっては衝撃的、私にとってももちろんそうだけれど、その相手が私だったというだけで笙子は天にも昇る心地です。
だけどね、祐巳さま。