fanfiction > ナデシコ > 雪と家族と(03)
小雪が舞っていた。
街に、人に、道に、枯れ木に。
それから、寒さに竦めた私の肩に。
機動戦艦ナデシコ - 雪と家族と - 29th,feb,2199
並んで
きこきこ
「アキト〜、重いよ〜」
「我慢しろよユリカ。もうちょっとだ」
ぎしぎし
「はぁ、はぁ、まだー?」
「……ユリカさん、この効果音でその台詞はまずいです、非常に」
「ほぇ?」
アキトは坂道をふうふう言いながら、後で押しているルリを振り返った。
「大丈夫?ルリちゃん」
3人掛かりで渾身の力を振り絞らないと、なかなか屋台は動かない。
年代ものの屋台はそうでなくとも動きが滑らかでない。
急勾配のこの坂は、普段ならば立ち止まって眼下の家々を染める夕焼けに見入るのだが、屋台を引いている時にその余裕はない。
普段から無口なルリも、輪をかけて無口になる。
目線だけで「大丈夫です」と合図するのが精一杯だった。
アキトもそれ以上口にする余裕がなく、安心したように微笑むと、すぐに前へ向き直り、懸命に屋台を引く。
3人が肩で息をしながら登りきったのは、夕陽が西の屋根に沈む直前だった。
「きれいだね、ルリちゃん」
「はい」
荒い息の下で、ユリカがルリに声をかける。
同じ景色を3人で見ている時、3人が同じ感慨を共有する時、必ずユリカはルリに声を掛けてくれる。
それが何かの考えから出ているのか、それとも自然にそうなっているのかはルリにはわからないが、それでも自分を大事に思ってくれていることを感じられて、嬉しかった。
そのまま3人は並んで、夕陽とともに暫しの休息を得る。
一日を終えた太陽が沈む直前の、優しい輝き。
オレンジに染まるアキトとユリカが、ルリにはその景色よりも美しく感じた。
元クルー達の間での俗称、『逆大岡裁き』。
実際、ルリにとってはどちらでもよかった。
心からルリのためを思ってくれるミナトでも、純粋な、子供が愛しいものに対して抱くような感情で引き取ると言ったユリカでも。
ミナトといれば、きちんとしたルリであり続けたろう。
彼女の想いは心からであっても理由を伴わないものではない。
親が子を想うような、責任感を伴った保護者の感情だから。
反対に、ユリカは完全にルリと同じ視線にいる。
だから、彼女の気持ちに理由はない。
ただルリと一緒にいたいから、そしてルリが自分と一緒にいることで、自分がルリといることでどのような結果を導くことができるのか、そういった計算は初めから彼女の中には存在しない。
ミナトがルリを導く者であるのに対し、ユリカはルリと共に歩む者、そう言った換言も可能だろう。
ナデシコに乗っている間も、積極的にルリに働きかけるのはミナトであり、ユリカはただルリの傍にいた。
それは艦長だからオペレータと共にいたということではなく。
アキトばかりを追っているようで、その実、最も多くのクルーと接していたのは結局ユリカであったのだから。
そのことにルリが気付いたのは、あの最後の戦いの直前だった。
「私らしく、ですか」
上から降ってきた呟きを、ルリは聞き逃さなかった。
そしてそのことをプロスペクターも知っていたのだろう。
第一層を見上げた不審げな金の瞳に笑いかけると、
「艦長の私らしく、とは何でしょうな」
ルリはそれには答えず、ただプロスを見上げていた。
カキツバタでの会話は、ログとしてオモイカネにも送られてきていた。
先ほどの作戦室での会議では口にしなかったが、アカツキにユリカがそう言っていたのはルリも知っていた。
そのことを言っているだろうことは確かだが、言葉の意味を把握しかねた。
ユリカの作戦説明では、誰もが「やれやれ」とでも言いたげな様子で溜息混じりの賛同だったし、プロスもまたそんな発言をしていたはずだ。
無言で見上げるルリにプロスは、
「まあ、今更選択肢がないのも確かですがね」
そう言い訳のように呟くと、ブリッジを出て行った。
木連軍が到着するまで、暫くの空白がある。
けれども、それぞれが決戦の準備で忙しい中、残されたブリッジには奇妙な沈黙が生まれた。
ブリーフィングルームでパイロットのフォーメーションを詰めているゴートとユリカ、自室に引き篭もったまま出てこないミナト、そして今出て行ったプロス。
残されたジュン、メグミ、ルリの3人はそれぞれ今の言葉を反芻していた。
「そう言えば」
数瞬の沈黙を破って、メグミが口を開く。
「結局、こんなふらふらした状況になっちゃったけど、誰も艦長に反対する人いなかったよね……」
遠まわしだが、彼女が言わんとしていることは2人もわかった。
もちろん、ルリは最高指揮官であるところのユリカに従うだけ、それだけの理由で反対しなかったに過ぎない。
中枢コンピューターを操り、それだけでなくある程度の意思疎通までできてしまうルリが、艦長と同じ目標を持っていないとなるとこれほど危険なことはないから。
けれどもナデシコでは彼女のような態度を採る人間の方が珍しい。
あの場にいたクルーの内、ジュンはともかく戦闘については口を出して憚らないゴートや、リョーコたちパイロットが何らの反論も出さなかったのは、何故だったのだろう。
「みんな、何だかんだ言っても艦長のこと信頼してるんだね」
かつての恋敵に対して、そう言って屈託なく笑うメグミが急に遠くなったような気がして、ルリは返事をせずにコンソールに視線を落とした。
「メグミさんはナデシコクルー全員の趣味と誕生日を言えるかい?」
と、黙って聞いていたジュンが声をかける。
「え?顔と名前は一致しますけど……」
通信士であるメグミは、ブリッジクルーの中でも多く接している方だろう。
その自負もあったかも知れない。
入れ替えになったクルーも含め、通算で300人を超えるクルーの名前と顔が一致するだけでも大したものだ。
けれど、
「ユリカは全部覚えているよ」
それは記憶力の問題ではない。
「それぞれの家族構成や経歴も知っているから、誰とでも会った時すぐに会話ができるんだよ」
「そう……だったんですか」
そしてそれを義務感で行なわない。
ただ、皆仲良くやっていきたいから、まるで子供のような、そんな無邪気な理由でそして子供のような熱心さで行なってしまうのが。
つまるところそんな人間なのだ、ミスマル・ユリカは。
「ふふ……敵うわけなかったんだ」
だから、ユリカに引き取られたことは、それはそれで幸せだったかな、とルリは思っている。
家族というよりは、兄弟姉妹。
あまりに幼い頃から、それどころか生まれた時から家族を知らず、両親の面影は映像に過ぎなかった自分に、突然家族と言われても戸惑うだけだったろう。
アキトもユリカも自分を『家族』と言ってくれるが、ルリ自身は兄と姉ができたように感じていたし、彼らの接し方もまた、そう言いながら妹に接するようなものだ。
「よし、そろそろ行こうか」
オレンジから濃紺に空が変わり、頂点に星の瞬きが見える。
冬の陽は早く、宵が迫っても時間に余裕はある。
それでもそろそろお客さんがルリのチャルメラを待って、公園にちらほらと集まっているだろう。
ここからはもう後数百メートルだ。
アキトが目線でルリに合図し、ルリは大事に抱えていたチャルメラを取り出す。
「ルリちゃんのお仕事開始、だね」
嬉しそうに自分を見つめるユリカの瞳に、気恥ずかしくなったルリがチャルメラを吹き始める。
忙しいけれど楽しい、3人の幸せな時間の始まりだった。
気づかなければ
12歳になって、初めてできた家族。
たとえそれが、『家族ごっこ』に過ぎなくても、誰がそれを笑い揶揄することができるだろう。
小さな町の、小さな部屋で紡いでいく家族の絆を。
細く、脆い糸だけれど、いつか切れないものになると信じて。
無力な、あまりにも無力な私たちがこうして日々を積み重ね、思いを手繰り寄せ、寄り添って紡いでいく家族の思いを。
こうして小さな幸せを、いつまでも守っていけるはずだった。
私が、気づかなければ。
かえりみち
「あ、ルリちゃん」
不意に名前を呼ばれたルリだが、振り返らずとも相手はわかっていた。
「テンカワさん」
足を止め、水溜まりに気を取られるアキトが近づくのをのんびりと待つ。
「はー、道、どろどろだね」
「そうですね」
大方舗装はされているが、近道になるここだけは本当は私有地らしく、土がむき出しになっている。
300メートルほどだが、途中で砂利が混じっていたりで結構歩きづらい。
「そうですね、でも、だいぶ違いますから」
「私有地を開放してくれてるわけだからね。まあ、文句も言えないよなあ」
並んで歩き始めると、アキトがさっきよりもゆっくりと、ルリの歩幅に合わせてくれているのがわかる。
夕日が彼らの影を長く伸ばし、影だけならば、寄り添って歩いているようにも見えた。
だからだろうか、ルリは動悸を感じて落ち着かなかった。
普段でも歩きづらい道で、今日は雪と水で更に悪路と化しているが、それでもルリはもっともっと長い道ならいい、そう思ってしまった。
「今日は早かったんだね」
俯きかげんで歩いていたルリは、アキトの声ではっと顔を上げる。
「あ、はい。アカツキさんがイネスさんに用事あったみたいで……」
「ふーん。あの2人だと、何だか碌でもない話のような気がするなあ」
苦笑混じりのアキトの言葉に、
「いえ、間違いないと思いますよ」
きっぱりと至極真面目な表情で答える。
「……最近、ルリちゃんもきついよね」
「そうですか?」
「そうだよ」
「じゃあ、アキトさんはまともな話になってると思いますか」
「あっ」
「え?」
不意に声をあげたアキトに、驚いたルリが足を止める。
そのルリの前に回りこんだアキトが、ぐい、と顔を近づけて、
「ルリちゃん、もう一回言ってみて」
「はい?」
怪訝そうな表情で、けれどちょっと頬を赤らめたことは、逆光で多分アキトにはわからない。
高まってくる動悸を抑えるのに苦労していたルリにアキトは、
「名前で呼んでくれたろ?今さ」
「?……あ…」
何の気なしに、とは言えない。
心の中では、よく「テンカワさん」を「アキトさん」に変えたりしていた。
夕日に顔を染め、アキトは嬉しそうに続ける。
「一度だけさ、ほら……オモイカネが暴走した時かなあ。ルリちゃんがそう呼んでくれたこと、あったろ?でもそれ以来ずぅっと『テンカワさん』だったから。
いやまあ、それがどうってわけじゃないんだけどさ、何かこう……あ、ほら、俺たちが名前で呼び合ってるし、ルリちゃんのことを名前で呼んでるのに、ルリちゃんが俺を呼ぶときだけ苗字ってのもね、その、ほら……」
自分で言い始めておいて、何故かアキトの方がそわそわと落ち着きがなくなる。
そんな様子を見ていたルリの口元に、思わず笑みが零れる。
「あっ、いやその……嫌ならいいんだけど」
「ううん、嫌じゃないですよ」
ぴょん、とアキトの横に回って。
オレンジの光が、彼らの横顔を照らす。
「帰りましょう、アキトさん」
残り半分の道は、影だけでなく。
アキトに差し出された右手に包まれながら、ルリは寄り添って歩く。
やっぱり子供扱いなんだ、そう思いながらも、けれど。
(今はこれでいい……)
アキトもユリカも。
2人のことを好きだから。
だから、今はこれで……。
それから
「申し訳ありません、完全に掴まってしまったようです」
「いえ。あなたのせいじゃありませんから。ここから歩きます」
昨晩から降り始めた雪は、未だやまない。
去年、一昨年と暖冬だった反動だろうか、そんな愚にもつかないことを考えながら車を降りる。
この雪だから道は空いているだろうと思ったのだが、案に反して交通渋滞。
向かいのビルに点滅するウィンドウ・ニュースを見ると、ちょうど『JRリニア線、運転再開の目処立たず』とあった。
それでか、と納得したところで、残り1キロを歩かなければならない事実は消えようもない。
ふぅ、と小さくため息をつくと、傘を広げて慣れない雪道に足を踏み出す。
いつも、ぽっかりと空いた胸の空洞を抱えて。
幸せは崩れやすいものだと、少しの諦めを感じながらこの2年を過ごしてきた。
それはいつものことなのだが。
雪を見ると、殊更にあの2人を思い出す。
3人で暮らした、あの家のことも。
屋台を引きながら見た夕陽。
雪。
しめつけられるような、けれど暖かい想い出。
ルリは足を止め、降り続ける雪を見上げる。
白い雪片と一緒に、あの頃の思いがルリの心に舞い落ちて来る。
『え?』
『えと、だからその……け、結婚することにしたんだ』
2人は、もういない。
あの頃の生活は戻らない。
『ルリルリ、悲しかったら泣いてもいいのよ?』
『いいえ……私が一番、笑って祝福してあげなければいけないと思います』
けれど。
こうして雪の中で、目を閉じればいつでも彼らとの日々がよみがえってくる。
だから寂しくはない。
「私にも……新しい居場所ができたんですよ、アキトさん、ユリカさん……」
くるくると風に煽られながら舞う雪の向こうで。
きっと笑って、「よかったね、ルリちゃん」そう言ってくれている2人に語りかける。
「私、忘れませんから。2人のこと、3人で過ごしたこと」
雪は降りやまない。
「ユリカさん、私がそっちに行ったら……」
街に、人に、道に、枯れ木に。
「今度は、宣戦布告、しますからね」
そして
「こんなにも私の心を溶かしたのは……ユリカさんとアキトさんなんですから」
真っ直ぐに曇天の向こうを見つめる、金の瞳に
「だから、私が行くまでにちゃんとアキトさんの心を掴んでおかなきゃ、だめですよ」
ひらひらと
映り続けていた
「あ、艦長〜、サブロウタさんが酷いんですよー」
「お帰りなさい艦長。もう慣熟航行は飽きましたよ。そろそろまともな任務ですかね?」