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累々たる屍の前に、貴明は沈黙を保ったままだった。
全てが彼の予測通り、いや計算通りだったとは言え、この惨状を前にさすがに言葉を失ってしまっていた……それ以前に、今更彼らにどんな言葉をかけられようか。このむごたらしいリビングを現出させてしまったのは、間接的ではあっても確かに彼自身なのだから。
呆然とたたずむ彼の耳に、背後のキッチンからは異様な歌が聞こえてくる。まさしくこの場に相応しいと言える内容、だがそれがやけに楽しげなリズムにのっているのは頂けない、そう思う余裕はなかった。そしてそれすらも、彼の予測範囲内のことでしかないのだ。

けれど、だからこそ彼は人形のように転がる骸たちに弔いの言葉をかけてやらねばならない。
しばしの沈黙の後、貴明の口をついて出た言葉は、心からの謝罪であった。

「ごめん、みんな……」

ToHeart2 - 朝食をご一緒に。

河野貴明と柚原このみ、この幼馴染同士がまるでギャルゲのシナリオを見ているかのような劇的なクライマックスを迎え、晴れて恋人同士になったのは一ヶ月前のこと。
校門で待っているこのみと連れ添って帰路を辿る彼の足は軽く、日々がもう薔薇色としか言えない、そしてそれは逆に同じ幼馴染であるところの向坂雄二にとってみれば「けっ、やってられねぇよ」と思わず呟いて何故か機嫌の悪い姉に頭蓋骨粉砕される、というのがこの一ヶ月の彼らの状況であった。
そして今日も、そんな放課後の風景を経ての帰り道。
「そう言えば、ちびすけもだいぶ料理がうまくなったよな」
「えへ〜、ありがと、ユウくん」
突然そんなことを言い出した雄二に、このみが嬉しそうに答える。貴明にしても雄二にしても、それぞれ春夏と環という料理上手の食事を味わっているのだから、本人たちの自覚はともかく、舌はそれなりに肥えている。その割にヤック好きなのは、若いのだから仕方ないのかも知れない。
そのうちの1人、雄二がそう言うのだから実際そうなのかも知れない、と思いつつそれでもこの一ヶ月毎日食しているものだけに、
「うーん。そう、なのかな?」
と貴明は歯切れが悪い。頭の中では、「確かに前はコーンフレークとくさやの朝食だったりしたもんなあ」とか思って納得はしているのだが、そんなことを言えばこういう処罰が待っているわけで、
「いっ!いひゃい、いひゃい!」
僅かに沈んだ表情を見せたこのみに代わって、環のおしおきが炸裂する。いつもより余計にひねりが加わっているようだ。
「確かに上手になったわ。ねぇ、タ・カ・坊?」
「う、うん」
恐怖に青ざめながら、ようやく返事をする。ここで「いやだってわからないし」とか返答しようものなら、どんなスナッフビデオだよというくらいに恐ろしい何かが待っているに違いない。それにまあ、実際今日のお弁当は確かに美味しかったのだし。
「ほんと、タカくん。えへへ〜嬉しいでありますよー」
ほわわん、と笑うこのみに、どことなく雄二は不満そうだった。
「……なんかさ、俺が気づいたことなのにこのみの満足度が違うように思うのは気のせいか?」
「気のせいじゃないわよ。当たり前じゃないの、雄二とタカ坊では扱いに違いが出るのは」
「ますます納得いかねぇなあ」
雄二は憮然とした表情のまま、視線と楽しそうに前方を歩く2人に向ける。このみが何かと話しかけ、貴明もそれに笑って答える。その様子を見ていると、「ま、いっか」という気分に……
「……やっぱ納得いかねぇ」
このみが貴明の左腕に抱きつく姿を見て、やはり憮然と吐き出した。

「それで?今日もこのみはタカ坊の家にお泊りなんでしょ。やっぱりこのみが作るのかしら」
「うん!今日は悩殺シチューを作ろうと思って」
「「「……悩殺?」」」
貴明、雄二、環の声が重なる。そりゃそうだろう、必殺だけでも妙なネーミングなのにその斜め上を行く奇妙奇天烈な名称だ。
「うん。今まではお母さんから教わった通りに作ってたんだけど、タカくんも上手になったって言ってくれたし、少しは自分なりの料理をしてみよっかな、って」
「や、だからそれ言ったの俺……」
「それはいいことね。初心者がオリジナリティを出そうとすると失敗するけれど、このみも一通りの料理を覚えたんだし、そろそろいいかも知れないわ」
相変わらず不満そうに言う雄二の言葉を、環が上から被せて封殺する。
「オリジナリティ、ねぇ」
「なんだ貴明、不満なのか」
「そういうわけじゃないんだけど。このみの料理がうまくなってきてるのは事実だし。ただ……」
「ただ、なんだよ」
「うーん、何か忘れてることがあるような、ないような」
「はっきりしないな。ま、思い出せないくらいなんだから、たいしたことじゃねぇんだろ」
「まあ、そうなのかな」
料理談義に華を咲かせる環とこのみに目をやりながら、曖昧に貴明は頷いた。

「じゃあ、タカくんは大人しく待っててね〜」
「いや、何か手伝うことはないのか?ただ待ってるだけってのも退屈だからさ」
「もぅ、いいのタカくんは待ってれば。ここは幼な妻に任せるでありますよっ」
またあのキツネっ子とタヌキっ子に変なこと吹き込まれたな、と思いつつこのところ家事の腕を上げてきたこのみに任せてソファに腰を下ろす。洗濯にしても料理にしても、ただ上手になったのでなく手際が良くなってきている。
それだけ慣れてきたってことは、家事をこのみ一人に任せっ切りにしてるってことだよなあ、と少しだけ反省もしてみる。反省してみたところで貴明自身は家事なんてできやしないのではあるけれども。
「ありがとうな、このみ」
「え?」
私服の上からエプロンをかけたこのみが、ひょい、と顔を出して尋ねる。
「いや、なんでもない」
途端に恥ずかしくなった貴明は、慌てて視線を逸らすと取り繕う。このみは一瞬聞き返したい、という表情を浮かべたがすぐに、
「ふぅん?」
「ま、いいから。それより本当に手伝うこと、ないのか?」
「もぉー、タカくん!」
「う……わかったわかった。大人しく待ってればいいんだよな」
「そうだよ。このみ必殺の、悩殺シチューはこのみが一人で作らなきゃ意味ないんだから」
ぷぅ、と頬を膨らませるこのみに、怒られてるにも関わらずその可愛らしさに思わず怯んでしまった自分は、やっぱり雄二が言う通りバカップルの片割れなんだなあ、と妙な納得をしてしまう。
このままこのみ可愛さが膨れ上がると、どうにもアレがアレなので、ここは大人しく引き下がることにし、苦笑を浮かべた貴明は再びソファに腰を下ろすとテレビのリモコンを手に取った。

「必殺に悩殺、って。増えてるぞ、このみ」
いちおうボソリと突っ込みだけは入れておいたが。

「で、だ」
「なに、タカくん」
「……これはビーフシチューなのか?」
「ううん。クリームシチューだよ。じゃなくって、このみ必殺の悩殺シチュー抹殺クリーム風」
「……また増えてるのはいいとして、どれも死につながるのはどうかと思うぞ」
「むー、ネーミングはいいから、タカくん、早く食べてみて」
あれからしばし。リビングで寛いでいた貴明にこのみが声をかけ、応じて座りながらこのみのエプロン姿もやっぱり可愛いなあと呆けたことを考えていた彼の目の前には、そんな、雄二が聞いたら張り飛ばされそうな蕩けた思考を、一瞬で引き飛ばす威力を秘めたものが鎮座ましましていた。
「えっと」
目の前には目をきらきらさせているこのみがいる。
春夏に教わりながら徐々に料理の腕をあげ、そして今ようやく自分だけのオリジナル料理を味わってもらえるという喜びと期待に満ちた眼差し。
いつもなら貴明のバカップル脳にはその瞳がとてつもなく愛らしく映り、思わず頭を撫でたり人目がなければ抱き締めちゃったりなんかしたりしてみるわけだが、今日だけは最大級に貴明の精神をきりきりと痛めつけるものでしかなかった。
とりあえず状況を整理してみる。
彼の前に置かれているもの。
まずはサラダ。
これはいい。食材を選ぶ目にも磨きが掛かっているこのみによって厳選された、新鮮極まりない緑や赤が鮮やかでうまそうだ。かかっているドレッシングもノンオイルで、こちらは環直伝の和風。非常に貴明好みの一品。
それから、バゲット。
フランスパンではでか過ぎる。彼とこのみだけでは美味しい間に食べきれない。だからいつもハーフのバゲットにしている。こちらは瑠璃がこのみに教えてくれた、商店街にある焼きたてパン屋で買ったもの。時間的に焼きたての時間ではなかったけれど、それでもうまいので問題ない。
そして。
スープ皿。
確か両親が結婚した時の引き出物の余ったもので、随分長い間河野家で愛用されているものだ。子供の頃からスープやシチューはいつもこれで食べている。ノリタケ製。
……問題はその中身。
彼女は今、クリームシチューだと言っていたし、買っていた内容からも確かにそうだと思う。

ただ、赤い
ひたすら赤い
むしろ、どす赤い

貴明の額を冷や汗が滑り落ち、突然はっと気がついた。
そう言えば以前、いやこれは後からこのみが作ったのだと知ったのだが、屋上でみんなで弁当を食べている時、やたらと辛いウィンナーがあったことを。
「あの、このみサン?」
「なに、タカくん」
「あの、な。シチューなんだが……味見はしたのか?」
「うん、したよー。なんで?」
「いやその。えっと、クリームシチューって、もっと白っぽいものだと俺の脳内のアセチルコリンが記憶しているんですが」
「えー、そっかなー。うーん、そうかも知れないけど、やっぱり初めてのこのみのオリジナルだから、タカくん好みの味付けの方がいいかなって」
それ違う。絶対違う。俺はそんな味付けが好みだなんて言った覚えない。
貴明がそう脳内で突っ込むのを待つまでもなく、明らかにそれは貴明好みではなく、このみの味付けだった。
そうだ、確かに最近このみは食事をしながら「もっと濃い方が良かった?」とか聞いてきたような気がする。でも、これは……濃いかどうかというより、もっと根源的な何かがクリームシチューじゃないよ?と突っ込みたい。
突っ込みたいが……
「あのタカくん。もしかしてこのみ、変なもの作っちゃった……?」
しょんぼりしながら顔を僅かに下に向け、寂しげな目で見上げられて平気な男がいようか、いやいない。
雄二の言によると、学校では同級生のみならず上級生にもかなりの人気があるらしい。たしかにこのみは可愛い(貴明視点)。明るくて元気なのもいい(貴明視点)。拗ねた時の可愛さはたまらない(貴明視点)。
子供っぽさがあるものの、むしろその方が、と最近ちょっと危険な方向に目覚めてしまった変態ちっくな貴明である。これで落ちない方がおかしい。

「そんなことないぞ!うん、美味そうだ、いっただっきまーす!」
そうして勇敢にして妹萌え(雄二・談)な貴明は、赤い……つまるところハバネロもかくや、と言う激・劇辛シチューに突貫するのであった。

これが愛佳だったら、一口で失神してるよなあ。
それが数時間後、目を覚ました彼の最初に思ったことだったという。

電気を消した部屋で、いつものように結局このみは貴明のベッドに潜り込む。もぞもぞと落ち着きなく体を動かしながら貴明は一生懸命劣情を押さえ込んでいた。
カライとツライは同じ漢字だし、同じ感じでもあった。うん。
「辛い……というより、痛かった」
「うう、ごめんね、タカくん。このみ、もっとタカくんの好みを研究するよ……」
「ああ、いやいや。きっと元から辛い料理だったら良かったんだ。そうに違いない」
慰めにもなってなければフォローにもなっていない。
けれども、口中が口内炎になってしまったのかと思うくらい、舌が触れただけでもヒリヒリする状態でこれだけ言ったのだからまあ頑張っているのではないか、と自分で納得しておく。
「ねぇ、タカくん」
「ん?」
「どうしてそっち向いてるの?」
「いやまあ、それは……」
と言いつつ、原因は明白。頑張って全てを胃の中に収めた後、当然のように失神してしまった貴明は、目を覚ますと同時に猛烈な渇きに苦しんだ。水をがぶ飲みしてみたものの、その程度では一向に納まる気配を見せず、かと言ってこれ以上入れると逆流してしまうというくらいに腹の中はたぷたぷだ。
そんなわけで、このみに促されて入った風呂で、浴槽いっぱいに湛えられているお湯と、篭る湯気に、せめて肌から水分を補給をとか考えていたところ、急に「これはこのみが入った後のお湯……」と思ってしまったものだから。
いやもう後戻りはできねぇだろ、と雄二には言われたが。そりゃあ初めてを含めて2回は——つまるところ、このみのお泊りの日に——むにゃむにゃイタシテしまったが、でも根本的に彼はまだウブなのであって。
瞬間湯沸かし器のごとく沸騰してしまった脳みそが、こうして風呂上りに一緒にもぐっているベッドの中でも未だ冷めていない。そういうことだ。
何がそういうことなのか、それはもうそういうことだからそういうことなのだ。

「それはそうと、明日の朝食はどうするんだ」
とりあえず強引に話題を変えてみる。
このみはちょっと怪訝そうな顔をしたが、すぐに笑顔を見せ、そして一瞬後にはそれもまた消してしまった。
「うん、あのね、シチューが2杯分くらい残ってるんだけど」
「そ、そうか。ならそれを食べちゃうか」
「でも……タカくん、大丈夫?」
「大丈夫だとも。このみが作ってくれた料理を食べないわけないだろ」
「えへ〜。タカくん、やっぱり優しいね」
「ば、ばか。いいからほれ、もう寝ろ」
「うん!おやすみ、タカくん……」
学校が終わってから買い物をし、張り切って掃除、洗濯それに料理に後片付け、ついでに貴明の介抱と、色々と疲れてしまったのだろう。このみは言いながらも睡眠に入っていく。
「……さて」
じっとその寝顔を見つめては、にやけそうになる表情を誰が見ているわけでもないのに引き締めながら、貴明は呟く。
今からシチューを薄めて、それでもこのみに気づかれない程度に辛さを抑えつつ色も変えず、なんて芸当は彼には到底できっこない。だからと言って、このみの作った手料理を、たとえどんな料理であろうとも、食べずに捨てる、などという選択肢は彼の中には端から存在しない。
となると、打てる手はひとつ。
こっそりとベッドを抜け出し、貴明は静かに階下へと向かった。

「おーす、貴明」
「おはよう、タカ坊。あら、このみは?」
翌朝。
チャイムの音で玄関を開けると、予想通りというか予定通りに現れた幼馴染2人。
動揺を気づかれないよう、貴明は前もって用意しておき、その通りに出かけてくれたこのみに内心で詫びつつ答える。というか、侘びはこの目の前の2人にいれた方がいいかも知れないけれど。
「うん、ゲンジ丸の散歩に行ってるよ。今日は夕方まで2人で出かける予定だから、その前に済ませておく、って」
「ふぅん」
「な、なに、タマ姉?」
「タカ坊も、堂々とデートできるようになったのねぇ。お姉さん嬉しいわ」
「で、デートって。ただ一緒に出かけるってだけで」
「ばっか。それがデートだろうが。まったく、お前はいつまで経っても進歩しねぇなあ。どうせならバカップルっぷりの方を退化させて欲しいもの……あ、あだだだだだだ!割れる、割れるって!お、俺の頭蓋骨があああっ!!」
ごとり。
雄二が崩れ落ちる音を効果音に、環がにやりと笑みを浮かべる。
「はっはははは、はい!デートであります!」
「……?どうしたのよ、タカ坊。顔色が悪いっていうか土気色してるわよ」
どうやら環自身には特別思うところはなかったらしい。単なる笑みを「にやり笑い」と受け止められてしまうこと自体が問題と言えば問題であるが。
「い、いえっ!問題ないのであります!」
「だから、何でこのみの口癖が移ってるのよ」

「それで、これがこのみ作のシチューね」
「いやあ、悪ぃな貴明。たまには姉貴の作った飯以外も食いたいと……うむ、このみが頑張って作ったオリジナルだ。幼馴染としては、やはり食べておかねばな」
じろり、と環に睨まれた雄二が慌てて姿勢を正す。ついでに口調も正す、というかしゃっちょこばってる。
「ほお〜ビーフシチューか。たまには肉も食いたいと思ったてたから、ちょうどばっちりだぜ、貴明」
「そっか、そりゃ良かったよ」
「朝からシチューというのはどうかと思うけど、まあたまにはいいかもね。このみが作ったものだし……って、タカ坊、どうしたの。落ち着きないわよ。いつも言ってるでしょう、ちゃんと人の目を見て話しなさいって」
「あは、あはははは。何でもないよ、さ、遠慮しないで食べてよ」
このみが出かけたのは20分前。ゲンジ丸の散歩コースは30分。諸々の準備を含めたりしても40分から45分と言ったところだ。早いところ食べてもらわないとマズイ。
「ま、いいけど。じゃ、折角だから頂きましょうか」
「だな、そんじゃ、いっただきまあーす!」

そして冒頭のシーンへ。

「いやほんっと、ごめん、タマ姉、雄二……」
このみの料理は美味い。貴明だって、他人に食べさせたくはない。それくらいの独占欲はあったりもするし。
それでも、さすがに激辛シチューはちょっと。
「さすがのタマ姉も撃沈、か……」
恐るべし、必殺の悩殺シチュー抹殺クリーム風撲殺スペシャル轢殺ブレックファースト版。更に増えてるけど。
とりあえず、しばらくはこのみのオリジナルは封印してもらおう、そう思った貴明だった。