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「貴明、お前には余裕が足りない!」
「はあ……?」
雄二の素っ頓狂な発言に慣れている貴明でも、さすがにこんなタイミングで言ってくるとは思わなかった。さっきまで寝てると思っていたのに、突然起きたかと思えばこの台詞。
あまりのことに目をぱちくりさせていると、雄二はかさにかかって言い募る。
「いいか、男は余裕と貫禄だ!幾ら市内最凶バカップルの名を欲しいままにしているお前たちと言えど、俺からすればまだまだ!余裕を見せろ、女に流されるな、こっちが流してやれ、一緒にどっか行くのではなく黙って俺について来いくらい言ってみせろ!」
「……雄二、あのな」
「聞け、貴明。嬉しいのはわかる、だが、本当にこのままでいいのか?更なる高みを目指そうと言う気概はないのか?考えろ、その足りない脳みそをフル動員して想像しろ!お前が歩くその後ろをついてくる姿を、お前が考える先に思ったことを汲み取って立ち回る姿を!これぞ男の浪漫!歩幅を揃えるのはいい、並んで歩くのもいい、だがな、男女の関わりというのは相手への思い遣りだけでいいのだろうか?否っ!!察しと思い遣りだとかの有名な赤いジャケットの一尉どのも言っているだろう。しかもそれは女の方が男を察してやらねばならないということだ!そう、リードだっお前がリードを取れっ!」
何のことを言っているのやら、だんだん怪しくなってくる。恐らくはまだ頭の中が寝ているのだろう。周囲の視線がさすがに気になってきた貴明は、そろそろ現実を教えてやることにした。
「雄二、今授業中」
「んっ?」
その言葉でようやく目覚めたのか、雄二はゆっくりと首を回す。
視界に入るのは、好奇と憐憫と侮蔑をそれぞれ大さじ一杯ずつ含んだような、微妙な顔、顔、顔。それも全員クラスメイト。
そしてその先、こちらは怒りを大さじどころか半ガロンほど詰め込んだみたいな、視線で人を殺せるのは本当なんだなあと思えるほどの、
「向坂……廊下で反省してろぉっっ!!!」

先生の目だった。

ToHeart2 - 天然バカップル

貴明は恥ずかしかった。
そりゃそうだろう、最も恥ずかしい思いをしたのは雄二かも知れないが、彼の場合は自業自得。貴明は完全にとばっちりを受けただけで、しかも自分たち——このみと自分——をネタにされたのだから、気恥ずかしさは絶好調。
一時期「幼馴染の可愛い妹とうまくやりやがった」男の敵として認識されたせいで、だいぶいじられたものだが、ようやく沈静化して安心した矢先のことだ。男子どもの憎しみは再燃するわ、女子の冷やかしは活発化するわで大変だった。
……でも一番効いたのは委員長の生ぬるい哀れみの眼差しだった。

「うーん」
「どうしたの、タカくん?」
帰り道、『校門での待ち合わせ→みんなで帰る』から『教室まで迎えに来る(「入り口での「タカく〜ん、いっしょにかえろ〜」付き)→2人で帰る』にグレードアップした雄二曰く市内最凶バカップルは、凶も、いや今日も2人で仲良く帰っていた。
校門を出たところで雄二の発言を思い出して一人唸る貴明に、このみが尋ねる。
今日は2人ともHRが早く終わったせいか、周囲にそれほど下校する生徒の姿はない。このみや貴明のクラスメイト、そのうち帰宅部の連中だけだ。もちろん、雄二は職員室に呼び出されているし、恐らく帰宅してからも彼の奇行で今後もあんな恥ずかしい思いをしたくないと堅く決意した貴明によって環にチクられ、恐ろしくて口にはできないほどの目に合わされるのだろうと予測される。
さすがにちょっとだけ雄二が哀れになった貴明だったが、すぐに教室での恥死するかと思われたことを思い出し、自業自得と割り切ることにした。
ついでに、自分自身の精神の安定のためにも。

「いや、なんでもないよ、このみ」
「そう?」
そう言うとこのみは貴明の右腕を抱え込むようにして密着する。
あっさりとさきほどまでの疑問を消し去るデリート機能はたいしたものだが、切り替えもすばやい。
「えへへ〜」
まだ慣れていないせいか、貴明はちょっと頬を赤らめてこのみから視線を外す。
「なんだ、甘えん坊だな」
「うん。タカくんにだけはいっぱい甘えたいのでありますよー」
かく言うこのみも、気づけば赤い顔をしていた。照れくささよりも貴明にくっついていたい気持ちが優先し、葛藤のすえに腕にしがみついたのだろう。きっと。
そんなところも破壊的に可愛いのだが、いかんせん貴明はまっすぐにこのみの顔を見られない。それでもこのみがふてたりしないのは、彼の耳が真っ赤になっているからだろう。
「タカくんとね、こうして歩くのが夢だったんだ〜」
「これまでだって一緒に帰ってたろ。このみがくっついてきたことだってあったじゃないか」
それもそうだ。くっつくどころか、背中から抱きついてきて、そのままこのみを背負ったまま帰ったことすらあるのだから、接触度で言えば今日の方がまだ低いと言えるかもしれない。
「そうだけど。でも、こっ……こ、恋人として腕を組んで歩きたかったんだもん」
「こっ……」
教室で雄二に「バカップル」と言われた時にはあまりにも余裕がなくて気づかなかったが、こうして直接本人の口から「恋人として」と言われるのは破壊力があった。ウブな河野貴明、1×歳。
「そ、そうだな、こ、こここ、こい、こい……恋人としてじゃなかったもんな」
鶏よろしくココココ言いながら何とか返事を返す。これじゃあ雄二の言葉に納得せざるを得ないが、このみが可愛いので良しとすることにした。当然のことながら、
「え、なぁに、タカくん」
声が小さすぎてこのみには聞こえていなかった。

「うう〜む、うむむむむ……」
家に着いて、恒例となった「このみの晩御飯」を待つ間、リビングのソファに腰掛けて未だ貴明は唸っていた。
キッチンからはだいぶ手際が良くなったこのみの料理をする音がリズミカルに聞こえてくる。いつもなら、一度帰って着替えればいいものをどこで勘違いしたのか——いや、確実に雄二かタヌキツ娘コンビに吹き込まれたのだろうが——「制服にエプロンという超幼馴染属性が萌える」というわけのわからない理由により、制服の上からエプロンをしてリスのように動き回るこのみを見ながら、ドキドキとニヤニヤの入り混じったほのぼのした気分で待っているのだが、今日はそんな気分ではなかった。
「うーん。やっぱそうなのかな」
考えているのは学校でのこと。あの程度の発言、雄二なら毎度のことではあるが、今日はなんとなく気になってしまっている。どうせ寝惚けてメイドか何かの夢を見、それを目の前にいた貴明に写してわめいただけなんだろうが、案外、彼の言ったことは貴明とこのみには当てはまっていた。
どちらかが主導権を持つわけでもなく、いやどちらかというと、このみの可愛い我侭に貴明が仕方ないなあと言いながらも付き合う、そういう関係。
メイドに尽くしてもらうことを願望としている雄二にとってみれば、そりゃ歯痒いだろう。もちろん、雄二とて彼らの関係は幼い頃から見てきているわけで、だからあの寝言に近い発言もまさしく寝言なわけだけれども。
ただ、そんな雄二の言葉が貴明を悩ませるとは、彼自身意外だった。

「タカく〜ん、お皿出してー」
「あ、おーう。えーと、お椀でいいのか?」
うんうん唸る貴明の耳に、このみのお願いが飛び込んでくる。とりあえずは棚上げにして手伝いをすることにした貴明は、鼻をひくひくさせて晩御飯の内容を確かめる。
「うん!今日はね、『侵!悶絶・肉じゃが』だよ。昨日やっとお母さんに教えてもらったんだ」
「……えーと、突っ込まなくてもいいよな、もう」
「?なにが」
「いや、なんでもない」
「そう?あのね、お母さん、肉じゃがは家庭の味を代表するものだから、他の料理がうまくなるまではダメだって、教えてくれなかったの。でも、昨日やっとOKが出たんだよ」
「ほほう、そうか。上達したもんなあ、このみは」
「えへー」
傍から見れば『にへら〜』という笑いも、貴明ビジョンだと『天使のような微笑』に見えるのだから、バカップルというのは恐ろしい。思わず貴明もデレ〜っとした笑いを浮かべてしまう。
「はっ?!いかん、そうか、雄二の言っていたのはこういうことか……」
「なあに〜、タカく〜ん」
「ああいやいや、何でもないぞ」
不意に雄二の言葉がよみがえり、はっとして冷静に今の自分たちを客観的に見てみる。
「……うん、確かにバカップルだ」
呟く。まさか自分たちがそうなるとは思わなかった。これはちょっと考えた方がいいかも知れない。バカップルによる周囲への精神汚染がいかに甚大で最悪なものであるのか、それは貴明にだってよくわかっている。街中でにやにやでへでへしているカップルを見ると、雄二ほどではないがさすがに彼もムカついたものだ。
「まあ、俺たちは公衆の面前でそこまでやらないからなあ」
と独り言を言う貴明の脳裏からは、帰宅する生徒以外の通行人もいる帰り道で、このみを腕にぶら下げて真っ赤になりながら歩いていた事実はすっぽりと消え落ちていた。

夕食後、月に一回だったはずなのに何故か常備されているお泊りセットから、着替えなどを出して浴室に行ったこのみのいないリビングで、貴明は考え込んでいる。
「確かにそうだなあ」
こうして一人になって考えてみると、ちょっと、いやかなり恥ずかしいことをしていたような気がしないでもないと認めるに吝かでないと言いばそうとも言えるかも知れないと思われる可能性が低くはない。
と、長々と言い繕ってみても今日の彼らの行動を客観的に捉えた場合の事実が消えるはずもなく。思い返すと赤面してしまう。よくもまあ、できたもんだ。
「そりゃ、雄二も呆れるよな」
彼自身にそういう意識はなかったが、言われてみれば随分とこのみに流されてるような気がする。
こうして泊まりたいと言われれば断りきれずに一緒に春夏の許可を取りに行き、腕を組みたいと言われれば赤面しながらもこのみをぶら下げ、一緒に寝たいと言われれば自室のベッドに枕を追加してしまう。
とは言え、振り返ってみればそれは随分昔からのような気がする。
このみに頼まれれば嫌とは言えない、それは子供の頃から変わらず、だとすると自分は幼い頃からこのみに教育されていたのだろうかと訳のわからないことまで考えてしまう。まあ、彼を調教するとしたらこのみではなく、春夏の方が可能性としては高いが。
いやもしかしたら、無意識のうちにこのみが、意識的に春夏が、というダブル調教かも知れない。
寒くもないのにぶるっと震えた貴明は、嫌な想像を振り払うように激しく頭を振ると、
「……目が回った」
振りすぎて回ってしまった視界を戻すべく、ゆっくりと立ち上がる。
「うん、ここは俺が主導権を握るべきだよな、やっぱり。……雄二の言った通りになるのはちょっと悔しいけど」
そう呟き、さあ主導権をとる方法を考えよう、と握りこぶしを固めたところで動きを止める。
「どうすればいいんだ?」
わからない。わかるはずもない。
物心ついた時からこっち、このみのやりたいことに付き合ってばかりで、貴明にこのみを付き合わせたという記憶がない。それはもう、きれいさっぱりない。
かといって環に対して自分が主導権をとるなど考えたこともないし、考えただけでも撲殺されそうだ。つーか、絶対に無理だ。
雄二とはそういう間柄ではないし、どちらともが何とはなしに同じ行動を取っているということが多い。
クラスでも何をしなくとも委員長である愛佳が、泣き落としやマジ泣きを絡めながらも物事を進めていくから、率先して何かをしたことがない。もちろん、るーこ係りだって自分が立候補したわけではないし。
「うわあ。俺ってもしかしたらもの凄く主体性がないんじゃ?」
がっくりと肩を落とす。ここまで自主的に何かをした記憶がないと、さすがに凹む。それだけではなくて、更に考えを進めていくと自分にはこれと言った特技もなければ趣味もない。雄二ですら緒方理奈やメイド(ロボ)に夢中になっているし、まあそれはどうかとも思うけれども、特にメイドロボが絡む時には環のアイアンクローを甘んじて受けることすら辞さないほどの積極性を見せる。
環は時代劇が好きだし、それがなくとも万能猫型決戦最終兵器という何か色んなもんがごちゃまぜになってますけどって感じの別称が似合うくらいに何でもできるから論外。
委員長たる愛佳はお菓子が好きだし、その妹の郁乃は姉苛めを生きがいにしてるし……って、どっちもそれってどうよ?
花梨はミステリ、優希はロマンチッカーで珊瑚はそもそも人工知能については世界的、瑠璃は珊瑚のストーカー。ささらはくらげでまーりゃん先輩ですら……えーと、あの人は何だ?強いて挙げれば「卑怯」だろうか。
とにかく、貴明の周囲の人間はみな何かしらの趣味やら特技やら、その人を端的に表せるほどの何かを持っていることには違いないのだ。
翻って我が身が情けなくなる。
そう、このみだって占いという、
「ん?占い?」
そこまで考えて、巡り巡っていた貴明の思考は元に戻る。そう、今は主体性のなさが問題なのではなくいかにして主導権を握り、バカップルの汚名を返上するかなのだ。たとえ問題の棚上げだと言われようとあまりにも情けない課題対策だと思われようと。
「占いか。このみは恋愛の占いが好きだったから、性格や行動に関するものがあるかどうか」
と思うが、こうして貴明と相思相愛になったのだから、もしかしたら恋愛関係から別のことに興味が移っているかも知れない。だとすると、彼女の持っている本に「自分を変える」とか「対人関係」だとか怪しげな宗教みたいだが、そういう占いもある可能性だって捨てきれない。
貴明は一条の光を見た気がして、浴室から聞こえてくる水の音に後ろ髪を引かれながら自室へ向かった。

「これは違う。お、こっちは、どれどれ。……『教えて!こっくりさん』?このみ、何てものを」
ほぼ共有状態となった自分の部屋で本棚を漁る。この数ヶ月で自分の荷物が減ったと思っていたが、単にこのみの私物が増えただけのような気もする。
「えーと、『月刊・占いの友』、そのまんまのタイトルだな。でもこれは占いの研究雑誌か。それから『週刊・今週のあなたと彼』……いやいや、なんていうかもうちょっと捻ろうよ。こっちは『季刊・あなたとわたし』、わたしって誰だよっていうか仲良く遊んじゃうのかよ」
ぶつくさ突っ込みを入れながらこのみの雑誌を探す。以前とは違い、晴れて公認のカップルとなった今、このみも貴明に隠れてこっそり2人の相性を占うということをしていないので堂々と閲覧できる。が、出てくるのは他にも
「ふうむ、『ラブアタック(ボーイズ)』、何だよ、このちっさい『ボーイズ』って。『日刊・タロットファン』、タロットだけで毎日発行すんのかよ。んで?『あなたの前世』随分とコアな雑誌だな。『The☆URANAI』……直截的すぎんだろ」
突っ込みどころ満載な雑誌は多いが、どれも貴明の求める内容とは微妙に違っている。彼の求めるのはなんというかこう、カップル同士の今後のあり方というか、そんな感じみたいな?

「……ん?」
何気なくパラパラと雑誌をめくっていた貴明の手が止まる。
そこに踊る文字は、『必見、彼と彼女のパワーバランス』。
とっても軍事とか政治っぽい大袈裟な言い方だが、これこそ当に貴明の探し求めていた内容である。とりあえず雑誌のタイトル『ああ薔薇色の卜占人生【欣駁舎発行】』には目を瞑っておく。
「なになに……」
文字を追う貴明の目は真剣そのものであった。

「はい、向坂」
『雄二っ!わかったよ』
「はぁ?貴明か、何なんだよ、藪から棒に」
『お前が今日、教室で言っていたことが俺にもわかったってことだよ。そうか、雄二はこのことが言いたかったんだな』
「教室で?俺が?……んー、ああ、あれか」
『やっぱり、か、かか、かかかかか、か、カップルってのは男がリードを取らなきゃいけないんだな』
「あーまあ、そんな感じのことは言ったけどよ。いったい何があったんだ?」
『それは明日わかるよ。とにかくありがとう、雄二。こんな大切なことに気づかせてくれて』
「……はぁ」
『じゃあ、また明日な』
一方的に喋られて、終りも一方的だったような気がするが、とにかく貴明からの不可解な電話と微妙な彼のテンションに首を傾げる。
「雄二?電話、誰からだったの」
「ああ、姉貴。貴明からだったんだけどよ、なあ〜んかやけにハイテンションだったんだよな」
「ハイテンション?タカ坊が?」
「んー、あいつらしくないっていうか」
「ふぅん。何かあったのかしらね」
「なんか、明日になったらわかるって言ってたぜ?よくわかんねぇけど」

「遅いわね」
「遅ぇな」
環と並んで待つ雄二の目線は、いつも貴明とこのみが走ってやってくる道の向こうへ向けられている。
恐らく今日もこのみが寝坊して、そのくせ貴明がこのみに引っ張られながらやってくるのだろう。いつも思うことだが、どうしても貴明の方が寝坊したように見える。貴明にとってみればいい迷惑だろう。
「まあ、どうせまたチビすけが寝坊したんだろ」
「そうねぇ……」
雄二の台詞に環が溜息をつきつつ頷く。妹みたいな存在であるこのみの寝坊癖は、いい加減治さないととは思っているのだが。
晴れてくっついてからというもの、貴明が前にも増してこのみを甘やかしていることや、あの春夏でさえ今はもう諦め半分でこのみを起こすことを放棄していることを考えると、茨の道のような気がしないでもない。
「まあいいわ。もうちょっと待ちましょう」
仕方ないわねぇといった苦笑を浮かべながら環が言ったその時、雄二の目に何かが映った。
「お、きたきた、ようや……く……」
「?雄二、どうしたのよ」
絶句した雄二を訝しげに振り返った環の目にも、遠くからもの凄い勢いで接近する物体というか砂煙が見える。相変わらずこのみの足は世界を狙える。
その砂煙の中心にある何かを彼女が認め、
「やっと来……たわ……ね……?」

「お待たせ〜、タマお姉ちゃん、ユウくん」
「おはよう」
埃が晴れ、そこから現れたのは彼らの予想通り、貴明とこのみだった。
「タマお姉ちゃん?」
「雄二?」
そう、貴明とこのみだった。
そこはいつも通りだったのだが、いつもと決定的に違うだろという点がひとつ。
「あの、タマ姉?」
「きゃうんっ」
「あ、ごめん、このみ」
ポカーンと口を開け、埴輪か土偶と化した環に声をかけようと片手を伸ばしたところでこのみの悲鳴があがる。慌てて手を引っ込めた貴明に、ようやく現実を認識した雄二が、
「あのよ……」
「ん?」
「こんなこと聞くのも何なんだが。ていうか幻覚であればそれに越したことはないというかできればそうあって欲しいと心から願って已まない俺がいるというか」
「何だよ、回りくどいな雄二」
「どうしたの、ユウくん」
せっかく雄二の言った通りにしたのに、と怪訝そうに尋ねる貴明と、無邪気に覗き込むこのみ。今日はこのみに引っ張られる形になったので、いつもほど遅くはなっていない。たまに早めに待ち合わせ場所に着いたと思ったら、2人して阿波踊りを踊る珍獣でも見たかのような間抜けた表情をされては、急いだ甲斐もない。
が、雄二と環にとってはそれどころではなかった。
「あのな、お前ら……何の真似だ、それは」
ようやくといった風に言葉を搾り出して、指差す雄二。
視線を追った貴明が答える。
「ああ、これ?だって、雄二が言ったんだろ。男がリードを取らなければならないって」
「いやいやいやいや!違うだろ、それは。意味が違うだろ!」
「このみ、その……あの、私の見間違えでなければ、それは首輪、よね」
やっと復活した環が、今度はこのみに尋ねる。
「違うよータマお姉ちゃん。これは犬用チョーカーなんだって」
「同じでしょうが」
ついでに言うと、なぜか首輪ではなく、両手を縛った縄からリードが出ており、貴明の手に握られている。
眩暈を感じる環に、もう何をどう突っ込んでいいのかわからない雄二。
「なんだよ雄二。寝ぼけてたとは言え、お前の言うことにも一理あるなと思ったから調べてみたのに」
「ちょっと待て貴明。調べた、って何をだ」
「リードの取り方」
「……おい」
眩暈どころか頭痛がしてきたわ、と環はこめかみを押さえる。今日は休んだ方がいいような気がしてきた。
向坂家の娘が病気でもないのに欠席なんて許されない、という矜持とこのみの姿を見るたびに激しくなる頭痛に葛藤する環の横で、漫才にもならないような非現実的な会話は続く。
「俺としては、このみはプチ・バセット・グリフォン・バンデーンだと思うんだよ」
「ああ、耳も垂れてるし狩猟犬だから足も速いしな、ってそうじゃねぇだろっ!」
「ユウくん、犬にも詳しいんだねー」
「だーかーらー!それはどうでもいいっ!」
「でもね、タカくんってばひどいんだよ。最初はこのみのこと、ミニチュア・ダックスフンドとか言うんだから。私そんなに足短くないもん」
「あはは、悪かったって、このみ」
「むー」
「いやだからっ!お前らもうちょっと俺の突っ込みに反応しろよ!」
「え?でもお前が」
「俺はそんなこと言ってねぇぇぇっ!」
「雑誌にも書いてあったし」
「雑誌もそんなこと……ん?雑誌?」
「タカ坊、いったい何の雑誌にそんなことが書いてあったの?」
ようやく原因になりそうなヒントが出てきた。それを逃さず環が口を挟む。冗談じゃない、自分の弟や妹みたいな存在がこんな格好のまま学校に行くなんて、とてもじゃないが許容できない。なんとか原因を抑えて対策を練らなければ。
「うん。えーと、これだけど」
リードをこのみに渡し、鞄をごそごそと漁って取り出す。どうでもいいが、自分のリードを自分で持っているこのみの姿が滑稽だった。
「どれ……『ああ薔薇色の縛専人生【緊縛舎発行』」
「……なんでこんな雑誌持ってるのよ」

「まったく……どうすれば見間違えられるのよ」
「まあ、ちびすけは天然だしなあ」
ぐったりとしながら通学路を歩く向坂姉弟。前方には首輪もリードも手首の縄も外して、いつも通りになったこのみと、環の攻撃を喰らってげんなり気味の貴明が歩いている。
やっと普段の通学風景が戻ってきたのはいいが、そこに至るまでの過程で、2人とも今日の分の精神力をすべて使い果たした感じだった。
本来なら雄二にした使わないアイアンクローを、貴明にまで使ったことが、環の怒りの大きさを表しているというか、そこに自分のものにならなかった貴明への苛立ちが3デシリットルほど入っているというか。
とにかく、日常が戻ってきたのは喜ばしいことではあった。
「なんかもう、アレね。バカップルというよりは……」
ふ、と目をあげると、数歩先ではこのみが貴明に抱きついたところだった。
脱力した環の声に、同じように先を行く2人を見ていた雄二が、手元にある「処理しなさい」と命令されて持たされた縄やら首輪やらに視線を落として、これまた脱力しながら続けた。

「単純に、バカなカップルだな」

……最低だ。最低だよ、このSS。でも他にアップするものもないし……orz