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河野貴明と柚原このみは校内一の、いやもしかしたら町内一のバカップルである。

「ねーねー、タカくん、夏休み面白かったね」
「ん? ああ、そうだなあ。今年は色々遊んだからな。海に山に……あー、町内の掃除とかもあったけどさ……」
「うん! 特に花火が面白かったよ。去年は受験だからって、やらなかったもんね」
「あれか、うちとこのみの家で毎年やってるやつか。はは、去年はプラスでこのみが風邪ひいてたもんな。まあだけど、うちの両親もすぐに戻らなきゃだったし、今年も結局は慌しかったよなあ」
「う。なんかわたし、毎年夏休みに風邪ひいてる気がするよ……。でもでも、今年はタマお姉ちゃんとユウくんも一緒だったし。タカくんと、その、ふ、2人っきりでいるのもいいけど、ああいうのはみんなでの方が楽しいよね」
「あ、ああ、まあ、そうな」
「でも、やっぱり2人っきりで遊んだりも……したいよ、タカくん」
「そそそ、そうだな、じゃ、じゃあ来週の日曜はどっかに行くか、2人で」
「ほんと? やたー、タカくんとお出かけー」

河野貴明と柚原このみは校内一の、いやもしかしたら町内一のバカップルである。
そんな、級友たちや彼女の親たる春夏ですら、何を今更と呆れられそうな事実をことさら記すに値するかどうかは甚だ微妙ではあるのだが、若者たちの将来への警告として彼らの日常のひとコマ——そう、呆れたことに、こんなことは彼らにとって日常の「ひとコマ」でしかないのである——を書き残すことも決して無駄ではないだろうと思う。

と、言ったところでばかげた内容でしかないことに変わりはないのだけれども。

ToHeart2 - わけてあげる

「いぃくーにつくろぅジーンギースカーン」

定期テストという特定の学生にとってはありがたくも何ともない恐怖が近づいた、とある日の登校風景。 いつものようにバカップルは仲良く手をつなぎながら、「けっ! やってらんねぇよ」とか「河野ぶっころす」とか「幼馴染の天然ツインテールかよちくしょう」とか「誠氏ね」とか、中にはよくわからないものもあるが色々な……そう、やっかみとか嫉妬とかそんな感じの色々な何かを受けながら貴明とこのみはいつもの待ち合わせ場所へ向かっていた。

「泣くーよ坊さんジーンギースカーン」
「あのな、このみ」
「なぁに、タカくん」
「うっ」
聞きなれてはいるものの、いや聞きなれるってのもどうだろうとさすがに幼馴染兼妹兼恋人のおつむが心配になってきた貴明が苦言を呈しようとするが、下から見上げてくる瞳にくらっときてしまう。
この辺がバカップルと言われるゆえんなんだろうな、とわかってはいるものの、このみの見上げ攻撃に勝てるやつがいたら見てみたい、ていうかそんな攻撃を自分以外の誰かが受けようものならそいつを*す。絶対*す。
と、こいつもバカだなと思えることを思いながら、さすがに慣れてきたようで何とか言葉を返す。
「いやその歌な、受験に役立ったのか、実際?」
不思議には思っていたのだ。
彼らの通う学校は、環のいた九条院は論外として、このみの親友たるめがねっ狐(誤字にあらず)や、なにかが販促、いや反則的に男のアレを刺激する狸の通う西音寺ほどではないにしても、決してレベルが低いわけではない。
社会の入試で「794年=ジンギスカン」と回答して受かるようなレベルでは、さすがにない。貴明や雄二だって、入試前はそれなりに勉強したのだから。
それなのに、このみは確か受験前にもこんな歌を歌っていたような気がする。受験が終わったからもうどうでもよくなって替え歌にした、というわけではないのだ。
「んー? 役に立ったと思うよ。だって、わたし社会って苦手だし」
「社会だけじゃないだろ。ていうか、それなら1192年に何があったか、今でも答えられるよな」
「もちろんだよ」
即答するこのみ。
いやいや、絶対に答えられないだろ、と思いつつ回答を待つ。

「ジンギスカンだよ」
「……意味わからん」
はぁっと大きく溜息をついて、
「なら794年には何があった?」
「えっとねぇ……ジンギスカン」
くらっときた。
上目遣いとは別の意味で。
それでも何とか気を取り直す。これくらいでへこたれていては、このみの彼氏は務まらないのだ。
「じゃあ、794年にあったところのジンギスカンって、何なんだ」
そう、こう聞けばいいんだ。
これなら答えられないだろうし、そうだとしたら自分の回答がおかしいことに気がつくだろう。
そう思っていたのだが、貴明ですらこのみを侮っていたようだった。

「えっとね、ジンギスがカンしたんだよ、794年に。ほら、んーと、牌が4つ揃ったとか」
頭痛がした。
いやもう何が何だか。ていうか、簡単にとはいえ、しかも雄二と由真に流されてしまっただけだが、麻雀なんて教えなければよかった。
でも待て。
ここで投げてしまうのは今までの自分だ。もうちょっと頑張ってみよう。
そう考えた貴明はしばしうーんと考えて、
「これはどうだ。じゃあ、ジンギスカンってどんな人だ。いつごろ、何をやった人なのかわかるか」
このみはきょとん、とした目でしばらく貴明を見つめていたが、その目が大きく見開かれた。

「ええっ?! ジンギスカンって、人だったの?」
グラリ、ときた。
そうか、よく考えれば「ジンギスがカンしたんだ」とか平気で答えるくらいだから、恐らくこのみはジンギスって人なんだとか思っていたんだろう。いやいやいや、アレ、本気で答えてたのかよ。
眩暈がしそうな視界を堪えてこのみを見つめる。

ダメだ。

これはさすがに何とかしなければ。それ以前に、こんな状態でこのみはどうやって一学期の考査を乗り切ったんだ?
疑問符と冷や汗を浮かべつつ、こりゃ今週末はデートとかじゃなくて勉強だなあ、と二学期の中間考査が近づいた事を示す葉の色を見ながら、貴明は溜息をついた。

「では、二学期の中間に向けて、勉強を始めたいと思います」
「わぁい」
両手を広げて「るー」のポーズをするこのみ。お願いしまするーこさん、このみに変なこと教えないでください。普通のバンザイのはずなんですけど、どうしてだか不思議に微妙です、このポーズ。
と、貴明が思ったかどうかは別として、とりあえずこのみにとっては勉強するか遊ぶか、というより貴明と同じ時間を過ごせるかどうかの方が重要らしい。
もちろん貴明とて同じなのだが、ちょっと前、夏前までの「幼馴染兼兄妹みたいな」関係だった頃にはなかった気持ちだ。お互いの気持ちがはっきりして、紆余曲折の末に一歩の勇気を出して進めた関係になった今、こんな風に同じ気持ちでいられることは純粋に嬉しい。
なんだかほんわかした気分でこのみを見ていた貴明は、どうやら視線が真っ直ぐすぎたみたいだった。
彼の視線を受けて恥ずかしそうに俯いたこのみが、もじもじと両手の指を組みかえる。
その仕草に気づいた貴明もまた、慌てて照れ隠しで取り繕った。
「じゃ、じゃあ、やるか」
「う、うん。そうだね、がんばろ、タカくん」

バカップルの名を恣にするわりには、相変わらず初々しい二人だった。

「んーぅ、タカくーん、飽きたよう」
「はやっ! 早すぎだろ、このみ。まだ始めてから30分も経ってないじゃないか」
さすがに呆れて顔を上げた貴明は、ぐでーんとテーブルに突っ伏しているこのみを一瞥すると、やや冷たい声をかける。
「あんまり進んでないじゃないか。それほど範囲も広くないんだから頑張れって」

貴明は理数系が弱い。これはもういい。3年になれば数学とは完全におさらばできるし、2年の間だって最低限赤点を取らない程度には何とかなっているのだから。そもそも、現時点で推薦なんて諦めきっているため、内申はどうでもいいということもある。
が、このみはまだ1年生だ。文理を決める必要もなければ、一学期の成績がいくら悪くても推薦を諦める必要はない。文系科目、特に古典と歴史系が弱いことはわかっているが、それとて……まあ、1科目が赤点だった程度だ。
これなら充分に挽回可能だし、他の教科は平均より上どころか満点すらあるのだから、後々のことを考えればここで頑張ってマイナスを埋めておき、推薦で上の大学を狙える位置につけておくべきだ。
環が見れば、去年の今頃の貴明にそのまま同じことを言いそうだが、まあこういったことは後になって後悔するもの。先にしたら後悔とは言えないが。
貴明自身はもうどうにもならないから、せめてこのみは手当てできる今の段階で何とかしておきたい。

「ほらこのみ。書くのに飽きたんだったら別の教科やればいいだろ」
あそぼ、あそぼ、と目で訴えかけるこのみから意識して目を逸らす。
——なんつー危ない攻撃だ。
ともすればその強力な誘惑に抗い難くなる心を、貴明的には驚異的な忍耐力で押さえ切り、何とか勉強そのものを続けさせようとする。
「んー」
もっそりと起き上がるこのみに、
「数学とかならいいんじゃないか。好きだろ」
「そうだけど、でも一学期は中学の復習みたいな感じだったし、二学期に入ってからもそれほど難しくはないよ」
「ふぅん? ま、どっちにしても1年の数学くらいだったら俺でもわかるし。何でも聞いていいぞ」
「ほんと?」
「うんうん」
貴明の一言でやる気になったのだろう。わからないことがあろうとなかろうと、とにかく同じ教科書やノートを覗き込める、というだけで俄然張り切りだすこのみ。
そんな少女の姿を横目で見ながら、この程度でこのみのやる気が出るのなら安いもんだ。貴明はそう思った自分を、次の瞬間には呪うこととなった。

「じゃあ、これ」
「うん? どれどれ……『正八面体のひとつの面を下にして台においた場合の、真上から見た平面図を描け』……え?」
正八面体? ってどんなのだ。えーと、8つ面があって。いやいや、8つの面って……あれ?
貴明は忘れていた。彼の理数系の成績が散々だったということを。さっき確認したばかりなのに忘れているってどんな鳥頭だよ、と自分に突っ込みを入れつつ、それでもここでまるで答えられないようでは彼氏の股間、もとい沽券に関わる。
うんうん唸りながらとりあえず正八面体を思い浮かべる。
が、言葉だけで言われても想像できるようなものでもなかった。8つの面がある立方体、ということでまずは4つの面がある正方体に2つずつ面を加えて考えてみる。
「……あ、あれ?」
4つに2つ加えて六面体だよな? でも、どことどこに面を加えればいいんだ?
と、益々困惑を極める貴明。
ここに面を入れてみて、こっちの面をこうずらせば入るから……うわ、なんだこの形。ていうか両脇が開いてるし。あ、いやそうか、ここに面を入れればとりあえず七面体に……って、すかすかじゃねぇかよ。
がちゃがちゃと脳内立方体を弄ってみるが、一向に正八面体とやらに辿りつかない。上から見た平面図どころか、前提となるかたちがわからないのではお話にならない。
焦れば焦るほど訳のわからないかたちが貴明の脳内に出来上がっていく。

なぜかイカみたいになった『正八面体』が浮かんだところで、ふ、と視線をこのみに投げる。スマン、降参だと開きかけた口からは別の言葉が出た。

「このみ、なに笑って……あ、お前、解けてるんだろっ」
そう、このみは苦闘する貴明をにこにこと楽しそうに眺めていた。もちろん、このみに『1年生の数学が解けない貴明をバカにする』なんて意図はない。ただ貴明と同じ問題を解いているという事実が嬉しかっただけだ。
それはわかってはいるのだけれども、何となくむっときてしまう。
「んー。うん、解けるけど、でもタカくんが聞いてもいいって言ったし」
「うっ」
ちくしょう、わからないところは、って限定しとけばよかった、と悔んでも後の祭り。アフターザカーニバル。ちなみにカーニバルはゲルマンの古い祭りから謝肉祭に転化したもので、フェスティバルは宗教色の強い祭。どうでもいいことだけど。
なんにしても、貴明がうんうん唸って降参するこの問題を、このみはわかっていたのだという事実の方が当面の問題だった。というか、ちょっと驚きだ。

「まあいい。んで? 答えは何なんだ」
にこにこしてるこのみを見て、がっくりと力が抜ける。悪意がないことくらいはわかってる。
それならまあ、今は解けなかった問題の答えが知りたい。
「えーとね。これが正八面体でしょ」
すらすらと図を描いてみせる。
「ふむふむ、なるほど正方形の辺ひとつに対して上下に面を作れば4つずつで、8つの面と。それらを上でくっつけるためには上4つの面をそれぞれ三角形にすればいいのか。で、下も同じようにすればぴったり閉じて正八面体ってことだな」
独り言のようにぶつぶつ呟く貴明を横目に、このみはそのまま少しずつ動かしてひとつの面を底辺とする図形を描いていく。
それらを描き終えると、最後に描いた図を、今度は視線をずらしていくようにまた幾つかの図を描き、
「ほらね。六角形のできあがり」
「なぬっ?! ……うおっ、ほんとだ」
「タカくん、四角から考えたでしょ。それじゃ難しくなっちゃうだけだよ」
「ううむ。そうか、そういうことか。なんだよこのみ、凄いじゃないか」
「えへ〜。数学は好きなんだー」
問題は解決したが、崩壊したプライドの問題は解決していない。何となくもやもやしたまま、ちょっとだけ乱暴に頭を撫でてやると、にへらーとこのみの顔が緩む。
その表情を見てちくりと罪悪感。
「な、なら、こっちの問題はどうなんだ。数学好きなら、こういう計算式は問題ないだろ」
罪悪感を払拭するためか、単なる照れ隠しなのか。目に付いただけの問題を指差すが、
「んーと、x2-4x+1=0だから、x=2+-√3、かなあ」
「ぐっ」
正解だった。しかもなんかめっちゃ早かった。
「このみ、お前これ一度やったことあったんだろう」
「ううん。初めてだよ。だってそれ、今回のテスト範囲じゃないし」
確かにそうだ。
ということは何か。と貴明は頭を抱えそうになった。
「このみ、本当に数学得意だったんだな」
「タカくんは苦手だよね」
「むっ」
いかん、これはいかん。年下の(と言っても1歳しか違わないけど)、ずっと自分の方ができると思っていた幼馴染(今は恋人だけど)に、何だかバカにされてる気がする。
「じゃあこっちだ! x2-x-3=0の解の一つをpとすると、p2-p+2の値は」
「5」
「ぐぐぐ……それじゃあ——」
もはや引っ込みがつかなくなったというか、完全に目的を見失った貴明は暴走する。
犬のように、ご主人様が楽しそう(?)なのを見て喜ぶこのみは、喜々としてしっぽを振りながら答える。
——それが更に事態を悪化させていることは、もはやこの2人にとってどうでもいいことだった。

「ふぅん。それで、タカ坊は降参したってわけね」
「面目次第もございません……」
翌朝、いつもの4人で通学路を歩きながら苦笑を噛みつつ言う環に、貴明はがっくりとうなだれつつ答えた。
このみは「何でタカくん、がっかりしてるのかな。昨日は一緒にいられて楽しかったのに」と無邪気かつ元気にぶんぶん尻尾を振ってるし、雄二は雄二で「チビ助にやり込められてやんの。ザマアミロ」と言いたげにニヤニヤしている。
あ、なんかちょっとムカついた。

「まあ仕方ないかも知れないわね。タカ坊は理系向きだもの」
「理系向き? ねぇねぇタマお姉ちゃん、文系向きとかもあるの?」
「チビ助、お前入学の時のオリエンテーション何も聞いてなかったのか。言ってたろ、うちの学校は3年になったら理系と文系に分かれるんだよ。要するに数学できれば理系、できなきゃ文系だろ」
「そんな単純な話じゃないわよ」
きょとんとするこのみに説明する雄二を、あっさりと環が切り捨てる。
横で聞いていた貴明は、どっかで聞いたことあるなあ、という程度でぼんやり聞き流している。
「なんだ、違うのかよ姉貴」
「当たり前じゃないの。私がどっちにいるか、忘れたわけじゃないでしょ」
「そういやタマ姉は理系クラスだったね。……あれ?」
気づいた貴明の視界が、不意に暗くなる。
「うーん、さっすがタカ坊ね。大好きなタマお姉ちゃんのことはちゃんと知ってるってことかしら」
「うわっ! た、タマ姉、ちょっと待った待った。通学路だからー!」
「あー! タマお姉ちゃん、ずるいでありますよ。タカくん、このみもこのみもー!」
「何がこのみも、なんだよっ」
爽やかな朝の通学路は一気に桃色空間へと変貌を遂げた。
要するに、これが姉貴やチビ助じゃなかったら呪い殺してるところだぜ、と雄二が思うほどにいや〜んな空間と化していた。

「ま、タカ坊を堪能するのはこれくらいにしておいて、と」
「このみもタカくんパワーを充填したでありますよー」
満足そうな表情で離れる2人、対照的に貴明はぐったり。
「んにしてもよぉ、姉貴」
「何かしら、雄二」
んー、と考え込んでいた雄二が声をかける。
「貴明が理系向きとか言ってなかったか? 逆じゃねぇの、こいつ、数学ヒドイぜ?」
それもそうだ、と貴明は心中で頷いた。頷いただけでなく、
「雄二に言われるとムカつくけど、認めざるを得ないな」
言を揃える2人に対し、環は呆れたように、
「何を言ってるのよ、2人とも。私が言ってる理系とか文系っていうのは、数学ができるできないって意味じゃないわよ」

そもそも、学校で習う文系科目など、文系科目というレベルではない。現代文にしても、解答が決まっている以上は理系科目と何ら変わらないではないか。つまるところ、基礎をきちんとやるかどうか、そしてその努力を継続して応用・発展させるところまで頑張れるかだけの問題であって、その努力をした人間が理系のクラスに入り、国公立大学もしくは私立理系学部へ進むのだ。高校レベルまでならば記号を使わずに、文章の中から様々な方法論で以って解答へ至るプロセスを辿り、ひとつの回答を導かねばならない現代文の方が、むしろ数学よりもよほど論理的な科目と言える。ということは、国語の方が数学よりも理系的なのかも知れない。

そんなことをつらつらと述べる環に、このみが不思議そうな声をあげる。
「じゃあ、理系とか文系って何なの、タマお姉ちゃん?」
「あなたたちにもわかりやすいようにと思って、理系・文系と言ったのだけれど、きちんと言い換えた方がいいみたいね。論理的思考と叙述的思考ということよ」
「なら貴明が論理的だってか」
このヘタレが? と余計な口を足しながらこちらを見る雄二に「お前だって同じようなレベルだろ」と返しておく。実際、定期テストの点数だけならどっこいどっこいだ。
「あら、意外かしら。ならもうちょっと正確に言い換えましょうか。整然とした流れで結果に至ることを気にするか、流れを流れとして気にするかで考えてみたらどうかしら」
「言ってることは判りやすくなったけど……だからと言って俺が理系だってのは納得できないかな。タマ姉のその分け方で行くと、結果に至るまでに整然とした流れがなきゃいけないって考えるタイプだってことだろ」
「理系ってのはもう頭から外したら? その辺の堅さがタカ坊の論理的思考よね」
「うぐぅ」
「あー、なんかわかったような気がするよ」
なんか最近、タマ姉がキツイ気がする。どことなく八つ当たりっぽいこともあったりしたし。
そう気づくもののその原因にはまるで思い至らない貴明だったが、そんな彼の隣でこのみが声をあげた。

「タカくんとビデオとか見る時、よくぶつぶつ言ってるよね。あれ、何言ってるんだろうって前から不思議だったんだけど、このあいだようやくわかったよ。話の流れを整理してたんだよね」
「えっ。俺、そんなことしてる?」
「あー、あるある。あるぞ貴明。お前と映画行きたくないのはそれなんだよな」
驚く貴明に、このみに同調する雄二。
「いつだったか、3人でちょい推理入ったの借りたことあったろ。その時なんか、いい場面だっつーのに伏線になってた場面のことを呟きやがってよ。ありゃかなり興ざめだぜ」
「そうだよ。わたしはそのまま見ていたいのに、複雑な話とかだと巻き戻したりしちゃうんだもん」
ここぞとばかりに非難轟々。さすがにたじろぐ。
うわ、確かに事象だけ聞いてればそりゃ一緒に見たくないや。と自分でもそう思った。
「とまあ、そんな風に、映画ひとつとっても雄二やこのみ、タカ坊との差が出てくるわけ」
強引に環がまとめにかかる。
「このみは話の構成や演出などを気にするのではなくて、純粋に話そのものを楽しんでいるわけよね。それに対してタカ坊はストーリーそのものよりも、それらを構成する要素やレトリックの方が気になってしまう」
「なるほどな。んで、それがチビ助の数学得意ってのと、どう繋がるんだよ」
「全体の流れの中で、何かに気づくのが得意なのよ。例えば映画を見ていても、このみは全く伏線を気にしていないように見えて、その実頭の片隅に残っていた伏線を自然に話の流れの中に溶け込ませて見ているんだと思うわ」
そうでしょ、といわんばかりにこのみに目をやる。
うんうん、と頷くこのみを見ながら何か納得いかなかった貴明は抗議した。
「嘘つけ、このみ。ほんとにそうなのかよ」
「ひどいよタカくん。覚えようとして覚えているわけじゃないけど、話を見ながらその前のこともちゃんと思い出せてるもん」
「確かにそうかも知れないな。全部見終わってから、チビ助が『まさかあんなことがきっかけになっていたなんて、思わなかったよ〜』なんて言うこと、結構あるもんな。貴明はそういうの、さっぱり忘れてることが多いけどよ」
「うぐ」
いちいち雄二の突っ込みがむかつくが、またもや何も言い返せない。心当たりが多すぎる。
「つまりタカ坊は覚えていないことは覚えていない、だからあるひとつの項目を忘れているとその先の応用ができない。このみの方は、ちゃんと覚えていることは少ないけれど、あるひとつの事柄がその先の何に繋がっているかを感覚的に理解できてしまうのよ」
「なんか、俺がもの凄いバカみたいに聞こえるんだけど……」
「安心なさいタカ坊。雄二はもっとバカなんだから」
「ぐはぁっ!」
傷つく雄二に、「あなたはこのみと同じなんだから、覚えようという努力よりはとにかく勉強の時間を取ることをしなさい」と慰めなんだかわからない言葉をかけ、そのままにやり、と笑うと、
「まあ、タカ坊もこのみの思考を少し分けてもらってもいいかも知れないわね。あなたたち2人を足して2で割れば、ちょうどいいかも知れないわよ」
「そりゃそうかも知れないけどさ」
そんなことできるんだったら苦労しないって、と口の中で呟く。
「だな、いくら来年は文系を取るっつっても、チビ助に数学の答えを聞くのは情けねぇよなあ」
「うるさいな。雄二だって人のこと言えないだろ」
「はっはー、甘いな貴明!」
ずびし、と指差して。
……もちろん、行儀悪いわよ、とタマ姉にはたかれたが。
「てて……、ま、まあとにかくだ、俺はお前とは違うのだよ」
「何がどう違うってんだ。理系が全滅なだけお前の方が下だってんなら納得だけど」
「ば、ばかやろう! そんなことじゃねぇよ」
「あら、じゃあどう甘いって言うのかしら」
「ふっふ〜ん。俺はな、全教科できねぇんだよ!」
ま、それは言いすぎだが。雄二にだって得意科目はある。
保健とか体育とか保健とか保健とか体育とか。あとなぜか生物。特にある特定の分野になるともの凄い点数を取ってくる。それがどこか、は言えないが。
何しろ、そんな情けないことを威張って言っても、
「あだ! あだだだだだだだだだ! 割れる、割れるぅー!」
と、こうなるのは自明の理で。
校門が近くなり、登校する生徒たちと同様、折檻される雄二に苦笑する貴明だったが、ふ、と静かすぎる隣に気がついた。

「このみ?」
声をかけてもこのみは黙ったまま、何かを考えている。
いや、考えてるというより、人差し指を唇の下にあて、眉をひそめて何かを思い出そうとしている様子だった。
「このみ、どうしたんだ」
「え、あ、タカくん」
「なんだよ、何か考え事か」
「うーん」
うんうん唸るこのみが気にはなったが、登校時間の方もそろそろ気になる。雄二を折檻し終えた環も貴明の傍に来ると、
「さて、急ぎましょうか。向坂家の人間が遅刻なんて許されないのだから」
「や、俺達は別に向坂家の人間じゃ。ていうか、雄二はいいわけ?」
貴明の返答と疑問はスルーして、周囲を見渡す。
「急ぎ足の生徒も増えてきてるし。あら、もうこんな時間じゃない」
釣られて貴明も腕時計を見る。なるほど、早足で行くほどではないが、のんびりしている時間でもない。遅刻しても内申に数字が反映されるだけに過ぎないが、だからと言ってしていいものでもないだろう。
そう思ってこのみに向き直ると、
「ほら、このみ、行っ……」
くぞ、という言葉は言えなかった。
しかも、「行く」というアクセントではなく、「痛い」に近いアクセントになってしまった。

なぜと言うに。
「このみ? な、何してるの、こんな往来でっ」
珍しく環がどもる。貴明本人は環の言う通り、生徒の通行が増えている通学路でこんなことをされている事実に驚いて言葉も出なかった。
ぐいっ、と首に腕を回されて腰を無理矢理低くさせられ、そのままこのみが額をくっつけてくる。
見方によっては、キスしていると思われても仕方ない状況だった。
「こっ、ここ、このみっ?」
裏返った声に、ようやくこのみが額を離してえへ〜と笑う。
周囲の生徒も笑っている。
もちろんそれは、このみと同じようなそれでなく、何と言うか、ニヤソとかにやにやとか、そんな感じの笑いだった。
きっとお日様も笑ってる。嫌な方向に。るーるるるるーるー。
ああ、何かクラスメイトが挨拶もせずにひそひそ会話しながら通りすぎてくよ。ちょっと切ないよ。今日一日、無事に乗り切れるかな、俺。
と、そんな混乱する貴明に、このみは満面の笑顔で言い切った。

「タカくん、数学できるようになった?」
「は?」
期せずして環と声が重なる。
「だから、数学できるようになった?」
同じ質問を繰り返す。何を言ってるんだ、この子犬は。
「だって。タマお姉ちゃんが分けたらって言うから。風邪ひいた時、よくこうしておでこをくっつけて熱を吸い取ってくれたでしょ」
ああ、そのことか。うん、確かに今年の夏も熱出したこのみのおでこに……
「って、違っ! それ違うから。あれは熱をはか……うっ」
しっぽをぱたぱた振りつつ、ねぇどうだったどうだった、と目を輝かせるこのみに、これ以上貴明が抗弁できたろうか、いやできない。反語。
「あ、ああ……うん、できるようになったよ、うんうん」
バカであった。
が、今は登校中であって。
更に言えばそろそろのんびりできないな、な時間だったのであって。
当たり前だがそんなことをしているバカあきの周囲には既に生徒はおらず。
もちろん、いつの間にか復活した雄二と環の姿は、坂の上に霞みかけていた。
「って、うわ、ヤバイ、急ぐぞこのみ!」
我に返った貴明は、慌ててこのみに声をかけた。
「えへー、了解でありますよ。よーい……どんっ!」
「速っ! 相変わらず速っ! ていうか俺置いてけぼりっ?!」

繰り返し言おう。
河野貴明と柚原このみは校内一の、いやもしかしたら町内一のバカップルである。

「うおー! ま、待て、その正門、待ってくれ!」

そんな、級友たちや彼女の親たる春夏ですら、何を今更と呆れられそうな事実をことさら記すに値するかどうかは甚だ微妙ではあるのだが、若者たちの将来への警告として彼らの日常のひとコマ——そう、呆れたことに、こんなことは彼らにとって「日常の」ひとコマでしかないのである。

「ぐあっ……ち、遅刻ですか」
「残念でしたね。じゃあこれ、クラス担任に提出してください」

そんなわけだから、遅刻・早退が3回で一日の欠席扱いになる彼の出席日数が、2年次にして早くも危険な状態であることは言うまでもないのだ。

「とほほ。何で雄二が間に合って俺が間に合わないんだ」

だから、親友たるこの俺は、正門を挟んでまるでこちらが檻の外にいるかのような錯覚を起こしそうになるくらいうな垂れた彼に、嫉妬とか羨望とかそんな感じの何かを込めつつもこう言ってやるだけだ。
「——出席日数は分けてやらんからな」