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最初から賛成していたわけではないのだ。
特異点がどのように見られるのかは彼自信が身を以って体験していることであるし、それほど幼い子どもだけだと思っていたわけでもないけれどやはり躊躇してしまう。
「でも結果オーライ、じゃないかしら」
「まあね」
イネスの言葉に軽く返事をして秋空を見上げる。
夏よりも低くなったように感じるのは光が柔らかいからだろうか、それとも穏やかな大気のせいか。赤と黄色で全体的に茶色く感じる紅葉が視界の周囲を埋め尽くし、中心にぽっかりと空が切り取られている。
「珍し気に見られたことはあっても、苛められるようなことは結局なかったみたいだな」
「どっちが大人なのかしらね」
「どっちも、だろ」
明人が思うよりラピスは大人だったようだ。イネスが知っているかどうかわからないが……いや、恐らく久美から聞いてはいるのだろうが、最初のうちはもの珍し気な視線に晒されていたこともあったらしい。
けれどそれは長く続くものでなく、またそのことが有り勝ちな異質なものを排除という行動には至らなかったようだ。溶け込んでいったラピスが大人なのか、それとも周囲の子どもたちが明人が考える高等科生徒よりもずっと大人なのか。
高等学校へ進むルリについては本人の自我の強さと高等学校進学には様々な道徳面での審査があることからもさほど心配しなかったけれど、自分の進路を決められる年齢であるとは言え14歳と16歳の差は大きい。
それでも明人やイネスの懸念を他所にラピスは以前にも増して明るくなっていったし、学校も楽しそうだ。
「何にしろ、よかったよ」
「そうね。私たちが心配する必要なんてなかったのかも知れないわね。あの子はもう、私たちの道具ではないのだから……」
「イネスさん……ラピスを道具にしていたのは俺だから」
「いえ、いいの。ごめんなさい」
明人だけでもイネスだけでもない。
赤月だってエリナだって、ラピスのためを思った行動を採ってきたとは決して言えない。
だが、それに対して後ろめたいとは思わないようにしてきたし、もちろんそれをラピスに見せることもしない。
反省なら山ほどした。
後は行動で表せばいい。口に出して謝罪したりする必要はない。
そのことを他でもない、ラピスが望んでいないのだから。

落葉、神無月。

小石川植物園は人の手が加えられていないことが最大の魅力だ、そう明人は思う。
もちろん植物『園』であるし都会の中心で手付かずの自然などがそうそう存在するわけではない、それに園内の植物にはガイドウィンドウができるだけ自然に溶け込むような感じではあっても備えられている。手をかざせば半透明のウィンドウが植物の案内を表示してくれるわけで、そういう意味では人の手が介在していないわけではない。
ただ、他の植物園や庭園などに比べても雑然とした感じというか……そういう所が気に入っていた。
ふ、と立ち止まって手をかざす。
軽い電子音の後、明人とイネスのそれぞれの視線の高さに表示されたウィンドウには、『ロウヤガキ (カキノキ科) Diospyros rhomnifolia Hemsl; Ebenaceae・・・中国中部原産の落葉小高木。果実はやや小さく先が尖っており花期は春』というテキストが葉や花の画像とともに表示される。
「何かあるの?」
植物園に入ってから初めての明人の行動に、イネスが疑問を投げかける。
けれど明人はそれには答えず視線の行く先もウィンドウの向こうにあった。
「自然のままにあるのが一番なんだな、きっと」
言葉は足りないけれどイネスには通じたようだ、軽く頷くと、
「恣意的に何かを働きかけてもいい結果はなかなかでるものではないわ。それが特に人と人との関係であるのならば、尚更。1人の人間として意思もあれば感情もあるのだから、私たちが余計な口出しをするべきではない。ただ、救いを求められた時にアドバイスをしてあげられるくらいね」
オレンジに色づいた小さな実が沢山生っている。明人はそれを玩びながらイネスの言葉を聞いていた。

平日の昼間、こんな時間にここにいるのは近くの大学の学生だろうか、男女が談笑しながら近づいてくる。黙って立つ2人の脇を過ぎる時に何を気にしたのか、心持ち小声になったような気がする。
彼らの声が再び小さくなっていくのを背中で確認しながらイネスが苦笑した。
「言葉や態度で明確に示さなければ、結局こんなものなのかも知れないわね」
「何がだ?」
ようやく実から目を離した明人がわからない、といった表情で向き直る。
イネスは肩を竦めて視線だけで彼らの方を示しながら、
「彼ら、何かを気にしたんじゃないかしら。近づきながら小声になっていたし、私たちの横を通る時には完全に無言だったじゃない」
「それが何か?」
「あら、察しが悪いわね。明人君は黙ってじっと柿の実を見つめているし、私もまた黙ってそれを見てるし。しかもこんな時間にどう考えてもサラリーマンと同僚とは思えない白衣、つまり会社の同僚ではないと思われる男女がそんな状態で突っ立ってるのよ?」
「えーと……?」
まだ理解しきれていない明人に苦笑する。
相変わらず男女のことについて深く考えたりしないのね、と思うがそれがいいことなのか悪いことなのかわからない。少なくともあのナデシコの時代からそれが彼自身に降りかかる様々な騒動の原因のひとつにはなっていることは確かなのだから、もう少し敏感になっても良さそうなものだが。
ただ、あらゆることに意識を向けることはできないし、均等に配分している人がいればその人は多方面に気の効く要領のいい人間であるのならば、逆にどこかに傾いている人もいるのだろう。
それが彼の場合では以前は熱血アニメや料理のこと、今はルリやラピスと言った家族のことに重点的に配分されているだけのことであり、仮に意識を向ける対象の総量が10であるとするならばそのうちの7か8くらいを費やしているのだ。
その分、他のことに気が回らないのは仕方ないのかも知れない。
一瞬の沈黙の中でそれだけのことを考えると、イネスは微笑みを浮かべた。
「要するに、別れ話か何かの深刻な話をしているとでも思われたんじゃないかしら」
「ああ……」
イネスの言葉に明人は複雑な表情を浮かべた。
嫌ではなかった。何と言っても相手はイネス、アイちゃんなのでありその彼女とそんな関係に思われたとしても嫌だと思うわけがない。
ただ、困惑したのだ。
嫌だと思わないと同時に、そういう対象で見たことがない。
好きなのか、そう尋ねられればそうだと答えるだろう。それはあの頃……そう、きっと初めてあのシェルターでアイちゃんと会ってから変わっていないと思う。
だが、愛しているかと問われると困ってしまう。
それはルリやラピス、久美たちについて聞かれても同様だろう、明人は今のところ特定の誰かを「愛した」と自信を持って言えるほどの経験をしていないのだから。
由梨香はどうだったのかという質問には迷わず答えることができる。
大切に思っていた、だがそれは思い出を含んでいたのかも知れない。と。
幼い頃に家族を、そして木星蜥蜴の侵略で友人知人を全て失った彼にとって、自分の記憶を唯一共有できる相手が由梨香だったのだ。
どれほど成長しようと、子どもの頃の記憶を共有したいという気持ちは完全になくなるわけではなく、しかもそれが家族がいて平穏な生活を送っていた頃の記憶であれば尚更だろう。
そんな幼い頃への憧憬を含んで由梨香を見ていたのかも知れない、とそう明人は思うのだ。
あの戦いを経て振り返ってみると、由梨香を救いだすことを目的としなければ生きていけなかった自分がいて、由梨香が大切な人であることに変わりはなく、けれどそのためだけに由梨香を取り戻そうとしていたのかも知れないと。
由梨香を救出した後、目的を失ったかのように呆けた期間があり、そしてその後も由梨香に会いたいと……一緒に暮らしたあの頃のような気持ちで願うことのできない自分に気づいてしまった。
「どうなのかな」
だから明人は視線を逸らしながら、曖昧な笑いとともにイネスに返すことしかできなかった。
「あら、つれない返事ね。私は別れ話だと思われたことは嫌だけど、明人君とならそう見られても構わないと思っているけど?」
「俺は、それほどの価値のある男じゃないよ」
イネスは明らかに笑っていたが、ウィンドウの向こうに視線を移した明人は気がつかなかった。
そんな様子を見て、イネスも口元の微笑を消した。

「ラピス、ねえこれ見てよ」
高校の授業は、はっきり言えばラピスには退屈なものだった。
授業内容自体は。
一般常識はいざ知らず、義務教育の内容は既に7歳当たりでは身につけていたと思う。
元来、ひらめきや応用力に恵まれていたのだろう、高等科そして高等学校の習得内容も明人とともに戦いの中に身を置いていた間にもイネスやエリナ、オモイカネの指導を受けつつあっという間に修了しており、戦いが終焉に向かいつつあったナデシコCによる火星掌握後には明人の問いに対して「生化学を勉強したい」と目標もはっきりしていた。
『そろそろ社会に出た後のことも考えておかないと』そう言った明人の五感治療は著しい効果をあげていた。
イネスの治療は、もちろん一朝一夕に回復を見込めるものではなかった。火星の後継者たちが捏ね上げた原理のわからないナノマシンの解析から体組織、神経系など明人の身体を丹念に慎重に調べ上げ、寝る間も惜しんで献身的に治療した結果なのだ。
それを間近で見てきたラピスには、リンクしていた明人の苦しみはもちろん、イネスやエリナ、赤月らの苦労もよく知っている。
それらすべてを見てきたうえで、ラピスは生化学の道を選んだ。
細分化された学問の中で、生化学だけは前世紀からさほどの差異を見せず医学・薬学・化学・生物学などから派生する様々な学問の基本として学ばれている。
彼らを目の辺りにしてきたことも多分影響しているだろう。けれど、それだけでもないような気がする。きっかけのひとつではあるかも知れないけれど、明人のことだけがラピスの将来を決めているのであれば恐らく、ナノマシン治療を選んでいたと思うから。
もしかしたら自分の体験がその根源にあるような気もするけれど。
「ん。なに?」
その考えを振り切るかのように、前の席に陣取った友人へ視線を向ける。
彼女は寒がりのラピスと違って、未だに制服の上着をつけずにセーターだけだった。
それに気づきながら「ああ今日はまだおはようも言ってなかったっけ」と今更な感想を抱きながらぼんやりと憤慨している様子を見つめる。
「もう嫌になっちゃう。こんなに履歴が残っているのにしらばっくれるのよ?」
「はあ」
言いながらカードコミュニケを開いて恐らくその証拠なのであろう通信履歴を流すが、ラピスはそれどころではなかった。
生返事をしながら心中では去年の高等科5年次1学期の期末テスト、社会科で惨敗し明人とのデートを勝ち取れなかった時以来、1年以上も明人から提示される教科で敗北し続けている雪辱を、来週の中間テストで晴らそうと考えていたから。
でも、明人は意地悪。
そうラピスは思う。
もちろん単なる意地悪でそうしているわけではないのだろうけれど……と言うよりも教科によって好き嫌いの激しいラピスに、彼自身は専修科だからわからないしそれだからこそ一般教養科目の大切さを必要以上に考えているのかも知れないが。
だからと言って去年は社会科、現代文。
今年、高校に入ってからは1学期中間で中世日本文学概論、期末では東亜史IBだなんて。
去年は現代文の授業で内職をし過ぎていたこと、そしてその内容が明人にばれたことから現代文を入れられてしまったのは仕方ないかも知れないが、高校の教科でラピスが苦手としているものをどうやって明人は探っているのだろう。
そんなラピスの様子に詰ることもなく、いやどちらかと言うと自分の境遇を嘆くことと文句を言うことに一生懸命なだけで気づいてすらいないのかも知れないが、とにかく言葉は続く。
「どう考えたって浮気じゃない、これ。ほらココ見てよ。C組の松永さんがどう関係するのよっ」
「うん」
「バイト先の人とならまだ許せるよ?でもさ、松永さんの件だけは納得いかなーいっ」
「うん」
「しかも、よりのもよってどうして私の誕生日にって感じ!」
「うん」
それなら松永さんに直接問いただせばいいのに。それよりも今の問題は、どうやって次の中間で取り戻すかなんだけど。ああ、もう社会さえなければ……というより歴史さえなければ社会全体では明人の提示した条件をクリアできるんだけど。
「それでね、ラピスにお願いしたいわけ」
「うん」
秋なんだし。明人とアエテリアの公園を散歩したいな。
「ほんと?じゃあさ……」
「うん」
「って、ちょっと!ラピス、ちゃんと聞いてくれてる?私まだ何も言ってないんだけど」
そうすれば、散歩するだけで火星に行くのは不経済だって言うだろうし、そしたら、それなら泊まりで他のコースも入れようってお願いできるし……中間終わった後くらいだと、公転パターンで火星はちょうど冬の初めくらいだから、明人のマントにくるまって……あ、もう着ないって言ってからこないだルリが捨てたんだっけ。
「ラピスっ!」
「んー」
いいや、久美姉に私が入るスペースを考えたコートをデザインしてもら……あわわわわっ
「な、ナニ?」
頬杖をついて怪しげな妄想に浸りきっていたラピスは、突然がくがくと揺さぶられた。
「ナニ、って。聞いてたの?」
「うん。お願いって、何」
「なんだ、ほんとに聞いてたんだ」
聞いてなかった方がよかったのだろうか、そう思わせるほどあからさまに落胆したような声にラピスはちょっと笑ってしまった。
「なに?」
「聞いてなかった方がよかったの?」
「あー……そういうわけじゃないけど、何て言うか……」
「あることを思い込んでいて予測される相手の反応も考えたうえで次の一手まで織り込んで対応したのに、それが外れていたからどう対応すればいいのかわからなくなった」
「そうそう、そんな感じ……って何だかそう分析するみたいに言われると嫌ね」
「それで、何を頼まれればいいの?」
休み時間は無限ではない。
ラピスにとって友達の話を聞きながらいかに明人とのデートを勝ち取るかに思いを巡らせることは容易いが、とりあえずはこちらの用件をさっさと済ませてしまおう。
そう思ってラピスは会話を戻した。

「自惚れないでね」
少し強張った感じのイネスの声に、はっと明人は振り向いた。
視線の先にはいつになく厳しい光を湛えた理知的な目が待っており、それは地球へ来る直前にラピスをエリナに預けようとしていた明人に向けられた眼差しを思い起こさせた。
たじろぎながら辛うじて言葉を吐き出す。
「自惚れ、って……」
そんなつもりはない、その台詞はイネスに食われてしまった。
「自分の価値ですって?人間には計れるような価値なんて存在しないわ。どんな人間だって」
誰かの名前を口端に載せようとしてやめた。
「人の尊厳を平気で踏みにじるような輩を除けば、人間を表すのに価値なんて言葉は存在しない。強いて言えば、人の価値はその人を必要としている人間にとって最高の価値を持っている、というだけよ」
歯切れの悪い言い方だったが、明人にはイネスの言わんとしていることがよくわかった。
そして、わかっただけに自分の先の発言がイネスを怒らせた理由も瞬時に理解したし、悪いのは完全に自分であることもわかっていた。
当然だ。
イネスが自分の治療のためにどれだけ苦労してきたか。
もちろん意識を失っていた明人には、救出される直前に見た白い景色から、曖昧で朦朧とはしていたが術後落ち着いてから目を覚ました頃までの記憶はない。
それでも赤月やエリナ、それに看護士から聞いた話だけでもイネスの献身と苦労が凄まじいものであったことは理解できた。

『専門じゃないからよくはわからないけどね。まず外見からだけでも君と判別することは困難な状態だったよ。ゴート君からの報告は入っていたけれど』
『第一声が「これは本当に天河君なのかい?」だったわね』
ネルガル月面工廠、隠れ家とも言える場所で回復と復讐に向けての第一歩を踏み出そうとした明人に、訪れてきた赤月とエリナは交互にその時の様子を語った。五感の回復も順調に進みつつあった頃だったからこそ言えたのだろう。実際のその場での彼らの驚愕は補って考えるべきかも知れない。
『体中にナノマシン走査の光跡があって、止まることはなかった。瞳孔は白濁して開きっ放し、皮膚は所々許容量を超えて溢れ出すナノマシンが食い破って血が滲み、時折痙攣する四肢はもう君自身の意思では動かせないことを物語っていた』
それでも鎮痛な面持ちを隠し切れずに言う赤月に、エリナが続ける。
『さすがのドクターも、どうすればいいのかわからない様子で呆然としていたわ。けれどそれは一瞬だけで、次の瞬間にはもう指示を出していた。丁寧な検査を行っている余裕なんてなかったからできることをとにかく立て続けにやっていきながら、精密検査を合間に入れて行くしかなかったのよ』
そこまで聞いただけでも、どれほどイネスが大変だったかは医学の心得などまったくない明人にもよくわかった。
気を失う直前の、死んだ方がマシだと思うほどの苦痛と、今のこの体の状態がわかっている自分だからこそ、ただ見ていただけの彼らよりも理解できたのかも知れない。
『ナノマシンはIFSに用いる。ということはインプラントしていた君ならもちろん知っていることだろうが、イメージを正確にフィードバックさせるために常駐させるのは神経細胞だ。だが、君の体内……というよりも人間にインプラントする限界を超えて注入されたナノマシンは暴走を引き起こしていて、膜電位は常に閾値を超えた状態であったらしい。ニューロンが常時発火していると言っても過言ではない、とドクターは説明してくれたよ』
『結合荷重のネット値が出力可能な容量をオーバーフローして、ニューラルネットワークはずたずたにされていたようよ。そのことを説明してくれた時にはもうあなたは危険な状態を抜け出して……』
言葉を区切って軽く笑う。
『シグモイド関数まで使って説明されても、私たちには何が何だかわからなかったけれどね』
『外傷もあったけれど、一番問題だったのは広義のパテルギーをどうするかだったらしいよ。とは言え、対処療法では根治はできないし自己増殖するナノマシンとのいたちごっこになることは明白。では、と言って無理にナノマシンを引き剥がそうとすると神経細胞を壊してしまう』
『まあ、どうして治したのかってことは、実際にドクターから「説明」してもらって。私たちはもう思い出すだけでもうんざりだから、あの長口舌は』
二人して声を合わせて笑う裏には、こうして笑って話せる時が来てよかったという心からの安堵が含まれているのだろう。
それが痛いほどにわかったから、明人も笑って、けれど真剣な想いを込めてこう言うしかなかった。
『二人とも……ありがとう』
そんな明人の万感の想いを込めた言葉に、彼らは笑顔を返すだけだった。
『もちろん、ギブアンドテイク。ただで助けたわけじゃあないよ、少なくとも僕はね』
それが照れ隠しだということもわかる。
だからエリナの『この区画の設備投資も治療費も、私費で出してるくせに』という言葉を、明人は聞き流すことにした。
『当然だな。救出と治療、これに対しては幾らでも借りは返すさ。俺にできることなら何でも言ってくれ』
『あれ?君の復讐に援助することに対するリターンはないのかな?』
空惚けて言う赤月に、明人もそれ相応の態度で答えた。
『統合軍内のやつらのシンパには、クリムゾンが武器供与しているらしいな』
『う……』
苦い表情で絶句する赤月。
追い討ちをかけるように、
『そう言や赤月、おまえが強力に進めていたアリストロメリア、連合軍どころか宇宙軍でも採用されなくて開発費回収が厳しいらしいじゃないか。このまま行けば立場も……』
そこでいったん言葉を止めると、にやりと口を歪める。
『で、俺に作ってくれている試作機、アリストロメリアの後継機にデータを活かせるんだよなあ?』
『はあ、負けたよ。ったく、エリナ君、きみかい?』
今度は完全にお手上げ、といった顔つきで両手を挙げる。
『あら、私は知らないわよ。でも試作機には彼が携わっていたわよねぇ』
にやにやと笑いながら言うエリナの表情は、赤月の疑念を半ば肯定し、けれど言葉ではその罪を元ナデシコクルーの整備班長になすりつけていた。
『やれやれ。うちの社員には仲間思いが多くていいことだよ……』
言葉とは裏腹に、赤月の声には明るい口調が含まれていた。

リハビリの間も、そして彼が復讐の日々をラピスと送っている間にもイネスの研究と治療は続けられた。
決して弱みを見せようとしない彼女が、ただ一度だけユーチャリスの帰還、つまり明人とラピスがその足で医務室にやってくる時に疲労から眠ってしまっている姿を見られている。
そっと踵を返してラピスにユーチャリスの帰着記録を遅らせて貰ったから、イネス自身が見られたことを知っているかどうかはわからないけれども。
「すまない……」
そんなつもりじゃなかった。ただの軽口のつもりだったのだが、相手を間違えてしまったことは確かだし、自分が言ってはいけない台詞であることも事実だ。
だから明人は素直に頭を下げた。
そんな明人の足元で、かさりと枯葉が音を立てた。
それを合図としたかのように、イネスは軽く息を吐き出すと、
「ごめんなさい、私も言い過ぎたわ。あなたがそういうつもりで言ったのではないことはわかっていたのだけれど」
「いや……今のは俺が一方的に悪かったよ」
「いいえ、私こそ」
「そんなことはない。イネスさんが悪いなんてことはないよ」
「でも」
しばらく押し問答を続けていた二人だったが、不意に顔をあわせてクスリと笑うと、
「じゃ、まあどっちもどっちってことで」
「そうだな」
そしてもう一度、赤く色づいた天蓋の向こうに広がる秋空に、一際明るい笑声を響かせた。

「それで喧嘩しちゃったの?」
クラスの友人とお茶して帰ると言って先に学校を後にしたルリを除いて、2人で歩く通学路。
足元でしゃりしゃりと枯葉の鳴る音を聞きながら久美が尋ねた。
「だって」
今年から高校に進学し、久美と同じ制服を着れることを喜んでいたラピスは今、憤慨しながら足元の枯葉をざくざくと鳴らしながら立ち止まると口を尖らせた。
「嫌だもの」
明白な否定。
ラピスにしては珍しいかも知れない。
今まで知らなかったあらゆることを吸い尽くそうとするかのように、大抵のことは否定しない。とりあえずやってみよう、聞いてみよう、見てみよう、ということのようだ。
それがこうまで頑なに否定したということは、ラピスにとって絶対に譲れない何かがひっかかったのだろうか。
久美は少しだけ心配になったが、
「ふうん。まあラピちゃんがそこまで嫌なんだったら、余程のことだったんだろうけど」
それだけ言って、ラピスに合わせて止めた足を進め始める。
けれども、足元で鳴る枯葉の音はひとつ。
怪訝に思った久美が振り返ると、ラピスは先ほどの場所のままぐっと両手を握りこんで俯いていた。
「ラピちゃん?」
「だって……信じないのはダメなこと」
ああ、と久美は心中で頷いた。
ラピスにとって、一度信じた相手を信じ続けることは絶対なのだ。
それは例えば明人でありイネスでありルリであり。
もしかしたら自分もそうなのかも知れない。
明人と共にユーチャリスで戦っていた頃、一切の感情を表に出すことがなかったらしいが、それも彼女の感情のひとつだったのだろう。
憎悪、という。
『憎んでいたから。だから敵に対する戦いにおいて怒りの感情すら出すことがなかったんだよ。火星の後継者を最も多く屠ったのは俺じゃない、ラピスだ。奴らを殺すのに感情を以ってすること自体、ラピスにとっては屈辱でしかなかった』
当時の明人もラピスも知らなかった、まだ16歳だった久美にはそれがどういったことなのかよくわからなかったけれど、こうして3年もの間ラピスを見続けてきた今なら理解できる。
自分がたとえ怒りや憎悪と言った負の感情であったとしても、それを抱いて対することが許せないくらいに彼らへの怒りは激しいものだったのだ。
人間であると認識しないくらいに。
『あの戦いはね、久美ちゃん。俺たちの……俺とラピスにとって人間の尊厳を取り戻し、これから生きていくための復讐だったんだ。憎悪も怒りも超えた……奴らを1人殺すたびに、俺たちは人間らしさを取り戻していった』
鎮痛な面持ちすらない。明人の表情には何も伺えなかった。
想像するしかない、いや想像すらできないほどの深淵を垣間見た久美は、ただ自分のできる範囲で彼らを理解しようとし、そして接していくことしかできなかった。
それが正しかったのかどうか、はこの先の時間のすべてを使って確かめていくしかないのだろうけれど。
ラピスの明人たちへの感情は、そんな負とは真逆にあるもの。
好き嫌いが激しいのだ、と簡単に言えるようなものでもない。
「ラピちゃん」
久美はしっかりと落ち葉を踏みしめながらゆっくりとラピスに近づく。
軽く頭に手を置き、優しく撫でながら、
「ラピちゃんだって、ルリちゃんと喧嘩することがあるでしょう?」
激しすぎる感情は時として怨毒になる。
人間性を取り戻し、穏やかな日常を手にしたラピスにもう二度とその道に踏み込んで欲しくない。
「人と人が付き合うんだもの。時に相手を疑ってしまったり理解できなくて苦しんでしまったりすることもあるんじゃないかな」
「……久美姉もあるの?」
ようやく小さな言葉が口から漏れる。
些細なこと。
ただ、彼を疑った彼女が通信履歴の詳細をハッキングして取り出して欲しいと、ただそれだけのありがちなことなのだ。
もちろん人によってそれが些細なことであるかどうかなんて異なるということはわかっている。
ただ、信頼に至る過程は、決して平坦なものでないと知って欲しかった。
目的を一にした明人や、その境遇から共感するところの大きかったルリたちと比較的スムーズに今のような関係を築けたことは、どちらかと言えば奇跡に近いのだから。
「もちろんあるよ。今でもお姉ちゃんの考えてることなんてわからないもの」
「でも、仲いいよ」
「うん。ただ、ラピちゃんならわかるよね。私とお姉ちゃんだって、最初の一年はぎくしゃくしてて……すれ違いや思い違いが重なってどうしていいのかわからないことが多かった。とても家族なんて言える状態じゃなかった私たちを見ているでしょ」
「……うん」
ラピスの頭から手を離し、仰ぎながら続ける。
「この人はどうして私を引き取ったりしたんだろう、って思うこともあった。何か企んでいるんじゃないかとか、ね」
ラピスは黙って聞いている。だが久美を見るその目からは、嫌悪の色は消えかかっていた。
「ね、ラピちゃんはちゃんと言った?その子に」
不意に視線を戻すと問いかける。
ラピスは言葉が足りない。特にこういったことに絡むと、ただ黙って怒りを溜め込んでいくことが多く、聞かなくても凡その予想はついていた。
果たしてラピスは首を横に振ると、
「言ってない」
久美の目を見つめたまま答えた。
「ラピちゃん、人間ってね、言わなきゃわからないことって結構多くない?そうだなあ、例えば……あ、そうそう。この間明人さんに食べたかったものと違うおやつを出されて不満だったことがあったでしょう」
「え。明人、そんなことまで言ってるの?」
ちょっと不満そうにむくれるラピス。
その仕草や表情からはもう、先ほどまでの頑ななものは消えうせていた。
そんなラピスの拗ねた仕草を軽く笑う久美に、
「でも……」
それとこれとは違う、そう言いかけたラピスの口が止まる。
違わないんだ。
そうわかったから。久美が言う前に、自分で気づいたから。
「お姉ちゃんと一度だけ大喧嘩したことがあったの。きっかけはもう忘れてしまったくらいにどうでもいいこと。ただね、その時に初めて私もお姉ちゃんも言いたいことを言い合って」
そこまで言ってじっとラピスを見つめる。
久美の表情は穏やかで。
「うん。明日、ちゃんと話してみる」
だからラピスは素直に頷いた。
人と人との関係は、まず自分の思っていることを伝え、そして相手の考えを理解しようと努力することから始まるのだ、そう久美が言っているのだとわかったから。
どんなに小さなことでも、どんなに傍から見れば下らないことであっても、スタートはすべてそこからなのだと。
そうした小さな積み重ねがやがてお互いを信頼しあう関係になっていくのだと。
説得するでもなく、説教めいた口ぶりにもならず、教え諭されているなんて絶対に思えないような久美の話し方に、歩き始めたラピスはちょっと溜息をついた。
「?どうしたの、ラピちゃん」
ちょうど久美の口の辺りにまで来る視線の高さ。
それだけしかない差なのに、何だか久美がとても大きく感じた。
「久美姉には敵わない」
「ん?」
「何でもない」
でも。
敵わないけれど、少しでも近づきたい。
そんな想いでラピスは久美の左腕に飛びついて、ぎゅっと抱え込む。
突然の行動に姿勢を崩しながら、
「ちょ、ラピちゃん?私、そういう趣味ないんだけどな」
「そういう趣味って何」
「わかってて言ってるでしょ。去年お姉ちゃんに散々仕込まれたくせに」
「知らないもん」
駅へ続く近道。
公園の入り口に入りながら二人の笑い声は秋空に吸い込まれていった。

「それで?明人君はどうしたいの」
「突然だな。何を答えればいいのかわからないんだが」
針葉樹林を抜けて日本庭園へ向かう坂を下りながら、イネスが唐突に尋ねる。
当然明人は訳がわからない、と言った表情で言葉を返した。
「……何だかこの台詞って、誰かが言ってたような気がするんだけど」
「はあ?」
「誰かしら?似たような台詞をどっかで……」
「それはいいから。何を聞きたいのか知りたいんだけど」
呆れるように言う明人に、それでもまだイネスは首を傾げていたが諦めると話題を戻す。
「由梨香さんへの気持ちはもうはっきりしているのよね。ではルリちゃんは?どうしてあの子と一緒に暮らしているの。そしてラピスは。どうしてあの子を引き取ったの。彼女たちの気持ちに気づいていないわけではないんでしょう」
真面目な表情で一息に話すイネスに、明人は驚いたように足を止めた。
午後の陽射しが柔らかく差し込み、遮蔽物のない下り坂を照らしている。
穏やかな秋の陽だまりに似つかわしくない質問を浴びせられて、けれど明人は突然の質問に驚いたものの、その内容自体に困惑はしていなかった。
「答えは出せる。だけどイネスさん、どうして急にそんなことを?」
それくらい質問する権利はあるだろう、もちろん理由を聞かなくてもイネスに答えることは吝かではないしそもそも理由だって気づいてはいる。
ただ、聞いておきたかった。
イネスの今の気持ちを知りたかった。

困惑していたのはイネスの方だった。
どうして突然、こんなことを聞いてしまったのだろう。
自分らしからぬ行為に慌てて話を逸らそうとしたのだが、昔の明人ならいざ知らず、今の明人にそんな逃げが通用するはずもない。だから決心して一気に吐き出したのだ。
そして改めて明人に尋ねられ、自問する。
どうして急に気になったのだろう、と。
きっかけを探ってみても答えは出てこない。
静かな園内の木々に囲まれて、穏やかな時間を二人で過ごせたことが不意に自分の中の何かを突き上げたのだとしか答えようがない。
では、その『何か』とはいったい何なのか。
イネスにとって、明人は特別な存在だった。
出会い、そしてすぐに別れ。
火星の砂漠地帯に跳ばされた後、運良く……いや、もしかしたら古代火星人たちはそこにネルガルの研究グループが通りかかることを知っていたのかも知れないが、その中にいたフレサンジュ博士に拾われ、そのまま養育された。
その恩返しの気持ちもあった。
周囲の友達が恋に遊びに夢中になっている少女時代、学生時代にも勉学に勤しみ、博士の研究を継げるくらいになるよう、一生懸命だった。
その気持ちが途切れてしまったのが、リセ時代に経験した博士の死。
ぷっつりと緊張の糸が切れたように。
素性の知れない自分を引き取り、女手ひとつで結婚もせずに扶育してくれたフレサンジュ博士。
その死を迎えて、これから自分は一体誰のために、何のために頑張っていけばいいのか悩んだ。
そんな時に見つけた、博士の遺書。
遺書、と言っても財産らしい財産などなかったからそれはイネスに宛てた単なる手紙と言ってもいいかも知れない。
『思い出して、大切な人を。必ず会える、約束の人のことを。私から言えることはそれだけだけど、アイならきっと頑張れる、そしていつかきっと出会えるから』
うっすらと覚えてはいた。いや、覚えていたというよりももやっとした感覚として私の記憶の底に沈んでいたと言った方がいいかも知れない。
忘れたことはない。けれど今までの私は思い出や感傷に浸る余裕がなかったのだろう。
霞のかかったような記憶の淵から浮き上がってきたその思い出。
それはだからと言って明確な形をとったわけではなく、ただ浮かんできただけ。
ぼんやりとしていた想いがはっきりして、けれどその形が何であるのかがわからないというもどかしい感覚。
いつかきっと忘れ物を見つけ出せる、そしてその時にどこの誰なのかまったわからないけれど『お兄ちゃん』に会うことができる。
その想いがあったから、それから後も頑張ってこれたのだ。
大学を出て院に進み、幾つかの博士号を取得してネルガル重工に就職。
相転移エンジンの基礎理論構築から携わったナデシコ。
どこか懐かしい感じのした彼に出会ったのは、木星蜥蜴の攻撃から逃れて皆で隠れ住んでいた火星の地下で。
まるで子どものようだと思った。
すぐに熱くなって無茶な言動をしたり、かと思えば意外なほど冷静に物事を受け止めたり。
無鉄砲な攻撃で危険な目に会い、それが自分のせいであることを忘れたかのように戦闘を嫌ったり怖がったりする様を見て、馬鹿だと思っていた。
単純馬鹿、熱血、固まっていない自我、まるで子ども。
それでもどうしても最初に感じた『懐かしさ』が消えず、常ならば自分の中で切って捨ててるはずなのにそれができなかった。
そんな彼が大切な『お兄ちゃん』だとわかってからも、まだ自分からそのことを打ち明けられなかったのは、ナデシコが戦艦で今が戦争中だからというわけではなく……勇気が足りなかった。
少女だったアイがイネスとして成長した姿を突然晒したら驚くかも知れない、それどころか受け入れらない可能性だってある。もちろんそんな理由もあったかも知れないけれど、それは彼自身が月面でのボソンジャンプ、時間を超えたことで理由にならないことはわかっていた。
問題はそこにあったのではなく、彼の戦闘に対するトラウマが自分を守って木星蜥蜴に突っ込んでいったことに端を発するのだということ。
その原因が目の前にあった時の彼の反応が怖かったのだ。
彼の反応が怖い……「そうね、怖いのかも知れない」
「え?」
秋の陽光に照らされた斜面で、2人は向かい合う。
正確に言えば、前を向いたままの明人をイネスは正面から見つめた。
「怖いのよ」
明人はそんなイネスの瞳を黙って見つめている。
遠くで流れていた他の客の声も、もう聞こえない。
静かな時間が色づいて2人の間に漂っていた。
「……そう、怖いと思う気持ちを、あなたとこうして過ごしている時間が壊してくれるのを待っていた。それが、何かだったのかも知れない」
明人にはわからない。イネスが何を言っているか。
それでも聞き返さずに耳を傾けていた。
「私はね、明人君が好きよ」
「……それは」
「わかってる」
開きかけた明人の口を、言葉で塞ぐ。
その先を言わせてもよかったけれど、自分の言葉で彼に伝えたかったから。
何となく中途半端なまま明確にすることを恐れてきた今までを、ここで終わりにしようと思ったから。
「長い間、ずっと思っていたんだもの、いつか『お兄ちゃん』に会える、って。だからその時間が私の気持ちを混乱させていたとしても仕方のないことだったと思うの」
「……ああ」
「私自身、どう思っているかわからなくなっていたと思う。最初に感じた『懐かしい』感じ……覚えてるかしら?直接言ったと思うけれど」
「覚えてるよ。あんなに女性に密着されたのは初めて……ああ、由梨香を除いてだけど」
苦笑する明人に、イネスも笑顔で返す。
「由梨香さんはまあ、特殊だから」
「そうだな」
「あの懐かしい感じが何に起因するのかわからなかったから、それからのナデシコでの毎日が私の気持ちを少しずつずらしていったのね。木連のハッキングを受けるまではどうということはなかったはずなのに、記憶が繋がってしまったことでそのずれが最大になった」
明人は、イネスが突然こんなことを言い出したことに困惑しつつも、喋り方がいつもに戻っていることを感じてどことなく安心していた。
無理をしていない、そう思ったから。
その「ずれ」が何なのか、それはわかっている。
だから明人は大人しく次の言葉を待った。
オレンジが眼下に広がる日本庭園に満ち、沼面がきらきらと秋の緋を反射している。
涼やかな風が彼の黒髪をふわりと撫ぜていく。
火星生まれの火星育ちだけれど、こんな風景に郷愁を感じるのはやはり日系の遺伝子がなせるわざなのだろうか、そう思うとめちゃくちゃにされたその遺伝子を修復して今の生活を与えてくれたイネス……それに赤月やエリナ、ラピスにルリ……みんなに感謝の念を禁じえない。
言葉を切って、いつの間にか同じように庭園に向かって並ぶイネスをそっと眺める。
ほんの一瞬だけ、幼い頃のアイちゃんが重なって見えた。
それが何故か、はわからないけれど。

「私は明人くんが好きよ」
再び繰り返す。
それが過去との訣別ではなくて、未来との邂逅であることを信じている。
だから、明人もまた同じように返した。
「俺も、イネスさんとアイちゃんが好きだよ」
と。

「秋の日はつるべ落とし」
「なにそれ?久美ねぇ?」
「秋の日は短いってこと。でも、さ」
公園の中、落ち葉に埋もれた道の向こうに影を長く伸ばして少女が立っている。
横に立ち久美に腕を絡ませている桃色の髪をした少女と、向こうに佇む少女と。
自宅に戻れば待っている明人も、きっと今日も白衣で料理をしているだろうイネスも。
今頃はネルガル会長室で尻に敷かれているだろう赤月も、尻に敷いているだろうエリナも。
「ねぇ、ラピちゃん」
「なあに?」
「私が卒業しても、私たちの関係は変わらないね、きっと」
「久美ねぇ?」
小首を傾げるラピスに笑いかける。
「秋の日が短くて今日という一日が終わっても、人生はまだまだ続くってこと」
「……?なに、それ」
「なんでもないよ」
自分たちの関係は、決して平坦なものでなくて。
好き勝手言い合って喧嘩したりもするけれど、そんな感情の遣り取りさえ嬉しくて。
きっとこれからもそんな毎日が続いていくんだろうな、そう思うと何となく言いたくなっただけなのだ、ほんとうに。
ラピスを見てただ笑うだけの久美に、自分がバカにされたと思ったようだ。
ラピスはちょっとふくれて、
「久美姉って、時々わからない」
「わからないから、わかろうとするのよ。それが大事なんだって、今日わかったでしょう?」
「うー」
ますますふくれるラピスを横目に、久美は視線を投げる。
向こうの人影も気がついたようだ。
「ほら、『お姉ちゃん』が待っててくれたみたいよ?」
「え?」
視線を上げた先に、

akiruri
「ルリ姉ー、先に出てたのー?」
ぱたぱたと駆けていく少女を見ながら、久美は秋の夕陽に目を細めた。

「ただいまー」
「お帰り、久美」
「……ん?」
「なによ」
「何かいいことあったの?お姉ちゃん」
「そうね、いいことと言えばいいことかしら」
「ふうん。今日は夕方に明人さんと会うって言ってたわよね?それ関係?」
「まあね。久美、あなたも頑張りなさいね」
「何が?」
「明人君争奪戦。私は全員を応援しているけど……でもやっぱり、可愛い妹に勝って欲しいしね」
「ちょ、ちょっと!わ、私はべべべべ別に……」
「動揺が激しいわね。そんなところは似ているわ、あなたたち」
「へ?」
「あなたたち3姉妹が、よ。ふふ、明人君も大変だわ」
「……??」

four seasons.
+fall in...october,akito,ines&lapis+