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「で?どうして月に跳んだのかね?」
「だから、俺にもわからないって……」
「なら、直前の状況で他に思い出したことは?跳んでいる最中はどうだったのか、思い出せたかね?」
調査官の質問は繰り返しだった。
無理もない。
アキト自身がジャンプ中のことなど何も覚えておらず、答えようがなかったのだから。
ネルガル側としても、仕方なく同じ質問を繰り返す他はない。

「何でもいい、何か思いだせんかね?」
もう、何度目かの質問に、アキトは膝の上に置いた両手を握り締め、同じ言葉を繰り返した。

「何も覚えてないっす」

機動戦艦ナデシコ - Blank of 2weeks -

約束の日

機械音が規則正しく響く。
最初に運ばれた医務室にアキトはいた。

「何度調べても同じじゃないんですか」
げんなりした様子で誰ともなく呟く。
が、傍にいた女医は律儀にも答えた。
「あら、わからないわよ。それに日々の検査はとても大事なことよ、健康にはね」
「健康は関係ないでしょう」
「あなたには夢はないの?」
突然の質問に面食らう。
「え?ありますけど……」
「どんな夢?」
「コックになることです」
「そう、素敵な夢じゃない。でもその夢だって、健康な体があってこそでしょ?」
アキトにはぴんと来なかった。

正しい。
それはそうだ。
女医は当たり前のことを言っているに過ぎない。
だが、どうしてそれだけのことにあんな寂しげな表情なのだろう。

「どうしてコックになろうと思ったの?」
考え事をしていたアキトに構わず、話しかける。
どこかで聞いた質問だ、そう思いながら答える。
「火星、料理まずいんす。土が悪くて野菜が特に。けどそれが料理人の手にかかると凄く美味くなるから」
「それでコックさん、か」
「単純っすよね」
自嘲気味に言うアキトに、
「そうね、でもそんなものかも知れないわよ。夢や目標なんて、きっかけはたいしたことないのが多いのかもね」
「そうですか」
何と言っていいのかわからず、アキトは曖昧に返した。
そんなアキトの様子に気付いてか気付いていないのか、彼女は「もういいわよ」とアキトに起き上がるよう促すと、そのままついと立って出て行く。

もそもそと起き上がったアキトが着替え終わる頃、カップをふたつ、手にして戻ってきた。
「はい」
「あ、どうも」
受け取った珈琲は熱く、アキトは暫くぼんやりと立ち上る湯気を眺めていた。
「さっきの話だけど」
「え?」
「コックのこと」
「ああ、目標のことですか」
不意に戻った会話に、アキトは上の空で返事をした。
「私もね、あったわ。医者になりたいって夢が」
「じゃあ、叶えたんですね。……どうして医者に?」
彼女は少しだけ遠い目をして言う。
「どうも早逝の家系らしくてね、小説家になりたかった父は編集者のまま一生を終えた。母は貧乏の中私たちを育てて、何とか大学へ行かせた時に死んだわ。姉も……」
辛そうに言葉を切る。
「姉は私の面倒を見てくれてたせいか、家事万能でその中でも特に料理が好きだったわ。食材にお金をかけないのも上手だった。私が美味しそうに食べることがとても嬉しかったみたいでね、高校を出ると同時に料理の道へ入ったわ」
「そうなんですか……」
「あなたと同じね、アキト君。だからこんな話をしてみたくなったのかも知れない」
アキトは興味を持ち始めていた。
色々なところでアルバイトをして、実際のコックがどんなものか見てきたつもりだが、勉強のためや参考にするためというより、やはり同じ道を志す人たちの話は聞きたい。

「今はどこかでコックを?」
「いいえ」
答えは簡潔だった。
知らず、身を乗り出していたアキトに何とも言えない不思議な瞳を向けると、
「姉は今、父や母と一緒にいるわ」
「それは……」
言葉に詰まるアキトが目に入らないかのように、彼女は向こうを見つめている。
その先には何があるのか、アキトには知りようもない。
家族か、想い出か、それとも。

「事故でね、脳をやられちゃって神経が麻痺しちゃったのよ。視覚や聴覚よりも、味覚がなくなったのが耐え切れなかったみたい。『あなたにご飯を作ってあげられない。あなたの喜ぶ顔を見ることもできない』って。
それからどんどん衰弱していって。両親を失ってからずっと面倒を見てきてくれた姉まで失ってしまったら、私は本当に一人ぼっちになってしまう。怖かったわ」

訥々と話す姿を、アキトは黙って見ていた。
味覚を失うことが、料理人にとってどれほど辛いものか解らなかったわけじゃない。
けれど、実感が湧かなかった。
当たり前だ、そうも思うのだが、自分が味覚を失った時、どれほどの喪失感を味わうのだろう。
彼女の姉のように、辛くて衰弱してしまうほどなのだろうか。
自分はそれほど、料理に打ち込んでいるのだろうか。

「僅かに残った触角と嗅覚だけで、それでも料理に挑戦し続けたわ。けれど、それも半年しかもたなかった。最後に私の好きだったクリームシチューを作って、そして死んだわ。
貧しくて、碌なものが食べられなかった私のために工夫して作ったあの頃のシチューの味を再現したのが、姉の最後の料理だった」

アキトに視線を戻す。
「だから、医者になったのよ。あんな悲しい目に会う人たちが、少なくなればと思って」
「月面なのは……」
「ああ、そうね。月面とか、宇宙空間の方が同規模でも被害は大きいから。しかもこういう産業地域だと、ね」
「そうですか」
アキトは言葉少なに呟いた。
自分の料理への思いを、もう一度思い起こしながら。

「でもね、誰もが明確な理由を持っているわけじゃないわ。むしろ夢なんて、いつのまにかそれが目標になっていたって方が多いんじゃないかしら」
「でも、そんな簡単なことで人生の目標を決めるわけにいかないんじゃないすか」
彼女はクスと笑って、
「やっぱり難しく考えてたのね」
見透かされていたとわかるのは、あまり気持ちのいいものではない。
けれど、今はそんなことより自分と料理の関係の方が重要だった。
「でも俺、料理人になりたいって言いながらパイロットやったりして……中途半端が多かったな、て」
「だから誰かに背中を押してもらいたい?誰かにわかってもらいたい?」
どきり、としてアキトは女医を見つめた。

メグミと傷を舐め合ったり、ユリカを突き放せなかった自分。
それは全て、彼女の言ったこととに起因しているのではないかと思ったから。

ガイの死んだ後、自分の頑張る理由を誰かに認めてもらいたかった。
火星の人たちを助けたいことを、誰かに共有してもらいたかった。
コックの自分が戦う理由を、誰かに理解してもらいたかった。

それは結局、自分の弱さ。

「俺は、何になりたいんだろう……」
深夜、ベッドに潜りながらアキトは独り呟いた。
昼間の女医の言葉が、彼の脳裏から離れない。

周りが戦えと言う。
自分はコックになりたい。

でも、戦えと言う。
自分は料理がしたい。

エステに乗れと言う。
自分は乗りたくない。

本当にそうだったろうか。
周りに流されてきただけだったろうか。
もしかしたら、自分を認めてくれる人を作るために、自ら望んでいたのではなかったか。
料理がしたいのならば、状況に流されるだけの自分ではなかったのではないだろうか。

そう、女医の姉のように、誰が認めてくれなくても自分の想いだけで誰かの為に料理をし続けたのではないだろうか。

けれども、それは同時にとても大変で強い意志が必要なことだ。
だからこそ夢であり目標であり得るのかも知れないが、独りでも貫く寂しさに、自分が耐えられたろうか。



時刻は1時を周り、時計の音もしない殺伐とした部屋に、静かな時間だけが流れていく。

アキトの悩みは深かった。

12,Dec;意味

≪あとがき≫
うわあ……。

時間がなかったのがばればれ(笑)。