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「いいことあった?」
「え?」
いつものように配達の途中でネルガルで通信機を借り、ナデシコへ連絡を取ろうとしたアキトを呼び止めたのはあの女医だった。
「ナデシコと連絡が取れたの?」
「いえ、取れませんけど……何でです?」
「そう、ちょっと明るくなったわよ、表情が」
「そうですかねえ?」
(言葉もね)
声には出さず。

あのままネルガルに閉じ込めていたら、彼は自問に押し潰されていたろう。
自分も追い込んでしまったかもしれない。
医務室へ誘いながら、命を救うために医者になった自分が、社命とは言え彼の運命を狂わせる一端を担うような調査をしてしまったことへの罪の意識が、少し薄れたような気がした。

機動戦艦ナデシコ - Blank of 2weeks -

約束の日

ナデシコは無事だったろうか。
エステが交戦に出ていたことはわかっていたが、あの混乱の中を駆け抜けてきた自分にはそれ以上のことを確認する余裕はなかった。

そしてジャンプ。
2週間前の月。

「焦る気持ちはわかるけどな、アキ坊」
「そうだねえ……どうなったか結果がわからないからなおさらだろうねえ」
昼食の時間帯を過ぎ、これから夕方まで少しの時間は暇になる。
カウンター席と厨房に腰掛け、3人はお茶の時間にしていた。
「ナデシコがどうなったかわからないから、自分がこれからどうすればいいのかも……」
湯呑みを見ながら呟く。
与えられた場所でできることをやる、そう決めたけれど、その決意とこれから先の不安は別だ。
動いていたゲキガンガーは自分がジャンプさせたが、あの時止まっていたように見えたもう一体が自爆していたら。
アキトからは全く見えなかったが、ドッグが無人兵器に襲われていたかもしれない。
或いはあの後更にゲキガンガーが出現していた可能性もある。

不安になる要因を数え上げてたらキリがない。
「どうしたってアキ坊がいたのは今から考えれば未来だ。それはどうしようもねぇだろう」
「わかってるっす。でも、気になるのは仕方ないんす……」
「アキちゃんはそうだろうねえ。なまじ先のことがわかっているから」
「ばっかやろう、キリがねぇじゃねぇか」
「そんなこと言ったってあんた、よく考えてごらんよ。久美が事故に会った瞬間に過去へ跳んでさ、それを伝える方法はないし、その後久美がどうなったかわからないってんじゃ気になるじゃないかい?」
「まあ、そりゃそうだが……」
それでももごもごと口の中で呟いていたが、不意に顔を上げてアキトを見据える。
「なあアキ坊。今やれることをやるしかないんじゃねぇか?わけのわかんない、その……」
「ボソンジャンプ」
「わかってんだ、余計な口出しすんじゃねぇよ。で、そのボソンジャンプってのは結局何だかわからねぇんだろ?なら、今わかってることを精一杯やるしかねぇだろう」
「それも、よくわかってるす。でも、わかってることを活かしきれないのが悔しいんす」
ぎゅっと膝の上で手を握り締める。

「なら、わからなかった方が良かった?」
じっと耳を傾けていた女医が、口を挟む。
アキトはゆっくり笑うと、首を横に振る。
「いえ。それは親父さんにも言われました」
「そう。何て?」
「『たまたま先のことを知ってしまった。それだけだ。元々人間なんて先のことがわからねぇから未来へ向けて頑張れるんだ、だからお前が知ってしまったことも、出会い頭の事故くらいに考えておけ』って」
「そうよ」
静かに言うと、一呼吸おいて、
「あなたはたまたま知ってしまった。そのことを忘れなさいとは言わない、けれどそのことであなたに義務が生じたわけでもないわ」
「……はい」
「それでもあなたは知ってしまった意味を考え、何とかしなきゃいけないと思っている。それもごく当たり前のことだと思う。けれどそれを何とかしなきゃ、ではなくて何とかしたい、って今は思っているわね」
アキトは目を大きくして、
「何でわかるんです?」
「言ったでしょ?『いいことあった?』って」

「別にないよ。どうして?」
アキトが言うと、久美は可笑しそうに笑った。
「どうしたの?俺、何か変なこと言ったかな」
テーブルを拭く手を止め、アキトが振り返る。
厨房の中で久美も皿洗いの手を止めて、微笑みを返した。
「ううん、そうじゃないの。昨日私が友だちに言った言葉と全く同じだったから、何か可笑しかっただけ」
どう言えばいいのかわからず、アキトは曖昧に笑って掃除に戻る。
「アキトさん、家に来た時より今の方が笑ってる気がして」
「そうかなあ」
「そうだよ。だって、この世の終りみたいな難しい顔してたもの」
「うーん……そんな顔してたかなあ」

この4日で、変ったとは思う。
今できることをしっかりやろう、その決意もともすれば揺らぎ勝ちだった。
けれど、ここで戦闘に縁のない、忙しくとも落ち着いた日々を暮らしている内に焦りも静まってじっくりと考えている気がする。
ナデシコでもこんな日々はあったはずなのだが、こんな気持ちになったことはない。

「どうしてだろう」
「え?何が?」
思わず口を突いた独り言に久美が反応する。
すぐには答えず、布巾を持って厨房に入ると久美が手を差し出す。
その上に布巾を載せるとアキトは再び食堂に戻った。
「……っと、いやね、ここ来てから随分と落ち着いてるなあって自分でも思うんだ。戦闘があるかないかなのかとも思ったけど、ナデシコでも戦闘ばっかやってたわけじゃないしさ」
椅子をテーブルに上げながら、流しの音とその音に負けないよう、大きな声で話す。
「そのせいかな、ナデシコに乗ってた時より忙しいはずなのに、どうしてか考えがよくまとまってさ」
流しの音が止み、そのまま反対側から久美も椅子を上げていく。
「明るくなったのかどうかは自分じゃわからないけど、吹っ切れた気はするんだよ。吹っ切れたって言っても、そんなに気張っているわけでもなくてさ。何て言うか……自然な決意が当たり前みたいに湧き出してきたって言うか……よしっと」
全てを上げ終わり、やれやれと振り返ると、すぐそこに久美の顔があった。
「アキトさんって、ほんとにヒーローになりたかったの?」
「え?」
「だってさ、この間言ってたじゃない。『俺はヒーローになれると思っていた』って」
「??……あー……」

一昨日の夜だったか。
アキトの歓迎会と称して食後に日本酒をサシで飲んでいた時のことだろう。
あまり強くないらしく、簡単に酔ってしまいついゲキガンガーだの何だのの話をみんなの前でしていたのはうっすらと記憶している。
「あ、いや、あれは……」
思い出して恥ずかしくなり、目を逸らしながら言うアキトに、
「でも、そう思っていたんでしょ?」
久美はあくまでも真剣な眼差しで問う。
「うん。まあ、ね。でもヒーロー願望って、男なら誰でも持っているんじゃないかな」
「アキトさんはナデシコのエースパイロットでしょ。願望じゃなくなったんだよ」
久美の言いたいことがわからず、疑問を浮かべたまま立ち尽くすアキトを置いて、居間へ戻っていく。

「願望じゃなく、実際にそうなったことで無理をしていたのね」
コーヒーを飲むのは4日ぶりだ。
それほど好きではないが、やはりこの場所と彼女には、この薫りがあっている気がした。
「そうですね。ユリカ……艦長に王子様って言われて、通信士からは頑張ってって激励されて。その他にもナデシコには頑張らなきゃならない要素が沢山あったと思います。それは、戦艦だから、戦わなきゃ皆が死ぬから仕方ないんだけど、俺は俺の意思でそうしてきたんじゃないような気がして……」

「私はアキトさんに何かしてもらいたいって思ってないもん」
ぼんやりと突っ立っていたアキトを現実に引き戻したのは、居間から呼ぶ久美の声だった。
ちゃぶ台の上にアキトの湯呑みを置きながら、
「お父さんもお母さんも、アキトさんに食堂を手伝うように、とは言わなかったでしょ?」
そう言えばそうかも知れない。
彼らは思い出話をしていただけだ。
食堂を手伝う時間や手順などはアキトから言い出した。
そしてそのことを遠慮するでもなく、ごく当たり前のように簡潔に説明されただけだ。

「私もね、手伝えって言われてるわけじゃないの。勝手に手伝ってるだけ」
そう言って笑う。
「え、そうなの?」
「うん。だって、強制されてやることって嫌だから手を抜いたりするじゃない。だからお父さんもお母さんも私に手伝えって言わなかったんだ」
手を抜いたりできる状況ではなかった。アキトは。
それはそのまま自分と仲間の死に直結することだったから。
けれど、嫌になったり頑張ってみようと思ってみたり、ふらつきながらパイロットを兼任していたのは確かだ。
「無理にしなくちゃならないことがなくなって、だから、え〜と……」

「だから、俺は俺のしたいことがはっきりわかるようになったんだと思うんです」
すっかり冷めてしまったコーヒーを、ぐいと飲み干す。
不思議と苦さが気にならなかった。
「ならやっぱり、いいことあったんじゃない。……あら?」
「どうかしたんすか?」
女医はごそごそと机の中や端末の下を探る。
「おかしいわね、確かここに置いといたと思ったんだけれど……」
「何をです?」
「あなたのデータよ。……あ、ここにあったわ。でもこんなとこに置きっ放しにしていたかしら?」
得心しない様子でいたが、
「ま、それはいいとして、テンカワ君」
「はい?」
アキトはちらと見えたにやりとした笑いに、嫌な予感がした。

「で?他にも何かいいことあったんでしょ」

20,Dec;求めること

≪あとがき≫
アキトのデータはどうして……って、ばればれですよね(苦笑
単純に、大戦中のボソンジャンプという事実だけであれだけ大掛かりな仕掛けでアキトを攫うのもどうかな、と思ったので。
あの時点ではアキトは他の火星出身者と同じ条件のはずですから、他のジャンパーと同じ扱いですよね。
なのに、アキト(ユリカは同じシャトルだったから……目的はアキトだったということで)だけをシャトル爆破までして攫う理由は他にあったのではないか、とね。

本編の伏線をこんなとこで張るなよ、自分……。