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index > fanfiction > ナデシコ > 約束の日 > 25,Dec;約束の日

崩れ落ちる天井。
湧き上がる悲鳴と轟音の中。

「逃げろ!久美!」
そう言って私を突き飛ばした父が、母の遺体に覆い被さるようにして瓦礫の山に埋もれていくのを見たのが、私にとって最後の家族の記憶だった。

機動戦艦ナデシコ - Blank of 2weeks -

約束の日

「そう、寂しくなるわね」
コーヒーの薫りが漂う部屋で、白衣の女性、ユカリさんが私にカップを差し出す。

ネルガル月面支社ティコ工廠内の医務室。
彼女は自分もコーヒーを手に、椅子に腰掛けると私の足元の荷物にちら、と目をやった。
「部屋は決めたの?」
「ええ。せめてアキトさんと関係あるとこにしたかったので、日本のトウキョウ・シティに。そこでホウメイさんと仰る方が雇ってくれると言うので……」
「そう……」
彼女はそれだけ言うと目を伏せた。
私がアキトさんの名前を口にしたことで、思い出してしまったのかもしれない。
たった2週間だったけれど、私にも彼女にも思い出を残して、そして逝ってしまったあの人のことを。

あの日、両親を一度に亡くしてしまった私は、しばらくの間立ち直れずにいた。
避難所が外輪山に穿った体育館にあったのが不運だったのかも知れない。
木星蜥蜴、いえ、木連の最初の攻撃で基盤が緩んでいたのが、一気に崩れ落ちてきて私の両親や大勢の人たちを呑み込んでしまった。

その後はどうやってネルガルの避難所まで行ったのか、覚えていない。
3日ほど後になって彼女がやってきて、合同葬儀を行なうこと、アキトさんを乗せたナデシコが出航したこと等を告げ、それでも呆然としていた私を叱咤した。
『しっかりなさい。あなたはまだ生きている。アキト君との約束を果たさずにこのまま終わっていいの?』
その言葉で私はようやく立ち直り、合同葬儀に出席してその後のことを考え始めるようになった。

『辛いのはわかるわ。私もそうだったから』
そう言う彼女の面差しに、何故かアキトさんと同じものを感じて。
『でもあなたの人生はこれからなのよ。困ったことがあったら相談に乗るから、いつでもいらっしゃい』
『ありがとうございます……でも、どうしてそこまでしてくれるんですか?』
そう尋ねる私に、少しだけ明るい表情になって、
『縁……かしらね。アキト君を通じてでも知り合いですもの』

不幸中の幸い、なのだろうか。
両親の残してくれた僅かな遺産と、保険料で食べていくことはできた。
そのまま卒業するまではやっていけそうだったが、私は中退し、『ムラカミヤ』の復興を望んだ。
アキトさんと一緒に手伝った食堂の日々。
それがそのまま再現されることはない。
父も、母もいないのだから。
けれど、私は『ムラカミヤ』が好きだったし、後を継ごうとあの頃は思っていなかったが、両親を亡くしたことが、その意思を明確にさせた。
それに、アキトさんがいつかルナ・パークに行くという約束を果たしに帰ってきてくれた時、店がなかったら困るだろうから。

『あなたはアキト君が好きだったの?』
そのことを言いに、彼女の元へ行った時、聞かれた。
『わかりません。でも、一緒にいたいと思いました。お兄ちゃんができたみたいで嬉しかっただけかも知れませんけど』

そう、そうだったのかも知れないし、そうでなかったのかも知れない。
いずれにせよ、私はもう一度アキトさんに会いたかった。
「初恋」、そう呼ぶにも幼すぎる感情だったけれど。



月面で最も大きなクレーターシティ、ガッサンディでアパートを借り調理師の専門学校へ通い始めた私の元へ、アキトさんからの手紙が届いたのは2198年春のことだった。
所々に検閲の跡があったが、ナデシコに乗っている間にも書いていてくれたらしく、一度に大量の手紙が、ティコのユカリさんから届けられた。
小包で届けられたそれの中には、彼女からの一言が添えてあり、『住所は伝えておいたわ。部屋を変えるときには私に連絡をちょうだい、伝えてあげるから』とあった。
アキトさん自身の居場所は彼女も伝えられないそうで、それ以降、私はアキトさんとの手紙の遣り取りを、彼女を通じて行なった。

久美ちゃん、あれからどうしていますか?俺はナデシコに戻って、また戦闘の日々を過ごしています。
戦闘がない時は料理の練習をしています。
この戦争がいつまで続くのかわからないけど、久美ちゃんとの約束は絶対に忘れないよ。
そのために、俺は今自分のいる場所で全力を尽くそうと思ってる。



■■■■■■■■■■■■■■■■の故郷に行きました。
ルナ・パークを思い出したよ。
それに、「ナイト」だなんて言われたもんだから久美ちゃんが俺のこと、「超古代文明の戦士」だなんて言ったこともね。



■■■■■■■■■■■■■■■■■■なんだろうけど。
こんなことやってていいのか?って思いながらも、まあ息抜きは必要なのかな?
そう言えば、月面って海とかないじゃん。久美ちゃんは泳げるの?なんて変なことを考えちゃったよ。



ちょっと色々あってさ。
■■■■■■■■■■■■■■■■とは思っていたけど。
実際に目の当たりにすると、やっぱりこんな力、ない方がいいんじゃないか、て。
戦いから逃げない、けれど、戦うためにどんなことでも利用するっていうのは違うと思う。俺は、久美ちゃんとの約束を守るために戦ってる。
だから、■■■■■■■■■■■、そう、今日は思った。



久しぶりでごめんね、久美ちゃん。
でも、この間で俺、随分と考えたよ。■■■■■■■■■■■■■。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■違うと思う。
それは、そうなった方が嬉しい。死んでしまった人たちのためにも、平和になるのが一番だとは思う。でも、そういうことは■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。
だから俺は反対したんだけど、結局向かうことになった。
何があるかわからないから、注意はするけれど、そんなに上手く事が運ばれるとはどうしても思えないんだ。

検閲だらけでよくわからない手紙もあったが、その後の事情から推測すると、アキトさんはナデシコが単体で木連との和平交渉に向かうことに反対だったようだ。
けれど、そんな事情が考慮されるはずもなく、この手紙がナデシコからの最後の手紙で、その後はユカリさんによるとどうやら抑留されているらしい。
休戦後だけれど、やはり検閲は厳しくて解読不能な手紙ばかりになった。
ただ、アキトさん自身の近況は何となく推測できた。

時間だけは沢山あるから料理に集中しているとか、日々精進とか。
気になったのは、よくわからなかったけれど、ユカリさんから注意するように言われたということだった。

『ここのケーキが美味しいのよ』
『頂きますね』
彼女はメモに筆を走らせながら、関係のない話題を進めて行った。
『あ、ほんと美味しいです』
『でしょ?』
彼のボソンジャンプに関するデータが盗まれたみたい
『どう?その後は。しっかりやってる?』
『ええ、おかげ様で。何とか貯金もしてます』
以前、ヤマサキって言う助手を使ったことがあるんだけど、彼が持っていったらしいわ
『なら、憧れの地球に行ける日も近いのかしら』
直接伝えることもできないし、彼がどういう意図で持ち去ったのかわからないんだけど
『それは……まだ難しいですよー。凄く高いですから』

その時は私も彼女も、だからと言ってどうすることも出来ず、取り敢えず傍観するしかなかったのだけれど。

「あの予感は、的中してしまったわね……」
悲しげに呟く。
私は黙って項垂れているしかなかった。
抑留が解かれてからのアキトさんは、トウキョウ・シティのオオツカでラーメンの屋台をやっていた。
手紙では、お金を貯めて月面に行くから、そう言ってくれていた。
一緒に住もうとするナデシコの艦長を宥めすかして帰したり、近所に住む整備の人が覗きにやってきたりと大変な毎日だったみたいだけれど、1年前、ようやく月面への渡航費ができたと書いてきた。
私もユカリさんも、楽しみにしていたのだ。

それが、
「艦長も不運よね。一緒に乗ったばかりに事故に遭って……」
私は顔を上げ、温くなったコーヒーに口をつけた。
「私はまた……何もできなかったのね……」
「ユカリさん……」
「ああ、ごめんなさいね。あなたの新しい門出なんだから、こんなしんみりした話題は合わないわね」
「いえ、でも……アキトさんとの約束がありますから。トウキョウで強く生きていこうって、そう思います」
「そう……そうね。私もあなたを見習わないとね」
アキトさんがいなくなった今、月面で『ムラカミヤ』を守る意味を失ってしまった。
あの悪夢のような新聞記事から1年。
それでも何とか、月面で頑張ってきたが私の緊張の糸も切れかかっていた。

「それでも気持ちを切り替えたいから。オオツカで、アキトさんの屋台をウリバタケさんって方が預かっていてくれているみたいですので、いつかそれを引こうかと思ってます」
黙って聞いていたユカリさんが、私の目を見つめる。
「たった2週間、その後は手紙だけの遣り取りだったのに、あなたの心にはアキト君がしっかりと住んでいるのね」
私は、もうその言葉を否定するつもりはなかった。

想い出は時を重ねる毎に美化されていく、そうかも知れない。
でも、私の中のアキトさんは想い出ではない。
手紙の文面から、アキトさんは生きたアキトさんとして私の心の中で成長していったのだから。

「はい。私はアキトさんが好きです」

過去形なんて、使いたくない。
忘れる時が来るとも思わない。

今は、アキトさんへの想いを胸に抱いて、あの約束を果たせるようにしよう。
そう決意した私に、彼女は優しく微笑むだけだった。

2201年。

あの日、ティコ工廠の医務室を辞した私の背後から爆音が聞こえ。

結局、ユカリさんの遺体は発見されなかった。
どうして私はこんなにも悲しい目に会わなければならないのだろう。
答えの出ない問いを抱えたまま、私はトウキョウで暮らし始めた。

私にはもう、誰もいない。
この世には。
両親も、アキトさんも、ユカリさんも。
みんな失ってしまった。

それでもこうして生きてくることができたのは、ただアキトさんとの約束を果たしたいがため、それだけだった。





そして、そのアキトさんとの絆が、私に新しい絆をくれた。

「おぅい、久美ちゃん」
「あ、ウリバタケさん。どうしたんですか」
冬の朝は、吐息を白くさせる。
珍しくこんな時間からやって来たウリバタケさんが、体中から湯気を昇らせながら息せき切って走ってくる。
爽やかな光景、そうも言えるかもしれないけれど、嫌な予感がした。
「はぁ、はぁ……、いや〜女房撒いてくるのに手間どっちまったぜ」
「……ウリバタケさん、私、その背後のモノに猛烈に嫌な予感がするんですけど」
「おっもう気がついたかい?ふっふっふ……聞いて驚け!このメカは何と!屋台速度を今までの1.6倍にする……って、待ってくれよ!久美ちゃん」
途中から呆れて歩き始めた私の背後から、ウリバタケさんが焦って声を掛ける。
だけど、
「もうっアキトさんの屋台は今のままでいいんです!それに第一、屋台の速度を上げて何の意味があるのっ?!」
「いやほら、やっぱ屋台はメカニックだし……」
訳のわからないことを呟くウリバタケさんを放って置いて、私はホウメイさんの店に向かう。

こんなのも、最近の日常だから。



「おはようございまーす」
「おや、久美坊。来たね」
ホウメイさんが半ば呆れた様子で言う。
どうしてかと言うと、
「今日はいいって言ったじゃないか。イブほど混みゃしないし、ホールはバイトだけで十分なんだからさ」
「でも、仕込みがあるじゃないですか」
「昨日あんたがやっただろう。全く、苦労症だねえ、あんたも」
笑いながら。
「ま、そんなとこはテンカワにそっくりだよ」
「アキトさんに似てるのなら、嬉しいですよ?」
私も笑い返す。
そんな私を逆に心配したのだろうか、ホウメイさんの表情が少しだけ曇った。
「久美坊、あんたまだテンカワのこと……」
「はい。無理に忘れたいとは思いませんから」
「そっか……」
「それよりホウメイさん、今日からですから、屋台始めるの。ちゃんと試験してくださいね」
「そうだったね。よし、今日は夜まで閉めるよ!あんたの腕前をしっかりと吟味してやるか」





『火星の後継者』事件も、そろそろ世間の耳目を驚かすことがなくなってきた。
夏に行なわれた火星での決戦で、『the prince of darkness』と呼ばれる人物がたった一隻の白亜の戦艦と、その艦載機である機動兵器で殲滅したらしい。
ルリさんのナデシコCを含む、宇宙軍の艦隊が駆けつけた時には既に事は終わっており、彼らは容疑者の逮捕と誘拐された人々の救出しか、することがなかったと言っていた。
誘拐された人たちが、火星出身者だけだったというニュースを聞いた時、私は一縷の望みをそこに繋いだのだが、結局アキトさんの名前はなく、ユカリさんも名簿にはあったが救出者一覧にはなかった。

私は信じているのだろうか、それとも信じていないのだろうか。

それはアキトさんが生きていることをなのか、それともアキトさんが死んでしまったことなのか。

マスコミから後継者関連のニュースが減ってからも、私の脳裏から離れることはなかった。





「よっ、開店おめでとう!」
「やあ、来てみたよ。頑張ってね」
「なんだい、あんたらもかい」
「え?」
「いやね、見てみなよ」
ホウメイさんの指差す先の、ナデシコクルーで一杯のあたりを見て何故か一緒に来たアカツキさんとアオイさんが苦笑する。
「こんなことだろうとは思ったけどね」
アカツキさんがこちらを見て、ちょっと複雑な表情になる。
「どうしたんですか?」
忙しく寸胴の中を確認しながら尋ねると、
「いや何ね、またこうしてテンカワ君の屋台を見ることになるとは思わなかったものでね」
「そうですか。味も同じくらいのレベルだと思いますよ」
「それは楽しみだね。……そろそろ、だしね」
「え?何です?」
「いや、何でもないよ。じゃあ、僕はテンカワ特製ラーメン大盛で」
「はいっ」
後半の言葉が小さすぎて聞こえなかったが、とにかく忙しい。
こんなことを予測してホウメイさんが店を閉めてから駆けつけてくれなければ、私独りで切り盛りできなかったろう。
こんなにアキトさんの知り合いが来てくれるとは思わなかった。
もちろん、これらのお客さんを繋ぎとめられるかは、私の料理にかかっているのだから安心はできない。

いつかはお店も持ちたい。
だから、それまではこの屋台で頑張って、お客さんを沢山呼べるようにならなければ。
「でもさ、珍しいよね」
アオイさんがナデシコクルー達の方を見ながら言う。
「若い女の子がラーメンの屋台なんて。よく決心したね、久美さん」
「アキトさんが残したものですから」
ちょっとだけ手を止めて答えると、アオイさんもカウンターに向き直って、
「そうだね……」
こんなにしんみりしてしまうのも仕方ないのかも。
きっとみんな、騒いでいるけれどアキトさんのことを思い出しているのだと思う。
アオイさんの横に座ってラーメンを待っていたアカツキさんが、また小声で呟く。
「それにしても……遅いな」
「あっごめんなさい」
「あーいやいや、ラーメンのことじゃなくてね……」
「?何がです?それによく考えると会長職の方はいいんですか?」
「そういう君こそユキナ君を放って置いていいのかい?」
「……彼女が来ないわけないじゃないですか」
溜息混じりに指差す方向には、ハルカさんと何やら言い争いをしながらラーメンを食べているユキナさんがいる。
「はは……そりゃそうか」
「それはそうと、何が遅いんです?」
アオイさんがそう尋ねた時、クルーが固まっているところと屋台の間に光の奔流が生まれた。




驚くクルー。
彼らの注視する中、その光は収束していき、2人の人影を象っていく。

「ようやく、か」
アカツキさんの呟きも耳に入らないほど、私は……










「約束、守れたよ、久美ちゃん」










「アキト、さん……」















2205年。

『祝!開店』
そんな文字が、小さな店の前に立てられた看板に躍っている。
「う〜ん……こんなもん、かな」
店の前で構えを見上げ、呟くアキト。
ガララ、と扉が開いて、中から久美が現れる。
「もー、アキトさん。いつまで見たって変らないんだから。大丈夫よ、それで」
笑いながら声を掛ける妻に、アキトも苦笑して答える。
「だけどさ……」
「ほら、早く!仕込みだけで大変なんだから」
「はいはい、わかったよ」



『早く彼を病院へ!』
『大…丈夫だよ、ユカリさん……』
『アキトさんっ!』
『久しぶりね、でも再会を祝ってる余裕はないの。応急処置じゃもたないわっ!』



ユカリを救出に向かったアキトは、最後に残った残党の抵抗で瀕死の重傷を負ってジャンプした。
ユカリの応急処置が良かったおかげで命を取り留め、そのまま五感を回復させるためにネルガル総合病院に収容された。
五感を取り戻すまでには筆舌に尽くし難い労苦があったが、それはここに述べるに及ばない。
ただ、アキトも久美も、それらに負けない強い意思と精神力を持っていた、ということだ。





たったひとつの約束が。
彼らの人生を救ったのだろう。

忘れることの出来ない想い出と、強い意志で。
約束を守り通した2人には、どんな辛さももう、彼らの人生を狂わせることはできない。



店からは楽しげに準備をする声が聞こえ。

通りの向こうから、やってくる客の姿がちらほらと見え始めていた。





「テンカワー、来たぞー」

「いようっ!頑張れよ、テンカワ」

「アキト〜、まだ間に合うよー私と一緒に……」

「ユリカさん、往生際が悪いですよ」

「ほらラピスっ走ったら危ないわよ!」

「エリナは年だから足が遅い……」

「ほほう、大繁盛ですな」

「ミスター……他人の店で売上予測を立てるのはどうかと思うが……」

「どれ、弟子の腕が落ちてないか、確認してやろうかね」

「ホウメイさんって、結構素直じゃないですよね」





彼らの人生はこれから始まるのだ。

様々な思いを含んで生きてきた2人の、2人だけの人生が。





「「いらっしゃい!」」

『久美ちゃんは、何かして欲しいことってある?』

『あのね、……自分に負けないって、約束して』

『うん……約束するよ』

25,Dec;約束の日

≪あとがき≫
お疲れ様でした(ぺこり)。
これにて『ぷち☆久美ちゃん祭り』、約束の日、完結です。

いかがでしたでしょうか。
駄作で疲れた方は、TOPの朴念仁さん久美ちゃんを見て癒してくださいね。