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一往は郁乃誕生日SSです。

ToHeart2 - 郁乃との日々・番外編の伍 〜郁乃の誕生日編〜

書いたひと。ADZ

 病室のベッドの上から窓の外を眺める。
 良く晴れた空と流れる白い雲。風に舞う木の葉を眼で追ってみると、中庭のベンチで陽に当たる親子やお年寄りが眼に入る。
 時間と部屋の位置の関係から、日差しは強くは入り込まないがまだ陽が高いので照明をつけてはいない。
 その薄暗い病室で私は誕生日を迎えた。

 ここ数日体調を崩し、念のためと検査もかねての入院。すでに検査も終わっていて、午後には退院できる事にはなっている。
 何故よりにもよってこの日に、と思わないでもない。折角の誕生日に病院だなんて、間の悪いことだ。
 そう、間が悪い。いつからか嬉しく思うようになった、私の生まれたこの日を病院で迎えてしまうだなんて。
 昔、そう私の病気がまだ酷くて入院していた頃は、誕生日なんて疎ましいだけだった。
 その日が来るたびに両親や姉は祝ってくれた。表向き私はそれを喜んで受け入れてはいた。
 でも一人になった時、私は自責の念に苦しんでいた。
 病気で入退院を繰り返し、満足に出歩く事も出来ないような、負担にしかならない自分。そんな自分が生まれてしまった日なのだから。
 年々病院にいる日が増えていく中、今日のように誕生日を病室で迎える事は何度かあった。
 その度に姉や両親は病院側から許された範囲でのお祝いをしてくれて、欲しいものは無いかと聞いてくる。
 そんなときは私は出来る限り笑顔を浮かべたつもりで、ただこうして祝ってくれるだけで嬉しいと、自分自身を疎みながら答えていた。
 歳を経る毎に私の身体は弱くなっていく。
 落ちていく体力や免疫力、それを補うために増えていく薬剤。
 それらの金銭的負担がどれほどのものだったのかと考えると、益々私は生きているのが辛くなっていく。
 良く世話を見てくれている姉が、毎日ではないが見舞いに来てくれる母が。
 私を大切にしてくれればくれるほどに、何故自分はこのような身体に生れ落ちてしまったのかと、誰も居なくなった暗い病室で歯を食いしばり、視力の落ち始めた眼から涙をこぼした時もあった。
 誕生日、三月の三日。それが私の生まれた日。その日そのものが無ければ自分は産まれずに済んだのだといわんばかりに、私はその日を嫌悪すらしていた。
 だがある時状況が変わった。新しい治療法で体力の維持が出来、私の病状が快方に向かい始めたからだ。
 病気そのものの治療にはその後もいくつかの手術を必要としたが、回復を始めた私は近いうちに学校にも通う事が出来るようになると、主治医の先生にそう言われて、一緒に話を聞いていた姉と母は我が事のように喜んでくれた。
 その時になって、私はようやく過ちに気付いた。
 自分が生まれた事を否定する事は、大切にしてくれる人たちの気持ちまでも否定する事なのだと。

 そうしてその年は初めて、病院のベッドの上で迎えた誕生日を受け入れたのだった。

 それから数日か、数週間後か。私はあいつに出会った。
 最初見たとき、なんて頼りなさそうな男だろうと思った。ひょろっとして逞しいなんて言葉とは縁遠そうで、女物の服でも着せれば似合う事だろうとか思った。
 姉の恋人か、それとも姉にちょっかいかける不埒者か。当初はそう思って邪険にしていたけれど、そうじゃないと気が付くと段々と心を許してしまっていた。
 それからしばらくして手術を受け、私の視力は回復し退院した。
 その頃になると私は頼りないと思っていたその男に、恋をしていたのだった。もっともその事に気付くにはしばらくの時間がかかったものだけど。
 普段は確かに優柔不断なところもあり、煮え切らない奴だけど、こうと決めたときのその強さが、眩しかった。滅多には見せてくれないのが残念だけどね。

 さて当時の事。退院後一年近くは特に何の進展も無いまま時が過ぎ、なけなしの想いをこめてバレンタインにチョコレートを押し付けたりした後、私は誕生日を迎えた。
 何人もの人が私の生まれた日を祝福してくれた。
 その多くが貴明の知人だ、というのがなんとも不思議な話だ。
 貴明も祝ってくれた。誕生日おめでとう。その時からたったのその一言が、何よりも嬉しい事なのだと思えるようになっていた。
 あれからもう何年か過ぎた。毎年必ずそばに居てくれたあの人。だからこそ、大切なこの日を今年も一緒に迎えたかったのに。

 私は弱くなったのだろうか? 入院なんて初めての事でもないのに、このわずか数日で強い不安に駆られる。
 貴明にそばに居て欲しくて、居てくれたらきっと甘えてしまう。その手を離したくなくなる。我慢の限界が極端に低くなってしまう。
 かつては誰も居なくなった薄暗い部屋の中、一人で過ごしていられた。姉が来るのを待ち続け、看護士や医者以外の人とはほとんど接点を持たず、誰にも会わずにいても平気だった。当時は強かったから? そんなわけがない。
 それは強さではなく、ただ世界を羨み拗ねていただけの、子供でしかなかっただけの事。
 高い木の枝に実る果実が欲しいのに、手が届かないから欲しくない、だからいらないと言い訳をしていただけ。
 でも私はもう一人ではなくなってしまったから。姉や両親だけではない、大切にしてくれる人がいるから。
 自宅ではない病院の一室に一人でいると、あの頃の苦しさを思い出してしまう。
 ようやく手にした幸せという名の果実が、私の手から零れ落ちてしまうのではないかという不安が、この胸に湧き上がってしまうのだ。
 静かに頭を左右に振り、そんなわけが無い。未来はまだ判らないけど、今すぐに失うはずが無いと私は『楽観』したがる。
 失うのはいつだって唐突なのだ。こうして私がベッドの上で半身を起こして空を眺めている間に、大切な人が、大切な人たちが交通事故に巻き込まれない保障など在りはしない。
 だからこそ一日一日の幸せがどれほど大切なものなのか、十分に噛み締めてないがしろにしないようにしないといけない。
 大切に生きたい。不安に押しつぶされそうな時もあるけれど、私は今幸せなのだから。
 その不安もほんのちょっとした事で払拭される。
 私は弱くなった。でもきっと強くもなった。一人ではないから。一緒に居てくれる人がいるから。
 そう、ほんのささやかな事で私は不安よりも幸せが強くなる。
 そこで私は思考を止めて家から持ち込んだ時計の文字盤を見やる。
 ずっと以前にあいつから送られた目覚まし時計。入院中は必要ないのでアラームは切ってある。
 しばらくすると時計の針の動く音に混じり、コンコンというドアをノックする音が部屋の中に響く。
 私がどうぞと声をかけると、静かに扉が開く。その向こうには私が待ち望んでいた顔が見えた。

「郁乃、調子どうだ〜」
「悪くないわよ。そもそも念のため程度の検査入院よ。……で、貴明一人なの?」
「途中まで一緒だったんだけどな。その、なんだ。お手洗いと言っておく。ほい、これ着替えな」

 そう言って私に紙袋を手渡す貴明。受け取りながら私の胸に溜まりこんでいた不安が完全ではなくとも霧散していくのを感じる。中を覗くと私の服が入っているだろう包みがあり、それを取り出して開いてみると綺麗に折り畳んであった。

「ん、着替えるから、ちょっと部屋の外に出ててくれる?」
「今更恥ずかしがるような仲でもないんじゃないかな〜、なんて」
「……親しき仲にも礼儀ありとか言うわよね?」
「イエス、マムッ!」

 ギロリと睨んでやると、貴明は何故か敬礼して部屋を出て行く。
 ま、礼儀とかじゃなくて流石に着替えを見られるのは恥ずかしいというか、ね。
 どんなに深い仲になっても女が恥じらいを忘れたら駄目だ、と以前友人の母親と貴明の姉代わりの人の二人に言われた事もあるし。
 慣れ切っちゃったら後は冷めるだけ、というのも何かで読んだしなと思い出しながら、私はパジャマから白いワンピースに着替え桜色のストールを羽織る。
 これは持って来て欲しいと指定した服。以前貴明が選んでくれた私への誕生日プレゼント。
 その衣服に身を包まれ、自分が幸せである事を感じ、今生きている事を何かに感謝したい気持ちになる。
 ただ、ピースが足りない。私の心を形作る幸せのピースの一つが。
 欠けたのではない、この数年で増えてしまった大切なピースがまだはまっていない。
 でも慌てる必要は無い。ドアの向こうから聞こえる会話で、すぐそこに在るのはわかっているのだから。
 在る、ではないわね。居るが正しいわね。
 着替えの終わった私は扉越しに貴明に声をかける。先ほど脱いだパジャマはもう畳んで今着ている服の変わりに紙袋にしまったけど、他にも持ち帰らないとならない物もあるので、その片付けは彼に手伝ってもらうつもり。
 静かに開く扉、微笑を浮かべ私は待ち構える。私の大切な、幸せのピース。

「お母さ〜ん♪」

 勢い良く部屋に飛び込み抱きついてくる、大切な私たちの娘を。
 五歳になる愛する娘を抱き止めて、私の心の最後のピースが綺麗に収まる。

「こら〜。病院の中で走っちゃだめって言ってるでしょう〜」
「あう……ごめんなさい、です」

 私の姉が部屋に入りながらたしなめ、我が子は私の腕の中でしゅんとして謝る。
 貴明が他に人は居ないしと言うと、甘甘だよ、将来のことも考えてちゃんとしつけてあげないとだめだよぅ〜、などと姉が抗議する。
 私の知る限り二人とも大甘なのだけど。姉はうちに遊びに来るときは必ず手作りのお菓子持参で、娘相手に思いっきりデレるし。
 子供特有の高めの体温を感じながら私はその手を娘の頭の上に乗せて、今度から気をつければいいんだからね? と軽く諭す。
 出来る限り神妙な顔をしてはーいと答えるその姿が可愛くて、ついつい強めに抱きしめてしまう。
 嬉しそうに私にしがみ付くその姿を見ると、愛しい想いが限りなく溢れてくる。この子のためならば、私は何事も厭わないだろう。
 それは強さと呼んでも良いものなのだろうか。
 そうであるのなら、私は強くなった事になる。姉や両親がいてくれるから。私一人ではなく、貴明が一緒に強くなってくれたから。
 この子が居てくれるから。この子が生まれてきてくれたから、かつての私がどれほど愛されていたのかが判る。
 病弱でずっと迷惑をかけ続けていた私が母や姉にどれほど愛されていたのか、大切にされていたのかを、守られるのではなく守る立場になって理解できた。
 あの頃は頭でしか理解できていなかった。でも今は本当の意味で理解できるようになった気がする。
 苦労? 迷惑? それがいったいなんだというのだろう。この子のためなら、この子を守るためなら私はなんだって出来る。
 母や姉も同じだったのだ。きっと今の私以上に苦労をしただろう。辛かった事だろう。時にはいつまでも続く先の見えない私の治療に、投げ出したくなった時もあった事だろう。
 私も時には子育てに疲れ投げ出したくなる事もある、時には感情的に叱り付けてしまう事もある。それでも投げ出したりはしない。今私の腕の中にある温もりが愛しい事に変わりは無いのだから。
 生まれて来てくれてありがとう、元気に育ってくれてありがとう。それが私の我が子へと贈る言葉。
 生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。一人にしないで居てくれて、ありがとう。それが両親と姉へと贈りたい言葉。
 そして。
 私を好きになってくれて、愛してくれてありがとう。それは面と向かってはなかなか言えない、貴明への言葉。
 
 退院の手続きしてこなくちゃね、と荷物の整理があらかた終わった頃姉が言い出す。
 お父さん達は荷物があるし忘れ物が無いか確認していくから、愛佳義姉さんと一緒に先に行っててくれるかな? と貴明は娘の頭を撫でながら言葉をかけている。
 そう言われて私たちの娘ははーいと言って姉の手を握って部屋を出ていく。
 ちなみに姉の前で『愛佳おばさん』などと言うとちょっぴり怖い事になるので基本「ねえさん」、である。
 私達は持ち込んだものがベッドの下などに落ちていないか確認して、私は服の入った紙袋を、貴明はそれ以外の日用品を収めたバッグを手に病室を出ようとした。
 でも貴明は扉の前に立つが開けようとはせずに私を振り返る。
 これ、誕生日プレゼント。帰ったら雛祭りもあるから、今渡しておくな。
 そういって私の肩にかかる一房のお下げに、銀色の小振りな髪留めを付けてくれた。
 突然のことに私の体温が高くなっていく。どうしてこの人はこう、不意打ちをしてくれるのだろう。
 私は手に持っていた紙袋を手から放し彼の胸に額を押し付け、小さな声でありがと、と告げてその背中に腕を回す。
 貴明も私を抱きしめてくれる。その温もりに包まれて、私はきっと世界で一番の幸せ者だと、大げさだけどそう感じていた。
 そしていつまでも来ない私達を不審に思い病室へと戻ってきた姉と娘が、扉の隙間から覗いていた事に気付くのは、しばらく経ってからで。
 それはもうこれ以上ないぐらいにニヤニヤしている姉と、どういう事か最近性格がその姉に似てきた我が子がちょっと不安になる、そんな良く晴れた私の誕生日の午後だった。

 帰宅後、雛祭りと私の誕生日のお祝いが一緒になった席で娘からもらった私への誕生日プレゼント、『家族』の絵を見て思わず嬉し涙をこぼしてしまったりしていると、その人がやって来た。

「と言うわけでっ! あちしは雛祭りと共に人妻いくのんの生誕した日である今日の祝杯として、とある飲み物を用意してみた!」
「私すでに一児の母ですのでいくのん言わないでください。で、白酒か何かですか?」
「いや違う。今日は桃の節句と言うことでもあるので、『どろり濃○ピーチ味・お徳用ペットボトル』をっ!」
「お引取りください。出来れば永久に」
「冷たく拒絶っ!?」

 会社が違うでしょうがそれは。なんの会社かは黙秘させてもらうけど。
 それにしても、なんでこの人変わらないのかしら。見た目も性格も。確かもう××歳(プライバシー反故、じゃなくて保護のため伏字とさせていただきます)になるはずよね? そういえば私、未だにまーりゃん先輩の本名をちゃんと知らないのよね。

「そう言や来る途中駅前で子役にスカウトされかかっちまったぜ。オイラもまだまだいけるって事だな♪」

 ……それは喜ぶべき事なのかしら?

終わり

ADZの逃走記。

 こんにちは、ADZです。
 予定から数日過ぎての投稿になってしまいましたが、郁乃誕生日SSです。
 そして、「いったい何処の誰が誕生日SSと聞いてこんな内容を想像するんだっ!?」とか「大多数の人が求めるのはもっとこう、なんか違う内容だよね?」などと思ったりしてみたり。
 兎角本来ならこれが番外編シリーズの四であり、「第一部・完」な話になるはずのものだったのですが、色々と順番や投稿時期が狂ってしまったので残りの物よりも先に仕上げました。いや第二部は無いけど。気が向いたら何事も無かったように書きますし。

 さて本作中出てきた「郁乃の娘さん」ですが、実を言うと『二つの思い、一つの未来』の時点で名前がついていたり。ですが色々と考えて今回も名前が出てきません。特にひねりも何もない名前ですが、別の話で出てくるかも、と思ったりしてみたり。
 どうしたってオリキャラなわけですから、あまり目立つのもなんですし。などと思ったりもしてはいるのですけども、ね……(謎の発言w)

 兎角、今回のお話で多少なりとも楽しんでいただけましたら幸いです。
 ではまた、いつの日にか。

らいるの……なにか。

郁乃の、時間とともに変わっていく心情が、ここまで続いた番外編を読んでいたからというのもあるかも知れませんが、すごくよく理解できますよね。
辛い入院時代のことや、その頃のことを思い起こしてしまってちょっと不安になってしまう、けれどもあの頃とは違う今、とか。郁乃と貴明がどういう時間を過ごしてきたのかが、明確に描かれていなくても補完できて、するすると読み進めてしまいました。

本編(もちろんここでは某ADとかではないわけですがw)や番外編を思い返しながら読める番外編、というのもいい感じがします。……愛佳もある意味幸せそうですしね、このシリーズでは。

皆さんも、「郁乃は当然として、愛佳も貴明と幸せにしてやってくれ」と思ったら、いつものように掲示板とかメーr(以下略

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へどぞー。