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ベッドの上でふにゃりと座る彼女から目をそらせなかった。
薄い茶色のキュロットから飛び出す白くて細い脚に目がいってしまう。
彼女の膝からつま先を包む白と黒のストライプのハイソックスが、妙に目に焼きついた。
視線を上げるとレモンイエローのシャツブラウスのボタンがいくつか外れていて胸もとが少し露出している。
さらに視線を上げその顔を視界に入れるも彼女は少しうつむいている為か、前髪に隠れその表情をうかがい知る事は出来ない。
だが朱に染まる頬ははっきりと見え、胸の鼓動を早くする。。
彼女が身につけている衣服は、確か先日一緒に買い物に行った時に購入した服のはず。
俺が選ばされたものだ。
この上に羽織る上着も一緒に選んだはずだか、今それは見当たらない。
意を決し、彼女の肩を両側から掴む。一瞬身体を強張らせるが、すぐに力を抜きその身を委ねてくれる。
至近距離で顔を覗き込むと、彼女の唇に視線が止まり、そこから目を離せなくなった。
早鐘のように鼓動を打つ心臓に落ち着くように言い聞かせながら、彼女の顔に自分の顔を近づけていく。
ゆっくりと、ゆっくりと近づいていく。上昇する体温、耳鳴りで頭の中に騒音が鳴り響く。
お互いの吐息を感じるほどに接近する顔と顔。
目を閉じている彼女。
もう少し、あと少しで俺は彼女と……

ToHeart2 - 郁乃との日々・番外編の六

書いたひと。ADZ

————ジリジリと鳴り響く騒音で目覚める。
ほえ、と言いながら身を起こし、はっきりとしない視界でその元凶をみやる。
いつもどおりの時間。今日も休むことなくその役目を果たした目覚まし時計。
夢、だったのかと落胆しつつあと少しだったのにと残念がる自分がちょっと虚しくなる。
はぁ、と溜息一つ。
目覚ましを止めてベッドから抜け出し、まず顔を洗いに行く。
その後手洗いで用を済ませてから着替え、朝食の支度をする。
支度と言っても昨日春夏さんから押し付けられた煮物の残りをレンジで温めるだけだ。

適当に朝食を済ませてからお隣の幼馴染を迎えに行き、いつもの集合場所で雄二と合流。
桜の散りきった道を通り抜け、そして途中で郁乃とその姉とが待っていた。
このみっ! いくのんっ! とハイタッチをしてから何故か腕をクロスさせる二人。お前ら昨日は何の番組を見た? と突っ込むも無視されてそのまま登校。
今朝見た夢の影響もあり郁乃と目が合うと多少挙動不審になって、なに? という言葉と共に冷めた視線を向けられてしまう。
その視線にちょっとゾクゾクしながらなんでもないぞとごまかす。
疑わしげな眼のまま郁乃はまぁいいわと歩き、正門を通り抜ける。
その後昇降口で別れて俺と雄二、小牧さんの三人は教室へと向かった。
進級時のクラス替えで、結局また一緒のクラスになったのだ。
教室の扉を開けクラスメイトに挨拶。
そうしていつもどおりの一日が過ぎていく。
特に何もないまま授業が済み、お昼休みに。
小牧さんは迎えに来た由真と一緒に教室を出て行く。
俺と雄二は普段は購買でサンドイッチなどを購入して済ませていたが、今日は奮発して学食にする事にした。
このみと郁乃が今日は中庭で珊瑚ちゃんたちと一緒に弁当を食べると言っていたので、邪魔するのも悪いと思ったこともある。
食券を買いそれと引き換えに食料を手に入れ、適当に空いている席を探して場所を確保。今日は妙に空いているので楽に座れた。
普段たまに来るときはもっと人がいるものなのだが。

「なあ貴明。最近郁乃ちゃんとはどうなんだ?」

で、向かいの席に座る雄二が唐突に聞いてきたりしたわけで。
小心者の自覚がある俺は、つい周りを見回し聞き耳立てているのがいないか確認してしまう。

「どうもなにも、何もないぞ」

適当に雄二の問いをはぐらかしながら、定食のメンチカツにソースをかける。むう、カニクリームにすればよかったかな。

「何もって、何もか?」
「何もだ」
「もうそろそろ、ひと月経つよなぁ?」
「何がだ」

千切りキャベツを噛みながら雄二に目を向けると、うどんに七味をかけている。
キツネでもタヌキでもない、素うどん。また例の緒方なんとかのアルバムやらグッズに小遣い使いすぎたなこいつ。
家政婦さんに弁当作ってもらったらどうだ? と言った事があるが、愛が無いんだ愛がっ! とか言ってたからなぁ。
なら学食には愛があるのだろうか? 謎である。知りたくもないが。

「何がってなぁ」
「だから何なんだ?」

味噌汁の味が濃いなぁ。今度はスパゲティにするか。あ、でも購買が今度ハム卵サンドを入れるという情報がある人物からきてるしなぁ。
興味がわくところだ。

「お前が郁乃ちゃんと付き合うようになってから、一ヶ月経つなと言ってるんだ」

バキッ、と俺の手の中で音を立てて折れる割り箸。
いや今更の話ではある。みんな知っている事なのだから動揺する必要など無いはずだが、あえて聞かれるとこうなる。
俺は新しい割り箸を手に取ると、二つに割る。

「九条院に戻っちまった姉貴が電話で聞いて来るんだよ、貴明の様子はどうだ郁乃ちやんと上手く行ってるかとか色々と。どうして俺の心配はしないのにお前の心配はするんだろうな」

多分、別の意味では心配してくれてるとは思うぞ。つかなんでタマ姉が知ってるんだ?

「え? お前が言ったんじゃないのか。となるとちびすけか? まあその辺はいいや」

良くは無いのだが。
うどんを啜りこむ雄二を半眼で睨み、メンチカツを口に運ぶ。サクッとした歯ざわりと口の中に広がるソースと肉の旨味を味わい、それから白米を口にして良く噛み飲み下した。

「で、だ。キスぐらいしたのか〜?」

コップに口をつけ良く冷えた水を口に含んでいた俺は、盛大に噴出す。何を聞きやがるかお前は。

「汚ねーな、制服にかかるところだったぞ」

やかましい、と手近にある紙ナプキンでテーブルの上を拭きながら応える。

「そういうことは何もないよ。精々、そのな。手を握ったりしたぐらいで」

言いながら俺は郁乃の小さくてやわらかい、暖かな手の感触を思い出していた。
あの小さな手を、守りたい。そう思った事を脳裏に浮かべながら、つい目を細めてしまう。

「小学生かお前は。いいか? 女の子だってそーいうことを望んでいたりするのだから、やる時はやらないとな」
「そうほいほいできないんだよ。その、なんだ。郁乃の事は、だな。大切にしたいわけで」
「おいおい、そんな事言ってると他所の誰かに掻っ攫われちまうぞ?」

よ、他所の誰かってどこのどいつですかっ! て何勝手に人のポテトサラダ食ってますか先輩。

「オッス、オラまーりゃん。今日はバイトが午前中で終わりでよー、昼飯食ってねーんだもん」

そんな事は俺の知った事ではありません。

「たかりゃんよ。女の立場から言わせて貰うがな」
「先輩にも女である自覚があるようで安心しました」
「たかりゃんも遠慮なく言うなぁ。まあ俺も普段は忘れてるしな」

忘れてるんかい。だから常々言っているように恥じらいと言うものをですね?

「ま、それは置いといて、だ。せめていっぺんはムード出してちゅーぐらいはしたらんと、自分は求められてないのかと不安になってくるから、しっかりとかましたり」

はあ、と気のない返事をもらしてしまう俺。
いやまったくその気が無いとかではないし、この人の言う事が珍しく納得が行かなくも無いので戸惑っているだけなのだが。

「でだ。今なら一回二百円で俺様とちゅーしてもいいぞ♪ ささ、ぶちゅぅと濃いのかまして練習するが良いっ!」
「あんた学食で何言い出すかなっ!?」
「貴明。お前の事がうらやましいような哀れなような不思議な気持ちだ。相手がこの人じゃなぁ。トリアエズモゲロ」

何がどうしたら羨ましくなり得る? もげろっと何がだ。しかし先輩、以前より微妙に値上がりしてるし。

「わからんのか貴様。先輩、俺の場合だといくらほどで?」

そういう事を聞くなよお前は。

「んー……本日の受付は締め切られました♪」
「こういう事だ」

判らんてば。

「はぁ。どんだけ自分が気に入られてるのか自覚ないのか」

いやそのお陰で毎度毎度毎度毎度ろくなめに合わんのだろうと。先輩と笹森さんが組んでダブルアップする時もあるし。倍率ドン、さらに倍だぞ?

その後はとっとと食事を済ませて先輩とは別れ、教室に戻る事にした。そもそもあの人何しに来たんだ?
途中廊下の窓から中庭を覗いてみたらこのみと郁乃、珊瑚ちゃんと瑠璃ちゃんが缶のお茶を飲みながらおしゃべりしているようだった。
遠目にその姿を眺めながら、今朝の夢と先輩の言っていた事を思い出してしまう。
夢の中とはいえもう少しで柔らかそうなあの唇に、俺は……俺は……

「貴明、落ち着け!」

…………はっ!? 俺は一体何を。何故だか物凄く頭が痛いぞ。例えるのなら煩悩を打ち消すために柱にガンガン頭をぶつけた後のような。

「いやいきなり壁に頭撃ちつけ始めたから、どうしたんだと思ったりはしたが」

ぬう。何をしてるんだろうな俺は。

「まあ幸い他に人がいないから良かったようなもんだが、流石にフォローできんぞあれは」

すまんな雄二。最近俺も色々とあるんだ。

「ああ。いつもお前まーりゃん先輩相手に苦労してるもんな」

どうしてあの人今でも学校に来るんだろう。久寿川先輩も卒業してしまったというのに。
兎角痛む頭を押さえながら、俺たちは教室に向かった。
郁乃がこちら見ていた事には気付かぬままに。

数日が過ぎ、とある休日。
何故だか家に朝から郁乃が居座っていたりする。
このひと月の間、一緒に買い物に行ったりしたのはまだ一回ぐらいしかなく、放課後家に寄って行くことはあっても休みの日に朝からというのはなかったのだが、今日は唐突に押しかけてきた。
以前選ばさせられた服装に身を包みいくらかの食材を抱えてやって来て、昼食の世話してやるからとちょいと目をそらしながら俺を見上げて告げる彼女はなんだか可愛くてげふんげふん。
ともかくかつて知ったなんとやらと今は台所で食事の支度真っ只中である。
一時期夕飯作ってくれてたりしたからなぁ。放課後ちょっとした事に付き合ってやったら、その礼だって事で。
そして俺は郁乃から「勉強か部屋の掃除でもしていなさいあんたは」との指令がありまして、現在自室にて整理整頓しております。
そういえば取り込んだ洗濯物をまだタンスに入れてなかったな。
勉強? はっはっは。自宅に彼女が来ている状況下でそうほいほい集中できるわけがないので。
一往例題の一つでもと思って参考書など開いてみたが、集中力が続きませんでした。
特に郁乃に見られて困るようなものも無いので、無いので……無いと思ってたけど数日前雄二に押し付けられた緒方なんとかさんの写真集は見つかるとまずい気がしたので、ダンボール箱に入れて屋根裏に秘匿。
それから朝起きたときのままだったベッドのシーツなども取り替えて綺麗にベッドメイク。まあ毛布を畳んでおくだけだが。
ベッド……いやいやいやいや。今何を連想しようとしたかな俺。
まったく、あれは夢。夢なんだから。願望かもしれないけれど早々そんな展開にはならない。ならないんだよ!

「貴明。何してんのあんた。とうとう変な趣味にでも目覚めた?」

椅子に座り机に額を叩きつけていると、郁乃が扉を開けてこちらを見ていた。

「いや、ちょっと人生についての哲学などを」
「バカ言ってないでさっさと降りてきなさい。お昼できたわよ」

いくのん冷たいっ! と言っても軽くスルーされたのでおとなしく部屋を出て階段を降りる。
リビングのテーブルにはトマト煮込みのロールキャベツとパンが並んでいた。
姉に習ったばかりの料理、その試作品の実験台になってもらうからと言って席に着く郁乃。
なんとなく夕飯向きなメニューだなと思ったが、ここは素直に美味そうだなぁ〜と言いながら俺も椅子に座る。
いただきますと一言告げて箸をつける。いやこの場合スプーンだが。
一口スープを口に含めば舌の上にに広がる濃厚なトマトの風味。
なにやら郁乃は楽しそうに料理の内容を説明してくれて、トマトは切込みを入れて軽く火であぶってから冷水に入れて皮を剥き、種などを取り除いて鍋で火にかけて……とか教えてくれる。
ああ、ほんとに姉のことが好きなんだなと、教わってている時の様子も交えて話は続く。
ロールキャベツをスプーンで切り分けて一口咀嚼し飲み下し、スライスされ軽くトースターで焼かれたフランスパンを手に取る。
焼く前に霧吹きで表面を濡らしてあるらしく、適度な歯ざわりで食べやすくなっている。
実は食事を続けながら、違和感を感じていた。
今日の郁乃は良く喋る。普段無口と言うわけではないが、こんなに喋る事は無いはずと思う程度に。
どこか、何かを。誤魔化しているような、抑え込んでいる様な違和感。
はてなんだろう、と思うもどうにも明確に指摘できるものではないので聴くに聴けない。

「貴明、食後に紅茶でも飲む?」

食事を終え、食器の片付けが終わった郁乃がそう聞いてきた。
片付けは郁乃がやると言い張るので任せる事にした。どうも人の世話を焼けるのが楽しいらしい。いや掃除と洗濯とかは俺がやるのだが。郁乃がやるのは今現在、食い物関係に限られている。まあ余り無理もさせられないしな。
洗い物をする郁乃というのも眺めていたいものだが、見ていられると落ち着かなくなるらしいので、おとなしく退避。
ソファーに腰掛けてお茶の支度が済むのをのんびり待つことにした。
俺はなんだかこう、夫婦みたいだなぁとか考えて、一人身悶えする。
まああまりそれを続けているとまた郁乃に冷たい目で見られるので自重。これがもし生暖かい視線になったらもう終わりだろうな。いやなにがだ。
リビングの時計の長針が六分の一ほど動いた頃。郁乃がティーポットなどをトレイに載せてキッチンから出てきたので、俺は立ち上がり入れ替わりでキッチンに入りレンジの火を止めて湯が沸騰しているヤカンを運ぶ事にした。
自分でいれても渋くなるなるだけなので滅多に飲まないのだが、一往紅茶は我が家にもある。
だが郁乃は自前で持ち込んだらしく、バッグの中から缶を取り出した。
郁乃は俺の向かいに座ると缶の蓋を開けて、スプーンで三杯程の茶葉をポットに入れてそこに湯を注ぎ、ヤカンに残っている湯でカップを満たしておき暖めておく。
時計を見ながら数分待ち時間を見計らってカップの湯を捨ててから紅茶を注ぎ込む。
この時郁乃は茶葉がカップに入らないよう茶こしを使っている。
紅茶を入れ終わり郁乃はさあどうぞ、と促してくる。
しばらく香り楽しんでから一口含み、暖かな液体を飲み込む。
郁乃がいれてくれた紅茶は自分でいれるものとは比較にならない味を舌の上に残し、食後の口内をさっぱりとさせてくれた。
美味しいな、やっぱり姉に習ったのか? と問えば、うん、と楽しそうに郁乃が答える。
今度はハーブティー淹れてきて上げるから、と仰られていますよこの人。
郁乃は薄切りのレモンを紅茶に浮かせ、レモンティーにしているようだ。
しばしくつろぎ、ゆったりとした時間を過ごす。
特になにかある訳でもなくのんびりと過ごす時間。なんとも贅沢な休日の過ごし方だろうかと思い耽り、郁乃の顔を見てみる。
郁乃は手にしたティーカップを傾け少しずつその中身を減らしていく。
時折その唇を小さな舌がちろりと舐め、その様子に胸がドキリとしてしまい視線を外し難くなる。
その視線に気付いたのか不思議そうな顔をして首をかしげ、なに? とこちらを見る郁乃。
なんでもないぞと誤魔化しながら、そのしぐさを可愛いと感じてしまい、なんだか妙に幸せな気分になる。
お互いの近況や興味あることなどを話しながら過ぎていく時間。
時計の短針が一周する頃には話題は進路のことになっていた。

「進学……するんだよね?」
「まあそのつもりだ。親も学費は心配するなって言ってくれてるしな」

それなりのレベルでここからでも通える所を志望してはいるが、そこが駄目だったらこの街から離れる事になるだろう。
そうはならないよう日夜勉学に励んではいる。何人かで集まったりして勉強会をすることもあるし。
草壁さんとか由真とか愛佳とか雄二とか何故か気が付くといる笹森さんとかで近くの図書館に集合したりして。

「頑張ってるんだよね……私も頑張らないと……」

手の中の空になったカップの底に視線を落し、郁乃がポツリと呟く。
いやいや郁乃だって勉強や体力づくりをいつも頑張ってるじゃないかと声をかけると、ふぅと息を漏らしながらそれ以外にも色々とあるのよ呟く郁乃。何があるんだろう。
とりとめなく話をしながら時間は過ぎ、やがて陽も陰り始めたころ郁乃がそろそろ帰ると言いだしたので俺は送っていくよと俺はソファーから腰を上げる。

初夏の日差しが夕焼けに切り替わる前のわずかな時間。
俺と郁乃はいつも通る道を歩いていく。
小牧家へと続く道すがら、これからは休日ももっと勉強しないとねなんて悪戯っぽい表情を浮かべながら郁乃に言われてしまう。
いや今日は誰かさんが居たからなんですよと笑いながら反論する。
内心はそれを理由に現実逃避してたしなぁとは思っていたわけですが。
そっか、ごめんね。私もう来ない方がいいかな、などと言われてしまえはそれは却って困る、来週は頑張りますからと悲痛な表情で返すと何言ってんのよと郁乃が笑いだす。
多分これからはあまり時間も取れなくなるだろう。
夏休みに入っても講習などで遊びにも行けなくなる。
やがてお互い段々と口数が減り、やがてどちらからともなく手を繋いでいた。
きっと俺は照れくさくて顔を赤くしていただろうと思う。
郁乃は顔を伏せ、身長差もありどんな表情をしているのかは俺の視線ではわからない。
やがて小牧家近くまでたどり着き、多少の段差があるところで行くのはここまででいいと手を離す。
掌に残る体温に名残惜しさを感じながら立ち止まり、俺は郁乃にまたな、と声をかける。
郁乃は段差の上に立ちじっと俺を見つめてくる。
もうちょっとこっち来なさいと手招きしてくるので二歩ほど郁乃に近づく。
段差の分多少身長差は埋まるがそれでも郁乃が見上げてくる形になる。
しばし無言で見つめ合う。

「えっと、どうしたんでしょうか郁乃さん?」

戸惑いながら声をかけるが無言の視線で返されてしまう。落ち着きません。
数秒経ち郁乃がその小さな口を開いた。

「あのね、貴明……」

何かを言っているが、郁乃は視線を落し声が小さくなっていく。
ん? などと漏らしながら俺はもっと聴き取ろうと郁乃に顔を近づける。
ある程度のところで郁乃は視線を上げ真っ直ぐに俺の目を見つめ返す。
え、と思ったら視界いっぱいに広がる目を閉じた郁乃の顔。唇に触れる柔らかな感触。
そして離れていく郁乃。
一瞬の出来事に唖然としていると郁乃は段差から降り、「あ、あんたのほうから何もしてこないのが悪いんだからねっ!!」と言って小走りで小牧家へと向かっている。
それを呆然として見送り、その姿が見えなくなったころ俺は……

「うおっしゃぁぁぁぁっ!!」

などと両手拳を空に向けて突き上げ歓声を上げていた。
て、俺はいったい何をしているんだと正気に戻り周囲を見渡す。

「くっくっく。とうとう大人への第一歩を踏み出したりしてみたりしたようだなたかりゃんっ!! ささ、ぜひとも次はあちきに濃いのをぶちゅ〜と一発」
「やかましいわっ! て、いつからそこにいたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!!」

街路樹の横、夕日を背に何故かマントをなびかせ腕組みしたまーな先輩がいたりした。
そして先輩が飛びかかってきたため全力で逃げるはめになったのであった。

————その日の小牧家では、とある少女がベッドの上で顔を真っ赤にしながら「うわわわわわわわわ」などと奇声を発しながら頭を抱え込みゴロゴロと転げまわりながらのた打ち回っている様子がその姉によって確認されたとかなんとか。

「お姉ちゃんはいつだって郁乃を応援しているよっ!!(●REC) あ、ベッドから落ちた」

自重しろそこの姉。

おまけ。

数日前のこと。

「というわけでいくのん、このままなにもないようであればたかりゃんの初ちゅーは俺様がいただいてしまおうかと思ったりしてしまうのですニャー」
「喧嘩売ってますね、そうなんですね先輩」
「この俺様のみりきでたかりゃん陥落のさまを見たくなくばいくのんよ、頑張るのじゃぞ?」
「みりき……て、魅力のことですか。寝言は海の底にでも潜ってから言ってください」
「あでぃおすあみーご、あいしゃるりたーんっ!! 」
「意味が分かりませんっ!」

ハイテンションで立ち去るまーりゃんを見送り、「が、頑張らないと貴明の貞操が危険でピンチで危機っ!?」
などと危機感を抱いた少女がいたとかいないとか。

おわり。

ADZの開き直り。

こんにちは、お久しぶりのADZです。
前回から年単位というのは流石に間空き過ぎだろうと怒られそうですが久し振りに書いてみたり。
私はギャグとか恋愛要素のある話とか書くのは不得手なんですよね(しれっと)。
ほんとはもっと引っ張ってからとかこのみや珊瑚たちを絡ませるつもりだったのですが……まぁいいか。
とかく『郁乃との日々番外編』第一部完なわけです。
ブランクがあったためか微妙に満足できるできかどうか疑問を持ってしまいますが、今の私にはこれが精いっぱいということで。

ではまた、いつの日にか。

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へどぞー。