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安息、そして動き出す世界

第一話

一通り私物の整理がついた所で、コウイチロウは改めて部屋の中を見渡した。
ここ数年、彼の執務室として使われてきた、それなりに馴染んでいた部屋。この部屋を使うのが今日で最後になるかと思うと、それなりに感慨深いものがある。

「失礼します」

ノックの後に礼儀正しく断りながら入ってきた青年に、コウイチロウは驚きの視線を向けた。

「おお、アオイ君。どうしたのかね? 君はかなり忙しいはずだが……」
「はい。ですが、最後にご挨拶ぐらいはと思いまして」
「ははははは、そうかね。だが、最後と言っても退役するだけだし、家まで訪ねてきてくれればいつでも会えるよ。いや、君の方が忙しいか」
「いえ、そんな事は……」

ジュンは痛ましげにコウイチロウを見つめた。
改めて、この人は老いたと実感した。雄偉であった体格は二周りほども縮んだように見え、黒々としていた髪とカイゼル髭も真っ白に変わっている。

「……申し上げるのが遅れましたが、この度はまことに何と言っていいか……謹んでお悔やみ申し上げます」

ジュンは弔意を述べながら、自分も彼女についていくべきだったと後悔していた。
自分がいれば彼女を救えたなどと言うつもりは無い。だが、やはりもう一度彼女を制止すべきではなかったのかという思いに駆られるのだ。
だが、そんなジュンの思いを見通しているかのように、コウイチロウは穏やかな微笑を見せた。

「これはご丁寧に……だがな、アオイ君。そう言ってくれる君には悪いが、あの子が死んだのは、むしろ当然なのだよ」

驚きに目を剥くジュンにも気付かぬように、コウイチロウの言葉は続いた。

「あの子は、ユリカは自分の事にしか目が行かない子になってしまっていた。自分に都合の悪い事には目を瞑り、見たいものだけを見ていた。そう、わしが、そうならぬよう育てねばならなかったはずのわし自身がそう育ててしまったのだ。妻を亡くし、仕事であの子を一人にしなければならない申し訳なさから、あの子の言う事は何でも聞いてやった。それが単なる逃避だと知りつつ、甘やかしてしまったのだ。その報いがこの結末というわけさ」
「……ユリカを殺したテンカワが憎くないんですか?」

あまりにも意外なコウイチロウの言葉に、ジュンは日頃の彼であれば、まず問わないであろう事を尋ねた。
それに対する答えも、やはり意外なものだった。

「まるで憎くないと言えば嘘になるだろうな……だがな、アキト君よりも自分が許せんのだよ、わしは。わしが逃げずにきちんとユリカと向かい合っていれば、ユリカが自分を救い出してくれたはずのアキト君を拒絶するなどという真似もせず、ルリ君を統合軍に売るなどという、人として最低の行為をする必要もなかっただろう……ユリカを殺し、ルリ君とアキト君の将来を奪ったのは、間違いなくわしの弱さなのだよ」

そう思えるようになったのは、ここ数日の事だがね。

……苦い笑みを浮かべながらそう言うコウイチロウに、何と声をかけたものか分からなかった。
そんな事はないと言うのは簡単だった。だが、その言葉の何と薄っぺらな事か。
アキトの方にも問題はあった、それは確かだ。だが、どちらの側により大きな問題があったかと言えば、やはりユリカの方だと言わざるを得なかった。
彼女にしか目が行っていなかった頃ならば気付かなかった事も、今ならば気付く事が出来る。
ミスマル・ユリカという女性は、あまりにも身勝手すぎたのだ。それが無意識のものであれ、悪意が無いものであれ、他者から見て問題になるのは、その行動の結果だけなのだ。その結果がもたらしたものを知っている者達がユリカに背を向けたのは、むしろ当然だとジュンにしても思う。
だが、それでもアキトに対しては割り切れないものが残るのだ。

何故殺した? 一度は愛した女性をそんなにも簡単に思い切る事が出来るのか? それは、彼女を愛してはいなかったという事ではないのか?

そんなどろどろとした思いが、ジュンの中に沈殿していた。
だが、この思いの是非は、旧ナデシコクルーに尋ねるわけにはいかなかった。彼等の中では、既にミスマル・ユリカは『悪』なのだ。そんな事を尋ねたところで、まともな答えが返ってくるとは思えなかった。
それでも、ジュンはその答えを知りたかった。だから、彼はコウイチロウに尋ねてしまっていた。

「……テンカワは、本当にユリカを愛していたのでしょうか? いえ、あいつがどんな思いで火星の後継者と戦っていたのかは聞いていますし、ユリカを救い出す為に命を削っていたのも聞きました。だけど、だからこそ、そこまででいえ救い出した、愛していたはずの女性を殺せるものなのでしょうか?」

そう言い終えてから、あまりにもぶしつけな質問をしてしまったのに気付き、ジュンは青くなったが、コウイチロウは暫く何の反応も見せなかった。
あまりの反応の無さに、相当怒らせてしまったと後悔していると、

「……わしには分からん。それは、アキト君だけが知っている事だ」

 という、存外落ち着いた答えが返ってきた。

「だが、仮にわしならば……愛していた相手に裏切られたと知ったら、何としてもそいつを殺すだろうな。まして、そいつが自分の大切なものを踏みにじろうとしたならば、なおさらだ。愛憎という言葉があるが、まさにその通りなのだとわしは思うよ。愛していたからこそ、その裏切りが、過失が許せない……存在する事にすら我慢がならなくなるかもしれん……少なくとも、わしの場合はな」


……総司令執務室を辞し、自分の執務室に戻る間、ジュンはずっとコウイチロウの言葉を考え続けていた。
やはり、コウイチロウの言葉にも納得する事が出来なかった。
愛する』という行為は、もっと穏やかな、お互いをいたわりあうようなものではないのだろうか?
自分の場合はどうだったかと思い浮かべようとして……愕然とした。思わず歩が止まる。
自分は本当に人を愛した事などないのではなかろうか?
無論、家族に対しては愛情を持っている、これは間違いない。だが、家族に向ける愛情と、恋人、或いは妻に向けるそれとは異なるはずだ。少なくとも、世間ではそうなっている。
だが、自分がユリカに対して持っていたと思う気持ちの何処を探っても、そんな違いは出てこなかった。出てくるのは、『放っておけない』『心配だ』……父が娘に、或いは兄が妹に抱くと思われるような、そんな気持ち、或いは自分の持ち得ない『奔放さ』に対する憧憬。

「はっ、ははっ……」

思わず笑いが漏れる。
アキトに対して割り切れないものが残るのは当然だった。何の事は無い、端から知りもしない事を納得できるわけが無かったのだ。
恐らく、アキトの抱いていた愛情というのは、もっと激しいものだったのだろう。それは、ジュンが抱いた事の無いもので、想像すら適わないもの。それは一体どんなものなのか?
それを知りたいという欲求が強く湧き起こる。

だが待て、焦る事は無い。

ジュンは自分に言い聞かせた。
今は混乱のせいで追及は止まっているが、いずれ必ずアキト追討の話が持ち上がるはずだ。その話が持ち上がった時、宇宙軍に話が来れば、ジュンは必ずその編成に組み込まれるはずだった。

今は落ち着いて、やれる事だけをやっていればいい。

再度自分にそう言い聞かせると、ジュンは足早に自分の執務室へ向かう。
そう、知りたい事を聞く機会は必ず訪れるのだから……。

何をする気も起きない。完全に気が抜けている。
アキトは音も無く溜息を吐くと、キャプテンシートに深々と身を沈めた。
ミスマル・ユリカを宇宙の塵に変えてやってから、既に三週間。特に何をする必要もなく、ただ惰性で宇宙空間を漂っている。
こんな事なら、あんな真似をするんじゃなかったなとぼんやりと思う。
あんな真似とは、連合政府とクリムゾンの癒着の証拠をすっぱ抜いた事だ。
ネット上にばら撒かれた爆弾は、当初の目論見通り、完全に連合政府の身動きを封じていた。ナンバーフリートの敗退でムキになられて更なる大兵力を投入されると鬱陶しいと思ったのと、アカツキの頼みでやった事だが、いささか利き過ぎた。正規の巡視ルート以外にまったく軍の動きが無い。
……退屈だった。以前であれば歓迎したそれも、今となっては苦痛以外の何物でもなく。

『アキト、退屈?』『ゲームでもする?』『将棋、チェス、囲碁、オセロ、人生ゲーム……』『……十八禁?』
「……おい、最後のはなんだ?」
『リリンの生んだ文化の極み』
「……また変なアニメを見たな、ダッシュ」

目の前を踊るウインドウに向かって、アキトは僅かに顔をしかめた。
ユーチャリスのメインコンピューターであるオモイカネ・ダッシュは、最近になって何故かアニメにはまり始めていた。その原因は分かっている。

ウリバタケ・セイヤ。

超一流の腕を持つ違法改造屋は、超一流のオタクでもあった。
ユーチャリスが整備の為にドッグ入りする時には必ず立会い、その腕をふるってくれる。それはいいのだが、ダッシュまでその色に染めようとするのは勘弁して欲しかった。まして……それを、かつての自分を取り戻させようという意図の下に行うのは。

「……今更戻れるはずもない。善意だと分かってはいるが……」

アキトは苦々しげに呟きを漏らした。
ウリバタケにしてみれば、少しでも以前の自分に戻って欲しいのだろう。
だが、その気遣いは正直息苦しかった。何もかもがもう遅いのだ。
その証拠に、自分は平穏を苦痛とさえ感じている。戦いを求めて、精神の奥底に眠っている獣性が頭をもたげる。無意識の内にナノマシンが活性化され、全身に光の軌跡を描き出す。
壊れかけた身体で、なおも戦いを求める自分。そんな代物が、どうやって表社会で生きていけるというのか?
歪み切った己に対して嘲笑を漏らした時、背後で圧縮空気の抜ける音がした。

「アキトさん……」

頼りなげな、儚い声。

「ルリか。どうした?」

ルリはアキトの問いに答えず、小走りに駆け寄ると、キャプテンシートに身を任せているアキトの胸の中に飛び込んだ。その身体は小刻みに震えていた。

「一人にしないでくださいって、言ったじゃないですか……目が覚めたらアキトさんがいなくて、また私を置いてどこかに行っちゃったと思って……」
「ああ……悪かった。よく眠ってたから、起こすのもなんだと思ってな」
「嫌です……もう一人は嫌なんです。アキトさんがいなくなるのは絶対に嫌です」
「ああ、分かってるよ。大丈夫、俺は何処にも行かない。ルリの傍にいるさ、ずっとな」

涙を流さんばかりに縋り付いてくるルリの背中を叩いてなだめる。ダッシュに尋ねればアキトの所在などすぐに分かるというのに、その事にすら思い至らないほどにルリは怯えていた。
ユリカを殺してから、ルリの様子は明らかにおかしくなった。
それはそうだろう。いくら敵に回ったといえ、それまで母とも姉とも慕っていた女性を殺したのだ、心に傷が残らないはずがない。アキトがいるからこそ、日常ではその傷が隠れているに過ぎない。精神安定剤代わりのアキトの姿が見えなくなれば、途端にその傷が現れてしまう。まして、そのアキトも一度は彼女の前から姿を消してしまった事を考えれば……。
アキトは、ルリに見えないように気をつけながら、唇を噛んだ。

今のルリは、もう一人のラピスだ。俺一人に依存し、その存在によって自己を確立している。
そのあり方の歪さを危惧したからこそ、俺はラピスと離れる事を決意したのではなかったか?
くそっ、あの女を殺す時にやはり連れて行くべきではなかった。

胸の内で、ありったけの呪詛を己に叩きつける。

いくらルリ自身が望んだ事とはいえ、認めるべきではなかった。薬で眠らせるなり何なりして一人で殺しに行くのも可能だったのに。それをしなかったのは、明らかにかつての妻を殺すという行為に怯えた俺の弱さだ。その弱さが、こうしてルリに苦しみを強いている……!

こみ上げてくる己に対する強烈な殺意を苦労して抑えつける。何とかナノマシンの発光現象も出さずに済んだ。
ルリには、いかなる不安も与えてはならなかった。心の拠り所になっているアキトが揺らげば、ルリも動揺する。ルリの心の均衡を保つ為に、アキトは平静さを装わなければならなかった。
少し落ち着いてきたのを見計らって、極力軽い口調で話しかける。

「少しは落ち着いたか?」
「……はい。すいません、取り乱してしまって……」
「いや、構わんさ……いい眺めも堪能できたしな」
「えっ?」

ルリの目がアキトの視線を追うと、自分の胸部に辿り着いた。目に入ったのは……ほとんどはだけてしまっているパジャマと、そこから見える、小さいながらも美しい曲線を描く双乳。

「きゃっ!?」

可愛らしい悲鳴を上げて胸を押さえるルリを、アキトが抱きすくめた。
桜色に染まっている耳朶に唇を寄せ、囁きかける。

「隠さなくてもいいだろう? せっかくいい眺めだったのに」
「だ、だ、だって……恥ずかしいし……小さいですから」
「もう何度も見られてるのにか?」

アキトの囁きに、ルリの全身が真っ赤に染め上げられる。

「……ばか」

それだけ言うと、ルリはアキトの胸に顔を埋めてしまった。


いつの間にか眠ってしまったルリをしっかりと抱きしめながら、アキトはこれから先の事に思いを馳せた。
ルリをこのままにしてはおけない、それは分かりきっている。だが、この手の心の傷が回復するには時間がかかる。かのイネス・フレサンジュの治療を受けていてさえも、だ。
それまで自分の命が保つのか、心許なかった。以前に通告された生存期間はとっくに過ぎ去っている。生きている事が奇跡と言われているような状態なのだ。

今自分が死んだら……

そう考えた時、凄まじい冷気が脊髄を駆け抜けていった。
何の事は無い、今の状況は『あの頃』とまったく変わっていない。
己のあまりの惨めさに、アキトは大声を上げて笑いたくなった。

「疫病神が……!」

その深刻な憎悪の声は、誰に聞かれる事も無く消えていった……。


……世界は、未だ何の変化も見せていなかった。

Martian Successors
NADESICO

Vita di tutti i giorni di riposo e, dopo quel mondo.01

あとがき

どうも、信周です。
……あ〜、始まっちゃいましたねぇ、連載……しかも、『本来読み切りのはずの短編の続編』という無謀な代物が……(涙)。
何故そんな無謀な事を始めたかというと……らいる様の陰謀です(きっぱり)。私は嵌められたんです(涙)。こんな難しい事を、長編を書いた事の無い人間に要求するなんて……(チャットでの仕打ち、忘れませんからね(笑))
何せ本来読み切りとして書いたものですから、続く可能性が軒並み潰してあるんです。そんな話の続編……正直言って、逃げたくなりました。
ですが、始めてしまった以上、何とか最後まで書き上げたいと思います。
非常に地味な話になると思うし、暗くなるかもしれませんが、気長にお付き合いいただければ幸いです。
それでは、今回はこの辺で失礼いたします。


あとがきのあとがき

この話、原案にらいる様も一枚噛んでます。タイトルも、らいる様が(勝手に(笑))チャットで発表したものを、そのまま流用していたりします。
ですから、『原案:らいる 著:信周』という表記がついてもおかしくないわけで……いざという時は、らいる様に押し付ければいいやと(爆)。
更新が止まった時は、らいる様にリクを出しましょう(笑)。

from らいる
まあ、更新が止まったら私にメールください。

・・・右手にスコ−ピオンVZ61、左手にはベレッタM12、懐にCZ75を忍ばせて押しかけますので(笑)。

ただ、らいるは黒アキトが書けませんからね。
読むのは好きですよ、ひたすら黒いだけ、でなければの話ですが。
ウリバタケの善意にすら鬱陶しさを感じるアキトですが、ルリに見せる優しさが彼自身の救いにもなっていて、この黒アキトは好きです。

ユリカがアキトに殺された後の世界。
前代未聞の劇ナデアフター。展開に期待です。