fanfiction > 信周 > 安息06話
安息、そして動き出す世界
第六話
体が重い。
いつもの事とはいえ、自分の体が思うように動かないというのは実に不快だ。本来なら、これに加えて苦痛もあったのかと思うとげんなりする。それを思えば、感覚が無いというのはありがたいのかもしれない。
そんな本末転倒な事を考えながら、アキトはベッドに横になっていた。
彼の身体は無数の医療機器に繋がれ、その機械達は彼の体のあらゆるデータを読み取ろうと健気に働いていた。
そして彼らが指し示す様々なデータをまとめているのはルリだった。その表情には一切の余裕がなく、ユーチャリスの操艦をしている時より厳しい色を浮かべている。
(今更調べた所でどうなるというものでもないのにな)
アキト自身はそう思っているのだが、どうやらルリはそう思っていないらしく、体の事を何故隠していたのかと散々になじられ、泣かれ、全面降伏せざるをえなくなってしまった。その挙句、アカツキから頼まれた火星の後継者を狩りだす作業にまで厳しい制約がつけられてしまったのだ。
「ルリ、もういいだろう。早く次の狩りにかかるぞ」
「アキトさん、動かないでください。データがうまく取れません」
ルリの聞く耳を持たない様子に思わず溜息をつく。
イネスが自分の体の事を漏らした事を怒ってはいなかったが、恨めしくは思っていた。これでは狩りに使える時間が大幅に短くなってしまう。
自分の体が長く持つはずもないと知っているだけに、焦りを感じてしまうのだ。
「……はい、終わりました。もう動いてもいいですよ」
ルリの許可が下りると同時に、身体につけられた電極類をむしりとる。ベッドから起き上がると、身体をほぐすように軽く動かしていく。
(鈍い、な)
意図したよりも僅かに動きが遅れる感覚。
恐らくコンマ数秒もないそれは、プロ同士の殺し合いにおいては致命的な隙になりかねない。もう、自身の身体を使った殺し合いは出来ないと判断せざるをえなかった。
だが、それでも構わない。
今アキトに求められているのは機動兵器乗りとしての力であり、暗殺者のそれでは無い。
アキトの体内のナノマシン群は、IFS制御において、通常のパイロットなど問題にならない情報処理速度を誇っている。機動兵器乗りとしてはむしろ好都合だった。
草壁を自身の手で殺したいという願いはあるが、それには最悪撃鉄を引く力が残っていさえすればいい。
そうである以上、現在の体調はアキトにとっては何の問題も無いと言えた。
そんなアキトの様子を見守っていたルリが声をかけてくる。
「アキトさん、調子はどうですか?」
「ああ、特に変わりは無いな」
そのアキトの答えにルリの表情が曇る。
変わりがないという事は、いつ死んでもおかしくない状態だという事。
それなのに、なおも戦おうとするアキトに、いや、彼を止められない自分の無力さに歯噛みする。
そんなルリの心を知りながら、すまないとは思いながらも、アキトは止まれない。
自身の復讐心というものは無論ある。
だが、それ以上にアキトを突き動かしているのは、自分の死後の見通しだった。
ここでネルガルに完全勝利を収めさせなければ、自分の死後にルリがどう扱われるか分からない。クリムゾンに反撃を許した場合、ネルガルが保身の為にルリを切り捨てるという事態もありえるのだ。アカツキは確かに親友だし、信用できる男だが、ネルガル会長という立場は、個人的な思いを常に許容するほど楽な地位ではないと、今のアキトは知り抜いている。
ルリを守る為にも、親友を苦しめない為にも、この戦いから降りるわけにはいかなかった。
「まだ投げるつもりは無い、か。まったく、年寄りの冷や水という言葉を知らないのかね?」
アカツキは苛立ちを冗談に包んで吐き出した。
クリムゾンはその勢力を衰退させつつも、なお肝心な所は守り抜いている。
政府を動かし、マスコミを扇動しても、『とどめの一撃』にはなっていない。
「我々としても努力はいたしておりますが、流石にガードが固く、未だその扉に手が届いておりません。まことに汗顔の至りで」
プロスペクターが恐縮した様子で頭を下げるが、それを煩わしそうに手を振って止める。
「ああ、君達が最大限の努力を傾けてくれているのは分かっている。僕の見通しがいささか甘かっただけの事だ」
そう、甘かった。
あの老人の力を見くびったつもりはなかった。あの老人の手腕が人並み外れているのは知り抜いていたし、それを前提として全ての見通しを立てていた。
見誤ったのは『執念』。
国家反逆罪容疑で留置所に拘留されていたロバート・クリムゾンの息子は、先日変死していた。
孫の二人が後継に適さない以上、現段階で息子を切る事は無いと踏んでいたアカツキは、見事にその思惑を外された。
「息子を切り捨てても、自身が生き残っていればなんとでもなる、か……僕も舐められたものだ」
舐められても仕方が無いのかもしれない。
この世界の住人が、勝つ為なら、生き残る為なら何でもするという事は、自分の父を見て知り抜いているはずだった。それでもなお、こんな見落としをするのは、あの老人からすれば『甘すぎる』の一言だろう。
さらに、人の執念というものがどれほど恐るべきものか、親友がその身を以って示していたというのに軽視していた。
ああ、確かに自分は過ちを犯した。本来詰むべき手順を踏み違え、相手が生き残る手筋を増やしてしまった。
だが。
「……逃がしはしない。クリムゾンはここで潰し切る。完膚なきまで、跡形も無く」
自身に言い聞かせるような声に、プロスペクターも静かに、だがはっきりと頷く。
「勿論です、会長。その一族全てを絡めとり、力を奪いましょう。二度と我等に、我等の友人に手出しなどできぬように」
プロスペクターにとっても、アキトの事は悔やんでも悔やみきれぬ過ちだった。
彼が子供の時には、前会長の策謀に気付くのが遅れ、彼の両親を奪わせた。
彼が夢にその手を届かせんとしていた時には、クリムゾン相手に後手を踏み、夢も、生きる道さえも奪わせてしまった。
最早己を呪う事でさえ生ぬるい。
もとより地獄行きは決まっている身ではあるが、このままでは死んでも死に切れまい。心安らかに地獄に赴く為にも、クリムゾンの力を根こそぎ奪い取らねばならなかった。
「……プロス君、『彼』に連絡を取ってくれ」
「かしこまりました」
一揖し、退出しようとするプロスペクターをアカツキが呼び止めた。
「『彼』を使うのは、これが最後だ。これで終わらせる、必ず」
呻きのようなその言葉に、プロスペクターは笑みを浮かべながら頷いた。
「心得ております、会長」
ネルガルから連絡が入ったのは、火星の後継者残党の拠点を一つ潰した後だった。
機動兵器戦を行ったアキトを無理やり休ませていた所だった為、その場にいたのはルリだけだった。
画面に映し出されたプロスペクターの表情はいつもの笑みを浮かべていた。
『おお、ルリさん、お久しぶりですな。お元気そうで何よりです』
「ありがとうございます。プロスさんこそ、お変わりなく」
『これはご丁寧に』
お互いどこか間抜けだと思いながらも、ごく普通の挨拶を交わす。
『テンカワさんの調子はどうですかな? どこか具合が悪くなったというような事は——』
「今のところ、無いようです。少なくとも、データ上は変化無しです」
『それは何よりで』
プロスペクターの表情には隠しきれない安堵の色が伺えた。
それが紛う事無く善意の発露である事は分かっているが、どうしてもルリの気に障った。
アキトさんの身体を心配するぐらいなら、何故アキトさんをまだ戦わせようとするんですか?
そんな思いがどうしても振り払えない。
その思いが顔に表れたのだろう。プロスペクターの笑みが僅かに翳った。
『……ルリさんのお怒りは、まことに無理からぬ事と存じます。テンカワさんをこの道に引き込んだのは、まさしく私どもの失態なのですから。ですが、今一度だけ。今一度だけ、テンカワさんのお力をお貸しいただきたいのです』
深々と頭を下げたプロスペクターの姿に、ルリは後悔した。
彼とて好き好んでアキトを酷使しようなどと思うはずもないのに。
分かっている。これは八つ当たりなのだ。
何よりも大切な存在に、何一つしてやれない無力な自分に対する憤りを転化しただけ。
「ごめんなさい……プロスさんが悪くないのは分かってるんです。だけど、私——」
『ルリさんが謝罪なさる必要などございません。私に出来る事など、ルリさんのお苦しみの一端なりと受け止める事ぐらいしかございませんが、それでお気が晴れれば何よりでございます』
いつものように笑みを浮かべているプロスペクターの姿に、ルリの瞳から涙が溢れた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
どうして私はこうなんだろう?
何でも出来るように、人には出来ない事でも出来るように『作られた』はずなのに、何も出来ない。
私が出来た事と言えば、人を傷つける事だけ。
イネスさんやエリナさんみたいにアキトさんの助けに、せめて邪魔にならないようにしたいのに、それさえも出来ない。
……どうして私はここにいるの?
頬を流れ落ちる涙は止まる事は無く、イネスに叱咤された事で築き上げたはずの心の砦さえ、脆くも崩れ落ちようとしている。
そんなルリの姿に、プロスペクターは声をかけようとしたが、思いとどまった。
何故なら。
「ルリ、何を泣いている?」
かの妖精の姫の守護騎士が姿を現したから。
かの騎士はその黒衣を広げ、妖精の身体を包み込む。彼女を傷つける全てを遮るように。
「プロスさん、ルリを苛めたんじゃないだろうな? もしそうなら、プロスさんが相手でも容赦しないぞ?」
その口調は冗談だと示すように軽いもので。
ルリの感じている痛みを癒そうとするような優しいもので。
プロスも追随するようにいつもの口調に戻る。
『滅相も無い。私がルリさんを苛めるなどと、冗談にしてもきつすぎますな、テンカワさん』
「本当か、ルリ?」
笑いを含んだ声でアキトが問いかける。
だが、ルリは涙を止める事が出来ず、頷いてその意を示すだけで精一杯だった。
それでも返事が返ってきた事で大丈夫だと判断し、アキトはスクリーンに向き直った。
「プロスさんがわざわざ連絡してきたという事は、緊急の要件だな?」
『緊急というより極秘ですかな? どちらにせよ、急いでこちらに出向いていただけるとありがたいのですが』
「何か問題があったのか?」
『それに関しては、こちらに来ていただいた際にご説明いたします。通信を長く続ける事は好ましくありませんので』
「そうだな。分かった、これからすぐにそちらに戻る」
『お願いいたします』
通信が切れると、腕に抱いたルリに視線を向ける。
ルリは、ようやく涙が止まったのか、不安そうな瞳をアキトに向けていた。
そんなルリの気を解すように、軽い口調で語りかける。
「ルリは随分泣き虫になったな。どうした? 何か怖い事でもあったのか?」
以前の、ミスマル・ユリカを地獄に叩き落す前であったなら、『子ども扱いしないでください』と言って睨まれるような、そんな質問にもルリは答えようとしない。その瞳には、零れはしないものの、涙が溜まっているのが見て取れた。
「俺には言えないような事か? そうじゃないのなら話してくれ。俺は頭が悪いから、口に出してもらわないと何が問題なのか、さっぱりなんだ」
ルリの涙を拭ってやりながら、問いかける。
この優しい娘を泣かせる事しか出来ない己に対する憤りを押し隠して。
その言葉で踏ん切りがついたのか、ルリがようやく重い口を開いた。
「……私、アキトさんの傍にいていいんですか?」
「何だと?」
思いもかけぬ問いに、アキトは思わず問い返していた。
そんなアキトの様子にも気付かぬように、ルリは必死に言葉を紡ぎだしていた。
「私、アキトさんに何もして上げられないんです! イネスさんみたいに身体を治す事も、エリナさんみたいにアキトさんの大事なものを守る事も、アカツキさんみたいに世間から隠してあげる事も、何も——!」
「ルリ、ちょっと待て」
「私が出来る事なんて、人を傷つける事だけなんです。私がアキトさんの役に立つのは、アキトさんの命が削られている時だけ。そんな私が、本当にアキトさんの傍にいていいんですか!?」
「ルリ!」
怒鳴り声で悲痛な声を遮ると、ルリをきつく抱きしめる。それ以上自傷の言葉を吐き出せないように。
だが、ルリはそれでも掠れ声で続ける。
「本当に、私、アキトさんを辛くするばかりで……何も、してあげられなくて……」
ルリの瞳から再び零れ始めた涙がアキトの胸を濡らす。
それを感じながら、アキトは己に憤っていた。
何もしてやれないのは俺の方だ。
何一つ、ただ普通の暮らしを送り、一人の人間として一生を送るというごく当たり前の道さえ、ルリに歩ませてやる事が出来なかった。
現実から目を逸らし、あのふざけた女の本性を見抜く事さえも出来なかった愚かな男に回ってきたツケに巻き込んでさえいる。
そんな馬鹿な俺を、ルリはただひたすらに信じ、好意を寄せてくれていたというのに、俺は何をしている?
身の内より全てを焼き尽くすような怒りがアキトの全身を支配する。
噛み締めた唇からは血が流れ、全身にナノマシンの光輝が走り抜けていく。
驚いたルリが顔を上げたのを、無理矢理胸に押し付ける。
本当に何もしてやれないのか?
ルリが望む事を何一つ叶えてやる事は出来ないのか?
……本当は知っている。
たった一つだけ、俺がルリにしてやれる事は。
『愛している』と、ただ一言囁いてやる事。
それだけは俺にも出来る、俺だけにしか叶える事が出来ないルリの望み。
これまでは、どうせ長くはもたない身でそんな事を言ってしまえば、ルリを縛り付けるだけだと思っていた。
だが、それは逃げていただけではないのか?
自身の時間の無さを、ルリの想いに応える自信がないのを糊塗する為の言い訳にしていただけではないのか?
……恐らくそうなのだろう。
結局、我が身可愛さに、ルリの心を傷つけ続けた訳だ。
反吐が出る。結局俺はあの女に相応しい相手だったという事か。
これからでも間に合うだろうか? いや、そんな俺にその言葉を紡ぐ資格があるだろうか?
……これも逃げか。資格の有る無しじゃない。要は、俺がルリをどう思っているか、大切な事はただそれだけ。
どうせこの身は地獄に落ちる。
言ってはならぬ事であったのならば、その時にまとめてツケを払えばいい。
そう考えると気が楽になり、きつく抱きしめていた腕の力も抜けていく。
「……アキトさん?」
不思議そうに見上げるルリに視線を向ける。
それは、かつてのアキトが持っていた、優しい視線。
知らず頬を染めるルリに、アキトはその言葉を囁きかけた。
「愛してるよ、ルリちゃん」
あとがき
どうも、信周でございます。
……申し訳ありません!(平伏)
随分間を空けた挙句、こんな所で切ってしまいました。ですが、これが今の私の精一杯、なにとぞお目こぼしの程を。
次はここまで空かないと……いいなぁと(笑)。
出来るだけ早く続きを書きますので、今回はこれで。
from らいる
危うく右手にスコ−ピオンVZ61、左手にはベレッタM12、懐にCZ75を忍ばせて押しかけるところでした(笑
それにしても、アカツキもプロスも、ほんといいですね。
もちろん、主役はルリとアキト(のはず……ジュンも入れた方がいいですか?)なんですが、脇役が光ってる作品と言うのはキャラに対する愛情がこちらにまで伝わってきて……え〜と、ユリカに対しては何も言いますまい(笑
ルリの儚さも増し、それに伴ってアキトの愛情もより強く感じられて。
第七話、そして最後にこの2人がどうなるのか、ジュンとユキナの行き着く先は、アカツキはクリムゾンを叩き潰すことに成功するのか、それは彼らにとっての『安息』を迎える結果に繋がって行くのか……。
第七話を楽しみにしていますね、信周さん。