lisianthus.me.uk

index > fanfiction > 信周 > 安息07話

安息、そして動き出す世界

第七話

 信じられなかった。

『愛してるよ、ルリちゃん』

 望んで已まなかった、だけど望むべくも無かったはずのその言葉。
 それでもいいと、たとえ彼の気晴らしであろうと構わないと思っていた。
 なのに。
 アキトの手がゆっくりとルリの頬を撫でる。その慈しみに満ちた動きは快いもののはずなのに、どこか現実感に乏しかった。

「……どうして、ですか?」
「ん? 何が?」
「……私を愛してるって」
「そんなに変か? これでも、言うのに結構勇気が必要だったんだが」

 言葉遣いは今の彼のものに戻ったが、その苦笑は昔の彼そのもので。

「昔から、ルリの事を大事に思ってた。だけど、それは女性に対しての感情じゃないとずっと思い込んでた。馬鹿な話だろう?」

 言葉が切れる。
 頬を撫でていた手が離れ、ゆっくりとルリの頭を抱き寄せる。

「俺は怖かったんだ。ルリとは歳も離れているし、好きだなんて言って、それで避けられるのが嫌だった。だから、兄貴でいいと。傍にいられれば、それでいいと自分に言い聞かせていた」

 それは、まさにルリ自身の心と同じで。

「だけど、あいつらの手に落ちて、君と会えなくなってから後悔した。こんな事なら、ちゃんと言っておけば良かった。せめて、嫌われてもいいから、自分の気持ちを伝えておけば良かった、とな」

 それなら、どうしてすぐに帰ってきてくれなかったのか?

 その思いが顔に出たのだろう。
 アキトの顔に苦いものが浮かんだ。

「帰りたかった。だけど、それと同じくらい帰りたくなかった。帰っても、俺は何の役にも立たなかったから。たった一つだけ、ルリにしてあげられていた料理さえ出来なくなっていたから。そんな俺が、ルリの傍にいられるはずがないと思った。それを思い知らされるのだけは、絶対に嫌だった」

 そんな事はないと言いたかった。ただ、傍にいてくれるだけで良かったのだと叫びたかった。
 だけど、それは出来ない。
 何故なら、その心の在り様は、ルリには良く分かるものだったから。
 妹であり続ければずっと傍にいられると。その演技を続けようと決めたのは、まさにその想い故だったのだから。

「だから、戦いに逃げた。復讐の為と言い訳して、見たくないものから目を逸らす為に、あいつらを追いかけようと決めた。それに、あいつらを放っておけば、ルリに何かするかもしれなかったし……これも言い訳だな」

 アキトの自嘲がルリの鼓膜を震わせる。

「はっきり言って、ユリカなんてどうでも良かった。あいつが俺を見ていなかったように、俺もあいつを見ていなかった。その時まで、自分でも気付いてなかったがな。そういう意味では本当にお似合いだったよ、俺とあいつは。ここまで腐った人間なんて、そういない」

 その言葉は鋭い刃となって、現実から目を背け続けた男の心を切り刻んでいる。

「戦ってる間は何も考えなくて良かったから、のめり込んだ。ラピスを助けたのだって、ルリと重ねていたから。その挙句、何も知らないのをいい事に、戦いの道具にした。あの子が慕ってくれてるのを利用して——本当に薄汚い、存在する価値なんてないクズなんだ、俺は」

 そう吐き捨てた彼の瞳は、暗い情念で満たされていた。
 それは、何もかもに絶望した、敗残者の瞳そのもので。

「そんな事ありません! アキトさんは —— !」
「だが」

 声の調子が変わる。
 それは、嘲るような、誇るような、奇妙な声。

「資格なんて無いかもしれない。拒絶されるかもしれない」

 ルリは息を詰めてアキトの言葉に耳を傾ける。片言隻句たりとも聞き逃さないように。

「……そんな事は知らない。たとえ拒絶されても、俺はルリの傍にいる。ルリが嫌がって逃げようとしても、絶対に逃がさない。逃げようとしたら、力づくでも縛り付ける。他の男の所になんて、絶対に行かせない」

 そのアキトの言葉を裏付けるように、ルリを抱きしめている腕に徐々に力がこもってくるのが分かった。
 常のアキトであれば絶対にしないような、乱暴とさえ言える抱擁。それは、絶対にルリを離さないという明確な意思表示。

「アキト……さん」

 息が詰まった。
 その息苦しさは、むしろ心地良かった。
 抱き締められ、かろうじて動かせる前腕をアキトの胴に回す。

「何もしてあげられる事なんてないと言ったな、ルリ? そんな事はない。そんな事はないんだ。例えそうだとしても、傍にいてくれればいい。ルリが傍にいてくれれば、それだけで十分だから……だから、傍にいてくれ……!」

 そこにいるのは、最強の名を冠されたテロリストなどではなかった。大切なものを失う事を恐れる、あまりにも弱い一人の男だった。

(ああ、そうでした……アキトさんはこういう人でしたね……)

 どうして、こんな事も忘れてしまっていたのか。
 彼は、本来強い人間などではなかった。むしろ弱い、それこそどこにでもいるような普通の青年に過ぎなかった。何事もなければ、少し気が弱い、お人好しの人物として、その一生を終えただろう。
 だが、彼に降りかかった様々な出来事が彼の装いを変えた。
 彼本来の姿では食い散らかされるだけだったから、力をつけた。その力を躊躇なく振るえるように、酷薄なまでに感情を抑制できる仮面をつけもした。期間限定の猟犬として存在する為に。
 しかし、長きに渡る戦いの日々は、その仮面を彼自身の本質だと思わせるようにしてしまった。アキト本人ですら、そう思い込んでしまったように。
 本当はそんな事はない。
 今でも彼は弱くて、私の考えてる事なんか、ちっとも分かってくれなくて。

「アキトさん」
「……何だ?」
「私は、ずっとアキトさんのものだったんですよ? アキトさんが私の騎士になってくれた時から、ずっと……」

 ……泣きたくなるくらい、優しい人のままだから。
 放っておいたら、自分を責め続けてしまう人だから。
 だから、私は傍にいたいと思った。何が出来るわけでもないけど、一緒にいる事ぐらいは出来るはずだからと。
 イネスさんから怒られるのは当たり前でしたね。こんな何でもない、だけど大切な事も忘れてたんですから。

「傍にいます。アキトさんが望んでくれる限り、いつまでも」
「ルリ……」

 アキトの腕から力が抜け、ルリの身体に自由が戻る。
 ルリの視線の先にあるのは、どこか呆けたような青年の顔。
 微笑みながら、ついと背伸びする。
 頬に血が集まるのを感じながら、目を閉じる。
 感じるのは、僅かに荒れた彼の唇の柔らかさ。
 ただ触れるだけの口付けは、それでもとても気恥ずかしくて。
 唇を離しても、恥ずかしくて目が開けられない。もっと恥ずかしい事もしているはずなのに。

「ルリ……」

 優しい彼の声が聞こえる。

「ずっと、一緒だぞ?」
「……はい」
「今更嫌だなんて言っても、もう遅いぞ?」
「そんな事言いません」
「本当に離してなんてやらないからな?」
「しつこいですよ、アキトさん。アキトさんこそ、離してなんてあげませんから覚悟してください」

 いつの間にか目を開けていた。
 アキトが悪戯っぽく微笑んでいるのが見える。
 彼の目に映る自分の顔も、同じような表情を浮かべていた。

「ルリも言うようになったな」
「全部アキトさんのせいです。アキトさんがしっかり捕まえててくれないから、こうなっちゃったんです」

 理屈にもなっていない自分の言葉を、アキトは笑って受け入れてくれる。

「そうか。それじゃ、責任を取らないとな」

 再び、すっぽりと抱き締められた。
 その抱擁は、いつものように優しいもので。

「今度の狩りが終わったら、少し休むか。アカツキに言って、二人でゆっくり出来る場所を手配してもらおう」
「本当ですか!?」

 思いもかけぬ言葉に、思わず声が弾む。

「ああ。ルリにはずいぶん頑張ってもらってるからな、そのご褒美だ」
「……私、子供じゃありませんっ!」

 ああ、こんなやり取りも随分久しぶりなような気がする。
 冗談とはいえ、子ども扱いされるのはちょっと癪だけど、それでも。

 ルリの目からは、光の滴が滴り落ちていた。

Martian Successors
NADESICO

Vita di tutti i giorni di riposo e, dopo quel mondo.07

あとがき

 どうも、信周でございます。
 ……今回は死にますた(涙)。書いてて、砂吐きまくりました(爆)。
 やはり私には『あまあま』とか『らぶらぶ』とかは厳しいというのが良く分かりました。書いちゃ消し、書いちゃ消しを何度繰り返したか。やぱし某所で言われるように、黒いのかねぇ、私って?
 とりあえず、現時点でのベストは尽くしたつもりですが、なかなか……(溜息)。

 実は、第六話と第七話が、私がもっとも書きたかった部分に当たるんですね。
 黒アキト君やルリたんの葛藤の克服という、駆け出しのSS書きには到底無理だと思える心の動きを書いてみたかったんです。
 この二人、SSでは結構(精神的に)強いという描写が多いんですが(私が読んだSSが偏っているという可能性もありますが)、そうかなぁ?といつも思ってたんですね。私としては、どちらかと言えば、二人とも弱いよなぁと思っていたもので、自分の解釈を形にしてみようと、無謀さを敢えて無視して挑戦したわけです。
 本来一つの話にする予定だったんですが、半端な長さになるわ、書いてて納得いかないわと七転八倒しまして、納得できるところまでで区切って、第六話として先に投稿させてもらったんです。そして、気を取り直して残りを書き上げようとしたんですけど……またかなり間が空いちゃいましたねぇ。しかも、今回はいつもの半分ぐらいしか尺がないし(苦笑)。
 尺の長さが変わって違和感があるかもしれませんが、今回は曲げてお許しを。

 あんまり自作品についてあとがきで語るのもなんですし、今回はこの辺で。
 相変わらず更新が遅いですが、気長にお待ちいただければ幸いです。
 では、次回の更新まで失礼致します。

from らいる
ひゃんほもひゅははひい……

こほん。
すいません、あまりのらぶらぶパワーで歯が……
えー。
何とも素晴らしい回ですね。ようやくアキトがきちんと言えたし。読者としても劇場版で不幸だった人物が幸せになるって部分は、一番読みたいところだしSSに最も期待しているところなんですよね、その辺り作者と同じで。

アキトの自分勝手な台詞も、彼の気持ちが理解できて。そこだけ抜き出せば勝手なんだけど、全然傲慢に思えないのはそれだけ感情移入しちゃったからかなあ(笑
お互い支え合わないと生きていけない、そんな弱さがあるアキトとルリってあまり見ませんから凄く新鮮で、尚且つTV版や劇場版の2人をとてもよく感じさせてくれて。
あまりにもしっかりとした、強いアキトとルリって、嘘っぽくて嫌いです。
いいじゃないですか、いいじゃないですか。こんな2人って。
これこそアキト、これこそがルリって感じがして。

『心の弱さは隠せないのだ』って北辰の台詞は、核心を突いていたんですね、きっと。でもそれが決して悪いことじゃなくて、そういう弱さがあるから相手を思いやる気持ちと溢れそうな自分の気持ちの板ばさみになって。
けれどそれに潰されるんじゃなくて、ほんとうに自分が必要として必要とされる相手にだけ、そんな自分を曝け出して支え合って生きていく。

……さて、数多のSSでこういうシーンを設けて貰えないジュン。どうなるんでしょうね(笑