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安息、そして動き出す世界

written by 信周

何一つ出来なかった。
夢を追う事も、家族を守る事も。
だから逃げた。自分を責めるであろう視線から逃れる為に。
だが、結局のところ、わざわざそんな事をする必要もなかった。
愛し、愛されていたはずの妻は、あっさりと他の男と結婚し、俺の事など気にもかけなかった。
義父も自分の地位を守る為に俺を売り飛ばした。
まあ、それはいい。自分でも納得が出来る、とまではいかないが、理解は出来る。
だが、義娘をも統合軍に売り飛ばそうとした事だけは許せなかった。
だから、殺した。
連れ去られそうになった義娘を取り戻し、報復として、かつての妻の現在の夫をこれ以上はないというほど残虐に殺してやり、その過程を克明に記録して送りつけてやった。余計な真似をすれば、次は貴様等の内のどちらかだ、というメッセージを添えて。
それで大人しくしていればいいものを、討伐軍なんぞ送ってきやがった。よほど俺が目障りらしい。
せっかく生かしておいてやろうと思ったのに、そっちがその気なら。
……皆殺しにしてやる。

兵どもが夢の後。
そんな言葉がぴったりだ。
俺の目の前——勿論比喩だ——には、かつて機動兵器や戦艦だったものが浮かんでいる。
その全てを俺が作った。
たった一人のテロリストを相手にナンバーフリートを持ち出した挙句、敗退。生存者皆無。
これはどう取り繕おうが、ミスマルの責任問題に発展する。馬鹿だな、大人しくしてれば、その地位を守れたのに。
そして、最後に生き残っている戦艦——ナデシコC。
かつては最強であっただろう電子戦艦。だが、それを運用する最高のオペレーターを失った今となっては、火力不足の張りぼてに過ぎない。

「どんな気分だ、狩る筈の獲物に狩られる気分は? ええ、ミスマルユリカ?」

ウインドウに映るあの女の顔は、恐怖と屈辱によって醜く歪んでいた。
良い顔だ。その面を見たくてわざわざ通信を入れたんだ。

『ア、アキト……』
「もうファーストネームで呼び合う仲でもないだろう、ミスマル大佐殿?」
『ア、アキト、私を殺したりしないよね?だって私達——』
「他人だろう? それも、お互い憎みあっている、な」

弄るように笑みを浮かべる。
以前は浮かべなかった、自分と相手を嘲る笑みを。

「そもそも貴様等が余計な事さえしなければ、俺は大人しくしていたさ。それをわざわざ叩き起こして、舞台まで用意したのは貴様等親子の方だ。一度舞台に上がった以上、最後まで踊り切るのが出演者の義務というものさ」
『アキト……そ、そうだ、ルリちゃん、ルリちゃんなら分かってくれるよね!? ああするしか仕方なかったんだよ!』
「……仕方ない、ね……こう言ってるが、ルリ、お前はどう思う?」

俺の言葉に答えて、新たなウインドウが開かれる。
そこに映っているのは、ホシノルリ。電子の妖精と呼ばれ、今では俺の相棒として指名手配されている少女——いや、女性か。

『でしたら、私達が生き残る為にあなたを殺すのも「仕方ない」事です』
『ル、ルリちゃん……』
『結局、あなたにとって私は単なる道具に過ぎなかった……アキトさんの気を引く為の、そしてその次は自分の地位を守る為の……それに気付かなかったから、私は今ここにいる』
『ち、違う。違うよ、ルリちゃん!』
『では何故、旧ナデシコクルーが一人も乗艦していないんですか?』

ルリの言葉にユリカが言葉に詰まる。

『あの人達は、私の為になるのなら、多少の無理を押してでも出てきてくれます。それにアキトさんの事もある。説得するにしろ、戦うにしろ、人任せにする人達ではありません。それが、出てきていないのは何故か?』
『……』
『帰って来いと説得する気も戦う気も無いという事。それは帰ってきても意味がないし、戦って殺すほどの罪を犯したとは思っていないという事』
『罪を犯してないって!?』
『勿論法律学的には犯していますよ? ですが、アキトさんがコロニーを落としたのは誰の為ですか? 命を削りながら、火星の後継者と戦っていたのは? ——ミスマルユリカさん、あなたのせいです』

冷ややかな声と視線がユリカに叩きつけられる。
それに押されて、ユリカは反駁する事も出来ず、ただ虚しく口を開閉させるのみ。

『貴方がいなければ、アキトさんはナデシコに乗る事もなかった。そうすれば、私と会う事もなかったけれど、アキトさんは自分の夢を叶えられたかもしれない。貴方がいなければ、アキトさんは救出された時に、私の所へ帰ってきてくれたかもしれない——貴方がいなければ、私はアキトさんと共に歩んでいたかもしれない』
『そ、そんなの言いがかりじゃない!』
『ええ、ただの言いがかりです。ですが、単に自分達の都合が悪いというだけで、私やアキトさんを殺す為の大義名分を振りかざすあなた達も同じ事ですよ』

ルリは一旦目を閉じると、こちらに視線を送ってきた。
もう話す事もないという事か。
それじゃ、グランドフィナーレといこうか。

「さて、無駄話もそろそろ良かろう——先に地獄で待ってろ。お前の父親もすぐそこに行く」
『——!!』

ユリカが何か言っていたようだが、煩わしいので通信を切る。
機関全速、アプローチを開始。
ナデシコCは狂ったように対空砲を稼動させるが、元々の火力不足故に、俺を止めるにはいささかならず役者不足だ。
加速と旋回によるGが俺の身体を押しつぶそうとし、それに耐える為に歯を食いしばる。
俺がまだ生きていると感じる、数少ない時間。
揺れ動いていた照星がナデシコCの艦橋を捉え、固定される。
一瞬の躊躇もなく引き金を引く。一発、二発、三発……ある限りの弾を撃ち込む。
ハンドカノンの弾着ごとに、ナデシコCのディストーションフィールドが撓んでいき、ついに突き破られる。
フィールドを突き抜けた弾丸は全て艦橋に吸い込まれていき……一瞬にして火の玉に変えた。
次々に誘爆を起こしながら金属隗へと姿を変えていくナデシコCを見ながら、俺は全てが終わったと感じていた。

全ての始末を終え、俺はユーチャリスに帰ってきていた。
出迎えるのは、ラピスではなくルリ。
ラピスは、俺に関する記憶を消してエリナに任せる事にした。いつまでも俺に縛り付ける訳にはいかなかったし、あの子は表に出ていない分、幾らでも誤魔化しようがある——ルリとは違って。
ルリは余りにも有名になりすぎていた。身を隠そうとしても、その特徴的な容姿が邪魔をする。
変装や整形手術という手もあるが、ルリはそれを望まなかったし、俺も望まなかった。
感傷ではあるが、ルリという最後の家族に変わって欲しくなかったのだ——自分が変わった事でルリをいかに苦しめているかを知るだけに。
それが自分勝手な欲望だという事は分かっている。それでも、俺はルリに変わって欲しくなかった。
その結果、ルリは俺と共にある。

「お帰りなさい、アキトさん」
「ただいま、ルリ」

 ルリの目が少し赤くなっている。泣いていたのだろう。

「……辛かったか?」
「いえ、そんな事は」
「無理をする必要はない。ルリは俺みたいに壊れてないからな」
「無理なんて」

していない、と言いかけたルリの頭を抱きしめて黙らせる。
守りたいと思うのに、俺はこの子を傷つけてばかりだ。何一つしてやれる事とてない。
それなのに、この子は未だに俺を慕ってくれている。

「……すまないな、本当に俺は疫病神だ」
「そんな事ありません! アキトさんがいなければ、私は人形のままでした。アキトさんが私を人間にしてくれたんです!」

ルリが必死に俺にしがみついてくる。
落ち着くようにルリの艶やかな髪をゆっくりと撫でる。気の利いた事一つ言ってやれない俺が出来る唯一の事。
それでもルリは満足なのか、嬉しそうな顔を見せてくれる。
何故この子がこんな目に遭わなければならないのだろうか?
この子は大それた野心があった訳ではない。たまたま特殊な生を受け、生きてきただけだ。
それなのに、世の馬鹿どもは、ただひっそりと生きていく事さえも許そうとしない。
それが人というものならば、人類などさっさと滅ぶべきだろう。
そんな似合わない考えを弄んでいると、ルリが心配そうに見上げているのに気付いた。

「何でもない。ただ、埒もない事を考えただけだ」
「……本当ですか?」

疑いの視線。
まあ、これまでの俺の行動を考えれば致し方の無い事か。口では何と言っても無駄だろうな。
なら。

「ん!? んんっ!?」

ルリの可愛らしい唇を自らのそれで塞ぐ。
何度味わっても変わる事のない甘美な興奮が俺を支配していく。
俺にはもう何も感じられないはずなのに、ルリとこうする度にたまらない感覚を覚える。
とっくに死んでいるはずの俺がこうして生きているのは、このおかげかもしれない。

「んっ……ふあぁ……アキト……さん……」

いつもは怜悧な光を宿している黄金の瞳が潤み、ルリの全身から力が抜けていく。
こうやって甘えてくるルリはとても可愛い。こんなに良い子を、よくも三年も放っておけたものだと我ながら感心する。
あの時、あの女の事など無視してルリの所に帰っていれば……ルリは表社会で安全に暮らせていたかもしれない。
だが、それはありえぬ仮定。
今の俺に出来るのは、自分の側に置いて守り通す事だけだ。

「ルリ……いいか?」
「……はい、アキトさん」

 お互いの身体を抱きしめながら、俺達はベッドに倒れ込んでいった。

ふと、目を覚ます。
別に朝だから、という理由ではない。夜であるというわけでもない。
そもそも、宇宙空間において、時刻というのは、それを用いる意思があってこそ初めて意味を持つ。
故に、私達のように、何一つ気にする事無く怠惰に過ごす人間にとっては、まるで意味のないものだった。
僅かに身じろぎすると、私を包み込んでいる腕に僅かに力がこめられる。まるで、離さないと言っているかのように。
それを感じる度に、私の心は喜びに包まれる。
叶う事がないと諦めていた想いが叶ったという現実。その喜びに較べれば、二度と表社会に出られない事など、何ほどの事でもない。
数年前に較べれば、数段厚みを増した彼の胸板に頬擦りする。そこに感じるのは、微妙な凹凸。
実験体として、そして復讐者として刻み込まれてきた無数の傷がそこにある。
胸だけではない。彼の全身で、傷が無い所を探す方が難しいだろう。
ただ、市井の料理人として生きたいと願っていた彼の夢は、理想という実体の無い物を盲信する馬鹿どもによって踏みにじられた。
そして、奪われた自分の夢と妻とを取り返す為に復讐の道に身を窶した。
それが、全ての終わりの始まり。
そして、三年の歳月をかけて彼の復讐は成った。
彼とその妻を誘拐した男は、彼自身の手によってコクピットごと押し潰され、挽肉になった。その男を飼っていた馬鹿どものトップは私が捕縛した。
今思えば、捕縛などせず、皆殺しにすべきだった。そうすれば、少なくとも私と彼の気は少なからず晴れたものを。
だが、その時の私は愚かであり、無邪気であった。
これで全てが元通り、とは言わないまでも、彼と会えるようにはなるだろうと甘い期待に胸を膨らませていた。
何度でも言おう、この時の私は愚かであった。
だが、そんな期待はあっさりと覆された。
彼が命を削って助け出した彼の妻は、変わってしまった彼を認めようとしなかった。
その父は、彼がテロリストになった事から絶縁し、統合軍に引き渡そうとさえした。
そんな彼等に不平を持った事は許されない事だと言うのだろうか?
少なくとも、彼等にとってはそうであったのだろう。
私は彼等に謀られ、統合軍に囚われる身となった。この後に待つのは、モルモットとして扱われる日々。
かつての私であれば、何という事も無かったのかもしれない。だが、その時の私はその境遇に耐えられそうになかった。
もう一つ悪い事に、私の体が女性として成熟を始めていたという事が挙げられた。
恐らくそういう用途にも用いられるのだろうと思うと、目の前が真っ暗になった。
自分の抱いてきた想いが叶えられないのは分かっていた。
だが、彼以外の手に触れられるなど、考えただけで吐き気がした。
いっその事、舌でも噛んで自殺しようかと思った時。
彼が、来てくれた。立ち塞がる者全てを打ち倒し、全身を敵と己の血で真っ赤に染め上げながら。

『……遅くなった、すまない』

彼の第一声はこれだった。
裏切った者達への、そして、この事態を防げなかった自分に対する憤りと慙愧の念に塗れた声。
彼は自分の事が許せなかったのだろうと思う。私が捕まった原因には、確実に彼が絡んでいたのだから。
だが、私にはそんな事はどうでも良かった。
彼が来てくれた、その一事の前にはどんな事も色褪せた。
気がつけば、私は彼に抱きついていた。
血で汚れると彼は言ったが、そんなものは構わなかった。彼と同じになれるのなら、どんな穢れでも私は受け入れるだろう。彼と引き離されるくらいならば、どこまでも堕ちるつもりだった。
そして、私は彼と共に歩み始めた。それまで彼と共に歩んでいた、もう一人の『私』と入れ替わって。

「ん……」

彼が呻き声をあげた。もうすぐ覚醒するのだろう。
彼が目覚める時の顔が見たくて、彼の顔を凝視する。
起き抜けの彼の表情は、今の彼に張りついているそれではなく、『昔の』彼のものだ。
私は現在の彼を否定するつもりは無い。それも彼の一面だと知っているから。
だが、私を『人形』から『人間』へと変えてくれた、優しい木漏れ日のようなかつての笑顔も見たいのだ。
そしてその笑みと共に優しく紡がれる、

『おはよう、ルリちゃん』

という言葉を聞きたいのだ。
……我ながら、何処まで業が深いのかと思う。想いを受け入れて貰えただけでも望外の幸せだというのに、さらに望もうとしているのだから。
だが、彼はそれに応えてくれる。
その証拠に、今も彼は言ってくれる。
起き抜けのはっきりしない頭で、眠そうにしながら、それでもはっきりと。

「……おはよう、ルリちゃん」

信周さんへのご感想は、こちらから。

らいるの感想
私は特にユリカスキーでもヘイトでもありません。
ですので、こういったユリカやアキト・ルリ、コウイチロウの結末も、彼らの踏んだ道がこうしてきちんと表現されていると、素直に納得できます。
黒アキトなら、そしてアキトやルリが変っていく間も眠り続けるしかなかったユリカだったら、ここに至ることもあったかも知れません。

ただ黒いだけのアキトはうんざりします。
どこかに救いのある黒アキト、それが私の求めるアキトと、劇ナデアフター。
それを実現してくれた信周さんに、ただただ感謝です。