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小雪が舞っていた。
街に、人に、道に、枯れ木に。
それから、寒さに竦めた小さな肩に。

機動戦艦ナデシコ - 雪と家族と - 27th,feb,2199

初雪

「ねぇ、ルリちゃんってばー」
ぼぅっと眺めていたルリの耳に、焦れたようなユリカの声が飛び込んでくる。
「あ、はい。何ですか」
それでもちらとだけ視線を流し、すぐに天を見上げるルリにユリカはくすりと笑うと、
「ルリちゃんって、北欧育ちでしょ。そんなに珍しい?」
「いえ。珍しいというか……外がどんなだったか、あまりよく覚えていません」
人間研究所での生活で覚えているのは、同じような子が沢山いたこと、与えられた部屋で毎日知識を詰め込んでいったこと、そして映像の両親くらいだ。
森深い北欧のきれいな景色や澄んだ空気、そういったものはあまり覚えていない。
唯一、風物で記憶していたのがあの水の音だけだったのだから。
「そっか」
それだけ言うと、ユリカも買い物袋を置いて、手を差し出して雪を受け止める。
ルリの言葉に過剰な反応を示すでもなく、ごく当たり前のように受け止めて受け流す。

「初雪だね」
「……そうですね」
どことなく上の空で返事をするルリ。
そんな様子も何となく嬉しくて。
ユリカは思わず、後ろからぎゅっとルリを抱きしめる。
「えっゆ、ユリカさん……??」
ここへきてようやく目が覚めたようなルリの慌てた声。
それも。
何もかもが愛しくて。

街灯の青白い光が灰色の空に浮かび、夕陽の見えない夕方。
遊び疲れることを知らない子供たちの声が響く時間。
けれど、今日は静かに雪だけが彼らのいる筈の場所を埋めていく。

薄暗い雪曇の住宅街さえ、とても愛しく感じる。

抱きしめたルリのぬくもりが嬉しくて。
頬を掠める雪の冷たさが清々しくて。

体の内側から、温かさがこもり、その奥底から冷えた清涼感が頭と足の先まで行き渡って抜けていく。
何だろう、この感じ。
ユリカは不思議な戸惑いと理解できない暖かさを感じたまま、じっと目を閉じていた。

団欒

「ただいまー」
「……ただいま」
対照的な声のトーンに、アキトは思わず口元を綻ばせる。
だからといって、ユリカだけがこの家を大事に思っているというわけではなく。
未だ、ルリは感情をうまく表すことができないだけだと、知っていたから。

「お帰り。寒かっただろう」
エプロンをつけ、台所に立ったままで答える。
一間しかないアパートでは、それで充分だから。

「うん。ね、アキト、雪が降ってるんだよ」
「へぇ?そうか」
そう言いながら、キッチンの小窓を開ける。
通りをはさんだ向かいの家との間をさえぎる、白い紙片。
「……ほんとだ」
ユリカがルリの肩にかかった雪を、ぽんぽんと払いながら、
「きれいだったよね、ルリちゃん」
「はい」
小窓を閉めたアキトが手を止めて、
「あれ?ルリちゃんって、北欧生まれじゃなかったっけ?」

クスッ。

ルリが思わず小さな笑顔を見せる。
「うふふ、アキト。それ、私もまったく同じこと言ったよ」
部屋で二つのコートをハンガーに掛け、鴨居に吊るしながらユリカが笑う。
「そっか」
「はい。もう一度言いましょうか」
「うん」
笑顔を収め、いつもの無表情に戻っていたが、さっきのルリの微笑みがとても嬉しくて。
ユリカもアキトと並んで布巾を絞りながら、ルリの言葉を待っていた。
「景色なんて、ほとんど覚えていないんです。だから、雪……きれいでした」
抑揚のない言い方だったが、うっすらと色味を帯びた頬は寒さのためか、それとも。

アキトはにっこりと笑うと、
「積もるといいね」

「はい」

記憶

きっと、私の一生はこうした記憶の積み重ねで成り立つのだろうと思う。
人はみなそうなのかも知れないけれど。
私は私の人生しか知らないし、他人の人生の成り立ちを調べようと思うほど暇ではない。これでも。

水の音と「ちち・はは」。
初めて覚えた言葉は何だったろう。
この世に生まれ出て、初めて目にしたものは。

全てが記憶に留まるわけではない。それもわかっている。
沢山のことを覚えて、沢山のことを忘れて。
フィルタに通して、捨てられていった、私の記憶たち。

残ったそれらは、やがて経験や想い出といった言葉に置き換えられ、降り積もる雪のように堆積していく。
そうして私はその時の私になる。

雪は、生まれた時から雪なのだろうか。
降っている間に雪になるのだろうか。

これに答えるのは簡単だ。
過冷却にある雲粒の中で、不安定だった水分子がカオリンなどの核により瞬間的に凍結を起こす。
過冷却水よりも分子結合が強くなった氷晶は、蒸発して水分を補給していく周囲の雲粒を取り込みやがて雪の結晶へと成長する。
これが850hPaで-6℃くらいだと、ちょうど作られやすいのだろう、角板と角柱を繰り返しながら落下し、周囲の温度にも影響されてさまざまな結晶を作り出す。
雪片となって私の上に降ってくる雪は、きっと六花ではない。

けれど、そんな説明が何の役にたつのだろうか。
つきつめれば水分子であり、水素原子と酸素原子であり。
それは「雪」とは異なるものであり、「雪」でもあり。
原子だったソレが、氷晶と化して水分を取り込み雪の結晶となる。
では雪の始まりは原子で、私の手のひらで溶ける白とは異なるものなのだろうか。
それとも原子が雪になるのだろうか。

それに答えてくれる人はいない。
その答えを得ることが私の目標であり、そしてきっと、ユリカさんとテンカワさんはその答えを既に持っている。

遺伝子だった私。
被験者であった私。
人間研究所での私。
オペレータだった私。
お姫様だった私。
ナデシコにいた私。

その時々に得た記憶を取捨して、今の私がある。
与えられた「ちち・はは」の記憶。
どこかでなくしてしまった記憶。
捨てさって、かえりみられることのなかった記憶。

それら全てを持っている私と、捨てたり作ったりして想い出にした私。

どれがほんとうで、どれが偽ものということもなく。

ただ、私は私なのだ。
ピースランド国王の娘としての遺伝子を持ち、人間研究所で記憶を与えられながらその遺伝子を強化し、ナデシコで想い出を作りながら生きてきた私。

今日は寒い。
いつものように、私を真ん中にしてテンカワさんとユリカさんが眠っている。
雪はまだ降っているようだ。
しんとした静けさと、障子の向こうの雪明りがとても不思議な気分にさせる。
今日は暖かくしないと、そういって作ってくれたテンカワさんのシチューは、またひとつ私に想い出をくれた。
風邪をひいたらいけないから、そういって布団の中で私をそっと抱きかかえるようにしてくれたユリカさんの温もりも。

雪は生まれた時から雪なのだ、きっと。
他の結晶にぶつかったりしながらいびつな形になるけれど。
六花じゃなくても、雪は雪だから。
色んな結晶に触れて、削られたりくっついたりしながら。

そうして成長していくのだから。

私は私。
こうしてテンカワさんたちといる限り。
記憶を捨てたり想い出を作ったりしながら。

だから、ずっと。

そして、きっと……。