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朝の光と雪の照り返しで。
街が、人が、道が、枯れ木が。
輝いていた、とても美しく。

機動戦艦ナデシコ - 雪と家族と - 28th,feb,2199

玉子焼き、砂糖味

ユリカは寝ぼけ眼でアキトを探した。
日課だ。

「ふにゅ〜、あきとぉ……」
「ユリカ、寝ぼけてないで布団たため、顔洗え、着替えて来い」
「うにゅ……そんなにいっぺんに言わなくても……」
「お前、ルリちゃんに恥ずかしいと思わないのか?」
そう言われてようやくユリカの頭が働き出す。
「はぅぅ……ルリちゃん、朝強くなったね〜」
「ユリカさんと入れ替わっちゃいましたね」
「う、厳しい一言」
「いいから早くしろよ。先食べちゃうぞ」
がば。
「あーだめぇー砂糖味の玉子焼きはユリカの好物なんだからー」
慌ててはね起き、どたどたと洗面所へ向かう。
その音を聞きながら、卵を溶いていたルリとサラダを作っていたアキトが目を見合わせて、
「結局、日課ですね」
「そうだね」

そして、いつもの朝食風景。
「うん、私、砂糖味の玉子焼き大好き!」

学校に行くということ

昼間。
アキトはバイトで工事現場へ、ユリカは宇宙軍へ、そしてルリはネルガルに行っている。
一度ミナトがユリカに、ルリを学校に行かせた方がいいのではないかと勧めたのだが、本人にその気がなかったことやネルガルがそれを肯んじなかったことで立ち消えた。
「それは……ルリちゃんのためにほんとにいいことなのかなぁ?」
ユリカは半信半疑だ。
くるくると、手持ち無沙汰にかき混ぜていたグラスの中身が、寒そうな音を立てる。
「そりゃそうよ、艦長。あの子はまだ12歳でしょ?中学校からは行かせてあげたら?」
「う〜ん……」
曖昧な返事でお茶を濁すと、悩んでいるふりをして頭を巡らせる。

ミナトの言うこともわかるし、確かにネルガルで研究や実験に協力することがルリのためになるかと問われれば、そうだと自信を持って言えるわけでないことは確かだ。
けれど、ユリカが考えているのはもっと根本的なもので、ミナトの言う『行かせてあげる』ことが果たして正しいのかどうかだった。

ルリの国籍は15歳になるまでは決まらない。
ナデシコに居た頃は、ホシノ家の養女ということで日本国籍を有していたが、教育特別措置法によって義務教育は免除されていた。
ピースランドに遺伝上の両親が見つかり、その時からルリはピースランドと日本、二つの国籍を持つようになり、15歳の誕生日にルリ自らが決めることになっている。
だから、今学校に通わなければならないということはない。
そしてユリカの思っているのは将に、その「ルリが自分で決めること」なのだ。
15歳にならなければ国籍が決められないのは単に、国際法上の問題であって一国の法律では規定できないからであり、もし教育特別措置法のような法令があれば、今だってルリは自分で決められるだろう。

ナデシコに乗って、ルリが最も変わったのは「自分の考え」を持つようになったことではないかとユリカは思っている。
「考え」が可笑しければ「想い」だっていい。
「意思」でも「主張」でも、それは好きな言葉を入れていいのだが、とにかく、ルリは実年齢より大人になったことは確かである。
それでもまだ自分の命を軽く見ている部分はある、とユリカは見ているが、火星でユリカに反対した理由が「想い出」であったことが、驚き嘆きながらもどこかユリカは嬉しかった。
だから一緒に住みたかったのだ。
ルリがユリカに追随するだけの存在だったら、あれほど熾烈にミナトと争ったりしなかったろう。
ルリがナデシコで、ユリカやアキトたちとともに過ごし変わってきたこと、だからこれからも一緒に生きて、成長していきたいと願ったことがあの争奪戦に至ったのだ。

ただ、ルリに想いが生じたことで最も複雑な気持ちになったのがユリカであることは皮肉なことだが。

「ルリルリのことを考えたら、無理にでも行かせた方がいいと思うよ。同年代の子達と過ごすことは、絶対にプラスになるし」
「う〜ん、う〜ん……」
目の前の珈琲にも手をつけず一生懸命に言い募るミナトもまた、善意からであることはわかっている。
だから曖昧な返事しかできないのだ。

自分のことを自分で決め、そしてその上で責任を取ることも知っているルリに、そうまでして無理強いする必要があるのかどうか。
戦艦という特異な環境にいたからか、それとも大人の間でしか生きてこなかったからなのかはわからないが、彼女は責任の取り方も心得ている。
学校に行くこと、同世代の子供たちと接すること、それが大事なのはわかるが、全ての子供に対して適用されるものなのかどうか。
「でもでも、やっぱルリちゃんの気持ちが……」
「は〜、艦長、そんなこと言ってたらあっと言う間に義務教育期間が終わっちゃうわよ」
背もたれに体を預け、天を仰ぎながら言う。
「第一、ルリルリのことはきちんと面倒見るつもりで引き取ったんでしょ?艦長も、アキト君も」
「だから、ちゃんと面倒見て……」
「ほんとに?」
「う……」
突かれると痛いところもある。
一般的な意味できちんと面倒を見ているかといえば、これはもう降参する他はないだろう。
家事全般が得意で朝にも強いアキトはまだしも、ユリカは朝に弱く家事全般に至っては絶望的にできない。
努力はしようと料理に挑戦してみればアキトを悶絶させ、ならばと洗濯をすればルリのよそ行きを無残な姿にしたりで、結局呆れ果てた2人によって家事は禁止されてしまっている。
だからユリカは今、自分にできることの範囲で2人のために役立とうと思っている。
宇宙軍に奉職したのも、もちろん父であるミスマル・コウイチロウの意向もあったが、それ以上に待遇の良さが魅力的だった。

ネルガルという巨大企業を後ろに、オペレーターとしても巨額の報酬を貰っていたルリや、元々家が資産家であり且つ艦長としてルリを凌ぐ金額を得ていたユリカと違い、アキトは何の後ろ盾も持たずパイロットとしての手当ては正式契約ではなかったと言う理由で削られ、コックとして稼いできたお金は全て屋台と調理師免許のために注ぎ込んでしまった。
それでも「ユリカとルリちゃんを引き受けたのは事実、俺だから」と言って彼らの生活費まで稼ごうと一生懸命になっている。
もちろん、ルリもユリカも共同生活としての負担分として幾らかは出しているが、持てる金額が違いすぎる。
このままではいつまで経っても念願の店を持つことのできる金額を貯められるのか、甚だ疑問だ。

だから、アキトは受け取らないだろうがユリカはその分貯金している。
アキトの夢と、ユリカの夢は違う。
前者はコックとして店を構えることであり、後者はそれを手伝うこと。
向かう先は結局、同じこと。
そしてユリカは自分がそうしたいと思うからそうする。
もちろん、お金だけではなく。
どんなに辛いことがあっても、どんなに疲れていても、決して表に出さずいつも笑っている、いられるようになった。
ナデシコに居た頃とは大違いなのだが、それもきっとアキトは気づいていないだろう。

それでいい、とユリカは思う。
アキトは自分の夢を追い続けていればいい。
自分はそれを支えることが望みなのだから。
誰に認められなくても、自分の中に確固たる想いがあればそれだけで充分に満たされるということが、ナデシコでの1年とちょっとの期間でわかったから。
私らしさ、を失わなかったから、クルーがついてきてくれたことがわかったから。

ナデシコが彼女の中で大きくあり続けているのも、そのことと関係があるのだろう。
ユリカが、ユリカらしくいられた戦艦。
色々なことを学んだ居場所。

そして、ルリもまた……。

「艦長?」
「え?ああ、はい」
ぼんやりと思い出に心を馳せていたユリカに、ミナトが不安げな声をかける。
「どうしちゃったの?」
「やだなー、何でもありませんよー」
「ならいいんだけど。『また』妄想入っちゃってるのかと思ったじゃない」
「ちょ、ちょっとミナトさん、『妄想』って何なのー?」
ユリカの抗議はやんわりとした笑顔に流される。
むー、とふくれていたユリカも、
「あは……あははー」
「うふふっ艦長もやっぱり変ってないわね」
いや、変ったのだ。
笑顔の影で、どれだけユリカが頑張っているか、それを知る人がいないだけで。
「そんなに変ってないかなあ」
話が逸れたことに内心ほっとしながら、ユリカは明るく言う。
「そうねえ、私は毎日会ってるわけじゃないから気が付かないだけかも知れないわね」
ようやく冷めた珈琲に手をつけたミナトが、隙間から窺うようにユリカを眺める。
ユリカもミナトも、適度にはぐらかしながら次の台詞を待っているかのようだ。
本来なら、こんな話で終わらせたくない。
偶に会う戦友なのだから。
ユリカにだって、ミナトが心底ルリのことを考えていてくれていることはわかっている。
ブリッジでよくルリを見ていてくれたのは、ただ軽い気持ちで構っていたわけではないだろう。
それでも、ユリカはどうしても無理強いすることには納得できなかった。

喫茶店の古びた柱時計が13時を鳴らす。
それを合図としたかのように、
「さて、と。じゃあ、もう一回ルリちゃんには聞いてみますね」
そう話を終わらせると、まだ何か言いたそうなミナトに勤務途中だからと断り、ユリカはさっさと席を立った。

夕暮れ

昨日の雪は、関東地方にしては珍しく、積もった。

今日一日晴れたせいで、道路の真中の雪は溶けてしまっていたけれど、夕陽の照り返しがとてもきれいで。
アキトとルリちゃん、そして私の3人で暮らす家への道は人通りが少なく、雪解け水の方が端に固まった雪の塊よりもきれいな気がする。

時々思う。
これでよかったのだろうか、と。

私はルリちゃんの姉として、ちゃんとその役を果たしているのだろうか。
反省はきちんとしているだろうか。

ほんとうは。
ルリちゃんと一緒に家出をしたこと、そのことを良かっただなんて思っていない。
私独りがアキトのところへ転がり込んだのだったら、これほど悩みはしなかった。
けれど、ルリちゃんを自分の我侭に付き合わせてしまったこと、『家族』になりたいと言っておきながら自分の想いを優先させて、安易な家族ごっこへ走ってしまったこと。

イネスさんが私に厳しくなったのも、それを知っているからだと思う。
ほんとうの家族とは、取替えの効くものではないということを。
映像だった両親。
ほとんど話もしたことのない養父母。
そして、突然見つかったピースランドの家族。
次々と現れては消えていく家族の幻像を、実態のある——ぶつかったり補い合ったりしながら——ほんとうの家族にしてあげたくて引き取った筈なのに。

ミナトさんの言葉は厳しかった。
そんな私には。

それから。

ルリちゃんの気持ちに気がついてしまったから。

夕陽が水溜りに落ちている。
昼の間に屋根の雪をすっかり溶かし、白で覆われた道をむき出しにした太陽。
反射する光はとてもきれいだけど。
「もう。どうせなら全部溶かしちゃえばいいのに」
思わず呟く。
所々に残った小さな雪塊が、ヒールの足には歩きづらい。

夕陽の赤。

雪の白。

太陽と雪どけ。

溶けて、きれいに洗い流された道に残るものは何だろう。

あの角を曲がれば、そこにはアキトとルリちゃんがいる。
いつもの夕食、それから屋台の夜。

私は。

はっきり言おう、私は自分のためだけにアキトと暮らし始めた。
結果が全て、だとは言わない。
ルリちゃんが明るくなったのも、ルリちゃんの想いがはっきりしてしまったのも。
何が良くて、何が悪いことなのかなんて、今は決められない。

だから。

だから私は、自分に最後まで責任を持ちたい。
自分に、そして自分の行動に巻き込んでしまった、アキトとルリちゃんに。
私の我侭で始めた三人の家族生活。
だからこそ、私は幸せでいなければならないし、そのために最後まで努力しなくちゃならない。

そう。

「しあわせっは〜あるいてこない〜♪」

ずっと三人で、幸福を築けるように……。