lisianthus.me.uk

index > fanfiction > ToHeart2 > HMX-17dはたぶんメイドボロ

修学旅行も無事に終り、再び日常が戻ってくると貴明は思っていた。いや、思い込もうとしていた。
無論、彼に平穏な日常などが戻ってくるどころか、「そもそも貴様に平穏な日常など存在しない!」と雄二辺りなら言っただろうが、そこはまさしくその通り。

環やこのみ、幼馴染の2人だけでも学校ではかなり目立つわけで。そしてそんな2人と仲がいい、というより朝の昇降口で胸のボタンのほつれを指摘した環が衆人環視の中、シャツを着せたままでほつれた糸を直すどころか糸を歯で切るところまで実演してみせたり、昼休みになったばかりの教室にこのみが元気に飛び込んできて「タカく〜ん、早くご飯食べよ」とか言って腕にぶら下がってきたり。そんな、男子生徒からすればヤツは敵という殲滅対象であって、それ以外の何者でもありませんがなにか、と言いたくなるくらいの日々を過ごしているだけでも雄二の気持ちもわかろうと言うもの。
更に、最近ではそれに飽き足らず(雄二談)、小動物系いいんちょと名前で呼び合う仲であることが判明したり、その妹の、無愛想だけどそこが堪らんと一部マニアを熱狂させた1年生と一緒に登下校していたり、クールな生徒会長が実はクーデレだったという事実が貴明によって明らかになったり、宇宙人的不思議ちゃんが彼だけに興味を持っていたり、隣のクラスの眼鏡っ子が勝負とかいいながら毎日一緒にいたり、1年生の双子ちゃんの片割れがキスしたり、黒髪のきれいな転校生が雄二たちとは別の幼馴染だったり、そしてそんな彼女たちが何かとちょっかい出してきて、何だかんだ言いながらも結局彼女たちにつきあってしまう貴明が要するに沢山の女の子をはべらせているように見える……のはまだいい。(雄二談)
これまた一部にフーリガンよりも熱狂的な人気を誇る、何故か学校外部にもそういうファンがいるらしい前生徒会長である似非ロリっ子が、専門学校ほったらかして貴明に手を出しているのもまだいい。

問題は、今まさに目の前で展開されている、許されざる現実(雄二談)にあるのだ。

ToHeart2 - HMX-17dはたぶんメイドボロ

「はい、貴明さん」
「あ、あはははは、どうもありがとう、イルファ、さん……」
「次は何がいいですか?あ、これ、瑠璃様に教えて頂いた自信作なんです。はい」
「あ、いやその、自分で、あは、あははは……は」
次の行動が予測できた貴明はたらりと冷や汗を流す。だが、そんな儚い抵抗は蚊トンボ程度の影響すら目の前の、人間そっくりな容姿どころか言動や思考回路までロボットぽくないメイドさんには与えられなかった。
「あーん」
「あの、イルファさん?一人で食べ」
「あーん」
無理、無理。
貴明は心中で眼前の、にこにこしながら玉子焼きを差し出すイルファに突っ込む。
なぜって?
そりゃここが教室だから。しかも昼休みで人がいっぱいいるし。ていうか、男子連中の「視線で人が殺せたら」って目と、足元にうず高く積まれた、さっきまで投げられていたノートの切れ端の山がむちゃくちゃ気になるんですけど、イルファさんあなたは気になりませんか、そうですか気になりませんか。珊瑚ちゃん、何だっけ、ほらあの、大根・インゲン・飽きてんじゃーだか何だか、珊瑚ちゃんには悪いけど絶対失敗だよ。人間そっくりの思考回路作るんだったら、今度からは恥じらいも入れておこうね、ミルファはもうこれ以上にヤバイってことは体験してるから、せめてシルファからは。
とまあ、高速で脳内突っ込みを展開してみるが、当然のことながらこの人には通じない。
「あ〜ん」
もう「あーん」から「あ〜ん」に進化を遂げている。
「あ、あーん……」
ぱくり。
黄金色の憎いあんちくしょうを口に入れた瞬間、甘くふんわりとした絶品な味が広がるが、周囲からもの凄い勢いで突き刺さる憎しみの視線でそれどころではなかった。
冷ややかな、つららのような視線。これが刺身だったら、口に入れる前に冷凍ものに変わっていただろうと思えるくらいの。
……最もぶっといつらら視線を投げつけてきたのが雄二だったのがちと切なかったが。まあ、男の友情なんてこんなものか。

「貴明コロス、貴明コロス、貴明コロス、貴明コロス、貴明コロス、貴明コロス……」
「雄二ー、タカ坊。まだなの?」
呪詛をおどろおどろしく吐き出す雄二の背後から、聞きなれた声がかかる。聞こえていたら扼殺確実な呪詛を吐いていた雄二はぎくり、と振り返るが、環の表情はいつも通りのものだった。
そう、いつも通り、
「おぎゃああああぁぁぁぁっ!なな、何で俺がぁぁぁぁっ割れる、割れるって割れる割れる割れるぅっ!」
そう、いつも通り、貴明にひっつくイルファを見てその鬱憤を雄二で晴らすだけ。次の「あ〜ん」の用意をしていたイルファと、真っ赤になりながらも諦め半分、いや諦め100%で口を開けつつあった貴明の姿を見て、無表情に雄二を沈黙させた環の後ろから、
「タカくーん、どうしたの。タマお姉ちゃん、タカくんとユウくんは?」
「タカ坊はこれから。雄二はつい今しがた」
短く答える。が、その声に応じて視線を足元に落としたこのみは、
「……あは、あははは……ユウくん、大丈夫?」
「これが大丈夫に見えるのか、お前は……」
泣きそうな声が、うつ伏せになったままの雄二らしき物体から発せられる。どうやら辛うじて「生きては」いるらしい。
「さすがユウくんだね、優秀な兵士なのでありますよ」
「なんじゃそりゃ」
「戦場で生き残ることが兵士として最も重要なことなんだよー」
「嬉しくねぇよ。てか、誰が言ったんだ、そんなこと」
「お母さん」
「待て、いいから待て。親父さんじゃないのか?」
「えー?違うよ、お母さんが言ってたんだよ。何でもね、対地支援が期待できないジャングルでの戦闘では大変だったって、遠い目をして教えてくれたよ」
「……どういう人なんだ、春夏さんは」
などと、雄二とこのみがおバカな会話をしているうちにも、環はずかずかと、何だか黒いオーラを全身から漂わせて教室に入り、とても正面から見据える勇気など持てそうにない眼光でイルファに詰め寄っていた。

「イルファさん、どういうおつもりかしら?」
「あら環さま。お久しぶりです」
「そうね、お久しぶり。でもまあ、挨拶はいいわ。とりあえず、私のタカ坊に、どうして、誰の許可を取ってそんなことをしているのか、説明して頂けるかしら?」
内容は質問だが、口調は完全に詰問になっている。
イルファの隣にいる貴明としては体の震えが止まらないのだが、だからと言ってこの状況を何とかしようもない。自分の無力さを感じる、河野貴明1X歳の夏だった。
というか、「私のタカ坊」という部分に誰も突っ込んでくれないのかよ、と周囲に非難と救援要請の視線を投げるも、全員が一斉に目を逸らすという現実がなんだか無性に哀しい。
「あら?姫百合家にいらして頂けない、かと言って向坂家に同居というわけにもいかない、その膠着状態を何とかしようと貴明さんのご両親に相談して、私が貴明さんのお世話をさせて頂くことになったのは、環さまもご存知のはずですが……」
しれっと答えるイルファ。
間違ってはいない。彼女の言うことはまったくもって正しい事実である。
だが、
「だからと言って、部外者が学校に入って、あまつさえお昼ご飯を『あ〜ん(はぁと)』で食べさせるなんて、ちょっとやり過ぎじゃないかしら」
余計なものがくっついている。当然のことながら誰も指摘しないが。
「やり過ぎ、ですか」
「やり過ぎよ。お昼も用意する必要はないわ。私が作ってくるから」
「ですが、貴明さんのご両親から食事代などをお預かりしていますので」
「くっ……なら、お弁当はまあいいわ。でも、学校に許可なく立ち入るのは……」
「この通り、入校許可証を頂いております」
ぴらり。
環の前に出されたのは、確かに入校許可証、校長印入り。しかもよく見てみればイルファの首には「メイド」と書かれたネームプレートが下がっている。
保護者や業者のプレートはあるだろうが、メイドってのはないだろう。そう思って貴明がじっと見てみると、どう見ても手書きだった。
「あ、あのイルファさん?このプレート、手書きなんですけど」
恐る恐る声を挟む。
「ああこれですか?これは事情をご説明申し上げたところ、感涙された校長先生が『保護者や業者などというプレートでは足りない、仕事に命をかけたあなたの姿勢に、そんな出来合いでは申し訳ない』と仰って、その場で作ってくださいました」
そう言って満足げにプレートを掲げる。
そこには、『メイド万歳!』と校長の手書きで付け足されていた。
「……何ていうか。雄二と気が合いそうな校長だよな」
「そんなことはどうでもいいわ!だからと言って、食べさせてあげる必要はないでしょう」
「環さま、これがメイドロボとしての私の仕事ですから。珊瑚さまや瑠璃さまからも言われています。ヤるなら徹底的に犯れ、と」
2人とも適当に煽らないでよ、つーかイルファさん、その誤字はわざとですか、違いますよねお願い違うと言ってください、と貴明はトホホな表情で呟く。が、ヒートアップしていく目の前の2人には聞こえていなかった。
「め、メイドだからと言ってそこまでする必要はないわ。ただお弁当を届ければ済む話じゃないの」
「いえ、主たる瑠璃さまのご命令ですから」
「あらおかしいわね。今の主はタカ坊ではないの」
「いえ、貴明さんは……その、『ご主人様』ですから」
ぽっと頬を染めながら答えるイルファに、おおおー、と周囲からどよめきが上がる。そりゃそうだろう、メイドロボがいる、もしくはメイドという職業があるということは知識で知っていても、現実にメイドが「ご主人様」などと言う場を見たことなんてないのだから。
ただ、その声に「河野ぶっ殺す」とか「ヤツは敵だ」とか「相転移砲の準備を」とか言う声が多数混じっていたのが気になる。非常に気になる。それ以前に「たかあきくんってそんな人だったんだ……信じてたのに」ってのは愛佳さん、あなたですよね?と貴明はさっきよりも一層切なくなった。
こんな若さで人生終りたくないなあ、ていうか委員ちょ、その手にある角どころかそのまま落とされても意識を失いそうな古びた辞書っぽい何かが、とっても凶器ぽくて素敵なんですが。その重厚さから言って、あんなに苦労しなくてもそれを凶器の代わりに図書委員会に見せれば書庫の存続はもっと楽だったんじゃ?それ、バーコード貼ってるから蔵書でしょ。
一瞬にして貴明は、誰も突っ込んでくれないこの現状に対して自分で突っ込んでみる。
もちろん、それで現状が改善されるわけではない。
「ご主人様にはそこまでするのがメイドだ、って言いたいのかしら」
「はい、その通りです。私はメイドロボです。ご主人様には誠心誠意、どんなことでもご奉仕することがメイドロボの存在意義であり、使命です」
メイドロボはそうかも知れないが、イルファは明らかに違う。
D.I.Aによって知性・理性・感情を与えられただけでなく、そもそも彼女は瑠璃の友達として作られたものなのだから。
それがわかってて言っているのだから、D.I.Aはやっぱり成功なのかも知れない。

「珍しいな、姉貴が圧されてるなんて」
こちらは未だ教室の入り口付近で這いつくばったままの雄二とこのみ。雄二は頬杖をついて、このみはその横に座り込んで暢気に観戦気分。
「タマお姉ちゃん、どうしちゃったんだろ」
「ま、仕方ないだろ、姉貴はこういうのに疎いからなあ」
「こういうのって?」
「メイドロボ」
簡潔に答える雄二に、このみは疑問を浮かべたままの表情を向けた。
「あー、要するにだな、家政婦とかメイドってだけなら姉貴の知識の範疇なわけだ。ただ、メイドロボになると、独特なロジックがあるんじゃないかだとか、技術的にどうだとか色々考えちまって、けどそれに対する答えなんかないから強く言われると『そんなものなのか』って納得せざるを得ないんだな。徹底的に調べつくして、それこそ自分が珊瑚ちゃんより詳しいってくらいにならないと納得はしないぜ、姉貴なら」
「ふぅん」
わかったようなわからないような、曖昧な返事でこのみは頷き、視線を戻す。視線の先ではやはり、環がイルファに圧されていた。

「タカ坊が嫌がるようなことは、やるべきではないわよね」
「貴明さん、もしかして……お嫌だったんですか」
「え、ええっ?!あ、いやそんな嫌ってわけじゃ……」
「タカ坊」
「ええ、困ってます」
「貴明さん……」
「いいえ、嬉しいです」
「タカ坊」
「困って……」
「貴明さん」
「嬉し……」
「タカ坊」
「貴明さん」

「ねぇねぇユウくん」
「なんだよ、ちび助」
「むー、その言い方は止めてよー」
「わかったわかった。んで、何だ」
「あのね、何だかタマお姉ちゃんって言うより、タカくんがおされてるように見えるんだけど」
「奇遇だな。俺もそう思った」
相変わらず教室内とは無縁な暢気な会話だが、このみは何か思うことがあったようだった。
「でも……そっか。いいなあ、メイドロボって」
「お、このみもメイドロボの素晴らしさに気づいたか。そうかそうか、んじゃあ、あっちは放っておいて、飯食いながら更にその素晴らしさを伝授してやろう」
「いいの、ユウくん?」
「おうとも。どっちにしてもあっちは決着つきそうもないしな」

その晩。
「ね、お母さん。ロボって凄いんだね」
「どうしたの、このみ?」
「うん。今日ね、かくかくしかじか」
「あらそうなの」
「……かくかくしかじかだけでわかるお母さんって、凄いね」
「母は強し、よ」
「……違う気がするんだけど」
「いいわ、とりあえず帰ってきたらお父さんに相談してみなさい。ちょっと前からそういう研究も始まってるらしいから、何かヒントをくれるかも知れないわよ」
「うん」

「……そういうものなの、お父さん?ユウくんに聞いたのと随分違うんだけど」

更にその翌朝。
「ん……ふわぁぁぁぁ」
目覚まし時計よりも先に目を覚ました貴明が、大きく伸びをしてベッドからもそもそと這い出る。
「随分早く目が覚めたなあ。まあ、昨日の騒ぎで疲れ切って早く寝たから、当然と言えば当然か」
休みの日なのにこう早く目覚めてしまっても、特別やることもない。今日一日、どうしようかなと考えながら階下に降りる。
今日はいい天気だ。溜まった洗濯物とか片付けないとな、と思いながら冷凍庫から食パンを引っ張り出してトースターに投げ込む。スイッチを押し込んで、今度は冷蔵庫からヨーグルトを。イルファがお世話にくるようになってから、賞味期限切れのものは一掃されたので、どれを出しても問題ない。
このところ痛み出した胃のせいで、朝から大量に食べる気にはならないが、すっきりした気分になりたいと思った彼はコーヒー豆を取り出すとミルに入れ、ポットに湯を沸かす。
ガリガリと手動のミルはイルファの拘りだ。最先端アーキテクチャを用いたメイドロボが、古いものに拘るというのもおかしな話だが、これも珊瑚曰く「『大根・いんげん・飽きてんじゃー』だからええんやー」だそうだ。無論、貴明には意味がわからなかった。
ともかく、ミルで豆を挽きながらぼんやりと「お湯を沸かすっておかしいよな」とか考えてみる。
正しくは「水を沸かす」なんじゃないだろうか。
などとどうでもいいことを考えていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
ふい、と壁掛けの時計を見てみると、時刻は午前7時。
「誰だよ、こんな朝早くから」
ぶつくさ言いながら火を止め、キッチンを出る。
玄関に向かう途中もピンポンピンポンと、小学生かお前は、と突っ込みたくなるような呼び方で急かされる。何となく嫌な予感がする。「非常識な時間に」「小学生みたいな」ことをする人間を、貴明は1人だけ知っていた。知りたくて知っているわけではないのだが。
「ま、まさか……」
人名を挙げると、それがそのまま現実になりそうな恐怖。ああ、言霊思想って現代にも生きているんだなあ、なんてわざと思考を飛躍させてみるが、そんなことをしても呼び鈴は待ってくれない。仕方なく現実逃避をやめて、どうか「ま」のつく先輩じゃありませんようにと祈りつつドアを開ける。
「はいはい、誰で……え?」
「おはようございます、貴明様」
「おはよう、って、え?ええっ?」
「どうかなさいましたか?」
「どうかって……いや、えええっ?タマ姉っ?」
「ご主人様、環、とお呼びください」
玄関開けたらメイドさんがいた。というか、メイド服を着た環が立っていた。
にっこりと微笑む環を目の前にして、ある意味「ま」のつく先輩がブルマで立っているよりもインパクトの強い光景に捕われ、貴明は口をぱくぱくさせながら環を眺めるしかできない。
「貴明様、朝食の用意をいたしますので、入ってもよろしゅうございますか」
「へあっ?は、はひ、どうぞ……」
勢いに流されて頷いてしまう。弱いなあ、俺って、なんてよよよ、と心の汗を流してみてもはじまらない。飼いならされた犬はおいそれと強くなれるわけもないのだから。とは言え、いつまでも犬のままでいてたまるか。
「貴明様、すぐに朝食にいたしますのでお顔を洗ってらしてください」
「あー、あのさ」
とにかく理由と、どんな悪ふざけなのかを問いたださねばなるまい。「ねばなるまい」とか強い口調で自分に言い聞かせてみるものの、やはり口調は弱々しい。
「何ですか、貴明様」
「そのぅ、どうしてそんなそんな格好してるの、ていうかその格好でここまで来たわけ?」
「ええ、何か問題でもございますか」
問題がないとは言えまい。むしろあらゆる点で問題しかない。
「いやいやいや、問題ってタマ姉……」
「環、とお呼びくださいとお願いいたしましたよね?」
「や、今はそんな問題じゃ……」
「貴明、様?」
全然お願いしてない。
「えーと……」
「お願い、しましたよね?」
「はい」
犬であった。

何がなんだかわからないが、別に悪戯とかではないようだ。それは環の大真面目な表情でわかる。となるとこうなったらもう、環の好きなようにさせて付き合うしかない。そのうち満足して止めるだろう、と自分を割り切らせて顔を洗いながら考える。
「いったいどうしたって言うんだろう、タマ姉」
タオルで顔を拭きながら呟く。冷たい水で洗ったせいか、ようやくはっきりとしてきた頭でわかったことは、恐らく昨日のイルファとの言い合いのせいだろうということ。
「イルファさんも割と引かないからなあ、って、うおっ!」
はっと気づく。そろそろイルファがやってくる頃だ。
昨日のが尾を引いたままで環とイルファが鉢合わせするのはまずい。何がどうまずいのかわからないが、また自分が被害を蒙る気がする。

慌てて玄関に向かうがしかし、間の悪い時というのは得てしてそういうもので。
無情にも鳴り響くチャイムの音に、貴明よりも早く環が反応した。
「はーい」
「タマ姉、まっ……痛っ!」
洗面所を飛び出した貴明の足が何かに引っかかる。何に、と確かめるまでもなく目の前を黒いオーラを撒き散らしながら通り過ぎるメイドの格好をした誰かさんの姿で明らかだ。
貴明の言葉は届かない、というよりあからさまに無視された。
手を伸ばして虚空を掴もうとするどこぞの映画のワンシーンのような貴明の視線の先で、環が玄関のドアを開ける。既に臨戦体制だ。勇ましく戦場に向かう戦士のようなメイドさんというのも妙だが、パジャマ姿で映画のワンシーンを普通の民家の洗面所で再現する貴明も微妙だ。
「どちらさまで……って?!」
「タマ姉?」
動きを止めた環に、起き上がった貴明が近づく。イルファと環の戦いなど御免蒙りたい。巻き添えを食らった自分が再起不能になるどころか、この家自体が再建不能になりそうだ。そして再建するために債権者に追われることになるなど、笑い話にも洒落にもなりやしない。
この状況でそんなことを考える貴明の脳みそも再検の必要がありそうだが。
「どうしたの、タマ姉?」
とは言え、イルファを前にして動かない環の様子も変だ。
後ろからひょい、と顔を出して見る。
「……あー」
「タカクン、オハヨウ」
「……えーと」
「どうしたの、タマオネエチャンモウゴカナクナッテルシ」
「……朝飯にしようかな」
貴明脳が現実の受け入れを拒否した。
「うー、もうタカくん、無視しないでよー」
ようやくカタコトを止めたハリボテのロボットらしきものがいつもの口調に戻る。家に入りかけた貴明は足を止め振り返ると、遠い目をした。
「……はぁ」
そして溜息。
人の顔を見て溜息をつくのは失礼だと環に叩き込まれたが、今の貴明を責めるものは誰もいないだろう。それほど眼前に広がる情景は非日常すぎた。
「おはよう、タカくん。と、違う違う、えーと、オハヨウタカクン」
「ひとつ聞きたい」
「ナニ」
「なぜにカタコト?なぜにエプロン?なぜにカチューシャ?なぜにマシンガン?」
「むぅ〜、ひとつじゃないでありますよー!」
「つーか変だろ!」
混乱した貴明が叫ぶ。が、どう見てもダンボールで作ったロボットらしきもののハリボテの上からエプロンとカチューシャをして右手にマシンガン、左手に箒を持った微妙というにはあまりにもアレな格好をしたこのみが答える。

「だってぇ。ユウくんとお父さんの言うことをくっつけるとこうなったんだもん。このみもね、変だとは思ったんだよ、イルファさんと全然違うんだもん」
眩暈がした。
誰かこの現実を何とかしてください。いや寧ろ、夢から覚まさせてください。
そうだ、夢だ。
変にリアルだが夢に違いない。
このみの声は明瞭に聞こえるし、顔を洗った時の水の冷たさはやけに現実感あったが、絶対に夢だ。夢なんだ。がんばれ俺、夢だぞ、夢なんだから。夢と思え。
そうだ、こんな現実はあり得ない。ロボットでメイドって何だよ。メイドロボならわかるけどロボットメイド戦闘用かよ。ヴェスパーかよ。いやそれはアンドロイドだろ。あーる・田中一郎か、そうなのか、ってそれは違うだろ。

とりあえず貴明に言えるのはこれだけだった。
「おやすみなさい」
「あータカくん、こんなとこで寝ちゃだめだよー」
……眠ったという。

そして、目が覚めた時更に受け入れがたい現実が目の前にあった。
「おはようございます、ご主人様」
「……殺すぞ、雄二」
……永遠に眠らせたという。

≪あとがき、というか注≫
「お湯を沸かす」は正しい表現です。「沸かす」が[結果としての目的語]を取ることのできる他動詞ですので、水を沸かした結果のお湯を目的語にとっても問題ありません。よく引用される同種の例としては、「ご飯を炊く」や「糸を紡ぐ」などがあります。

さて、それはともかくとして。
今回もまた詰まらなかったですね〜。あはは〜。

……ほんとマジすいません。