lisianthus.me.uk

index > review > narcissu  (+narcissu -side 2nd-)

narcissu  (+narcissu -side 2nd-)

ステージなな-ナルキッソス-

Einschätzung

シナリオ=S|グラフィック=B|キャラ=B|音楽=A|総合評価=A

Überblick

はじめに

ねこねこソフトのサナララ、希未シナリオを担当している片岡とも氏なんだから、面白くないはずがない。人が死ぬようなゲームを良作判定したくないし、そもそもプレイするのも嫌なんですが、このゲーム、紹介文に「現代、暗い、主人公とヒロイン、どっちも死にます。」といきなり明記してある潔さが逆に安心感を与えてくれましたのでプレイに踏み切りました。
それに、人死にのあるゲームが嫌なのは、「人が死んで悲しい」=「感動」と勘違いしている人が多いから(特にKey及びその信者)。このnarucissuは、どこまで装飾をそぎ落とせるかという実験作であり、エロですら必要でないと判断した場合は省くという氏の姿勢からも、余計な「お涙頂戴」ゲームにはなっていないのは確実ですし。

それにしても、narcissuとnarcissu -side 2nd-が入ってて無料て。Elements Gardenの藤間仁氏も参加しているし、声優は(音声は推奨しませんが)豪華だし、主題歌はeufoniusだし。これ、読まないなんてあり得ないですよ?

2の主題歌「narcissu」(作詞:riya、作曲・編曲:菊地創)は本当に素晴らしい。エピローグでこれが流れたら、大半の人が泣いてしまうんじゃないでしょうか。

あ、ねこねこソフトの作品ではなく、同人「ステージなな」の作品です。

narcissu

あるカトリック系病院の7Fは、新しい治療法を待つ患者だけが入院している。言い方を変えればつまり、死を待つだけの末期患者専用のフロア。

主人公の優は、免許を取得して浮かれていたら突然体調を崩し7Fのホスピスに移るが、あまりにも唐突すぎて自分の身に起こったことを、現実として感じられないままに過ごす。そんな彼に、7Fにずっといるセツミがここでのルールを教える。

3回目に仮退院させてくれたら覚悟しろ。4回目はまずない。もう家には帰れない。
もしも逃げたい時は、A駅ではなくB駅に行くこと。
何も食べるな。それが一番の近道。家族にとっても一番負担が小さく済む。

表情も感情もないセツミと談話室で黙ってテレビを眺めているだけの日々。その性質からどこか浮世離れしたホスピスでの生活で、唯一外界と繋ぐもの。
そうしてただ日々を過ごすうちに死の足音は近づき、いつか病院か自宅か、最期を迎える場所を選択しなければならなくなるはずだった。が、病院の7Fも家も、どちらも選ばないセツミと優は病院を抜け出してあてもなく車を走らせる。

停滞して緩やかに死を待つだけの病院から、ただじっとしていられなかっただけで逃げ出した優。何を考えているのかわからないセツミを助手席に乗せたまま車を走らせるが、雨のフロントガラスの向こうに見えた病院でも見た花、水仙が彼らの行き先を決める。

——— 西へ。ただ群生が有名であるというだけの、淡路島へ。

生と死を選ぶこと

生きるわけでも死ぬわけでもなく、ただ緩慢に時間だけを過ごしていく22年間、正確に言えば15歳からの7年間がセツミにとってどんな時間だったのか。経験したことのない —— 「死」である以上それは蓄積される経験にはならない —— これからも経験して理解することのできない「死」を扱うことは非常に難しいことで、だから二次創作だろうとゲームだろうと軽々と扱って欲しくないんですが。

そこはさすが片岡とも氏。プロダクトでは「どう捉えてもいい、それがその人にとってのnarcissuになる。それでいいのではないか」と言っていますが、まさしくそうなんでしょうね。

「お前、今引きとめてほしいか」
「……」
「それとも、背中を押してほしいか」
「……さあ……どっちだろうね」

「あはは、よくわからないね」

この作品に関してはうだうだと解説めいたことを言うのは間違ってる気がします。なのでこれだけ。

生きること、死ぬことを自分で選んだセツミはきっと、最後の最期で生きる喜びと幸せを得られたのだと思う。
……ことにしました。

narcissu -side 2nd-

水仙(ナルキッソス)、道や車に詳しいこと、封筒に入った5万円など、前作でさらっと出てきた事柄がすべてここに端を発しているということがわかります。

2005年の1月から2月にかけての15日間、22歳だったセツミがここでは15歳。1998年の夏、まだ入退院を繰り返していた頃に出会った、7Fの住人「姫子」との40日間を描いたシナリオです。前作と立場を変えて主人公の優の位置にセツミが、そしてセツミの位置に姫子が来ると思ってください。

このシナリオでは、特に去る者と残される者の想いが、フランダースの犬を例示しながら強調されています。そして、更に時を巻き戻して、ホスピスでボランティアをしていた頃の姫子が担当した7Fの少女を1998年の姫子の位置に置いた回想を含めて、去る者=少女・姫子、残される者=セツミ・千尋(姫子の妹)・優花(姫子の親友)・ユーノスロードスターという構図が展開されます。

「……残されるものは、どうすればいいの」
「じゃあ、笑って見送ってあげて」

彼女たちの夏、最後の日。最後まで生きることを選んだ姫子とセツミの別れの日。
教会の前で交わした会話が、ここまで描いてきた「去る者」の心情をまとめていて。

「……ネロは、アロアは幸せだったの」
「さあ、どっちなんだろうね」

「あはは、よくわからないね」

残される側の方が辛いのか、残す側の方が辛いのか。どっちも辛いんだけど、だから……ということを考えさせられるシナリオでした。

最後には……笑うことができるのだろうか。

この時思ったセツミの疑問は、2005年、冬の淡路島の海岸で優に笑いかけたことで、7年という時を越えて答えが出たのでしょう。

エピローグ

どちらもクリアすると、タイトル画面に「エピローグ/All credit」が出てきます。
2005年3月、冬の海にセツミを見送った優が病院に戻り、7Fのヘルパーとして千尋がやってくる。セツミと優が病院を抜け出したことから新規の患者を受け入れなくなり、6月、最後の1人となった優は7Fの住人に受け継がれているルールを、千尋に託す。

最後に流れる千尋のモノローグから、彼女は優からルールだけでなく、去る者の想いをも受け継いでいたのではないだろうかと思いました。

最後にもう一つ。
『もう一つ?』

姫子を悲しませてしまうことに苦しんで、自分のことを忘れさせようとした少女から。
少女のために、そして千尋と優花のために神に憤り、祈った姫子へ。

生きることと死ぬことを自ら選択したセツミから。
セツミを見送り、きっとこの4人に受け継がれてきた新しいルールを追加した優に。

最後の1人となった優から、千尋へ。

最後にもう一つ。
『もう一つ?』

残すものには、笑ってあげて。

残される者と、去る者の辛さ。
そのどちらも知っている、知ろうとしている彼らの間に受け継がれたルール。

『……こうして、わたしの元へと、ルールは委ねられた』
『まだ見ぬ、本来の担い手……』
『きっと、すぐに現れるのだろう』
『きっと、わたしの手を離れても……』
『いつまでも……』
『……語り継がれるのだろう……』

眩しかった日のこと、そんな冬の日のこと。

その他

ボイス「有り」と「無し」…どっちが上なのか?

元々の制作コンセプトについては、正直なところよくわかりません。この実験をゲームで行うことに意味はあると思いますが、片岡氏レベルの実力があればゲームでなくとも良かった、と思いますので。
ただ、装飾を限界まで剥ぎ取った結果、想像力をかきたてられるというのは事実ですね。立ち絵なんてありませんし、背景CGにしても非常に少ない。イベント絵(?)なんて、5枚もないんじゃないかなあと思いますし。

シナリオ・構成・音楽、すべてが一体となって醸し出す雰囲気がこのゲームの真髄。普通のゲームにあるはずのものがないという状態で、ざっと他サイトのレビューを見渡しても高評価しか得ていないというのは、ほんとに凄いことですね。

Empfehlung

お勧め

泣きはしませんでした。いかんせん、経験がありませんから。
残されたことはありますが、残したことがないので、きっと本当に「去る者」の気持ちを理解することはできないんだと思います。
とは言え、考えさせられるとまでいかなくても、何かを感じ取ることはあると思います。読んだ人は誰でも。
誰にでもお勧めできるシナリオです。

推奨攻略順

読むだけのサウンドノベルですので攻略はありません。

そうですね、強いて言うならば、【1→2→1→エピローグ/ALLクレジット】と読み進めてみてください。出来れば2週プレイしてみて欲しいですね。