lisianthus.me.uk

index > fanfiction > ナデシコ > 4 seasons > re-start

『いまこそ わかれめ いざさらば』

講堂などと言う大仰なものはない。
単なる公立高校の体育館で行われている卒業式の最後を飾る、卒業生による『仰げば尊し』を耳にしながら、父兄席の明人はこっそりと溜息をついた。

その溜息の元は、少し離れた場所で滂沱の涙を流している。
その隣の佳人が肘打ちを入れた音が時折混じる中で、思わず明人は呟きを漏らした。

「そんなに紋付袴が好きだったのか、赤月……」

そして、春。

簡単なホームルームだけで終わると、担任が1人1人の名前を呼び、卒業証書とアルバムを手渡していく。
アルバムも電子アルバムのチップではなく、きちんとした背表紙もハードカバーもついたものだ。
ずっと昔、ナデシコに乗っていた頃だったならば「どうしてこんな場所をとるものを」と思ったかも知れないが、今のルリにはそれがとてもこの場とこういったことには相応しく思えた。
「柿本春奈」
「はい」
3年からは完全に専攻に分かれるが、一往のクラスは存在する。
こうしてホームルームや行事を共にする程度だったが、それでも何となく連帯感は生まれてくるもので。
級友たちが名前を呼ばれ、常になく真面目な表情で担任からアルバムと証書を受け取っていく様子を見ながらルリはぼんやりとこの3年を振り返っていた。
大学の基礎知識とは言え、専攻の基礎まで学ばされるのだから決して楽ではなかった。
高等科時代に比べると留年や退学も多かったから、このS西高校に入学した520名のうち、こうして卒業アルバムを手渡されるのは400名程度にまで減っている。
もちろん、勉学の苦労だけでなく楽しい思い出も沢山ある。
一足先に入学した久美が、予想通りイネスと姉妹喧嘩……久美が原因になるようなことを作るわけがなく、大概が一方的にイネスがやり込められているだけだったが……が繰り広げられているのを見て、何となく「ああ、高等学校に進級したんだな」と思った1年生。
1年次の履修内容は古典や物理など高等科から引き継いだ一般教養的なものと、各自が入学時に専攻した専門分野の基礎が12単位程度。
ルリにとっては現代文以外はできて当たり前の感があり、勉強が難しくなったということで高等学校に進学したという実感は湧かず、イネスと久美の「できのいい生徒がどこかへっぽこな先生を叱っている」もしくは「どう見ても姉妹喧嘩」の掛け合いを日常的に見られることが実感に繋がった。
そして初めての学祭。
高等科の「文化祭」と違って「学祭」となる高等学校では文字通り学校挙げてのお祭騒ぎ。
騒がしいのは嫌だなと思っていた割にはすんなりと受け入れて、結局周囲と一緒になってはしゃいでいた自分にびっくりしたり。
後で聞いたところによると、どうやらルリのクラスでやったハッキング実演には違法すれすれのものまであり、というかルリの作ったツールがまさしくそれだったようだが。
それで苦笑しながら注意してきた担任が「せめてハッキング同好会よりも次元の低いものにしておきなさい」と最後に締めたのも、皆の笑いを誘っていた。
高等科との大きな違いはクラスの概念が薄れていたことだったが、それでもこうした行事で少しの連帯感を持てるのは楽しかった。

ラピスが入学してきて頭痛の種が増えた2年次。
久美とルリの予想通り、いい同志がきたとばかりにイネスが喰らいついて2人であれやこれやと色んな騒動を巻き起こして。
全学年を巻き込んだ催眠による壮大な少女小説の実演騒動を起こしたり。
学祭では、どうしてたこ焼き屋でそれだけの火力が必要なのかと普通は疑問に思うが、どうやらあの2人に毒されたクラスにとっては「探究心こそが科学発展、ひいては人類の未来のための基礎」だとかで。
マイクロタービンまで持ち出した結果、爆発炎上したのはS西高史にも記されることになった。
熱効率解析の実習だのなんだとわけのわからない言い訳で学長を言いくるめたイネスとラピスもどうかと思うが、ラピスの担任がイネスであること自体が何らかの陰謀が動いていただろうことは間違いないと思う。
久美が3年となって専攻の勉強でなかなか時間が取れなかった1年であったけれど、それでも一緒に帰った帰り道で紅葉がきれいだったことなどを思い出せる。

さすがに2年連続でイネスがラピスの担任になることもなく。
どちらかと言うと、3年次は穏やかな1年間だったと思う。
そう言ったら「ルリちゃんは知らないのね。ま、3年生は専学校舎にいる時間の方が多いから知らなくても仕方ないけど」と苦笑しながら久美が言っていたことが気にはなったが。
3年生で一番思い出に残っているのは5月に行った京都への修学旅行だろう。
クラス単位で行動することはココまで来るとそれほどなく、どちらかと言えば仲のいいグループでレポートのための実地研修しなさい、という風ではあった。
ルリのグループがまとめたのは「古都における電磁場と作用、力場の形成についての考察」。
もちろん、お遊びでやったことだし先生もわかってはいたようだったが。
……事前にイネスに頼んだ工作が利き、帰ってきた時最初に目に飛び込んできたのは実力試験でぐったりとしたラピスと、「高校生って大変なんだなあ」と呑気にしている明人だった。

「不破健一」
「はい」
楽しい3年間だった。
ほんとうにそう思う。

「星野ルリ」
「はい」

担任に呼ばれた名前に返事をしながらルリはゆっくりと周囲を見回した。
それほど一緒であったわけではないけれど、クラスメイトの顔。
20年以上使われている黒板、教卓。
少しだけ右手前が短くて座りの悪い椅子。

そのすべてを、思い出として一生忘れずにいよう、そう思いながら。

この季節に桜が舞うのは嬉しい。
時期的には少し早いから、自分の時は早咲きが少しだけでぽつぽつと桃色が浮かんでいるようだった。
それはそれで趣があったとは思うけれど。
「よかったね、晴れて」
卒業生を送り出すために在校生と父兄、友人などが昇降口から正門までの並木道に並ぶ。この高校では伝統となった、紙吹雪を入れた籠を持って。
隣でルリが出てくるのを待つラピスが、まだかまだかと落ち着かない様子で昇降口の方を見ながら久美に言葉をかける。
「そうだね。風も強くないから、きっと紙吹雪もきれいだよ」
そう言えば終わった後、在校生で掃除したけど大変だったなあ、とわくわくしているラピスを見ながら思い出だす。
ラピスも去年体験しており、「大変だった」と憔悴しきった顔で式後の『久美ちゃん卒業おめでとう会』に現れたから、きっと今年もそうなるだろう。
そう言えば、と久美は思い出したように、
「今年の会場ってどうなってるのかな?」
ラピスを挟んで立つ明人に目を向ける。それに気がついたのか明人が視線を返してきた。
「去年と同じだよ。予約しておいた」
「ってことは、ポイント8?」
「うん」
単なる居酒屋。
明人が苦笑している原因に思い当たって久美は何とも言えない笑いと共に返す。
「お疲れ様、明人さん」
「はは……ま、ありがとう」
去年も久美のためにレジーナ・バリオーニのリストランテを借り切ろうとした赤月を、張り倒して失神させたのが明人とエリナだったから。
イネスは「あら、海外旅行できるんだしいいじゃない。久美の卒業旅行だと思えば」とか言っていたが、完全庶民であるところの明人や久美、ルリやラピスがあんなところで落ち着いて楽しめるわけがない。
結局、久美の希望を聞いて低価格、あまり煩さすぎずお酒が楽しめる日常的な場所、ということで明人が工場でよく行く居酒屋に決めたのだ。
お酒が飲める、というのにも理由があり、天河家とフレサンジュ家では飲酒が可能になる18歳になっても、高校を卒業するまでは許して貰えない。
去年はルリとラピスが出来上がる大人たちと、初めてアルコールを口にしてへべれけになった久美を羨ましそうに眺めていたが、翌日に猛烈な二日酔いで生死の境を彷徨ってあれから酒を口にしていない久美からすれば、どうして羨ましいんだろう、と思わないでもなかった。
もちろん久美だってあの日までは明人たちが羨ましかったのだから、結局は同じなのだが。
「大丈夫だよ、ソフトドリンクも飲み放題にしておいたから」
思わず二日酔いを思い出してしまったのか、久美の顔に走った表情を見て明人が言う。
「え、あ。そんな顔してた?私」
「うん。でもま、イネスさんとエリナの攻撃を交せれば、の話だろうけど……って今年のターゲットはルリちゃんだから大丈夫かな」
「そうだね。大変だ、ルリちゃんも」
明人が止めなければそれはもう、もの凄いことになる酔っ払いイネスとエリナの暴走を思い出して苦笑する2人。
そんな2人を眺めながらくいくい、と明人の袖を引っ張る制服姿の妖精が、
「明人」
と縋るような目つきをするが、それで騙されていては一緒には暮らせない。
即座に、
「ラピスはまだダメだ。来年まで待ちなさい」
「う〜」
頬を膨らませる仕草も明人にとっては所詮、小手先の技に過ぎない。
ぽん、と頭に手を置くと優しく撫でながら、
「もうちょっと待とうなラピス。来年には一緒に祝ってあげるから」
そう言われると、ラピスは単なる無脊椎動物と化す。

「明人さんのも小手先の技、よね」
そんなラピスを見ながら久美がぼそりと呟いた。

「では、10分後に管理棟1階に集合するように」
そう言い置いて担任が出て行くけれど、教室にざわめきは広がらない。
それも当然のことだろう、管理棟1階から昇降口を出て並木道を後輩たちの紙吹雪の下で抜けると正門に至り、そこを一歩出てしまえばもう自分たちはS西高の生徒ではなくなるのだから。
こうして教室で過ごすのはこの短い時間が本当に最後。
友人と最後の教室でのおしゃべりをするでもなく、ただ全員が何となく落ち着いた表情で教室や自分の机、窓の外などを眺めている。
まるで今までの3年間を、そして最後の時間を心の中に焼き付けているかのように。

ルリもまた、自分の席に座ってそっと机を撫ぜてみる。
一週間のうちどれくらいの時間をこの席で過ごしただろうか、それほどの時間ではなかったと思うけれど今になって、この指先に触れる悪戯で削り取られたでこぼこや申し訳程度に塗られたニスの感触が、ひどく懐かしいものに感じられた。
朝のHRが終わって、教室へ移動するまでの短い時間を友人とおしゃべりした場所。
修学旅行の詳細を聞きながら、京都での楽しい時間とイネスにどう依頼したものかを考えていた場所。
忘れ物を取りに戻り、満たされたオレンジに息を止め、思わず座りこんでしまい戻ってこない自分を心配したラピスがやってくるまで呆然と夕陽に身を沈めていた場所。
取るに足らない思い出ばかりが浮かんでくる。
それもいいかも知れない。いや、そんなものなのかも知れない。
きっと、驚くようなことを聞いたり、悲しい思いで座っていたりしたこともあったのだろうけれど、こうして最後の数分を過ごしている間は些細なことばかりが浮かんでは消えて。
けれどもその思い出は今こうして流れて行っても、いつでも思い出せるようなものなんだろう、そう思う。

思い思いに過ごしていたクラスメイトが一人二人と立ち上がっていく。
静かに、誰からともなく。
そして、特に誰に声をかけるでもなくゆっくりと教室を出る。
半ばまでの生徒が出て行ったところでルリもゆっくりと立ち上がった。
この短い時間でしっかりと焼き付けた『今』は、これからも決して忘れることはないし、消えない思い出だから。
だから振り返らない。
みんながそうしているように、ルリもまた立ち上がった後は自分の席を省みずまっすぐにドアを目指す。
開け放されたドアを潜る瞬間、ほんの少しだけ足を止めて。
そしてすぐに歩みを進める。
ラピスや明人、久美たちの紙吹雪を受けるために。
この先の未来へ視線を向けて。

「まだかなあ」
ラピスが待ち草臥れた、という風に明人に寄りかかりながら呟く。
もうちょっとだと返す明人の表情は苦笑している。
そんな2人を見ながら久美は、手元の籠に入っている紙吹雪に視線を落とし、その籠を持つ自分の指先を意識してしまった。
不安がなかった、とは言えない。
ルリやラピスのように一緒に暮らしているわけではない。
そして彼女たちほど強い絆を持っていると確信を持っていたわけでもない。
だから、いつか自分だけが離れていかざるを得ない時が来るのではないか、そんな不安がどこかにあったことは確かだった。
なら、ずっと一緒にいたいのか。
時間は過ぎていくものであるし、人は変わっていく。環境もまた。
だから「ずっとこんな時間が」とは思わない。
どうしようもないことを願うほど無意味な行為を久美は是としないし、人間が時間に流されて変わっていくことはそれが成長であれ単なる変化であれ、悪いことではないのだと思うから。
押し流されてしまわなければいい。
例え奔流に巻き込まれたとしても、その先の選択を誰かに、ではなく自分で選んだのならば後悔はしないと思うから。
だから自分のことはそれでいいと思うのだ。
自信があるわけでもないし、それが絶対だとも思っていないけれど。
「どんな……」
思わず呟いた久美の言葉に、ラピスが反応する。
「久美姉?どうしたの」
明人の腕にしがみついて首だけをこちらに向けるラピスに、
「ん?何でもないよ」
そう返事をすると再び思いを馳せる。
自信なんてない。
どちらかと言えば不安だらけなのだから。
いや、不安だらけだった。
去年久美が通った紙吹雪の下を今年ルリが通って。
そして来年はそのルリがラピスを思いながら今の久美と同じ気持ちになるのかも知れない。
こんな些細なことだけれど。
1年しか経っていないけれど。
卒業式というものは普段は意識していない時間の流れを強く感じさせる。
だから時間が流れて、人が、環境が、思いが、そして自分が変わっていくことをも認識させられてしまうのかも知れない。
けれど。
やっぱりそれは『今までは』であって。
今の久美に不安はない。
少なくとも明人、ルリ、ラピスたちと一緒にいることだけは変わらないのだから。
それは確かなことだから。
約束ではないし、未来を確定しているのとも違うけれど、4人の気持ちが変わらないことだけは確かなことだから。
いや、変わらない、というと語弊があるかも知れない。
もっともっと、お互いを大事に思うようになるだろうから。

春の昼。
陽射しが柔らかくなってきて、きらりと光る反射も眩しくない。
紙吹雪を入れた籠を右手で支え、縁に添えた左手の指先からの光に、久美は思う。
仕方ないじゃない、みんな好きなんだから。
そう、明人も久美もルリもラピスも。
お互いがお互いを思いあっているのだから。
約束でもなければ束縛でもなく、それは証。
明人が久美を、ルリを、ラピスを一生想い守っていく、その決意の表れ。
未来のことはわからない。
それはこの想いの行方がわからないのではなく、どんな未来が待っているのかをわくわくしながら待つような、そんな感覚で呟く言葉。
「どんな未来が待ってるのかな」

「素晴らしい未来、だよ」
「えっ?」
横からかかる声に驚いて見上げる。
そこには明人の笑顔が待っていた。
「……もうっ、明人さん聞いてたの?」
ラピスの相手をしながら、それでも明人はきっと久美の考えていたことも何となくわかっていたのだろう。
笑顔を崩さずに再び言った。
それは久美にはとても嬉しくて、そしてどんな困難も不安も乗り越えられる、と自信を持たせるものだった。

「素晴らしい未来が待ってるよ。きっとね」

「おめでとう!」
「卒業おめでとうございます、先輩!」
「頑張ってください!」
様々な言葉が掛けられる。
管弦楽部と吹奏楽部が奏でる音楽の下、桜と一緒に紙吹雪が舞う。
涙を流すものはいない。
思い出はしっかりと胸に刻み込んできた、卒業生たちの顔はそう言っていた。
だから今日は笑顔で。
過去を振り返るのではなく、明日へと踏み出す記念日だから。
後輩や先生、父兄や友人たちの紙吹雪の中を、しっかりと歩いていく。
いつもと同じ歩調で。

ルリの視界に、明人が入る。
隣には久美、少し間を空けてイネス、赤月やエリナの姿も。
相変わらず、というかラピスの入学式以来の紋付袴だけれど、そんな姿も自分の卒業を、いやこれまでとこれからを祝ってくれているんだと—その表現の仕方が微妙なのだけれど—思うと怒る気にもなれない。
「あれ?」
ふと呟く。
「ラピス?」
きょろきょろと視線を走らせるが、特徴的な桃色の髪が見えない。
『いっぱい撒いてあげるからねっ』
昨夜そう宣言していたから、この行事に参加していないはずはないのだけれど、そう思いながら尚も視線だけで探してみるが、どうしても見つからない。
その代わりに目に入ったのは、イネスの笑み。
「どうしたの、ルリ?」
隣を歩く友人が声をかけてくる。
「フレサンジュ先生が、ちょっと……」
「先生が?また何か企んでいるってこと?」
最後までまあよくやるね、そんな雰囲気を滲ませながらそれでも変わらない様子に彼女は笑った。
「まあ、フレサンジュ先生だし。でも、先生がって言うよりもラピスの方が心配で」
そこまで言ってルリははっと気がついた。
そうだ、イネスがあの笑みを浮かべてラピスがいない。
それはイネスが何かをやらかすのではなく、ラピスが何かを企んでいるということ。
イネスがやることならばまだ限度が—怪しい実験や爆発などが限度であれば、だが—あるが、ラピスとなると、何をやらかしたものだかわかったものじゃない。
大体、久美とイネスの間にある隙間には誰も……

久美と明人の間に、桃色の影が走る。
「みんな、逃げ……」
視界に認めた瞬間、周囲に声をかけようとしたが遅かった。
「くっ!」
遅いとわかったからには次の手を打たなければならない。こんな時でも流石にルリの緊急対応は迅速でかつ用意がよかった。

「発射ー!」
「甘いですよ、ラピスっ!」
轟然と襲い掛かってくる紙吹雪に、ルリはポケットに忍ばせた装置のスイッチを入れる。
卒業生全員が何が起こったのか暫し呆然とした後、もの凄い勢いで迫ってくる紙吹雪、それはもう吹雪というより嵐と表現した方がいいような猛烈な紙の数と勢いに悲鳴を上げる。
が、予想していたものが来なかったことで顔を覆っていた腕の隙間から恐る恐る覗き込む。
「くっ……やるね、ルリ姉っ」
「ふふふ……備えあれば憂いなし、です」
一体いつの間に用意したのか、『紙吹雪ブラストII改』と書かれた大型の装置を脇に、掃除機のような射出口を構えたラピスと不敵に微笑んだルリの間に、
「……えーと。もしかしてディストーション・フィールドか?」
「そのようだねぇ」
明人の言葉に赤月が反応する。
「説明しましょう!」
ぼんやりと言っていた2人の背後から声がする。
振り返ると青筋を浮かべてこめかみを抑えたエリナと、いつの間に用意したのか『ディストーション・フィールドの原理と応用』と書かれたホワイトボードを背後にイネスが立っていた。
「ただ、ナデシコが使っていたものとは少し違うわよ。明人君はともかく赤月君、あなたが知らないんじゃ話にならないわね。いい、そもそもディストーション・フィールドは一次元の点である時空断層であり、それらの時空断層の点を無秩序に機体の回りに散布するわ。これらの点は空気分子のようにカオス系に支配されるので完全にランダムに動き回るから、外からの攻撃はカオスに動き回るこれらの点にぶつかって拡散され、電波や可視光などのエネルギーが低い波動や粒子はこれらの点にぶつかる確率が低い為、次元断層の雲を通り抜けてくれる。これは、大気圏に当たった粒子や波動が、エネルギーが大きければ大きいほど突入が困難なことに類似しているわね。しかも、カオス系の自由度を変化することができれば、フィールドの透過性を局所的に変化させることができるから電磁波などではなく物理的攻撃や機動兵器の出し入れの際にはいちいち全部のフィールドをカットしなくても良いようにカオス系の自由度を上げれば透過率は上がるし、自由度を下げれば透過率も下がるということで制御していたわけ。散布した次元断層の点が減れば(以下略」

「まあ、要するに昨夜作っていたのはこのための紙吹雪だったわけだ」
「なるほどねぇ。学校側で用意してるはずだったのに、僕にも作らせたのはこのためだったわけか」
「なんだ赤月、お前まで作らされたのか」
「そりゃあこれだけの量だ、ラピス君1人では無理だろう?」
「それもそうだな。しかし、そろそろ動きが取れなくなりそうなんだが」
「奇遇だね、僕もだよ」
嬉々として、いやもはや恍惚となりながら説明を続けるイネスを早々に意識の外に追い遣り、のんびりと明人と赤月が会話する。
その足元には当然といえば当然なのだが、ルリのディストーション・フィールドによって弾かれた紙吹雪がうずたかく積もり、腰の辺りに届こうとしている。
今にもぶち切れそうなエリナを見やり、さてどうしたものかと思案を始めた明人の耳に、久美の弾かれたような笑い声が入ってきた。
「あ……あはっ!よーし、私も!」
「あははっ久美ねぇっ!そっちのノズル使ってー」
見ると、久美だけでなく他の参加者までが足元のもはや桜なんだか紙吹雪なんだかわからなくなったものを卒業生に投げつけている。
「いててっ!こら、固めて投げるなー!」
「せんぱぁい、これは後輩からの愛ですよー」
既に通過した卒業生も戻ってきて参戦し、後ろの方でもそれが伝播し始めていた。
並木道全体を使って、教員までが参戦した壮大な雪合戦ならぬ紙吹雪合戦。
「うあ、先生!3年の担任なんだからこっちにつけよっ!」
「ばかもん!我々はあくまで送り出す側だ、せいぜい盛大に送ってやるさ、あっはっはっは!」
「きゃははは!やるじゃない後輩くん!先輩からの返礼、しっかり受け取ってねー!」
「きゃーーー、ちょっと先輩、痛いってばー!」
広がる騒動に目を見合わせると、明人と赤月も笑みをこぼす。

「……やるかい、天河くん」
「やらいでかっ!」

「きゃっ!あ、ああああ明人さんっ?!」
「よーしラピス、もっとやってやれー!」
「明人〜♪明人はやっぱりラピスの味方なんだね!」
「ほれほれルリくん?余所見してると危ないよ〜」
「ちょ、赤月さんっ?!ってラピス、明人さんから離れなさーい!」
「やーん、ラピちゃん、弾切れだよ。こーなったら肉弾戦あるのみっ!」
「久美さんまでっ?!」

春、3月。
青空に楽しげな声が、いつまでも響いていた。

four seasons.
+our future that starts here......akito,kumi,ruri,lapis+

紙吹雪が桜の花びらと一緒に舞っている。
去年までの自分に少しだけ思いを馳せていた久美を、向こうでラピスが呼んでいる。
「久美ねぇー、写真撮ろうよー!」
左利きのラピスが手を振る、その指に反射する光を見て笑う。
そうだ、これからもみんな一緒に生きていくんだ。
明人はきっと、一般的な意味で買ってくれたんじゃないと思う。
けれど、「婚約」だとか「結婚」だとか、そういう普通の言葉では測りきれない想いをこの指輪に込めて贈ってくれたことは確かなことだから。
だから、久美も笑って手を振り返す。
右利きの彼女が、あえて左手で。

明人が、イネスが、赤月がエリナが、そしてルリとラピスが。
みんなが手で差し招きながら久美を待っている。
桜の下で。

久美は小走りに足を進め、空を見上げる。
そして呟いた。

「だから私は……私たちは幸せです。お父さん、お母さん」

≪あとがき≫
季節連載のfour seasons.いかがでしたでしょうか。

山もなければ谷もない、平坦なお話ばかりになってしまいましたが、ナデシコで波乱万丈な日常生活(?)を送ってきた彼らに穏やかな日々を暮らして欲しかったので、あえて何も織り込まずぶっちゃけ、のぺ〜っとしたその後を送ってもらいましたw

さて、『そして、春』ですが。
ぶっちゃけこの年になってしまうと高校時代を思い出すのも一苦労なわけで。
とゆーか、あまりよく覚えてません。
卒業アルバムも持ってないんですよね、私。
中学の卒業式なんてとっくに忘却の彼方ですし、高校時代はそもそも丸ごと抜け落ちているかのように記憶に残ってませんし……まあ、よほどつまらない高校生活だったと思われますw
大学では卒業式そのものに出てませんしねぇ。

それでもまあ、卒業シーズンなわけですよ、ええ(強引)
今、学生の方々は、楽しい思い出をいっぱい作って、学生時代をまるで覚えてないなんて淋しい大人にならないようにしてくださいね。

追)
つぼ八をポイント8と呼ぶのは……何処からとったかわかりましたかね?
イネスさんの説明部分はうんげろみみずさんの『ナデシコ妄想科学読本?』から転載・改編しました。